前世の契り
「ノエラ、俺は君をずっと、愛している。
だから来世こそ絶対、君と共に一緒に居られる未来を願っても良いだろうか」
「えぇ、キース。 その時が来たら、必ず、私は貴方と共に一緒になることを誓うわ」
私も、愛している。
そうノエラとキース、まだ若い20代の二人は、来世を誓って互いに口付けを交わした……―――
「っ!!」
そんな夢に驚き、アトリー家の長女ノエラは、明るい日差しが差し込む中、ハッと目を覚ました。
(……こ、こは……)
……見慣れている筈なのに、もう一人の“自分”の知っている部屋とは違う、自分の部屋。
そんなことが脳裏をよぎった時、彼女は思わず頭を抱えて口を開いた。
「……今のは、紛れもなく私の、“前世”……」
まずは状況を整理しよう。
彼女の名はノエラ・アトリー。
西方の国の一国の、そこそこ大きい伯爵家の長女である。
長女、といってもまだ齢10歳。
まだまだレディーとは程遠い、お転婆な少女である。
そんなお転婆な少女は、最近淑女教育の一環である“乗馬訓練”を受けていた。
彼女はその時間が好きで、自身専用の愛馬を飼っているほどだった。
ところがある日、悲劇が起きる。
それは、その彼女が可愛がっていた愛馬にいつものように乗った直後、突然暴れだしたのである。
これには彼女は驚き、慌てて落ち着かせようとしたものの、まだ10の彼女にはそのような時の対処が出来なかった。
勿論教えてくれる先生もいたのだが、その人の言うことでさえも聞かず、愛馬は暴れ回り、彼女はそのまま背中から落馬、意識を失ってしまったのだ……
「……い"……っ」
夢で見た“前世”のことが気になるが、今は状況が状況である。
彼女は何気なく背中を鏡ごしに見れば、自身の背中はぐるぐると包帯を巻かれ、未だに少量であるが血が染みているようだった。
(……これは絶対、痕になっている)
彼女は10歳とはいえ、前世では記憶上20年は生きていた。
だから精神年齢は大人なのだ、とよく分からないことを彼女は考えながら、再度彼女は、深い深い夢の中へと落ちていくのだった。
☆
そして彼女がもう一度目を覚ました時、医師は彼女に残酷な事実を言い渡した。
それは、落下した時に出来た背中の傷は一生、痕になって残る。 そう言われたのだ。
ノエラは勿論、ショックを受けた。
自身も何となく分かってはいたことだが、女性の体に傷が残っては、結婚に支障が出ると彼女の国ではされていた。
(……私はもう、幸せにはなれない)
可愛がっていた愛馬は事件後すぐ、殺処分されてしまって会うことも出来なかったし、それに……。
「? ノエラ? どうしたの??」
そう声をかけてきたのは、まだ青年である3歳年上の、ノエラにとって前世でも今世でも、一番大好きで、一番大切な人。
「……ううん、何でもないわ。 キース」
キース、そう呼ばれた青年は首を傾げたものの、「変なノエラ」と可笑しそうに笑った。
キース・レヴィン。
アトリー家の住む国と同じ国の、レヴィン公爵家の長男である。
そう、彼の名は“キース”。 彼こそ、前世での契りを交わした、彼女……ノエラのかつての“婚約者”だった。
それも何の因果か、双方どちらも前世と顔立ちも容姿もそっくりだった。
ノエラは栗色の髪に緑の瞳。
キースは黒色の髪にノエラと同じ緑色の瞳の持ち主である。
(……本当に、そのままキースを幼くしたみたい)
彼女が前世でキースと出会ったのは、もう少し後……、17歳くらいの時だった。
その時も、彼女とキースは3歳違いだった為、彼女は14歳だった。
だが、彼女が思い出したのはそこまで。
前世で自分が何をしていたのか、どんな所に住んでいたのか、どうして彼と恋人になったのか。 どうして前世で、“来世でこそ共にいよう”と誓ったのか。 来世で、ということは、前世では結ばれなかったのか。
いくつも疑問は浮かび上がるのだが、いくら思い出そうとしても、彼女には思い出すことが出来なかった。
(……キースは、)
キースは私と前世で約束を交わしたこと、覚えているのかな……
ふと彼女はそんなことを考えてしまう。
だがその度に、彼女はその考えを頭の隅に追いやる。
……それはどうしてか。
(……私には、“傷”があるから)
何気なく、彼女は背中……、半年ほど前に出来た傷跡が医者の言う通り、痛々しく残ってしまった背中に服越しに触れる。
もしこの“傷”がなかったら、ノエラはキースに全てを話し、ずっと一緒にいようと言えただろうか。
答えは“否”だ。
ノエラは誰よりも、キースの幸せを願っていた。
それは、前世から変わらず、今世では幼馴染として、優しくて明るいキースのことが大好きだったからだ。
(何も覚えていなくても、キースに対するこの気持ちは、ずっと、ずっと変わってはいないと胸を張って言えるわ)
だからこそ、何も覚えていないだろう彼を、困らせたくはなかった。
背中の傷のことも、彼は知っているだろうし、何より彼は公爵家の跡取り。
どこを取ってもノエラはキースとは釣り合わないと考えていた。
「……ノエラ、傷が痛むの?」
「!」
ノエラが背中を触っていたせいだろうか、キースはノエラを心配そうに見つめながらそう聞いた。
ノエラはその問いに対し、慌てて左右に首を振る。
「ううん、そんなことないわ。 大丈夫よ」
“大丈夫”。
もはや何度目か分からない、自分の本心を隠す言葉を発し、ノエラは心がズンと重くなるのを感じるのだった。