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31.いま、誓いを。

「んん……。ロシュ……。あつ……い……」


 煌々とまぶしいくらいに照らされた、だだっ広い部屋の中。

 中央のベッドの上で眠ったままのイニアが身じろぎを見せる。

 

 聞こえてきたのは、いってみれば、ただのうわごと。

 けれど、罠にはめた側のワードナにとっては、無視できない可能性(ノイズ)だったのだろう。

 吸い寄せられるように、その顔が横を向いた。


 ありがとう。イニア。

 万にひとつを、僕にくれて。


 瞬間的に溜められるだけの、ありったけの闘気を足にかき集め、一気に前へと跳んだ。


 同時に盛大な水しぶきが、いや水柱が上がる。


「ちっ! ただの寝言かよ!? ったく! 薬が切れたのかと思って、驚かせやがっ!?」


 正面に向き直ったワードナ。

 

 だが、もう遅い!

 待ってて、イニア! 僕がいま、こいつを!


「おおおおおっ!」


 肉薄と同時に、可能な限りに思いきり速く両腕を振る。そして、生みだした大量の【熱湯】をすべて、ワードナに向かってぶちまけた。


「あがあああっ!? があああああっ!?」


 ワードナが激しく身もだえ、うめき声を上げ――


「……な~んて、な!」


 ――僕の脇腹に、焼きつくような痛みが走った。


「え、あ……!?」


 崩れ落ちそうになる足に力をこめ、必死に体を支える。


 僕を見下ろすワードナの口元がいびつに動いた。

 僕の脇腹を深く貫いたらしい【黒棘】の刀身からは、ポタポタと真っ赤な血が滴っている。


「くくく! いいツラだなあ? これだから馬鹿を罠にはめるのは、やめられねえ! いったろ? いまのてめえには、万にひとつもねえってなあ!」


 ワードナが【熱湯】の染みこんだ黒い冒険者服の胸元をバッと開く。

 そこには、張りつけられた【神巫女カミナギ】がつくる護符が青く光っていた。


「いままで俺たちがこの【檻】に連れこんで、天国と地獄を味あわせてから、弱みを握ってやった女どもの中には、当然ながら【神巫女カミナギ】もいてな! ついさっき思いだしたんだよ! 【黒棘】をとりにこの部屋を出たときに!」


 青ざめているであろう僕を見下ろしながら、心底愉しそうにワードナは続けた。


「まあ、いろいろと酷使しすぎて、その女はもう死んじまったが、前にその女に魔力を削らせて無理やり作らせた護符の中に【水聖の護り】もあったってな! これで俺は少なくともあと5分は、なにがあっても火傷しねえ! いやあ、もつべきものは、使い勝手のいい道具と奴隷ってことだなあ!」


 隙だらけで大仰に両腕を広げ、僕というただひとりの観客に向けて、演説するかのように語り続ける。まるで僕が絶対に動かないと確信するかのように。


 そして、そのとおり僕は動けなかった。

 理解していたから。いま動いても、格上のワードナに返り討ちにあうだけだって。


「どうだ? ロシュ・ホットウォート! これが俺! これが【黒棘の檻】だ! 勝敗のわからねえ戦いなんざ、好き好んで竜なんかに挑むてめえらみてえな馬鹿のすることだ! 俺にとって戦いってのはなあ、勝ちが確定した状態でいかに相手をなぶって愉しむか! それだけなんだよ!」


 だからただ、じっと見つめながら、待った。

 さっきまでは存在しなかった、最後の勝機を。


 僕もまた確信していた。

 ギルドでさんざん見てきたから。僕をお茶汲みと馬鹿にする冒険者の目を。

 僕を馬鹿にして、油断しきっている、いまのワードナと同じ目を。


 だとしたら、確実に勝機は、来る。


「さあて、ガルドの野郎はまあどうでもいいとして、さすがにゴズは回復してやらなきゃならねえな! それでそのあとは、あのイニアとかいう女に天国と地獄を味あわせてやるっていう、次のお愉しみも待ってることだし!」


 ワードナが話をやめ、舌なめずりをしながら、右手の【黒棘】の切っ先をゆっくりと僕に向けた。


「てめえの馬鹿さ加減をと身の程をようやく理解できたんなら、そろそろ死ねや! E級!」


 来た! これが、最後の!


 その黒い刀身がまっすぐに突きだされた瞬間、体中のすべての闘気を足にこめて、いまできる最大最速で前へと飛びだす。


「なにっ!?」


 勝ち誇るワードナが突きだした【黒棘】は、僕の体をかすりもしなかった。


 だって、とてもとても避けやすかったから。


 【不可視(インビシブル)】で刀身を消失すらさせず。

 いままで散々に撃ってきた闘技のおかげで、ようやくその速さに慣れはじめた目に。


 僕をなめきったワードナが選んだ、僕へのとどめ。

 闘技ですらない、ただの突きは。


「うああああああっ!」

「があっ!?」


 雄たけびをあげ、渾身の力をこめた僕の体あたりの衝撃に、ワードナの手から【黒棘】が床の上の熱湯だまりへとこぼれ落ちる。


 その勢いのままに引き倒し、馬乗りになってワードナの顔面を、僕は【熱湯】をあふれ出させたまま右手でつかんだ。


 だが、ワードナはあわてる素振りすら見せず、そのままの姿勢で僕を見上げて、馬鹿にしたように鼻で笑う。


 そこを。


「はっ! だから無駄だっていってんだろ? 俺はあとまだ数分、なにがあろうと火傷しねえ! あ? それともなにか? まさか、この状態なら俺に勝てるとか、まだ夢見てやがんのか? なら、普通ならてめえ絶対優位のこの状態から、力比べとでもいくかぁ? なあ、E級冒け――ぶごべっ!?」


 実はさ。少しだけ、時間がかかるんだ。まださっき目覚めたばかりで調節(コントロール)に慣れてないから。

 全身から無駄にあふれださせていた【熱湯】を、【お湯】を、右手一点に集中するのは。


 ありがとう、ワードナ。

 僕を馬鹿にするためにそのための時間を、()()()おしゃべりなんかに使ってくれて。


「うん。知ってるよ。【水聖の護り】の効果はさ。僕も身をもって実感したし、前に僕の仲間、【神巫女カミナギ】のシャルティーがくわしく教えてくれた。じゃあさ、逆にこれは知ってる? なんと体内も効果範囲なんだって。だからさ、ワードナ? 安心して」


「ぶごごごべっ!?」


「たらふく()()()()? ああ、遠慮しなくていいよ? これが僕の気持ちだから!」

「ぶごがごぶごべばっ!?」

  

 ワードナの顔面をつかみ、その口へ向けて大量の【お湯】を生みだして、間断なく流しこむ。


 考えられるかぎりに、不味く、苦く、臭く、酸っぱく。こめられるだけの思いをこめて、全身全霊で【お湯】を口へと注いだ。


「ぶごごべばぼぐぼごべごべがぼべらっ!?」


 僕におさえつけられたワードナが瞳孔をこれ以上ないくらいに見開き、床の上で体を激しく暴れさせた。


 僕は闘気をおさえつける腕と足に集中させて、ワードナの身動きを封じる。


 対して、陸の上で溺れかけ寸前となった極限状態のワードナ。そんな状態では、とても集中できるはずもなく、満足に闘気を練ることも体に流すことすらできない。


 素の身体能力のワードナと、つたないとはいえ闘気で強化された僕。


 やがて――

 

「ぶごべばぼ……?」


 ――ワードナは、ついに僕の戒めから脱することはできず、バシャリと床の上に腕を落とした。


「はあっ! はあっ!」


 白目をむき、口から泡を吹いて完全に動かなくなったワードナを見下ろし、僕はようやく戦いが終わったことを実感する。


 と、全身に一気に脱力感と激しい痛みが襲ってきた。特に左腕はボロボロだし、脇腹は焼けるように痛い。


 一度でも止めたら休止時間(インターバル)があるからと、延々と垂れ流し続けていた天恵【お湯】をようやく止めた僕は、脂汗をかきながら這いずるようにして床の上に溜まった、ぬるくなりはじめたお湯だまりをかき分ける。


 目指す先はもちろん。



「イニア!」

「ん、んん……? ロ……シュ……?」


 体を揺さぶりながらの何度目かの呼びかけのあと、ベッドの上で眠り続けていたイニアはようやく目を覚ました。


「よかった……。よかった……!」


 涙目でホッと安堵の息を吐く僕を、怪訝な顔でイニアが見つめる。


 それから、ハッとした表情に変わると、僕の腕をガシッとつかんだ。


「ロシュ!? その怪我――んっ!?」


 その拍子にイニアの体を覆っていた、寝間着だったものの残がいがハラリと落ち、傷ひとつない艶やかで華奢な体があらわになった。


 ごめん。濡れてしまった僕の服を眠るイニアにかけてあげるわけにもいかず、ゴズに破られた布切れで隠すことしか、いまの僕にはできなかったんだ。


 僕の目の前で、イニアの青い瞳が真ん丸に見開かれる。


「イニア。ごめん。僕」

「待って、ロシュ。いま【並列】で現状を把握する」


 左腕で胸元を隠しながら、右手のひと差し指で僕の口をさえぎったイニア。


 その細められた青い瞳が部屋の中のあちらこちらへと動き、やがてこっくりとうなずいた。


「ん。現状は理解した。なら、いまは、こうするべき」


 いい終えると同時に、ふわりとやわらかな体が僕に密着した。


 イニアの華奢な腕が僕の背中にまわり、胸元にはとん、と頭が預けられる。

 青い髪からは、ふわりと花のような甘い香りがした。


「ありがとう、ロシュ……! わたしを、助けてくれて……! 怖い……! 怖かった……!」


 かすれて震えた涙で濡れる、まるで幼い子どものような弱々しい声が、僕のすぐ耳元で響いた。


 そのとき、僕ははじめて気がついた。

 腕の中の震える体の、僕よりもはるかに強いはずの少女(イニア)の、その小ささに。


「うん。怖かったよね。もう大丈夫だよ。イニア、さあ一緒に帰ろう。みんなのところに」


 僕は、その小さな背中を無事だった右腕だけで、ただ、そっと抱きしめた。



 強く、なりたい。

 この腕の中の少女を守れるだけの力をもった【英雄】になりたい。


 胸の中でそう誓いを立てながら。

お読みいただきありがとうございます。

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