その1
今回の投稿はその1です。
続編は今週の日曜日に投稿を予定しています。
途方に暮れていた。そして道にも迷っていた。
明日の文化祭、先輩からの命令でステージ発表を一人ですることになった私は、何をすればよいのかわからずに考えていたところ、こんなところまで歩いてきてしまったらしい。
先輩と言っても、いい先輩ではない。私は毎日のように、その先輩を含んだ数人からイジメを受けているのだから。この間は金を毟り取られ、髪も毟り取られた。この間は何時間も倉庫に閉じ込められた。この間は——。言ったところできりがない。
そんな私の目の前に、見知らぬお店が道を塞いでいた。と言っても、知らない道なのだからどの店も見知らぬ店。ただ、奥に道が続いているのにも関わらずここに店がある。
看板を見ると『仮面家』と文字が彫ってあった。店は見るからにボロボロで、中に足を踏み入れようという気には到底ならないようなものだ。
けれど、今の自分にはそんなことどうでもよかった。このまま歩いていても、このまま考えていても……。そう思った私は、思い切って店の中に入った。
店の中は外からは想像もつかないほどに綺麗であった。
『仮面家』というだけあって、劇場や舞踏会で見かけるような目元だけの仮面や、仮面というに相応しいのか——お面ではないかと言いたくなるような狐の仮面などが並ぶ。
陳列する仮面の中には、奇妙なものも多かった。
なんの動物の皮で作られたのか想像もつかないような素材の仮面。
金銀が散りばめられ、額にはアメジストの宝石が埋め込まれている高価そうな仮面。
そこいらの布切れを縫い合わせたような汚い仮面。
なんとなく立ち寄った店が、今の私にとっては心のもやもやを紛らす珍しく楽しいものであった。
「おっと、久々のお客さんだ。こりゃどうも。今時需要もない仮面家に、一体全体なんの御用があって足を運んだのか聞かしちゃくれないかい?」
突然の声に振り向けば、店の奥から先程みた狐の仮面を被った店主と思わしき人が歩いてくる。
「あ、その……用事はなくて。気になって入っただけなんです、すみません……」
「おっと、謝られちまったね。謝る必要なんてないさ、だって君はお客さん。商品を見るだけで帰るもよし、見ずに帰るもよし。入ったからといって、何か買えと脅すことなんざしないよ」
優しく語りかけてきた店主に、少しだけ私はほっとする。
一見して不気味なお店、時代を遡ったかのような不思議な話し方。しかし、話し方がそれでも店主はいい人そうだ。
そこからしばらく、私はふらふらと店内を回り気になった仮面を手に取って見たりした。店主は私の後ろをついてくるだけで、私を店から追い出すようなことはしなかった。
さらには、私が見るからに高価そうな仮面に興味を持つと、店主は嫌な素振りを見せることなく私にそれを持たせてくれた。また私の心の扉が、ゆっくりと開いていく、そんな気がした。
そうして、ひとしきり店を回った私は店主と話がしたくなっていた。優しくされたから、というのもあるけれど、一つ特に気になった仮面があったからだ。
「あの、すみません」
「ん、どうしたんだい?」
「その……この仮面って本当ですか?」
私が手に取ったのは『笑いを誘う仮面』というものだった。
「失礼だとは思いますが、私にはとても笑いを誘うような仮面には見えないのですが」
「お客さん、それは仮面を被ってないからさ。どれ、試しに被って鏡を見てみな。そうすれば、その仮面が本物だとわかるはずだよ」
私は店主に言われた通り、仮面を被り鏡を見た。
すると鏡には、私がやったことも見たこともない変顔が映っていた。その変顔というのがなんとも珍妙だったもので、私はところかまわずぷっと吹き出したが最後、ゲラゲラと笑ってしまった。そんな私を見る店主も一緒になって笑っている。お腹がはち切れそうになったため私は仮面を外した。鏡にはいつもの冴えない私の顔が映る。
「どうだい、すごい仮面だろう? その仮面は、見た目はほとんど透明で無表情、確かに笑いを誘うような仮面には見えない。しかし被ればあっと不思議、被った人にこの世で最高の変顔をプレゼントしてくれるのさ」
「こ、こんなものがあるなんて……て、店主さん!」
「おっとお客さん、それが気に入ったって顔してるね?」
「は、はい! これっていくらで売っていただけますか?」
「そうだね、通常なら何十万といったところだ」
店主の言葉を聞き、私は自分の財布の中身を確認する。最初からわかっていたことだが、私の有り金で足りるはずがない。
「何十万、ですか……」
「うん、何十万。けれども久々のお客さんだからね、少しくらい優遇したってバチは当たらないだろう」
そう言った店主は、仮面のせいで見えはしないがニタっと笑ったような気がした。
「どうだろうお客さん。生きている内にもう一度このお店に来てくれる、それなら今回はただってことにしようと思うのだけれど」
「た、ただですか!? いいんですか!?」
「ああ、いいともいいとも。狐の面を被ったものに二言はない。嘘もつかない。嘘は本物の狐に任せてるからね。で、どうするお客さん?」
店主の粋な計らいに、私は少しの間を開けることなく返事をした。
「ほ、欲しいです!」
「ほいきた、交渉成立! そしたらこの仮面はお客さんのもんだ。……ただ、一つだけ注意しなきゃならないことがある」
「注意ですか?」
首を傾げる私に、店主は『笑いを誘う』仮面を指差して話し始めた。
「そいつは曲者でね。さっきは被ってすぐ外したからいいが、おそらく次にお客さんが被った時には心の引き出しにしまわれちまう。だから物は残らないってわけだ」
「心の引き出し、ですか?」
「そう、心の引き出し。こいつは簡単で、お客さんがその仮面の効果を使いたいって時に心に念じれば取り出せる。なんなら、かさばらないって点で他の仮面よりもいいって話になるってわけだ」
「な、なるほど……」
いや、正直なるほどなんて微塵も思っていない。この世の話から遠すぎる話に頭が混乱しているようで、あまりものを考えられなくなっているらしい。だが、今の私にはその仮面がどんなであれ、喉から手が出るほどに欲しい物なのだ。
「さて、注意点はこんなとこ。どうだい、気が変わりはしなかったかい?」
「いえ、変わりません。その仮面が欲しいです! ください!」
自分がこんなにも強欲に、こんなにも大きな声で物をねだることができるとは知らなかった。店に響く自分の声、そしてそれを追うように店主の不気味な笑い声が響いた。
「キシシシシ、いいねぇお客さん! そんじゃ貰っていきな、これはお客さんのもんだ」
そう言って店主は私に『笑いを誘う仮面』を渡した。私はお礼を行ってから、その仮面屋をあとにした。
それから店を振り返ることもなく、私は仮面を一度カバンにしまうと、軽くなった体で風を切るように足早に来た道を戻っていく。
すると不思議なことに、店に入るまでは知らないはずだった道が知っている道に変わっていくようで、家に着くまでそう時間はかからなかった。
カバンの中では、『笑いを誘う仮面』が私に被られるのを楽しみにしているかのように、ケタケタと揺れていた。
店主が怪しすぎ。