2.僕の世界を変える小さな手。
入口の扉が開くと同時にギルド中がしんと静まり返り、皆がいっせいに息を飲んだ。
入ってきたのは、まだ少女といっていい年齢の3人の女冒険者。
だが、見るからに上質な装備に身を包んだその姿。その髪の艶に肌の綺麗さ、身にまとう空気さえも明らかにこのギルド内のほかの冒険者とは一線を画すほどに洗練されていた。
ギルド内にいた男の冒険者がみな目を奪われ、逆に女冒険者たちがみな思わずその輝きからうつむいて目をそらしてしまうほどに。
「ん。ギルド長に会うから、とりあえず席を用意して」
たぶん僕のエプロンから店員と判断したのだろう。
先頭に立つ魔法使い風でとんがり帽子をかぶった青い髪の小柄な女の子が、思わず見とれていた僕に向かって話しかけてきた。
ふわりと香る花のような匂いが鼻をくすぐる。人形のように整ったあどけない顔の青い瞳が僕をじっと見つめていた。
その後ろに続くのは、赤い髪をポニーテールに束ねた剣士風の快活そうな女の子。しなやかで凛としていて、さっきまでうつむいていた女冒険者たちも見惚れるような視線を送っていた。
最後尾を歩くのは、艶やかで長い金色の髪をした清廉な雰囲気をかもしだす、たぶん神巫女の女の子。一方で清楚な雰囲気とは真逆のその豊満な肉体はギルド中の男の視線を釘づけにしていた。
3人ともがそれぞれあり得ないほどに美しく魅力的で、この場末のギルドにはあまりにも場違いだった。
まるで物語の中の登場人物たちがそのまま抜け出てきたかのように。
「りゅ、流星の、矢……?」
目を見開きぽかんと口を開けた、僕の同期の冒険者ガルドの口から、ふとそんなつぶやきが漏れる。
【流星の矢】。
この名前をいまこの国にいる人間で知らない者はいない。
数々の高難度依頼を達成し、冒険者として最大の栄誉ともいわれる【王家の剣】の称号を得て、いまから一年前に史上最年少、成人したばかりの15歳でA級冒険者に到達。将来的には伝説の英雄ともうたわれるS級冒険者への仲間入りも確実とさえいわれている。
全員が優れた天恵を持ち、しかも見てのとおりの類まれな美貌の持ち主。すでに彼女たちを題材にした英雄物語や戯曲が多数作られ、特に彼女たちにあこがれる子供たちの間で絶大な人気を博している。
まさにその名のとおり、長く尾を引いてどこまでも空を行く、決して落ちない矢のような流星。それが彼女たちだった。
「ちょっとあんた。何ボーっとしてんのよ? あたしたち、いつまでここで立ってなきゃいけないわけ?」
「すす、すみませんっ! こ、こちらの席へどうぞっ!」
赤髪ポニーテールの女の子が眉をひそめていらだちの声を上げた。
我に返った僕は、極度の緊張で上ずった声になりながらも奥のテーブル、こういうときのための特別席へと彼女たち【流星の矢】を案内する。
「ふうん。あんな小娘どもがねえ……?」
その途中に一瞬だけ、ドロリと濁った泥のようなつぶやきが僕の耳に届いた気がした。
「よっこらせっと。で、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの最年少A級冒険者【流星の矢】のメンツがこんな辺境の街のギルドへいったい何の用だ? ここにはあんたらが出張るほどの依頼はねえと思うがねえ?」
木でできた右足の義足をズルズルと引きずりながら、奥から歩いてきたギルド長。
僕の助けを借りて、その恰幅のいい体を億劫そうに椅子にドカッと預けると、白いあごひげをなでながら開口一番にそう尋ねた。
僕は厨房で人数分のお茶を淹れて運んだあと、給仕係として、そのままギルド長の後ろに立つ。
「ん。美味しい。王家からの依頼で、たまたまこの近くにちょっと用があって。それと、初めて来た冒険者ギルドには必ず顔を出すようにしてる。もしかしたら、思いもよらない出会いやわたしたちに足りないものが見つかるかもしれないから」
僕が出した紅茶に一度口をつけてから、ギルド長の正面に座る青髪の女の子が表情を変えずにそう答えた。とんがり帽子はいまは外して、椅子の背もたれにひっかけている。
青髪の女の子の両となりに座る赤髪ポニーテールと長い金髪の女の子は会話に参加しようとはせず、黙ってカップに口をつけていた。
「へえ。それはそれはご苦労なことで。で、どうだ? だれかお眼鏡に適いそうなのでもいたかい?」
ギルド長のその言葉に、後ろに控えていた僕は思わず息を飲んだ。さっきからこっちの様子をちらちらとうかがっていたギルド中の冒険者も同様だろう。
カップの中の残りをゆっくりと飲み干すと、青髪の女の子は口を開いた。
「ん。残念ながら。でも、見つからないのもいつものこと。別にガッカリはしていない。紅茶ごちそうさま。美味しかった」
言い終えるとすぐに席を立とうとする。
ギルド中に落胆と諦観の気配が広がった。
「まあ、そうだよなあ。ウチにいる珍しいのなんて、せいぜい天恵持ちがひとりだ」
その言葉に僕はビクリと身を震わせた。だって、このギルドにいまいる天恵持ちなんて、ひとりしかいない。
「ん? 天恵持ち?」
腰を浮かしかけた青髪の女の子がもう一度座り直す。
「ああ。もう一杯紅茶はどうだ? 百聞は一見にしかずっていうし、見てもらったほうが早いからな。おい、ロシュ!」
「は、はい! すぐに!」
返事をすると僕は一度厨房にとって返し、すぐに新しい茶葉をガラスのポットに入れて持ってきた。
注ぐためのお湯の入った容器を持たない手ぶらの僕を見て、青髪の女の子が少しだけ眉をしかめる。
「ん? なんのつもり?」
怪訝な声を上げる女の子の目の前で右手をかざし、僕はポットへとお湯を注いだ。ガラスのポットの中で、茶葉が踊るようにかき混ぜられる。
青、赤、金と3人の女の子たちはあっけにとられたようにそれを見ていた。
「ガハハハハッ! どうだ? これがウチの唯一の天恵持ち。【お湯】のロシュだ! いつでもどこでも【お湯】を出せる、こういっちゃなんだが大ハズレの天恵! だが、こんな場末のギルド酒場にはぴったりだろう? 同じ天恵持ちでも華々しい活躍のあんたらとは大違い! 悪いことはいわねえよ。こんな辺境には、あんたらに相応しいものなんざなんにもありゃしねえ! 用事を済まして、さっさと王都にでも帰んな!」
そのギルド長の言葉を皮切りに、ドッと一斉にギルド中が笑いだした。
「あははは! ギルド長、ちょっといい過ぎ~! ロシュのおかげで経費が浮いて助かってるっていってたじゃない?」
「そうだぜ? ある意味このギルドを支えているといっても過言じゃないだろ? まあ、給仕とお茶汲みとしてだけどな!」
「ギャハハハハ! おいおい、それじゃ看板娘じゃねえか! お? なら、いっそのこと女装でもしてもらうかあ?」
「クハハハ! そりゃいいっすね、ゴズさん! どうせ冒険者としてはいてもいなくても同じE級! 才能あふれるC級の俺と違って、三流以下の役立たずなんっすから!」
「はあ。くっだらねえ。つーかやっぱこれ、俺のメシ忘れられてんな? しゃーねえ、注文し直すか? 忘れたあのロシュとかいうガキに対する仕置きはあとで考えるとして」
耳に届くギルド中の耳ざわりな笑い声。
それでも全部事実だから、僕はただ黙ってこぶしを握りしめることしかできない。
「なによこれ? 最低のギルドね! 二度と来たくないわ!」
「同感です、プレサ。いるだけで気分が悪くなります。イニア、早く行きましょ……イニア?」
「天恵? いつでもお湯が出せる? それって、つまり」
赤髪ポニーテールと長い金髪の女の子ふたりが顔をしかめてガタンと席を立った。
だが、ふたりの呼びかける声には応えず、イニアと呼ばれた青髪の女の子はお湯を満たされた紅茶のポットを座ったままじっと見つめて、なにやらぶつぶつとつぶやいている。
「待って。プレサ、シャルティー」
そして、立ち上がると赤髪と金髪の女の子二人を呼び止めた。
「どうしたの、イニア?」
赤髪ポニーテールのプレサがイニアにキョトンとした顔を向ける。
「ん。ふたりともよく考えてみて。いつでもお湯が出せるってことは?」
「えーっと、いつでもあたたかい紅茶が飲めますね?」
金髪の女の子、シャルティーがおっとりと首を傾げると、イニアはこっくりとうなずいた。
「ん。でも、それだけじゃない。わたしたち【流星の矢】にとって、もっと大事なこと」
イニアのその発言にプレサがハッとした顔を見せる。
「まさか、いつでもお風呂に入れるってこと!?」
「ええっ!? それ、最高じゃないですか!」
シャルティーがポン、と手をたたいて輝くような笑顔を見せた。
「ん。なら決まり」
「ちょ、ちょっと待て!? お前ら、いったいなんの話をしてやがる!?」
イニアはくるりと振り返ると、狼狽するギルド長には目もくれずにまっすぐに僕を見つめてきた。
「ロシュ――であってる?」
「は、はい」
「ん。わたしはイニア。こっちはプレサとシャルティー。ロシュ、わたしたちはぜひ貴方をわたしたちのクラン【流星の矢】に迎え入れたい。なぜなら貴方はわたしたちに足りないものを持っているから。望むのならば、この手を取って」
すっと僕の目の前に小さな手が差し出された。
突然の、まるで物語の中の登場人物から誘われたかのような、現実感のない光景。
あの日。天恵を得たときと同じ。
僕にとって、はるか天上から差し伸べられた運命の導き。
「おい、ロシュ! なに考えてやがる!? お前、自分の身の程知ってんだろ!?」
でも、あのときと違うのは。
目に見えない、なにを考えてるかわからない神さまなんじゃかなく、いま僕の目の前に確かにその相手が存在しているということだ。
僕を欲しいと、望むといってくれるその相手が。僕の中でくすぶり続けている冒険者の道へと導いてくれるその相手が。
「お願い、します……!」
だから僕はその小さな手を取った。
「ん。よろしく」
やわらかな微笑みとともにイニアがうなずき、そしてこう続ける。
「でも、まだ仮採用。ロシュ、これから貴方を審査させてもらう。わたしたちと行動を共にすることで。期限はそう、目的地からこの街に無事に戻ってくるまで」
その日、僕の人生は変わった。
長く尾を引いてどこまでも空を行く、決して落ちない矢のような流星。
その後ろを行く小さなつぶて。それがいまの僕だ。
これが、僕の冒険者としての本当の始まり。
やがて彼女たちと肩を並べ、そして共に伝説の英雄とうたわれる冒険者となる僕の、その最初の一歩。
お読みいただきありがとうございます。
面白い・続きが読みたいと少しでも思われた方は、ぜひブックマークや下の星による評価、感想をよろしくお願いします。