1.お茶汲みのロシュ。
その日、僕の人生は変わった。
天恵。
10歳になったときに行われる洗礼式。
そこで創造神に選ばれたもののみに授けられる世界でただひとつのユニークスキル。
歴史に名を残すような英雄は、みんなこの天恵を持っていたという。
創造神に選ばれるのは極めて稀で、この辺境の街では誰も選ばれない年もめずらしくない。
いまから6年前のことだ。
冒険者志望だった僕ことロシュ・ホットウォートは、なんとその年ただひとり創造神に選ばれ天恵を手に入れた。
ただ自由に【お湯】を出せるだけというハズレ天恵を。
そして、この天恵のせいで僕の人生はまったく望まない方向へと転がり落ちていく。
「おい、ロシュ! なにちんたらやってやがる! 汚れものの皿に【お湯】かけ終わったんなら、さっさと注文とって飲み物出してこい!」
「はい!」
冒険者ギルド内に併設された酒場の厨房。
いつものように怒鳴られた僕は、いつものように「はい」と答える。
口ごたえはしない。してもさらに怒鳴られるだけだってよくわかっているから
流し台に積まれた皿に向けて手から放出していたお湯を止めると、エプロンを締め直して僕は店のほうへと向かった。
「紅茶。つーか遅いんだけど!」
「おい! お湯割りまだかよ!」
「緑茶だ。いつまで待たせんだ? ああ!」
「はい! ただいま参ります!」
冒険者ギルド内の酒場兼食事処。
喧騒の中、ガラの悪い冒険者たちがたむろするテーブルの合間を注文の品を乗せたお盆を持って僕は小走りに駆ける。
「お待たせしました!」
紅茶の茶葉に、グラス半分のお酒に、緑茶の茶葉に、いわれたとおりに右手から出した【お湯】をそそいだ。もちろんそれぞれの適温に調節することは忘れずに。
「ごゆっくりお楽しみください!」
注文を出し終えた僕は、礼もいわずにあさっての方向を向いた客たちから視線を外し、早くしないとまた怒鳴られかねないと即座に厨房へと駆け戻る。
「おい! こっちの酒も割ってくれや!」
と、その途中で声をかけられてあわてて方向転換し、入口近くのテーブルへと急いだ。
「っ!?」
そのテーブルに座っていたのは、見るからにガラの悪い3人の冒険者の男たち。
その中には僕の知りあいいや腐れ縁もいて、思わず身がすくんでしまった。その腐れ縁の男は僕を見ながらニヤニヤと口もとに嫌な笑いを浮かべている。
「よう、ロシュ! 久しぶりじゃねえか! あいかわらずナヨナヨしたツラしてんなあ!」
「ガ、ガルド……!」
「あああん!? おいロシュ! てめえ、客に対する口の聞き方がなってねえんじゃねえか!? 俺サマが教育してやろうか!?」
「……失礼しました。お客さま。お湯割りをご希望でしたね? どうぞカップをこちらへ」
「へっ! 最初からそうしてりゃいいんだよ!」
ダンッ! とテーブルの上に乱暴に置かれた3つのカップのうち、2つに向けて両手をかざしてお湯を注ぐ。
「ふうん。これがガルドのいってた野郎か?」
「そっすよ! ワードナさん! これがいまから6年前の洗礼式で創造神にただひとり選ばれ、天恵【お湯】を授かった俺らの年の期待の星、ロシュ・ホットウォートっす! いやあ、期待どおりに活躍してるっすねえ! いまや冒険者としては名ばかりの立派な給仕、お茶汲みとして!」
「ふうん。【お湯】ねえ?」
黒髪を後ろになでつけたワードナと呼ばれた男が無精ひげの生えた顎をさすりながら、さして興味もなさそうにうなずいた。
いまから6年前のことだ。
そう。ガルドのいったとおり、僕に授けられた天恵はなんと【お湯】。
なんの変哲も特殊な効果もないただの【お湯】をいつでもどこでも好きなだけ自分の体から出せるというもの。
僕が料理人でも目指していれば、あるいは重宝していたのかもしれないけど、生憎僕が目指していたのは冒険者。
だから僕は天恵のことは関係なしにギルドで冒険者登録をしたんだけど――
「天恵で【お湯】が出し放題? ガハハハッ! そりゃあいい! なら、お前の天職は冒険者よりこっちだな! ああ、一応籍は置いておいてやろう! ガハハハッ!」
――とギルド長に半ば無理やりに、ギルド併設の酒場の店員にさせられてしまった。
それからは、こき使われたおかげでロクに冒険に出る時間もとれず、仲間もいないからクランも組めず、冒険者ランクだってこの6年で最下級のF級からE級に上がるのでやっと。
同じ時期に冒険者になったひとたちはもうみんなD級。このガルドに至ってはC級だ。同じ時間を過ごしていたはずなのに、圧倒的な差が開いてしまった。そのせいでもう完全に誰も僕を冒険者として見てくれない。
実質、僕は冒険者としてはこのギルドから追放されていた。
この6年で僕が得たものなんて、美味しいお茶を淹れるコツ。喧騒の中でも間違えずに注文を聞くための耳の良さ、それなりに溜まった賃金だけ。お金はこき使われて使う時間がなかっただけだけど。
それでも冒険者として鍛錬は毎日続けてはいる。けれど、僕はなにをやってるんだろうと思わずにはいられなかった。
「――ひっ!?」
考えごとをしながら3つ目のカップに手をかざした瞬間。
突然お尻にぞわっとした感触を覚え、反射的に一歩下がった。
その拍子に出していた【お湯】がカップから外れ、テーブルをビチャビチャと濡らしてしまった。
「ギャハハハ! せっかく可愛い顔してんのに、やっぱり野郎のケツは固ーな? いや、たまにはそれもアリか? あとでいっちょ試してみるかねえ? なーんてな! ギャハハハハ!」
「はあ。おい、ゴズ。メシの前に不味くなる話してんじゃねえ。あとにしろ」
「そっすよ、ゴズさん。さすがに俺も知り合いがケツおさえてる姿は見たくねーっすよ? クハハハ!」
不気味に笑うスキンヘッドの上に派手な刺青を入れたゴズと呼ばれた男。
僕ののケツとかいうあり得ない話題で盛り上がる男たちを僕は恐怖の目で見つめる。
な、なんなんだ!? この人たち!
ん? ワードナ? ゴズ? って、まさか!
「く、【黒棘の檻】……?」
思わずつぶやきを漏らした僕に3人の男たちの視線がいっせいに突き刺さる。
その中のガルドがニイッと口の端をつり上げた。さっきまでは気がつかなかったが、前に見たときにはなかった刀傷が一本、頬に深く刻まれていて異様な凄みを感じさせた。
「そうだ、ロシュ! この街の影の支配者! この街トップクラスのB級冒険者クラン【黒棘の檻】! その期待の新人がこの俺、ガルドさまってわけだ!」
「まあ、この前おっ死んじまったメンバーのとりあえずの穴埋めだけどな! C級止まりの期待の新人君? ギャハハハハ!」
「へっ! 俺の実力なら、B級なんてすぐっすよ!」
「お、いうねえ? ギャハハハハ!」
【黒棘の檻】。
その悪名をこの辺境の街で知らない者はいない。
殺人、強盗、拉致監禁。表ざたにできないどんな黒い依頼でも引き受け、また証拠はないが依頼に関係なく自らも数々の犯罪に手を染めているという。いわば、この街の暗部そのものだ。
彼らの拠点に入れば最後、その【檻】の中からは出られないとさえいわれている。その証拠にその周辺で見たのを最後に失踪した女の子の噂は両手の指では到底足りない。
そんな黒い噂を持つ彼らがB級冒険者クランとして存続できているのは、それでも確かな実力を持っているから。
「はあ。ロシュ、だったか? まあ、なんだ。こいつにはあとで適当にほかで発散させるからとりあえず安心しろ。それより酒のおかわりと腸詰めを3皿追加だ」
「まあ、そうだな! いまはまず腹ごしらえして精をつけねえとな! このあとハッスルするためにもよ! ギャハハハ! さーて、今日はどんな女を連れ込むとするかねえ! ギャハハハハ!」
「ゴズさん! 俺に任せてくださいよ! 実は前から目をつけてたのがいるんです!」
堂々と犯罪まがいの話をしながら、濁った目で男たちが笑いあう。
酒場のほかの客は関わり合いになることを恐れて、誰もこっちを見ようとすらしなかった。
思わず鼻と口元をおさえた。この街の暗部を目の前に、ここからどんよりと空気が濁っていくような気がして。
ギルドの中だけじゃなく、この街全体が暗く淀んだ空気に包まれるような、そんな気がして。
「邪魔する」
そのとき、入り口の扉が開いて外の澄んだ空気が吹きこんできた。
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