17.竜と、僕の全力。
「ぷ、プレサッ!?」
目の前で起きた惨状に、たまらず僕は叫んだ。
「――くっ! あぶないわね!」
だが、虫の知らせか一瞬早く危険を察知していたらしく、プレサは竜の肩口から跳び上がり、炎に巻かれずに済んでいた。
ホッと安堵の息をつきそうになった僕。
だがそのとき。
『グルアアアァ!』
まだ離れきれていないプレサを巻きこんで、竜がその巨体に炎をまとったまま、その場でグルンと旋回し始めた。
まさにその様は、質量を持った巨大な火球。
「くぅぅっ!?」
それでもなお、自由に身動きのできない空中で必死に長剣を構え、竜の攻撃を防ごうとするプレサ。
『グルゥアアアァ!』
「きゃああああっ!?」
だが、その巨大質量を足場のない空中で受け止め切れるはずもなく、強烈な尻尾の一撃を受けて炎に巻かれたまま、はるか彼方へと飛ばされていく。
「がはっ……!?」
激しい勢いで地面にたたきつけられると、炎に巻かれたままピクリとも動かなくなった。
「プレサッ!? プレサッ! プレサァァッ!」
そ、そんな……!? そんな!?
いてもたってもいられず、何度も叫ぶ。
だが、プレサに動く気配は感じられない。しかも、いまもなおその身をとり巻く炎はいまだ消えていなかった。
「――の護りありがとう、シャルティー。わたしたちはいいから、すぐにプレサを」
「はい。イニアこそ、お気をつけて」
聞こえてきたやりとりにハッとして、振り返る。
そこには、いつのまにかまた僕たちに合流していたシャルティーが。
僕とイニアになにかの加護をかけたらしく、気がつけば僕とイニアの体を金と青、二重の光が覆っていた。
「いきます」
ひと言告げると、シャルティーが倒れたプレサへ向かって駆け出した。
炎はようやく沈火したみたいだけど、ここからだとくぼ地になっていて僕からはプレサの状態がはっきりわからない。
「あの竜の姿。まさか、生命の危機を前に急激な進化を? いや、まだその途中。まだ安定してない」
ひとり言のようなイニアのつぶやきに、前を見る。
『グルゥァァァ……!』
竜の体からも燃え盛る炎は消えていた。
だが、その代わりにその体を鎧う竜鱗全体が赤く発光している。
そう。まるで熱したときの鉄のように。
その赤熱する巨体から竜鱗が少しだけ剥がれ落ちると、地面をドロリと溶かしていった。
さっきまでが巨大な火球なら、いまは巨大な熱の塊。おそらくは触れることすら許されないほどの超高熱がいま、竜の体を覆っていた。
『グルァ……?』
赤熱する竜の燃えるような巨大な眼が次の獲物を探してギョロギョロと忙しなく動き回った。
だが、やがて一点で止まる。
その視線の先は、倒れたプレサへと駆けよるシャルティー。
『グル……ゥ……!』
赤熱する竜が息を吸いこんだ。その無防備な背中めがけて炎のブレスがいまにも放たれようと――
「白き楔を。【氷の針】」
『アアアァ……!?」
――その寸前、イニアが放った数本の小さな氷柱が竜の大きく開けた口の中に吸いこまれ、弾ける。
『グルァァァァ!? グル……! グルゥゥゥ……!』
ダメージは皆無に等しいだろうが、その挑発的ともいえる行為に怒りを覚えたのだろうか。竜の標的がイニアに変わり、その巨大な眼がギョロリと向けられた。
『グルアアアァァァ……!』
そのまま魔界跡地の地面を赤熱する体でドロリと溶かしながら、僕たちの方へと向かってきた。
おそらくはイニアを警戒しているのだろう。
さっきのように突進することなく、あくまでゆっくりとした歩みで。
「う、あ……!?」
その威容と巨体が近づくにつれ、思わず僕の足がガクガクと震え、口からは勝手に悲鳴が漏れだした。
魔物最強種のひとつ。竜種。
一生目にすることなどないと思っていた脅威がいま、確実に僕に向かって近づいていた。
「ん。うまく釣れた。ロシュ、わたしから離れて。竜が向かってくる」
そのつぶやきにハッとして振り返る。
そこには、静かに決意を固めた青い瞳があった。
「は、離れてって……。イ、イニアは……!?」
答えのわかっている問いにもかかわらず、それでも聞かずにはいられなかった。
「わたしはこれから竜を迎撃する。全力の魔法で。大丈夫、心配ない。シャルティーの【守聖の護り】なら、竜の全力でも一撃は耐えられるから。安心して」
うろたえる僕を安心させるように、ほんのりとイニアが微笑んだ。
それからすぐにキッと前を向き、杖を掲げて集中しだす。
ドクン、と心臓が鳴った。
このままで、いいのか? このまま逃げて、もしプレサみたいにイニアにまでなにかあったら、僕は、僕は。
でも、いまの僕には竜に通じる攻撃なんてない。
たとえシャルティーの【守聖の護り】で竜の攻撃に一回耐えられたって、僕にはなにも――いや、ある。
一撃耐えられれば、僕にだってきっと、竜を引きつけることができる。
たぶん、ほんの一瞬だけど。
でも、その一瞬があれば、イニアならきっと……!
「イニア。僕もシャルティーと、そしてイニアを信じてる。だから、あわせて!」
「ロシュ? ――っだめ、無茶はっ!?」
叫ぶイニアを置き去りに、竜に向かって僕は駆けだした。
痛いくらいに心臓が速く鳴っている。
ともすれば、もつれそうになる足を必死に前に動かした。
大丈夫。やり方はさっきイニアが教えてくれた。
いまの僕にできる最大限を竜にぶつけて、竜を――釣る。
さあ。いまの僕にできる最大限の量を。
左手から天恵であふれんばかりの【熱湯】を生みだす。
いまの僕にできる最大限の速さで。
「渦巻け、飛べ」右手から渦巻く風を生み出し、固く握った右こぶしに巻きつける。
『グルアアアァ……?』
竜の巨大な眼がすぐ近くで僕を見下ろしていた。
遠くからはわからなかった、赤熱する体から発する蒸気がはっきりと僕の目に映る。
あまりの恐怖に感覚が麻痺でもしているのだろうか。不思議と熱さは感じなかった。
左手と右手を前に突きだす。
今の僕にできる最大限の距離。赤熱する竜の爪が届くその間合いで。
「いっけぇぇぇぇ! 【熱湯の弾・改】!」
左手で創りだした熱湯の玉を風をまとう右こぶしで思いきり殴りつけた。
『グルゥアアアアアァァァァッ!?』
「……え?」
なにが起きたのかわからなかった。
僕が撃ちだした熱湯の玉は狙いどおりに竜の顔面へ向かい、そして赤熱する竜鱗にあたった瞬間、盛大に弾けた。
至近距離で激しい衝撃を受け、竜の体が斜めに傾く。
まったく想像しなかった結果にあっけにとられ、僕はポカンとそれを見ていた。
それは、一瞬の空白。
千載一遇の、勝機。
「下がって! ロシュ!」
聞こえてきた叫び声に、僕は半ば反射的に後ろに跳んだ。
「雨よ凍れ! 枝葉となり結びつき、空に白き大輪の花を咲かせよ! 降れ氷天! 【極天六花の氷晶】!」
そして、僕が着地する前に一気に局面は動きだした。
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