前世と今世
それから数年後。
「キース!」
「あ、ノエラ!」
広場で待ち合わせをしていた二人は駆け寄ると、互いに挨拶を交わした。
それはまるで、前世で恋人同士だった二人のような姿だった。
……それでも、彼らの仲はノエラが記憶を取り戻した時と同様、何ら幼馴染という関係に変わりはなかった。
それは未だに、ノエラが背中の傷を気にしている証拠でもあった。
「待たせちゃってごめんね」
「ううん、全然。 まだ待ち合わせより大分時間は早いし……、というか、俺が早く来すぎただけなんだけど」
そう肩を竦めて言ってみせるキースに、「相変わらず優しいね」とノエラは朗らかに笑う。 それを少し眩しそうに見ながらキースも笑みを返した後、「それじゃあ、行こうか」とキースはノエラと歩幅を合わせて歩き出す。
(……こうして、キースと一緒に居られるだけで十分)
ノエラはそのキースの横顔を見つめていると、キースはニコニコとしながら口を開いた。
「今日はノエラのお誕生日祝いだからね、俺に任せて」
今流行りの店を予約してあるから、とキースは言った。
そう、今日二人が一緒に出かけているのは、ノエラの誕生日を祝うためにキースがノエラを誘ってきたためである。
ノエラは明日、20歳の誕生日を迎えるのだ。
キースは今年で23歳、先日も2人で誕生日をお祝いしたばかりである。
(……嬉しい)
彼女は内心、とても嬉しかった。
キースが当たり前のように隣にいてくれる。
高くなった背も声も、どこを取ってもまるで、前世に戻ったかのようなその光景は、不意にキースはノエラの恋人だと錯覚させる。
(それはおこがましいけど……、今こうして、一緒に居られるのが本当に夢みたいで、信じられない)
この時間がいつまでも続いてくれたら良いのに。
そう思う彼女であった。
☆
「わぁ〜……! とっても素敵!!」
「ふふ、その笑顔が見られてよかったよ」
目の前に広がる何処までも続く星空に、ノエラは思わず感嘆の声をあげる。
それを幸せそうに見て、キースは微笑んだ。
「昔からノエラ、星が好きだったでしょう? この場所を見つけた時、真っ先に君が浮かんで。 見せたいと思ったんだ」
「! ……嬉しい」
有難う、キース。
そうノエラが感謝の言葉を述べれば、キースも心から嬉しそうに笑みを浮かべる。
そうして二人並んで星空を眺めていると、暫くしてキースがトントンとノエラの肩を叩き、小さな箱をノエラに差し出す。
「! 私に、くれるの?」
ノエラがそう聞けば、キースは「うん」と少し緊張したような面持ちで言った。
ノエラはその箱を受け取り、そっと開くと……、
「……!!」
そこにあったのは、前世の自分がお気に入りだった物にそっくりだった、キースと自分のお揃いの瞳と同じ色の、翡翠色の指輪だった。
戸惑うノエラに、更にキースは驚きの言葉を発する。
「……“クラーク”」
「!!!」
そうキースの口から飛び出た言葉に、ノエラは今度こそ大きく目を見開いてしまう。
そして、口を震わせながら言った。
「……ど、うして、その名前を……」
「……やっぱり、ノエラも思い出していたんだね」
キースはそう言って少し懐かしそうに、でも何処か悲しそうに笑った。
キースが言った、“クラーク”という名は、ノエラの前世の名字であった。
クラーク男爵家の令嬢。 それが、ノエラの前世だった。
それを、キースが知っているということは……
「……キースも、前世の記憶を持っているの……?」
震える言葉でノエラがそう口にしたのに対し、キースは首を縦に振った。
「あぁ。 覚えているよ。
多分、ノエラが思い出すずっと前……、というよりは生まれた時から俺には前世の記憶はあったんだ」
「えっ」
衝撃の事実に、ノエラは言葉を失う。
キースはそのまま話を続けた。
「ずっと……、ノエラの姿だけを探していたんだ。 必ず、ノエラもこの世に生まれてきてくれると、そう信じて。
そして、俺が8歳の時、漸く君に会えたんだ。
……運命だと思った」
キースはそう、夜空に浮かぶ星々を見上げて言った。
「だけど出会ったばかりの頃、君はまだ5歳だし、少し期待したんだけど、俺のことは全くの初対面だと言った。
……容姿は前世とほぼ同じだから、初対面だと言われたら、あぁ、覚えてないのかって正直落ち込んだこともあったんだけど」
「……ごめんなさい」
思わずノエラが謝れば、キースは慌てたように言う。
「ううん、ノエラとこうしてもう一度巡り会えただけで十分、俺には幸せだった。
……そう、思っていたんだけど」
キースは少し顔を赤らめると、意を決したように言った。
「好きなんだ、ノエラ」
「!」
キースの告白に、ノエラは瞠目した。
(……キースが私を……、好き?)
「……それは本当、なの?」
「本当だよ」
真っ直ぐに見つめるキースの瞳には、一切冗談や嘘ではないことを物語っていた。 ノエラ自身も、思わずギュッとお洒落をして着ていたワンピースの裾を握る。
そんなノエラに、キースは先ほどノエラに手渡した箱を、持っているノエラの手を包み込むようにして優しく握った。
一気に近付いた距離に、ノエラは驚き固まるばかりで。
そんなノエラに向かって、キースは苦笑まじりに言う。
「……ごめん、急だったね。
君を、困らせるつもりはなかったんだ。 ただ、俺の思いを知っていて欲しかった。
それだけなんだ」
受け取ってもらえないだろうか、そう言ったキースに、ノエラは思わず首を縦に振りそうになり……、ハッとし、首を横に振った。
「!」
キースの、驚いたような、悲しい表情に、ノエラの心も抉られるような痛みが走る。
ノエラはそれでも、自分の出した答えを変えるつもりはなかった。
代わりに言葉を紡ぎ出す。
「……キースの気持ち、とても嬉しいわ。
私も、キースのことが好き。 ……だけどこの好きは、多分、私とキースでは違うと思う」
「え……」
キースの言葉に、ノエラは泣きたくなるのを堪えて言った。
「私はキースを、今の今まで実の兄のように思っていたから」
嘘。
「それが“恋愛感情”かどうか、私には分からない」
嘘。
「……それに、キースは私のこと、“前世”の私と重ねてみているんじゃない?」
「そんなこと……っ!」
嘘。
(キースの気持ちは、分かってる……けど)
「……ごめんなさい」
嘘。
本当は、今すぐにでもキースのその腕を取りたい。
一生、側にいたい。
……だけど、今の彼女がキースといて、キースを幸せに出来る自信がなかった。
(……だって)
「……っ……」
傷ついたような、キースの表情。
(……泣いちゃ、ダメ)
告白を断ったのは自分なのに。
キースと同じくらい、ノエラは傷ついていた。
「……ううん、こちらこそ。 急にごめん。
返事を聞かせてくれて、有難う」
キースは少しだけ涙で目を潤ませながら微笑んだ。
それを見た彼女自身も、本当に泣きそうになる。
キースは握っていたノエラの手をそっと離すと、箱を指差していった。
「……それだけは、受け取ってはくれないか」
「え、でも」
「大したものではないし、いらなければ捨てても良い。
……だけど、君に、持っていて欲しいんだ」
キースは涙交じりに微笑みを浮かべる。
(……っ、キース……)
「……うん、大切にするね」
ノエラの言葉に、キースは心から安堵したように笑い……、ノエラに手を差し出す。
「もう遅いから、君の家まで送ろう。
……それまでは、エスコートさせてもらっても良いだろうか?」
「!」
差し出された、大好きなキースの手。
……エスコートの間だけなら。 キースに触れていても、良いだろうか……
「……っ、えぇ。 嬉しいわ。 有難う」
ノエラより一回り大きいその手をそっと、ノエラが握る。
そうして歩いた星空の下で気のせいか、キースにエスコートされた繋がれた手は、いつもよりも少し、力がこもっているような、そんな気がした。
☆
そして、ノエラは自分の家に着き、キースとの別れの時間がやってきた。
「キース、今日は本当に有難う」
「こちらこそ、君と最後に、こうして過ごせてよかった」
キースはそう笑みを浮かべて言ったが、ノエラはえ、と驚いた。
(最後……?)
「っ、あの、キース最後って……」
キースはその問いに対し、何も答えなかった。
ただ代わりに、握っていたノエラの手を自分の方に引き寄せ……
「!」
ノエラは気が付けば、キースにそっと抱きしめられていた。
その温もりと匂いは、自分の良く知るキースのもの、そのもので。
驚き固まるノエラの体を、そっとキースは離すと、今度こそキースの目からは一筋、涙がこぼれ落ちていた。
ノエラがハッとしたのも束の間、キースはそれを拭ってから言った。
「未練がましい男で、ごめん。
……又、そのことについては話せば長くなるから、手紙を書くよ」
そう驚いて何も言えないでいるノエラに背を向け、キースは行ってしまったのだった。