アイドルに愛を叫んじゃダメですか?
――その日、日本中が愕然とした。
<――速報です! 一昨年、デビュー曲「恋の初風」がいきなりダブルミリオンを記録し、鮮烈なデビューを飾った大人気アイドルの水瀬レイナが無期限の活動休止を発表しました!>
……は?
何気なくつけていたテレビから流れてきた、大人気正統派アイドルの突然の無期限活動休止宣言。俺は理解不能な外国語でも聞いたかの様に、その意味を理解することができなかった。
――カン、キキンッ
脱力した手から、持っていたスプーンが滑り落ちる。金属のそれは耳障りな音を立てて床に落ちた。
「ちょっと春斗うるさいっ!」
「ごめん、姉ちゃん。つい……」
姉の叱責はテレビから1ミリたりとも目線を外さず飛んできて、俺は条件反射的に謝罪する。
テレビの中では、見慣れた朝の情報番組のコメンテーター達が彼女の休止宣言についてトークを交わしていく。
<人気絶頂の彼女が無期限の活動休止宣言です。山本さん、いかがでしょう?>
<そうですねぇ……引退ではなく、活動休止……その理由については、発表されてないんですよね?>
<はい。“一身上の都合により”としか出てませんね>
<それはますます気になりますね。ひょっとしたら電撃結婚とかも、あるかもしれませんねぇ……>
「はぁ!? あのレイナがそんなファンを裏切るようなことするわけないじゃん! このコメンテーターなに言ってんの!?」
テレビに向かって姉が反論する。反論したところでテレビの向こう側には届かないわけだが、姉の意見には俺も賛成だった。
水瀬レイナは、今時珍しい正統派アイドルだ。最近ではアイドルでもバラエティーで体を張った企画にチャレンジしたり、爪痕を残したいのか過激な発言をすることも珍しくないが、水瀬レイナはそれらをしない。
常に微笑みながら優雅に佇み、そのアイドルフェイスを崩すことがないのだ。
かといって、番組に貢献しないお飾りのお人形さんかといえばそうでもなく、コメントを求められた際には的確なコメントをしたり、アイドルらしくお茶の間に癒しを与えたりもする。
どんな状況においても人々の思い描く最高の偶像たらんとする――それが水瀬レイナというアイドルだった。
そしてその実直な姿勢と、それ故に彼女の素があまり見えないミステリアスさが、彼女の最大の魅力であり、人々が惹かれてやまない理由でもあった。
だからこそ、姉はさっきテレビに向かって反論したわけだが――じゃあどんな理由で活動休止宣言に至ったのだろうか。
“一身上の理由”ってのがな……健康面とか、仕事が忙しすぎてお休みが欲しいっていうのなら、それをきちんと説明するだろうし……。
水瀬レイナの経歴紹介に移った情報番組を眺めつつ、思案していたら後ろから声をかけられた。
「あんたたち、ずいぶんゆっくりだけど、学校間に合うの?」
え?
見上げれば、時計は8時10分になろうとしていた。
「やべぇっ!」
俺は食後のコーヒーを一気飲みして、鞄を手に取って玄関に向かう。
後ろから、姉の「私は今日2限からだから大丈夫~。あ、お母さんコーヒーおかわり~」という暢気な声が聞こえてきた。
自転車をかっ飛ばすこと15分。息を荒くしながら自転車をこぎ続けて高校の正門に辿り着くと、既にそこには生徒会メンバーが立っていた。
「あと5分で始業ですよ! 急いでください!」
そう声を張り上げているのは、我らが生徒会長、海堂麻衣。黒髪を頭の高い位置でポニーテールにしていて、それがつり目と相まって活発な印象を与える――その印象通りの活発で社交的な性格の持ち主。
成績は常に学年1位、スポーツ万能で、おまけに歌も上手い。去年の文化祭の出し物で水瀬レイナの曲を歌っていたが、一瞬本人かと思うレベルのうまさだった。
そんな風に見た目も中身も能力も秀でていることから、一部の生徒から「完璧超人」とも言われている。
「おはようございます、遠藤君」
「お、おはようございます、生徒会長……」
名前付きで挨拶されて、思わずどもってしまった。たいして有名人でもない俺の顔と名前を把握しているとは思わなかった。
生徒会長の横には、副生徒会長の西村幸太郎もいて、何故か知らないが俺に悪意の籠った目線を向けている。
……なんだ? なんか、嫌な目線だな。
俺は厄介そうな気配を感じて、そそくさと自転車置き場に向かうことにした。
学校でも、話題は水瀬レイナの活動休止宣言で持ち切りだった。
遅れてその話題の輪に入り、皆で謎の活動休止宣言について話していると、後ろから声を掛けられた。
「そこ、私の席……」
「あぁ、悪い、海堂」
俺は座っていた席を立ち、声を掛けてきた人物に明け渡す。
空いた席に座るお下げを見下ろしながら、俺は思わず今朝の生徒会長の姿を思い浮かべた。
……姉妹とは思えねぇなぁ。
席に座ったお下げは、海堂瑠衣。生徒会長を務める海堂麻衣の妹。
だが、妹はお下げ、そばかす顔にびんぞこ眼鏡、性格も暗く非社交的で、姉とは真逆な人物だった。
……年子だろ? こいつら。なのにこんなに似てない姉妹ってのも珍しいよなぁ。
一瞬そんなことを思ったが、同級生達に水瀬レイナの活動休止理由について意見を問われ、俺の意識はそっちに向く。
海堂瑠衣は1人机に座って、いつものように鞄から文庫本を取り出していた。
「お疲れ様でーす」
「おー、遠藤君お疲れー! ねぇねぇ、知ってる!?」
放課後、バイト先のカラオケ店に行くと、店長に声を掛けられた。ここでも話題は水瀬レイナで持ち切りらしい。俺は「あー、もうその話題で持ち切りっすよねー」と適当に流しながら、仕事の準備を始めた。
「遠藤君、コーラとポテト、305号室ね!」
「はーい」
俺は店長からコーラとポテトが乗ったトレーを受け取り、階段をのぼる。
3階に着くと、どこからともなく声が漏れてきた。
「タイガー! ファイヤー! サイバー! ファイバー! ダイバー! バイバー! ジャージャー!」
コール!?
カラオケ店ではそうそう聞くことのないものが耳に入ってきて、俺は思わず足を止める。
今3階で使用中の部屋は301号室と305号室の2部屋のみ。301号室は入り口の扉にはめられた窓からちらっと見えたが、女子高生2人組でまだ選曲中のようだった。
つまり……。
俺は恐る恐る305号室を覗き見る。すると案の定、その部屋の中にいた人物――黒髪が邪魔して顔はわからないが、体形からして女性――が、画面に表示されている人気女性アイドルグループの歌詞は完全無視で所謂ヲタ芸をしながら叫んでいた。
「――超絶かわいい、マキナー!」
マキナ、というのはたしかこのアイドルグループの中では比較的人気の控えめなメンバーの名前だったはず。なるほど、こいつマキナ推しなのか……。
そんなことを考えつつ、俺は部屋に入るタイミングを窺う。絶叫中でも、ヲタ芸中でも気まずい。
このアイドルの曲と曲中のファン達の行動を思い出しながら――俺は部屋に入るタイミングをはかる。
Bメロがおわって、ファンが曲を真面目に聞くようになるサビに入る瞬間――ここだっ!
俺はガチャッと扉を開けると、中の人物には目もくれず、コーラとポテトの乗ったトレーをテーブルに置く。
「失礼します。ご注文頂いたコーラとポテトです。失礼しましたー!」
早口でそれだけ伝えて、俺は305号室の扉を閉めた。
時間にしてわずか数秒。なのに、俺は1日の仕事をやり終えたかのような達成感に包まれながら、305号室を後にする。
後方からは「おーれーの、マキナー!」という絶叫が漏れてきていた。
「遠藤君おかえりー、どうだった、ティアさん?」
店長に「ただいま戻りました」と声を掛けると、そんな風に問いかけられた。
「ティアさんって、誰です?」
「305号室のお客様のことだよー! うちでは結構有名人なんだけど、遠藤君もしかして初めましてだった?」
どうやらあの客はうちの常連らしい。店長が何故か自慢気に「ティアさん」について教えてくれる。
「すっごいアイドル好きなんだよ、あの人! ヲタ芸もコールもガチ恋口上もいつも全力!」
「そういえばさっき『マキナー!』って絶叫してましたわ……」
「でしょでしょ? ティアさんはアイドルが大好きなんだけど、中でも小柄で可愛らしい女の子が大好きなんだよね、マキナしかり、ハロー娘のつーちゃんしかり」
それはロリコンということなのでは? と思ったけど、店長もつーちゃん推しだったことを思い出して、俺は口を噤んだ。
いつかティアさんとお友達になりたいなぁ……なんて言い出した店長に、ふと思いついた疑問を投げかける。
「そういえば、『ティアさん』ってなんなんです? あの人日本人ですよね?」
顔は見なかったけど、黒髪だったし。発音も普通だったから、外国人とは思えない。
俺の質問に対し、一瞬ポカンと口を開けた店長は、笑いながら俺の質問に答えてくれた。
「あはは、もちろんティアさんは日本人だよ! 『ティアさん』っていうのはこっちが勝手につけたあだ名! いっつもティアドロップの眼鏡にアルマーニの白Tとダメージジーンズで来店するんだよねー、彼女!」
さっきは絶叫と気まずさであんまりよく見なかったが、そういえば白のTシャツだった気もする。
しかし、ティアドロップの眼鏡にアルマーニの白Tにダメージジーンズって……。
「なんか、ハリウッドスターみたいっすね」
無意識の内に、考えが口から出てしまった。
「やっぱりそう思うよね? だから、ティアさんのこと知ってるスタッフは、彼女が来るとふざけて『スター来店!』って言ってたりするよ」
スター来店……たしかに。
俺も今度バイト中にあの人を見たらそう答えよう、と心に決めて、俺は次の仕事に取り掛かった。
翌日。
俺は客として、バイト先のカラオケ店を訪れた。
「いらっしゃいませー……って遠藤君じゃん! おっつー! あ、今日はお客利用かな?」
受付に立っていた昼シフトの大学生、中条楓は客が俺だと気づいた途端に言葉を崩して話しかけてきた。
「お疲れ様です、楓さん。今日は友達と使いたいんですけど、空いてます?」
俺が問いかけると、ちょっとまってねー、と言って楓はパソコンを確認する。
「んー……」
「どうかしました?」
「一部屋だけ空いてはいるんだけど……お隣が結構うるさいかも」
団体客でも入ったのだろうか? 俺が首を傾げると、楓さんは言葉を続ける。
「空いてるの、304号室なんだよねー……今305号室はスターが来店してるから……」
その一言で、俺は納得する。
たしかに、あの絶叫は隣の部屋に漏れるかもしれない。実際廊下には漏れてたし。
俺は振り返って、一緒に来た友達2人に説明する。
「いいんじゃね? むしろちょっと面白そう!」
「俺も気にならないから平気―」
友達2人の同意をもらい、俺は楓さんに振り返った。
「大丈夫です」
「わかったー。んじゃ、ドリンク選んでねー。時間は?」
「フリータイムで」
「りょーかーい」
俺達がドリンクを選んでる間に、楓さんは入室手続きをすませ、俺にバインダーを渡してきた。
「はい、304号室、フリータイムね。あとでドリンクもってくねー」
楓さんと別れ、俺達3人は階段を上がる。3階に着くと、案の定奥から絶叫が聞こえてきた。
「ツカサかわいい、超かわいい! ツカサかわいい、超かわいい! ツカサかわいい、超かわいい!」
今日はつーちゃんか。あんだけ絶叫してて、よく声枯れねぇな、あの人……。
俺は呆れつつも304号室に向かって歩く。しかし、友達の姿が視界から消えていることに気づいて振り返れば、2人とも驚きで固まってしまったのか、まだ階段の踊り場にいた。
「何やってんだ、2人とも。はやく来いよ」
「いや、春斗お前……こんななんて、聞いてねぇぞ」
そりゃ、具体的には説明してないからな。
そんな心の声は口には出さず、俺は頭を掻きながら苦笑する。
「説明するより実際に体験した方がわかりやすいだろ。それにこんなの、俺には説明できねぇよ」
それもそうか、と言いながら304号室に2人が入ってきて、俺は扉を閉めた。
前日に活動休止宣言があったからか、2人とも選曲は水瀬レイナだった。
狭い室内にポップな曲が流れ始める。初恋の甘酸っぱい気持ちを歌ったラブソングが、男の野太い声で響き渡るのはいつ聞いても複雑な気分になる。
さすがに3曲連続水瀬レイナはちょっとな……。
俺は端末を操作しながら、ここ最近歌っていなかった男性歌手の曲でも入れようか、と思案していたのだが――。
――ピピッ
端末が本体に情報を送信する音が耳に届いて画面を見れば、水瀬レイナの曲名が画面右上に表示されていた。
隣を見れば、「してやったり」と言いたげな顔が見える。
「おい、何2曲連続で入れてんだよ。お前さっき曲入れてただろ。次、俺の番じゃん」
「いや、あれお前の分」
は?
意味がわからない。なんで俺の歌う曲をお前が決めるんだよ。
「俺、この間幸太郎に聞いたんだよね~。春斗って、女声出すの、めちゃくちゃうまいんだって? 聞かせて欲しいなー」
……あんにゃろ、俺になんの恨みがあるんだよ!
俺は以前罰ゲームで、女声でカラオケを歌うことになった記憶を思い出しながら、副生徒会長の幸太郎に対し心の中で悪態を吐く。
間奏に入った瞬間、もう1人も話題に入ってくる。
「あっ! 俺もそれ気になってた! ナイス!」
2人は俺の気も知らずパンッ、とハイタッチした。
この様子だと、女声で歌わないといつまでもしつこく曲を入れてくるだろう。さすがにそれは面倒だ。だったらさっさと1曲だけ歌ってしまったほうがいい筈。
そう覚悟を決めた俺は、端末をテーブルに投げ出してソファに背中を預ける。丁度その時、楓さんがドリンクを持ってきてくれた。
「ごゆっくりー」
俺は頭を少し下げて礼を伝え、烏龍茶を口にする。
……そういえば、思ったより305号室の声聞こえてこないな。
こっちの部屋の音量が大きいからか、隣の絶叫は歌うのに気になるほどではなかった。
2人が歌い終わり、俺の順番が回ってきた。
俺がマイクを手に取ると、2人が期待の目線を送ってくる。
「あんまこっち見んなよ」
「いやー、春斗の女声ってどんなだろうと思って!」
「それな! めっちゃ楽しみ!」
「わかったよ……歌えばいいんだろ、歌えば」
諦めて俺は画面に目線を向ける。画面はすでに切り替わっていて、「イントロ15秒」の文字が表示されている。
「ゆーめーの♪ なーかでーもー♪ きみにーあいーたーいー♪」
出だしを歌ったら、隣から「おぉっ」という声が聞こえてきた。なるべくそちらに意識を向けない様に、俺は画面に目線を合わせ、マイクを握る手に力を入れた。
歌い終わってマイクをテーブルに置くと、拍手喝采された。
「すげぇぇぇ!! 春斗、なんで今までそんな特技黙ってたんだよ!」
「俺感動したんだけど! ちょっと惚れそうになったわ」
「いや、きしょいわ」
「ひどっ」
最初の期待値が高かった分、どうなることかと不安だったけど、どうやら2人の期待には応えられたらしい。
「もっとこの特技を活かせばいいのに」と言われたけど、絶対にご免だ。
そもそも、好きで出来るようになったわけじゃない。
アイドルが大好きな姉に、半ば強引に練習させられたのだ。
「可愛いアイドルの声を男の野太い声で歌われるなんて絶対イヤっ」とかなんとか言って、女声を練習させられたんだよなぁ……。
苦い記憶を思い出しながら、ははは……と乾いた笑いを浮かべ、烏龍茶に手を伸ばす。しかし、一口飲んだ途端、歌い終わって安心したからか、尿意を覚えてしまった。
「俺トイレ行ってくるわ」
2人にそう伝えて、廊下に出る。例の絶叫は全く聞こえない。
選曲中かな?
そんな風に思いながら、俺はトイレに向かって歩き出した。
「空いてねぇ……!」
俺はトイレの前で尿意に耐えていた。
うちのカラオケ店は男女共用のトイレになっている。おまけに、各階に1つしかないので、土日はトイレ渋滞が起こることも少なくなかった。
早く……はやくー!
俺は祈るようにトイレの扉を見つめる。
実際には待ってる時間はまだ1分ぐらいだろうが、尿意を耐えながら待つ1分は体感5分ぐらいのように感じられる。
ついに我慢の限界に達して、扉を叩いて早く出るよう催促するかと扉に近づいた、その時。
――バンッ
急に扉が開いて、中にいた人物が飛び出してきた。扉の目の前にいた俺はびっくりして避けることが出来ず――その人物が俺の身体にダイブする。
「うおっ」
「きゃっ」
ダイブしてきた人物を受け止めると、可愛らしい悲鳴が聞こえてきた。と同時に「カラン」という音がする。
床をみると、ティアドロップの眼鏡が落ちていた。
ティアドロップ……ってことは!?
俺は受け止めた人物を見下ろす。けど、俯いている彼女の顔は見えなかった。
「ごめんなさい!」
彼女は耳馴染みの良い声でそれだけ言うと俺の身体から離れ、眼鏡を拾ってパタパタと305号室に向かって走って行ってしまった。
トイレで解放感に包まれながら、俺はさっきの出来事を思い返す。
ティアさん細かったなぁ。あの身体のどこからあんな絶叫が出てくるんだ……。
あまりに強烈な特徴に、俺はもっとティアさんのことが知りたくなった。
翌日、日曜日。今日は、俺はほぼ通しでバイトに入っていた。
「遠藤くん、コーラとポテト、305号室によろしくー」
「はい!」
店長からトレーを受け取り、意気揚々と3階に上がる。今日ももちろん、305号室を使っているのはティアさんだった。
3日連続スター来店か……すげぇな……一体何者なんだ。
3階に上がれば、相変わらず絶叫が漏れ聞こえてくる。そして都合のいいことに、今聞こえてきているのは主に曲のラストに行われるガチ恋口上だった。
「――言いたいことが、あるんだよ! やっぱりマキナは可愛いよ! 好き好き大好き、やっぱ好き!」
――今日はマキナか。ほんと、好きなんだな。
305号室の扉の前に立ち、タイミングを窺う。中の人物は立ち上がって絶叫していた。
「――俺と一緒に、人生歩もう! 世界で一番、愛してる! あ・い・し・て・るっ!」
曲と同時に、ガチ恋口上を言い終えたティアさんが、魂が抜けたかのようにソファに体を預けたのを確認して、俺は扉を開いた。
「失礼しまーす。お待たせしました、コーラとポテトで――すっ!?」
中の人物――ティアさんと目が合って、俺は思わず語尾が跳ね上がった。途端に、ティアさんは俺を部屋に引きずり込むと扉を閉め、左手で俺の口を塞ぎながら、右手の人差し指を立てて口に当てた。
「――叫ばないで、お願いだからっ!」
目の前でしーっ、とポーズをとるティアさんは、トレードマークのティアドロップの眼鏡を外していた。その顔は、今やテレビで見ない日はない正統派アイドルにして、先日突然の活動休止宣言を行った、水瀬レイナ――その人だった。
大人気アイドルに口を塞がれた俺は、若干パニック状態に陥りながらも、とりあえず首を縦に振る。
「――本当に?」と言われて、再度首を振ったことで、ようやくアイドルの手が俺の口から離れていった。
油断した……と独り言を呟く水瀬レイナを見つめつつ、俺の脳みそは超高速回転する。
本物だよな? 本物の、水瀬レイナだよな?
え、てことはティアさんが水瀬レイナってこと?
あの絶叫コールも、ガチ恋口上も。
昨日俺にダイブしてきたのも、水瀬レイナ――?
脳の高速回転と反比例するかのように、身体は微動だにしない。ただただ水瀬レイナを凝視し続ける俺を案じたのか、声を掛けてくれた。
「えっと……遠藤君……大丈夫?」
何で、水瀬レイナが俺の名前を? うちのカラオケ店は従業員に名札付けさせないのに。
脳内にさらなる疑問が生まれる。そしてそれは思いっきり顔に出ていたのだろう。水瀬レイナは「あ、ちょっと待ってね」というと鞄から何かを取り出し始める。
ごそごそと何かをしているアイドルの後ろ姿を眺めつつ、時間がある程度たったことでやっと落ち着いてきた俺は、やっと体の緊張をほぐすことが出来始めていた。
「おまたせ――これで、わかるかな」
振り向いた水瀬レイナは、長い髪をお下げに縛り、びんぞこ眼鏡をかけて、頬にはそばかすが出現していて――俺の脳内に、1人の同級生の名前が浮かび上がった。
「お前――海堂瑠衣、か?」
「そう。よかった、気づいてくれて」
安堵の表情を浮かべる水瀬レイナ――もとい海堂瑠衣に対し、俺の脳内はまたしてもパニックに陥る。
は? 水瀬レイナが海堂瑠衣?
何が一体全体どうなったらこうなるんだよ?
そんな俺の状態を察したのか、海堂瑠衣は俺に詳細を教えてくれた。
「えっと――つまりね? 水瀬レイナは、私の芸名なの。自分で言うのもなんだけど、嬉しいことに人気があるから、そのままだと日常生活に支障が出ちゃうのね。だから、学校ではお下げにそばかす、瓶底眼鏡で変装してて――オフの日はこうやってカラオケに籠って、好きなアイドルに愛を叫んでるの」
「たしかに絶叫してたな。初めて見た時カラオケ画面ガン無視でオタ芸しながらコールしてて衝撃受けたわ」
「え、ダメ? せっかく推しの曲が流れるんだよ? 全力で愛を叫びたくない?」
子犬のようなつぶらな瞳で見つめられて俺は一瞬どきっとしてしまう。
……落ち着け。こいつは海堂。高校の同級生の海堂瑠衣だ。
「いや、ダメじゃないけど、それはちょっとわかんないわ」
「そっか……」
海堂が残念そうに俯く。その後の無言が気まずくて、俺は話題をひねり出した。
「えっと……学校での姿はともかく、オフの時のあの恰好でよく『水瀬レイナ』だってばれなかったな?」
「一応、そばかすは描いてたからね――さっきは汗で落ちちゃってたけど。それに、ティアドロップの眼鏡にアルマーニの白Tとダメージジーンズっていう中々に特徴的な恰好してると、人って案外顔に注目しないんだよ? そっちに意識が向くから」
確かに。店長も散々ティアさん改め水瀬レイナのことを話していたけど、特徴的なアイテムの話ばかりだった。
なるほど……、と俺が感心していると、海堂瑠衣は手をパンッと合わせて俺を拝んできた。
「そんなわけで――お願い、遠藤君! 私が水瀬レイナだって、周りには黙ってて欲しいんだけど……」
それはそうだろう。今世間の一番の注目人物がこんな身近にいるなんてわかったら、学校中大騒ぎ間違いなしだ。
「もちろん、秘密にするよ」
そう言った瞬間、海堂の顔に安堵の表情が浮かぶ。
でも。そっちのお願いを聞くなら、こっちのお願いを聞いてもらったって罰は当たらないよな?
せっかく今目の前に日本中が関心を寄せている人物がいるんだから。そしてそれは、俺も例外じゃない。
「――だから、海堂。俺のお願いも聞いてくれないか?」
「なっ、何かな……?」
安堵の表情が一変、恐ろしいものを見るような表情になる。
そんな不安がらなくてもいいのに――そう思いながら、俺は俺の願いを口にした。
「――水瀬レイナの活動休止宣言の理由、教えてくれる?」
「独創性のあるキャラクター」というお題で書かせて頂きました。
……独創性、ありましたかね?
あったら、いいのですが……。
ぜひ感想で教えて頂けたら幸いです。