前世の契り、今世の望み
応接室へ着くと、ようやくキースは彼女を下ろし、そっと椅子に座らせた。
キースがその向かいに座ったのを確認し、ノエラはおずおずと尋ねた。
「……あの、キースは良いの? 時間が、ないんじゃ」
「? ……あぁ、さっきの。 大丈夫、あれはただ、留学の話をしに来て下さった先生をお見送りしていただけだから」
「……そう、なのね」
キースとノエラの間に、沈黙が広がる。
ノエラは迷っていた。 今更、何から話せば良いのか。
キースの告白を断っておいて、キースが居なくなってしまうと分かった途端、ノエラは真っ先にここへと来てしまった。
(キースの人生を、狂わせるような、そんな我儘を……)
「……ノエラ」
「!」
先に口を開いたのはキースだった。
キースは少し困ったように笑いながら、ノエラに優しく声をかける。
「疲れた、だろう? あの手紙でまさか、ノエラがここまで来てくれるとは思わなくて。
……いや、心のどこかでそうなったら良いなと、思っていた」
「!」
キースの思いがけない言葉に、ノエラは息を飲む。
キースは力なく笑い、下を向いて言った。
「……未練がましい、よね。 君のことが諦めきれずに、あんな、君を困らせるような手紙を書いてしまった。
留学先での滞在期間も全部書かなかったのは、そうすれば君がここに来てくれるんじゃないか、そう思ったからなんだ」
ごめんなさい。
そう言ってキースはノエラに向かって頭を下げた。
ノエラはそんなキースの言葉が一瞬理解出来ずに反応が遅れたものの、慌ててキースに頭を上げるよう促し、自身もそっと口を開いた。
「……いいえ、そんなこと……、未練がましいのは、私の方よ」
「え……」
キースの表情をまっすぐ見れず、ノエラはギュッと拳を自身のワンピースの上で握り、キースに向かって口を開いた。
「……私、あの日、キースが勇気を出して告白してくれて、とっても……、本当に、嬉しかった。
それなのに私、自分を、キースの気持ちを受け止めるのが怖くて、嘘をついてしまった」
「……嘘?」
キースの問いに、ノエラは小さく頷くと、より一層握る力を込めて言った。
そして、勇気を振り絞ると、キースを真っ直ぐと見つめ言った。
「キースのことを、“兄”だなんて思ったこと、一度だってない。
“恋愛感情”として考えたことないなんて、そんなの嘘。
“前世”を一番、意識していたのは私の方よ」
「っ!」
キースは震える声でそう言って涙を零すノエラに居てもたってもいられず立ち上がると、そんな彼女の肩を力強く抱き寄せた。
「っ、こうして私は、キースに甘えてしまうんだわ。
……本当は、キースの気持ちに答えたかった。
だけど、その勇気がなかった。
だって私は、前世とは違う。 前世とは違って、あの時……、落馬した時に出来た大きな傷だって持っている。
キースは公爵家の跡取りで、私とではとても」
「“釣り合わない”だなんてそんなこと、誰が決めたの?」
「っ!」
キースはそっとノエラから体を離すと、至近距離にいるノエラの瞳を真っ直ぐと見つめ、そっとその瞳から溢れる涙をぬぐいながら言った。
「……ノエラに言われて、ハッとした自分がいたのも事実なんだ。 君を、“前世”と“今世”で重ねて見ていたのかもしれないって。
そう思って、諦めようとした。
……だけど、無理だった。 この一ヶ月くらい顔を合わせなかっただけで、頭に浮かぶのはいつも、“ノエラ・アトリー”の君だった。
幼い頃からずっと一緒にいて、心から楽しい、嬉しい、悲しい、それから、好きだって思えたのは、君だけなんだ」
「!」
そう言ったキースの瞳にも、涙がたまっていて。
ノエラは息を飲んだ。
キースはそんなノエラの頰をそっと撫でて笑った。
「ノエラ、君と前世で交わした“契り”が確かに、俺達の間に深く根付いていることは分かってる。
……だけど、今あるこの気持ちが、決して“前世”の影響ではないことを知っておいてくれれば、俺はそれで、十分だよ」
「! ……キース」
ノエラはそんなキースに対して、自身もキースの頰にそっと手を添えた。
それに驚いたキースに向かって、ノエラは言葉を噛みしめるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……キース、私はやっぱり、貴方に貰ってばかりね。
私は、さっきも言った通り、前世と向き合うのが怖かった。
キースは生まれた時からずっと、前世の記憶があって私のそばにいてくれたのに、私が思い出したのは、落馬した時に生死をさまよった夢の中だった。
……今でも、前世の記憶は殆ど無いの。
それを思ったら、キースに顔向け出来ないと思ってしまって、自分の気持ちに正直になれなかった。
……でも」
ノエラはそう切ると、キースの頰を撫でた。
「私こそ、諦められなかった。
自分からふっておいたのに。
……私は、キースと……、一緒に、いたいの」
そう言ったノエラの声は、震えていた。
キースは思いがけない言葉に、驚いたように固まったかと思えば、再度、ぎゅっとノエラの肩を抱き寄せ、自身の腕の中に収めた。
そんな彼の肩も震えていることに、ノエラは気付く。
「……ノエラ、それは、本当か……?」
「……っ、えぇ、本当よ、キース。
私は、貴方と共にいたい。 前世の約束云々ではなく、貴方……、キース・レヴィンとこの先を一緒に、歩いていきたい」
ノエラはそう言って、目を瞑った。
キースのその先の言葉が怖かったからだ。
自分から差し出されたその手を取らないで、その一ヶ月後に今更取ろうだなんて、虫が良いのではないかと。
だが、そんなノエラの心配は無用だった。
ふとノエラを包んでいた温もりが離れる。 その代わりに訪れたのは……。
「!」
そっと触れるだけの、唇の感触で。
それがキスだと分かった時には、ノエラもキースも顔を赤くさせて見つめ合っていた。
キースはそんなノエラに向かって破顔し、「俺の話も少し聞いて」と口を開いた。
「ノエラが気にしている、“背中の傷”のことも、前世の記憶が曖昧なことも、全部気にしなくて良い。
ノエラがこうして生きていてくれている。
それがどれだけ幸せなことか、俺だって君だって、一番分かっているだろう?」
「……!」
ノエラはこの前思い出した前世の記憶……、病のせいで長く生きられず、キースと共にいることが叶わなかったことが脳裏をよぎった。
それを考えると、この傷で生死をさまよった今でもなお、こうして生きていること、それからキースと今を生きられていることがどれだけ尊いことかを思い、ノエラはキースの言葉に涙交じりに頷いた。
そんなノエラを見て、キースはそっと口を開いた。
「ノエラ」
「!」
温かく、優しく、甘いその口調は、前世と今世、変わることのないキース、そのもので。
彼女もそっと、キースの名を呼ぶ。
「キース」
キースはそれに「うん」と応じながら、心から幸せそうに微笑む。
キースはそっと彼女の手を取ると、少し改まったような口調で言った。
「……前世の契りも含めて、改めて言わせてもらうね。
好きだよ、ノエラ。 君とこの先の未来を、共に歩んでも良いだろうか」
「……! えぇ、勿論! 私も、貴方のことを……」
愛しているわ。
そう彼女が言ったのと同時に、再度、キースとノエラの唇が重なる。
それは、前世で叶うことのなかった“契り”が結ばれた瞬間、そして、これからの未来を共に歩みたいという二人の“望み”が、叶った瞬間だった。
―――それから数年後、一国の国では盛大な結婚式が行われた。
ノエラ・アトリー伯爵令嬢とキース・レヴィン公爵。
二人は前世で叶うことのなかった約束を今世で果たし、生涯を幸せに暮らしたという……―――
最後までお読み頂き有難うございました…!
ノエラとキース、二人の甘酸っぱい恋、楽しんでお読み頂けていたらとても嬉しいです!
有難うございました。