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君色夜想曲

作者: 望森ゆき

 僕の唯一の楽しみと言えるのが、夜の駅前での地ベタリアンたちによる路上ライブ。その時間、本当は寝ていなきゃいけない時間なのだけれど。僕なりの反抗として、夜中に外をフラフラするようになってから見つけた光り輝く場所。

 あまり治安が良いとはいえない街だけど、ね。

 僕はきっといいカモに見えるのだろう、実際その通りであるし。絶好の獲物だ。だけれど、さすがに一年近くここに顔を出すようになると、余計なちょっかいを仕掛けてくる奴は少し減った気がする。というより、そういう諍いに陥ることを回避する能力を身に付けたからとも言える。

 ただ今も現在進行形でカモに見えるだろうというのは自覚している。なんたって、僕は変装と言う名のコスプレ大好きでその恰好は浮いているし、恰好からはそんな喧嘩ができそうな奴には見えない。勿論、僕は喧嘩ができない。今の恰好に至るまでのことを知らない奴なら、誰も僕がかの有名病院の病弱息子で、学校では王子とかいう「おまえの目は節穴か!」的、あだ名がある綾瀬透(あやせとおる)だとは思わないだろう、多分。

 もとは黒くて短い髪の毛も今はウィッグを被っているから少し長いし、全体に色も入っている。今日は青色の気分だったから、メッシュの色が青だ。

 変装もといコスプレは必要に迫られて始めたことなのだが、今ではすっかりハマってしまった。別人になれるという点おいてとても楽しくやっている。

 もともと病弱故に外に出ない結果である、気持ち悪いほどの白い肌には化粧がよく映える。ビューラーでまつ毛をあげてしまえば、いつもは線のように細い瞳も、ちょっとは大きくなる。そして、アイシャドウやらマスカラ、リップ、チーク。様々なものでもって、僕は僕じゃなくする。

 その僕が僕じゃない時間は夢のようだ。魔法のような時間、今の僕にとってこれは癒しであり、快感であり、幸福である。

 このことに味をしめてしまった僕に以前のような夜の過ごし方はできない。主治医の指示に従って、なんてことは。

 たとえ僕が病人で今の行動が未来を捨てる結果となっても、僕には今の楽しみの方が大事なように感じていた。


 一人が楽だった。

 誰にも染まらない、つまり誰からも影響をうけない。逆に影響を与えない。それが理由で一人が好きだった。

 大勢でつるむのは、頭の弱い集団でしか行動できない臆病な奴だというのが僕の持論。だからこそ、誰かとつるむ気なんかなかった。

 だけれど、どうしてだろうか。

 ここにくると誰かと二~三人程度なら一緒に居ても良いような気がしてくるのだ。

 勿論、例外が居る。たとえばこいつ、白雪小夜(しらゆきさよ)は僕の周りを付きまとう。どんなにコスプレをしていても、一発で見抜いて寄ってくる。正直、辟易している。

 それを知ってか、知らないのか分からないが、また奴は寄ってきた。片手に持った黄緑色のケータイを見もせず、親指だけが忙しなく動いていた。そして恥じらうような(今さら恥じらうところもないと思うが)頬を染めて話しかけてくる。

 僕としては、無関係を貫きたいところ。だから対処の仕方は決まっている。


「こんばんは、綾瀬先輩」


 当然、無視だ。知ったこっちゃない。それでも、なお縋りつくようにしてついてくる。


「先輩、あの話。考えてくれました?」


 嗚呼、鬱陶しい。僕は折角コスプレをして夢の世界を楽しんでいるのに。これでは台無しだ。イラッと奴を睨むと、奴は何を誤解してか。


「いやん。そんな激しい視線を向けないで」


 なんてくねくねしながら戯言でもいい加減にして欲しいことを言いだした。放置してもくっついてくる。放置しなくてもくっついてくる。本当に仕方なく声を出して、手でシッシッと追い払う仕草をした。案外、思っていたよりも低い声が出て僕の方がビビった。それなのに奴は怯える素振りもせず、本格的に僕の心配をし始めた。だけれど。


「ああ、鬱陶しい。邪魔するな、気持ちが悪い」

「ええぇ?! 大丈夫ですか? 先輩、今気持ちが悪いんですよね? 今日、冷えていますもんね。あ、テレビの気象情報で言ってたんですよ、今日は北の冷たーい風に東日本は覆われるとか。それに、先輩そんな薄着でいるんですもん。寒くなって風邪ひいて気持ち悪くなっても仕方ないですよ。もともと先輩はお身体が弱くて、今も入院してらっしゃるんでしょう? あれ、だったら何でこんな時間に街をうろついているんです? 消灯時間は? それとも、病室を抜け出して?! 気持ちが悪くなっても私に会いに来てくださったんですね?! 私、今凄い嬉しいです!」


 キャーとか言って頬を押さえる奴に冷たい視線を投げた。と共に、その自分に良いように解釈できる奴をほんの少し羨ましく思った。でも、すぐに奴はキリッと顔を切り替えた。その表情に嫌な予感しかしないのは何故だろう。


「だから、先輩。私と路上ライブをやってくださいませんか?」

「嫌だって何度も言っているだろう。それになんだって、僕と……」


僕は溜息をと共に吐きだした。


「僕は他人がやる路上ライブが好きなわけで、あんな悪目立ちしたくないし」

「チッ。十分今でも……」

「何か言ったか?」

「イエ、何モ」


 僕は正直なところを折角、奴に言ってやったのに、奴からの返事は舌打ち。そして、そろそろシンデレラタイム。白い白いどこもかしこも白い牢屋に帰らねばならぬ。今日だって黙って抜け出してきたのだ。

 嫌いな奴へでも一応は別れの挨拶をする。


「じゃあな」

「……綾瀬先輩って学校じゃあ品行方正、容姿端麗、頭脳明晰の三拍子揃った紳士な王子なのに、何でここじゃあ違うんです? まあ、今のパンクロックとヴィジュアル系を合わせた恰好でうろうろと路上ライブを聞きにきているツンデレ先輩も好きですけどぉ」


 それには答える気もなかったし、答える筋合いもないと判断した。そもそもその三拍子で紳士な王子とツンデレって何だ。己に似合わなさすぎる言葉たちに気分が更に悪くなった。だから、さっさと足を進めて、タクシーを捕まえて行き先を告げた。

 タクシーの中、ふと奴の所持品である黄緑色のケータイが気になった。


 黄緑色。


 それは今あの場所では禁忌の色ではなかったか。僕より長くあそこに出入りしているだろうと予測できる奴が知らない話ではないはずだ。んーっと考えているうちに、僕の入院している綾瀬病院が見えてきた。

 タクシー代を払い、秋の色が濃くなって来た、いつもの木のもとに行こうとして気づく。いつもならない人影に。その人影は僕を見とめたらしく、足早にやってくる。僕は回れ右をして走りだした。人影も走りだしたことがなんとなく分かる。そして、もともと体力のない僕だから、あっという間にその人影に捕まえられた。僕がぜいぜい言ってしゃがんでいるのに、人影は澄まし顔で僕を追い詰める。

 僕の自室と化している病室は二階。木が近くに生えているので、その木を登り降りして出入りしていた。

 そのことは、看護師には気付かれていることを知ってはいたが、まさか主治医が出てくるとは思わなかった。木から出入りしていて一年近くなるけれど、そんなことは初めてのことだった。

 だから己のタイムリミットも近いのだろうということに気付いたが、気付かないふりをした。僕は遠い先の未来より今現在の楽しみの方が大切だった。

 だって、その先の未来とやらで、本当に僕が元気になって好きなことができるとは限らないじゃないか。


「何処へ行こうとなさっていたのです? 透君」

「何であの木のとこにいるんだよ、おまえが」

「ああ、部屋に行ったら透君がいらっしゃらないので、“また”脱走かと思いまして。そろそろあの木、切り倒してもらいましょうか……。ねぇ?」

「やめてくれ……」

「ん? 何か言いましたか、透君」


 二コリと笑うその笑顔が黒い。


「部屋にちゃんと戻るから、明日はちゃんとおまえの診察も受けるから、……だから木は切らないでくれ」

「ん、いつもそんだけ素直でいればいいんだよ。あと、俺は“おまえ”じゃない。透には特別に俺様のことを白雪大医師(しらゆきだいせんせい)って呼ぶのを許可してやる」


 そんな許可要らない。と思いつつも、口に出したら終わりだから言わない。そして、手首を掴まれて、来た道を戻り裏の緊急窓口の前を通って二階へあがり自室へと放り込まれた。


「おやすみ」


 微笑まれてドアを閉められた。白い白いその何もかもが白い部屋は僕にとっては牢屋でしかないのに。

 だから僕は白色が嫌い。この先も好きになることはないだろうと思っている。

 白い肌が太陽の下に出て、小麦色になることはないだろうし、僕の持病が画期的に良くなるという噂話さえも聞いたことがない。つまり、この白い部屋から出されることは今のところないのだ。悲しいことに。

 最近僕の主治医になった男の名字にも“白”が入っていた。それに加え清々しい名前だから、イラッと来る。

 その主治医こそ、先ほど僕を牢屋へと放り込んだ人物だ。

 主治医の名をを白雪清次(しらゆきせいじ)という。

 奴と同じ名字で、奴になんとなく似ている顔立ち。奴を彷彿させるこの男があまり僕は得意ではなかった。僕の主治医が代わったことを聞いた他の患者は僕にどれだけその白雪清次が素晴らしいかを語ってくれた。

 他の人曰く「静かで上品な笑顔を携えた天使のような優しい医師」らしい。ちっとも、僕に対する主治医の態度とイメージが合わなくて最初は戸惑った。そして気付く。奴が大きな猫を被っているのに気付いてないだけだと。一瞬憐れにも思ったが、阿呆らしくなって考えるのをやめた記憶がある。

 服をハンガーにかけてスウェットに着替え、ウィッグをとって整えて、化粧を落として、ベッドに潜り込んだ。トイレはついているのに風呂やシャワーはついてない普通の個室だから、汗をお湯で流したくても濡れたタオルで身体を拭くぐらいしかできない。時計を見るともう夜中の二時を過ぎていた。明日(正確には今日)、主治医の診察を受ける約束をしてしまったから、午前中は学校に行けないことに、ふと意識が浮かんだが、すぐに沈んで夢の世界へと飛んでしまった。


 夢をみた。

 いつだったか、駅前に行った時のことが出てきた。僕は何気なく黄緑色のメッシュを入れて行った時のことである。そうしたら、袋叩きにされそうになった。よくよく話を聞けば、「この駅前でのその色は“キミドリ”の彼女だけに許されたファッションであり、彼女が居なくなった今、黄緑色のどんな物でも禁忌である」と。

 奴は黄緑色のケータイを持っていたではないか。だけれど、誰も注意することはなかったし、逆に懐かしげな悲しげな顔をしてそれを見ていた気がする。

 “キミドリ”とは、あの場所では珍しい女性ボーカルだけで路上ライブをしていた女性のことだ。珍しい女性単独、その声と曲があまりにも合っていて、音楽に対してそう深い造詣があるわけでもない僕でも、その“キミドリ”の歌う世界に酔いしれた。



 朝、主治医の診察を受け、それから学校に遅刻だが行った。

 職員室に行き、担任の先生に学校に来たことを報告し、教室に向かう道中のこと。

 縦ロール嬢とその仲間たちが喋っているのを聞き耳を立てていたわけではないが、聞こえるものは聞こえてしまったのだから、仕方がないじゃないかと思いつつ。聞いた内容に僕は浮かばれなかった。


「サムソウにソロだって」

「うそ?! マジで?」

「だってさっきポニポニがそうサムソウに言っているの聞いたもん」

「うげぇ。サムソウを買いかぶりすぎじゃねぇ?」

「私たち二年より一年にソロやるとかポニポニも狂ってるんじゃないの」

「マジでありえねぇー!!」


 サムソウというのは、奴の学校でのあだ名だ。なんでも名前からして寒そうだからという理由で。僕の王子というあだ名だって変だと思うし、それで呼ばれると気持ち悪い。それにまだ僕のあだ名は好意的だと思うが、奴に対するあだ名は悪意しか感じられない。だから、奴もそう呼ばれるのを嫌っていると断言できる。断言できてしまう理由は一つ心当たりがあったけれど、認めたくない理由だった。それからポニポニというのは僕の学校の中で一番ふくよかな女性の先生で吹奏楽部の顧問だ。

 ソロを吹くように言われるということは、その二年たちより楽器の演奏が優秀なのだろうと思う。陰で表で非難してばかりいないで、己の技術を磨けばいいのに。なんて余計なことを思った。

 授業をそれとなく聞いて、ぼんやりしていればすぐに放課後になった。ぼんやりしながらも手足は動いていて、いつの間にか一階の渡り廊下に来ていた。

 僕は必ずあの牢屋に帰る前に寄っていく場所がある。この学校の吹奏楽部だ。寄る理由は自分でもよく分からないと思いたい。多分、ではなく確実に敵情視察だ。

 僕はこの学校では珍しい帰宅部。理由は身体が弱いせいで、ドクターストップがよくおりるからだ。だから、無理してまで吹奏楽部に入ろうとは思わないけれど。チラリと音楽室を見ると、おかしなことに気付く。あのいけすかない奴が、だんまりを決め込んで顔を俯かせて何かに耐えている。珍しいこともあるもんだとその時はそう思っただけだった。


 一週間経って、ようやく奴が動いた。また夜の路上ライブの時だった。今度は何の話だと僕は奴を警戒した。すると、奴は自嘲気味に吐きだした。


「そんなに私、鬱陶しいかなぁ?」

「は?」

「いや、なんかね、綾瀬先輩に愚痴っても仕方ないんだけどぉ」


 そう切り出すと、あの違和感の塊を教えてくれた。どうやら部内での先輩たちとの関係が良好ではないらしい。そんな話をされても、まともな人間関係を培ったことのない僕にはピンとこない話ではあったが、辛そうに話す奴を放っておくこともできなくて。辟易していたはずではなかったか。そう心のどこかで思う反面、何やら慰めっぽい言葉を口にしてしまっていた。


「あー、なんだ。鬱陶しいには鬱陶しいけど、そいつらはただ単におまえの能力を妬んでるだけじゃねーの? だって、ソロとか先生から直々に御指名頂いて演奏することになっているだろう? 胸張って堂々としていれば良い」


 奴は瞳を瞬かせて、そして当たり前の不思議を口にした。奴は部内での先輩たちの言葉に落ち込んでいるということだけしか話さなかったから。


「なんで、綾瀬先輩が私がソロ演奏することになったことを知ってるんです?」

「……あ」

「何ですか、そのあからさまなしまった系な顔は」

「気にするな」

「気になります!」

「……敵情視察中に漏れ聞いただけだ」

「は? 何ですか、その敵情視察って」

「もういいだろ。僕は帰る」

「ちょ、待って!」


 僕の首は真っ赤になっていただろう。それほどに奴に僕が奴を必要以上に気になっていることや、放課後奴の姿を探していることに気付かれたくなかった。だから、僕は逃げた。


 次の日。

 何故か、奴に下駄箱で待ち伏せを食らった。珍しく真面目な顔だ。


「おはようございます、綾瀬先輩。お話しがあります」

「おはよう。僕にはないけど」


 どちらも退かない、そんな空気が漂う。そこへ、何処かで見たことのある縦ロール嬢が口を挟んだのがまず何かの間違いだった。だけれど、ありがたくその隙に僕は靴をしまわせていただいた。


「サムソウ、王子が嫌がってんじゃん。やめなよ」

「今、七色(しちしき)先輩には関係のないことです」

「はあぁ? まじでウザいんだけど。あたしをなめてんの? 王子も何か言った方が良いって」

「なめませんよ、そんな不味そうな顔の人」

「……喧嘩売ってるでしょ?」

「で。綾瀬先輩、私……。ってあれ? 何処行った?」


 そんな会話を背中に聞きながら、僕は欠伸を噛み殺しつつ、ぼんやりと教室に向かった。

 その日は、一日何故だか奴に追いかけられる日だった。それこそ本当の厄日で、帰ったらいつも夜お世話になっている木が切り倒されていた。僕が茫然自失となったのも許してもらえるはずだ。そんな時に限って、主治医はにこやかにやってきた。


「こんにちは、透君。貴方の部屋に日光があまり入らない場所に木があったので医院長に進言しました。そしたら、なんと今日すぐに切ってしまわれて。……ああ、そんなに唇をかんだら血が出ますよ?」


 僕の中で何かが壊れる音がした。


 その夜、僕はいつものように外に行こうとして、木がないことを思い出す。溜息しかでない。仕方がないから、気を紛らわせるために、いつも以上に勉学に取り組んだ。

 それからの日々は無駄な徹夜続きで、終業式も近いある日、僕は学校で倒れた。視界が暗転し倒れる時、僕はぼんやりと木がないという悪い夢から覚めるのだと思った。しかし、起きてみれば、木は当たり前のようになくてすごく心寂しく感じた。涙が止まらなくて、情けない気持ちになった。嗚咽を漏らす僕に主治医は言った。


「透君、将来を考えて自分の身体を大切にしなくてはいけないよ」


 その言葉からは「甘ったれてるんじゃねぇ。自分の身体の変化くらい自分で管理するようにしろ」と言われている気がしてならなかった。

 そうして、病室から出られたのは二学期の終業式の日だった。


 終業式。

 何気に長い校長先生のお言葉の最中、何度か魂が抜けたが、なんとか最後の締めの言葉の時は起きていた。そして、生徒たちの波に乗って体育館の外へ出た。

 冬が近くなって、寒さも真面目に強くなってきた頃だから、当たり前なのだが息が白い。

 下駄箱で久方ぶりに奴に会って、少し緊張した。ただ奴からの言葉は単刀直入過ぎて、つい笑ってしまったけれど。


「綾瀬先輩。なんで最近、地ベタリアンズに会いに来ないんですか?」

「行けなくなったから」


 それだけ言うと、僕は手を適当に振って、歩き始めた。後ろに目があるわけではないから、奴の奇襲をまともに受けてしまった。僕的に一生の不覚である。


「ぅわっ」


 おかげで同学年から大注目。僕は床と仲良しになりつつ、背中には奴が乗っている。起き上がるに起き上がれない。四苦八苦している僕を見つつ、奴は言葉を繋げる。


「先輩が来ないことを皆心配しています」

「それは、……申し訳ない」

「申し訳ないと思っているのなら、私と路上ライブやってください!」

「はあ? 否、だからさぁ」

「嫌?! まだそんなことをっ」


 奴はキーッと首をぐいぐいと絞めつけ始め、俺はギブギブと奴の手を叩く。が、あまり効果無し。やっとのことで奴の手が僕の首から離れた時、酸素を沢山迎え入れた。ぜこぜこ言いつつも僕は溜息を吐く。


「いやいや、話聞こうぜ? 白雪小夜さんよぉ」

「何ですか! 話紛らわそうたって、そうは問屋が卸しませんよ!」

「だーかーらー!! 物理的に行けないんだよ」

「物理的ィ? いままでは学校休もうとなんだろうと来ていたじゃないですか」

「それは木を登り降りして抜け出してたわけなんだけれど、その木が切り倒されちゃって……」

「先輩ってお猿さんだったんですか?!」

「もう君のボケなのかツッコミなのかが僕には分からないよ」


 奴が僕の背中から降りる気配がして、実際背中が軽くなった。僕は起き上がると服についた砂と埃を叩いて払った。

 その様子をガン見する奴。そうジロジロ観察されるように見られることが病院を想像してしまって、僕の機嫌は悪くなった。


「何?」

「綾瀬先輩の親御さんってそんなに厳しい人なんですか?」

「は?」


何を言い出すかと思えば。何なんだ? 一体。そう思う僕を置き去りにして奴は言葉を紡ぐ。


「あんな恰好しているから、ついつい放任主義なのかと」

「あんな恰好?」

「夜の時の」

「ああ、あれは趣味だから。親は関係なくね?」

「しゅ、趣味……。じゃあ、木からってことは親御さん知らないんですよね? その……、夜出かけていること。何で素直に玄関から出入りして地ベタリアンズに会いに来ないんですか」


 今日の奴は僕の痛いところをグサグサと突いてくる。どうしたのだろう?


「それは反対されたら面倒だし。てか、絶対反対されるし。だから木があるうちは内緒で良いかなって」

「でも、もうその木、無いんでしょう?」


 答えに詰まった。その瞬間、奴はニヤリと笑った。


「じゃあ、親御さんに反対されなければ良いんですよね」

「何考えてやがる?」


 僕は顔をしかめた。奴は意味深に笑うと僕の頭を撫でた。


「大丈夫、先輩がまた地ベタリアンズに会えるようにしてさしあげます」


 堂々とそう宣言した奴は少し恰好良かった。もしかしたら、僕より恰好が良い。親や医者の言葉が怖いからと逃げているだけの僕に比べたら、と。

 そんなわけで、奴は僕のあの白い牢屋までついてきた。そして、更に今さら感が溢れる当たり前のことを言いだした。


「……よくよく考えてみたんですが」

「なんだ?」

「先輩って病人なんですね」

「何を今さら」

「ですよねぇ。ちょっと計画が狂っちゃったなぁ」


 すると、廊下から珍しく足音も高らかに誰かがやってきた。僕の部屋のドアをスパンと開けた、その人は。奴を見つけるなり、奴と大げさな抱擁を僕に見せつけた。


「小夜!」

「お兄ちゃん!」


 奴にお兄ちゃんと呼ばれたそいつは僕の主治医の白雪清次で。僕としては何が起こっているのか、イマイチ分からない。イマイチ分からないが、どうやら僕以外は分かっているらしい。そして奴らは兄妹のようだということに気付く。


「お兄ちゃん、あのね……」

「駄目だよ、小夜」

「何で?! 先輩の楽しみだって知ってたでしょう? 私、夜の先輩の様子を教えてあげてたんだから」

「だからこそ、もう駄目なんだ。小夜、……分かるだろう?」

「でも……」


 渋る奴を無視して主治医は僕に向かって言った。


「俺の妹をこんな形で巻き込むとは良い度胸じゃねぇか? ああ?」

「お兄ちゃん!」

「自分の状態さえも、よく分かってない奴が他人様を巻き込んでんじゃねぇよ」


 僕はその通りすぎて反論のしようもなかった。自分が病人であるという意識が抜け落ちていた事実は変わらない。だから俯くことしか、僕にはできなかった。

 しばらくして、奴と主治医は僕の部屋から抜けた。そんな嵐が過ぎていって、僕のもとに院長である父がやってきた。


「透。おまえの中の爆弾はもうカウントダウンを始めてる。だから、病院での絶対安静が今までも本当は望ましかった。けれど、せめて息抜きに、と学校だけ認めていた状態なんだ。だが、もうそうも言っていられなくなった。残念だが」


 そして、父から直々に僕が学校に行くことも禁じるドクターストップがおりた。

 木が切られた時に薄ら予感していたはずなのだ。毎日に近いくらい病室を抜け出していたのを看護師たちは知らないわけじゃないだろう。だから暗黙の了解としていたことも、なんとなく分かっていた。主治医が自ら出張ってきたあの日の夜からおかしかったことも。

 それでも、悪い夢なんだと思いたかった。気のせいだと思いたかった。

 涙がぽとりと静かに落ちた。



 それから僕はぼんやりすることが多くなった。部屋からも風呂以外では出ることもなくなった。そんな籠りっきりになった僕のところに奴はほとんど毎日訪れるようになった。きっと木があった頃の僕だったら、嫌味の一つも言えただろう。だけれど、僕は視線も合わせられなければ、話に頷くこともしない、何もできない僕になってしまっていた。

 しばらくして、僕の面会は制限されるようになった。主治医以外とは会わない日が続いた、ある白い雪の日のこと。

 久しぶりに窓の外を見た。厚い雲に覆われた曇天で、いつ雨か雪が降って来てもおかしくない天気だった。それは路上ライブの存在を知った日の天気にあまりにもよく似ていた。路上ライブをその日やっていたグループ名が口から零れた。


「“暁天(ぎょうてん)”、“モーニモーニ”、それから“キミドリ”」


 今も元気かな、なんて思った。よくよく思いだせば、あの日は暁天のメンバーの一人に喧嘩というかカツアゲされているところを助けてもらって。モーニモーニの二人組からは素のままで路上ライブを見に来るのは危険だと教えてもらって。キミドリは……、そうだ忘れていた。さよならライブをやっていたんだ。

 “暁天”のメンバーで僕に親切にしてくれた人は各グループの名前の由来を教えてくれた。

 “暁天”はそのまんま「明け方の空」をイメージした明るい曲を聞いてもらうのだと言っていた。

 “モーニモーニ”は「モーニングモーニング」では言いにくいからと今の形に収まったらしい。「夜の路上ライブがずっと続けばいいのに」という願いから朝を連想させる名前に敢えてしたのだそうだ。

 “キミドリ”は「君に幸せを届ける鳥になりたい」とかいう最早詩的としかいえない言葉がコンセプトらしい。

 そこで、ふと思いだした。“キミドリ”が路上ライブをやめてしまうことに対し、惜しいことをするものだと思ったことも。その“キミドリ”は僕を見ると慌てて撤収して行ったことも。“キミドリ”が居なくなった後も、僕は彼らに会いに日参したことも。

 当時“御三家”と呼ばれていた、“暁天”、“モーニモーニ”、“キミドリ”の一つが欠けたことで、新人たちが一気に増えた覚えがある。“キミドリ”の空席を埋めようとのことだろうけれど。

 彼らは皆年齢不詳で一体何を職にしているのか、最初の頃は興味津々だった覚えがある。今では何をしてようが、彼らが好きだからどうでも良くなった。彼らの中でも“キミドリ”の彼女だけは遠目から見たのは一回しかないから、おぼろげだけれど、背中の中ほどまである黒髪に黄緑色のメッシュが入っていたような気がする。

 そのことを思いだして妙な既視感を覚える。黄緑色のメッシュなんて奇抜なことをしている人物は、僕の記憶の中に居ないわけではなく、逆に一人当てはまってしまった。

 そう、奴だ。

 しかし、そうなると“キミドリ”の彼女は何歳だったのだろう。単純に逆算すると、僕が彼らに会ったのは一年くらい前、つまり高校一年生の時の冬だ。で、奴は今年高校一年生だ。とすると、仮に奴とイコールならば、“キミドリ”の彼女はあの時、中学三年生だということになる。


「そんなわけない」


 一人、僕はごちた。中学生であんなところに夜中までいたら補導されてもおかしくない。奴はそんな危険を冒すような人ではない、と言いきれない己に気付き、動揺する。

 仮に、そうだとした場合のいままで不思議だったパズルのピースが怖いくらいにどんどんはまっていく。

 そうこう考えていると、今日は面談許可がおりたのか、ドアをノックする音が聞こえた。それに生返事をすると、奴がビニール袋片手に部屋に入ってきた。

 今のいままで、奴に関することを考えていたから、妙に視線が気になるし、妙にいつもより心臓の速さが違う。視線が合わないように顔を俯かせた。

 奴は椅子を持ってくるとその椅子に座り、ビニール袋から蜜柑を取りだした。皮をむいて一房一房を口に投げ入れていた。咀嚼する音が大きく聞こえる。

 緊張している己に驚きながら、口が渇いていくのを感じる。口火を切ったのは僕だった。


「あのさ、白雪小夜さん」


 咀嚼する音が途切れた。だがすぐに再開され、奴は言葉の続きを待っているようだった。


「駅前の路上ライブをしていた“キミドリ”って知ってる?」

「……知ってますよ。かれこれ一年くらい雲隠れしている情けない女でしょう?」

「“情けない”?」

「そうですよ。惚れた男の学校まで追っかけて行った執念深さはある癖に、いつも一歩出遅れてはバカをみる」


 吐き捨てるようにそう言った奴。だけれど、僕にはそれが奴自身を言っているように感じた。それでもまだ断定できなくて言ってみた。


「……親しい人なんだね?」

「親しく、ないですよ。大っ嫌いです、あんな奴」

「それでも、もし会うことがあったら、伝えておいてくれないか」


 大っ嫌いと言う、それは奴自身の不甲斐なさを責めているように聞こえた。だから僕は奴と“キミドリ”の彼女が同一人物であることが分かってしまった。そのことに気付かない奴は大きな溜息をついた。全てを諦めたかのような。


「何をです?」

「名前の由来の“君に幸せを届ける鳥になりたい”の“鳥”に僕はなりたかったなって。もう遅いんだけれどね。彼女に幸せを届けることができる鳥になりたかったって。一度だけでも一緒に路上ライブをやってみたかったって。そう彼女、白雪小夜さんに伝えてくれるかな?」


 ハッと息をのんだ奴の雰囲気があったけれど、僕はナースコールを押すことで、奴の返答を聞くことを避けた。看護師の小林さんがすぐにやってきた。


「透君、どうしました?」

「疲れてしまったから、今日の面会を……」

「言い逃げなんて、ズルいじゃないですか!!」

「小林さん、すみません。彼女、取り乱してるみたいなんで下まで連れて行ってあげてください」

「え?」

「早く!」


 僕の声が異常に大きく聞こえた。奴は何やら言っていたけれど、僕はシャットダウンして聞こえないふりをした。そうでもしなければ、僕は何かに負けてしまいそうだった。目頭を押さえて、涙を耐えた。

 机の上に転がっている蜜柑がまだ少し黄緑色をしていて、またギュッと心臓が締め付けられた。


「ごめんな、白雪小夜さん。僕の身体はそう長くは持ちそうにないんだ」


 やっぱり堪え切れなくて、涙がぽとり。一つだけ落ちた。

 外は雪が舞い始めていた。



 僕は結局、奴……彼女の“君に幸せを届ける鳥になりたい”の“鳥”にはなれなかった。どんなになりたいと願っても、叶わない。

 もしもっと早くに出逢えていたならとか、もし僕の身体がもっと丈夫だったならとか、考えることは尽きないけれど、それでも彼女から幸せを届けてもらえたことは事実だった。幸せだった。


 一人でずっといる気だったし、一人だとも思っていた。

 だけど、思い返してみれば、そこには彼女を先頭に何人もの人との交流があり、決して僕一人だけではなかった。

 そのことに、早く気付けていれば、僕は君色に染まることができたんじゃないか。そう思えて仕方がない。

 そろそろ僕、綾瀬透の物語は終わりが訪れるだろう。けれど、白雪小夜の物語はこれからもまだ続く。そんな彼女がただ幸せになることを、この場所から僕は祈るよ。


【完】

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