41 卑屈な娘の成長譚(わたし、聖女じゃありませんから)
今回は、なろう小説で、来週書籍が発売される「わたし、聖女じゃありませんから」です。
書くことについて、作者である長月おと様のご了解はいただいています。
また、書籍化を知る前にご了解をいただいているので、書籍化記念で書いたというわけではありません。純粋に、書きたくなって了解を取った後で書籍化の話を知りました。いえ、されるんじゃないかな~とは思ってましたが。
“デキのいい作品”というのは、定義が難しいです。
どこに重きを置くかで、判断基準が変わりますから。
芸術性に優れた作品が興行的には振るわない、なんてことはよくある話です。
「ルパン三世・カリオストロの城」は、今ではアニメ映画の金字塔的な扱いのようですが、公開当時は興行的に失敗し、駄作扱いだったことは割と有名です。いえ、あれはそもそもかなり突っ込みどころの多いエンタメ作品なんですけどね。ルパンが最初にクラリスを助けたのは美少女だったからでしかありませんし。
テレビアニメや特撮番組で言えば、視聴率が取れるのと、関連商品が売れるのと、視聴者からの評価が高いのと、どれが“デキがいい”のでしょう。
もちろん、全部優れているなら問題ありませんが、そういうことは稀なのです。
例えば、「仮面ライダー555」は、当時、男児玩具の売上歴代1位を達成しましたし、視聴率もそれなりに良かったのですが、ストーリーを見れば矛盾だらけでメチャメチャです。
マンガ「キン肉マン」は、大人気で、アニメ化もされ、キン消しという商品が大ヒット、一大ブームになりましたが、物語として見ると、やはり行き当たりばったりでひどいものです。
商業作品としては優秀だけれど、物語としてはお粗末、ということですね。
「小説家になろう」においても、ランキング上位になるような人気作が、ストーリー的には安直で内容空っぽ、ということは多々あります。
キャラクター的に見るととてもいいけれど、物語は空っぽ、とかですね。キャラ人気というか、キャラがしゃべっているだけで読者が楽しめちゃう作品ですね。イチャラブ系によくあります。
逆に、設定などがよく練られているし、文章力も十分なのに、人気のない作品なんかもよくあります。
どちらが良い悪いということは一概に言えませんが、両立された作品というのはあまり見ません。
今回取り上げる「わたし、聖女じゃありませんから」は、その希有な例の1つといえるでしょう。
内容をダイジェストしてみましょう。
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リンデール王国西の森に大きなダンジョンがあった。ダンジョンは、中枢を破壊されるか瘴気を使い果たすまで延々と魔物を生み出し続ける。
ダンジョンを破壊するには、生み出される魔物を倒し続けて瘴気を使い果たさせるか、倒しながら進んで中枢に至り破壊するしかない。
この西の森のダンジョンを破壊すべく、リンデールの第2王子ライルは、婚約者である聖女ステラ・ヘイズと共に、王弟アドラムを団長とする一団に加わり挑んでいた。
ある日、ライルがシアーズ侯爵家令嬢オリーヴィアを連れてきた。ステラより強力な回復魔法を使えるオリーヴィアに聖女の称号とライルの婚約者の座を奪われ、呆然とするステラ。
更にオリーヴィアの配下から命を狙われ、逆にオリーヴィア暗殺未遂の罪に問われたステラは、死を偽装して逃走し、義兄:レイモンドの助言により、王国東端の街ユルルクで冒険者として暮らすこととなった。
1年後、死にかけていた亜人:リーンハルトを救ったことから行動を共にするようになったステラは、リーンハルトの故国アマリア公国の亜人がシアーズ侯爵家に囚われていることを知る。実は、オリーヴィアの回復魔法は、亜人の血から作られる賢者の石の力によるものだった。
折しも西のダンジョンでは、魔物の大発生により戦線崩壊の危機が迫っていた。
リーンハルトとステラは、オリーヴィアの断罪と騎士達救援のため、ダンジョン攻略に向かう。
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だいぶ端折りましたが、概ねこんな内容です。
流行の聖女追放ものとざまあを中心においたよくある物語ですが、この作品は当初からプロットがよく練られており、行き当たりばったりな展開にはなりません。
ステラがユルルクで冒険者になったことも、オリーヴィアの回復魔法が強力な理由も、ステラがリーンハルトと出会ったことも、全て理由があります。
さりげなく提示されていた情報が、後で伏線として機能するよう配置されているのです。
この作品は、聖女追放ざまあ物語として作られていますが、メインテーマは主人公であるステラの成長物語です。
ステラは、孤児として育ち、回復魔法に優れていたことからヘイズ男爵家の養女となり、病弱な嫡男レイモンドの治療に当たりましたが完治させるに至りませんでした。
その後、聖女と認定されて第2王子ライルの婚約者として、5年近くダンジョン攻略に携わります。給与はほぼ全て男爵家に搾取されます。
そして、オリーヴィアによって聖女の称号もライルの婚約者の座も奪われ、命まで狙われます。
これにより、ステラは自らの死を偽装して、王国の東の果ての街ユルルクで冒険者として暮らすようになりました。
一般的な聖女追放ものと違うのは、実際にオリーヴィアの方が聖女としての治療能力が高いことです。家柄・美貌はともかく、回復魔法すらオリーヴィアの方が上なのです。
この点が、この作品の特徴です。
この物語の本質は、自分の価値を全否定されたステラが自分の価値を見付ける成長物語なのです。
ステラは孤児として育ち、その回復魔法の能力を評価されてヘイズ男爵家の養女となりましたが、その目的であったレイモンドの病気の完治はできないまま、聖女としてダンジョン攻略に送られます。
そこで得られた報酬は全てヘイズ男爵家に搾取されましたが、レイモンドの薬代にも使われるからと甘んじます。
同時に、ライルに恋をしたことで、ダンジョン攻略が終わればライルと結婚できることを心の支えに頑張ります。
その夢を終わらせたのがオリーヴィアでした。
肉体の欠損すら回復させる回復魔法を見せつけられ、ライルの本心──ステラを利用するために婚約していただけ──を知ったステラは、見え透いたオリーヴィアの嘘からさえ誰一人庇ってくれない、ステラを必要とする者はいないという現実を突きつけられます。
結局、このままでは罪をでっち上げられて殺されると考えたステラは、1人で森を抜けて生き残れたら無罪放免という条件を勝ち取り、1か月掛かって生還し、レイモンドの案で死を偽装します。
その後、ユルルクでのリーンハルトとの出会いを経て、アマリア公国のダンジョン破壊に貢献したり、オリーヴィアの回復魔法が亜人の血から作られる賢者の石によることを知ったり、オリーヴィア捕縛のためにシアーズ侯爵家の罪を暴くのを手伝ったりといった展開の中、リーンハルトと恋仲になっていきます。
この作品がよく練られていると感じるのは、ステラがリーンハルトの病を治したことをきっかけに、回復術士としての自分のあり方を考え直していく過程です。
具体的に言うと、“重傷者は敢えて傷を残して治す”こと、“無償の治療は行わない”ことです。
ステラは、ダンジョンでは、聖女として魔力の限り回復魔法を使わせられ、報酬は全てピンハネされ、信じていた仲間に裏切られました。
ユルルクでは、それなりの対価を得て“自分で稼いだ金は自分で使える”生活を送っていましたが、それでもステラを侮り搾取しようとしてくる者は後を絶ちません。
そんな中、リーンハルトと出会い、自分の回復魔法は素晴らしいこと、力を安売りするべきではないこと、冒険者自身がステラをアテにせず怪我をしないよう考えて立ち回るべきであることに思い至ります。
そこから、リーンハルトとの信頼関係→両片思い状態へと進んでいくのです。
一方、オリーヴィアは、1年の間に随分と立場が悪くなっていました。
それは、令嬢育ち故にキャンプ地での生活に馴染めないこと、気位が高く高圧的であること、血生臭い前線に出られないことなどによるものでした。
軽傷者は前線に留まるため、回復してもらえないのです。
加えて、賢者の石が消耗品で、あっと言う間に力を失うことも大きな誤算でした。
定期的に新品が届きはするものの、消費に追いつかず、力を出し惜しみせざるを得ないのです。
対して、聖女がステラだった頃は、自分の身の回りのことは自分でこなし、危険な最前線を飛び回り、魔力が尽きるまで治療を行っていました。
オリーヴィアは、そうしたステラと比較され、「ステラが生きていれば」と下に見られるようになり、ますます不和が広がります。
この辺りは、オリーヴィアの認識の甘さが招いたものです。
オリーヴィアの失策は2つ。
1つは、前線の状況を甘く見て、早い段階で聖女として名乗りを挙げてしまったこと。
最初から十分な数の賢者の石──重傷者を5千人くらい直せるだけの数──を用意していれば、少なくとも出し惜しみはせずにすみました。
これについては、ダンジョン攻略が見えてきたという状況から急いだという事情があるので、やむを得ない面もあります。
十分な数の賢者の石を準備している間にダンジョン攻略がなされてしまえば、ステラが聖女ということで固定されてしまいますから。
そして、もう1つの失策にして致命的だったのが、ステラを陥れたこと。
ステラは、オリーヴィアの登場により、一般の騎士団員レベルに降格されていたのですから、そのまま顎で使えばよかったのです。
前線での治療はステラに押しつけ、自分はステラでは手に負えない身体欠損のみ治すという棲み分けをしておけば、後方でどっしり構えていられ、オリーヴィア自身も楽ができたはずでした。
おそらくオリーヴィアは、自分の力が紛い物であると知っているが故に、念を入れてステラを排除したのでしょうが、これは悪手でした。
前聖女として、少し優しく扱ってやるだけでもステラをうまく利用できたでしょうに。
そして、致命的な失策をした人がもう1人。
ライルです。
ダンジョン攻略の実績をもって王位争いに出ようとしていたのが、オリーヴィアの能力を読み違えていたことで、王国にかなり大きな被害を与えてしまいました。
具体的にはシアーズ家という便利な駒の喪失と、騎士団の消耗、アマリアに対しての莫大な借りと保障です。
実際に国の運営として見た場合、この物語の最大の戦犯はライルです。
5年もかけてあと一歩というところまで来ていたダンジョン攻略を、二歩下がるどころか国が滅亡しかねないところまで追いやってしまいました。事実上の攻略失敗です。
それもこれも、オリーヴィアの見え透いた芝居にのってステラを追放したせいです。
もちろん、ここには、オリーヴィアの回復魔法があれほど使えないものだったと読めなかったという事情もありますが、普通に考えて、ステラが前線から失われることの損失を考えられなかった浅はかさは、指揮官として無能のそしりを免れないでしょう。
あの場での正解は、オリーヴィアの言い分を認めつつもなだめ、ステラの身をアドラム団長預かりにして最前線に送り込むことだったでしょう。ステラの身に何かあった時は、ステラの代わりとしてオリーヴィアが最前線にいる必要がある──そう言って脅しておけば、オリーヴィアも下手に動けず、ステラの力を最大限に活かせたはず。
ライルのこの失策のせいで、前線でどれほどの騎士が傷ついたか、王国全土が危機に陥ったか、アマリアに返しきれないほどの借りを作ってしまったか。
その動機が王位への欲だったことを考えれば、ライルは反逆罪に問われるほどの罪を犯しています。なにせ王位を狙って国を滅ぼしかけたのですから。ステラとリーンハルトが駆けつけなければ、王国は滅んでいたでしょう。
これは、ステラ亡き後の1年間で反省しようが、奮闘しようが、消える罪ではありません。
なのに、ライルは王位継承権の放棄程度ですまされています。
生涯幽閉となったオリーヴィアと比べて、ライルへの罰が軽すぎますね。
外形的には、指揮官として無能だっただけで罪ではありませんが、そこに自分が王位に近付くために貴重な戦力を敢えて潰し、嘘の報告を城にしたという事実が加わると、反逆罪にすら問えるのです。その罪は、むしろオリーヴィアより重いとも言えます。
では、なぜライルはその程度の罰ですんだのでしょう。
それは、この物語がステラの成長物語で、ライバルであるオリーヴィアと伴侶となるリーンハルト以外は、そのためのガジェットに過ぎないからです。
ライルは、リーンハルトやオリーヴィアと対比されるために存在するキャラです。
自らの野望のためにステラを利用し、上位互換が登場するや乗り換え、ステラを一顧だにせず排除する。
対してリーンハルトは、ステラの力を奇跡と崇め、誠心誠意ステラを支えてくれました。
また、リーンハルトはレイモンドの病気を治せなかったステラにとって、死の淵から助けることのできた相手であり、自分の力が役に立つことを実証してくれた特別な存在です。
展開としては、リーンハルトがユルルクのギルドで臨時治療院が開かれていることを知ってダメ元で訪ねるという展開の方が説得力があっただろうと思いますが、ともかく、瀕死のリーンハルトを助けられたことは、自分の力の限界にトラウマのあるステラにとっては福音でした。
リーンハルト側の事情というのが小出しにされているため、どうも取って付けた感が強くなっていますが、作者はネタを引っ張ろうとしただけで、最初からリーンハルトというキャラの立ち位置というものをきちんと設定していたものと思われます。
隣国の王兄で、先祖返りの竜人で、ダンジョンを破壊するために竜化して体に負担を掛けすぎたために代謝機能が損傷して死にかけている…。オリーヴィアの賢者の石の設定を考え併せると、最初からステラとリーンハルトでオリーヴィアの罪を暴いてダンジョンを破壊してざまあする展開に持って行こうとしていたことがわかります。
最終的にオリーヴィアが1人でヘイトを受け持つかたちで収斂していくのは、彼女が2人にとって共通の敵となるキャラだからです。
この点、ライルは、リーンハルトの誠実さ実直さを際立たせる役割は担いましたが、リーンハルトの視点からは何も悪いことをしておらず、ステラと恋仲でもなく、敵とはなりませんでした。ライルは、オリーヴィアの聖女認定には関与していないからです。
この物語が、きちんと1本筋の通った構造であることは、序盤から示されています。
オリーヴィア初登場時の描写にある真っ白な聖女の服に映える真っ赤なネックレス、5話のオリーヴィア視点で語られた「危険を冒して秘術まで使った」「吐き気のするような手段を用いてでも秘術を成功させた」という説明。
初見の読者は、これを“血を吐くような辛く危険な修行をした”と受け取ることでしょう。これは作者によるミスリードです。たしかに無茶な運動をさせると吐くことがあるらしいですが、それは“吐き気のするような手段”とは言いませんよね?
そうかと思うと、ステラが森を抜けて生還してからの死を偽装する流れや、リーンハルトが登場してからステラが助けるまでの展開は、どうもバタバタしていてわかりにくいです。
この辺りは、おそらくこの物語の本質がステラの成長物語であるからでしょう。
ステラの成長に関わる部分に注力するあまり、それ以外の部分の描写がおざなりになっているのです。
ステラの成長物語であるという根幹に集中するあまり、あちこちに説明不足が発生しているのは残念な部分です。
鷹羽が一番気になったのは、リンデールの国王がダンジョン攻略をライルとアドラムに任せっきりにしていたことです。
なぜ、リーンハルトの助力を1年前に求めなかったのでしょう?
これは、読者という神の視点だからこそ気付けることではありますが、リーンハルトは、アマリアで巨大なダンジョンをほぼ独力で破壊しています。
もちろん、それに伴う副作用で、命を失いつつありました。ですが、リンデールはその情報を入手していました。どうして“聖女オリーヴィアの力でリーンハルトを治して貸しを作り、ダンジョン破壊に協力してもらう”という選択肢を思いつけなかったのでしょうか。
もちろん、リンデールでのダンジョン破壊後もリーンハルトをきっちりと治すという条件、さらにはアマリアへの国としての謝礼が必要でしょう。しかし、ダンジョン攻略をライルだけに任せる必要性はないのです。更迭や降格も必要なく、単に強力な助っ人を国が用意するだけの話です。ダンジョン攻略は国の存続に関わる一大事業であり、ライルの実績作りのためではないのですから、実を取るのは当然です。
回復能力は高いが多用できない聖女オリーヴィアの力を十全に活かす最高の方法でしょう。
少なくとも、アマリア側としても死する運命の英雄を救ってもらえるなら、損はないはずです。
“そのつもりで探していたが見付からなかった”という描写があればよかったのですが、それはありませんでした。
しかも、リーンハルトは、王都に来てレイモンドと会ってすらいるのです。
国がリーンハルトを探し求め、それが公になっていれば、レイモンドはリーンハルトを国王に取り次いだことでしょう。
なぜそうしなかったのか? それは、ステラとリーンハルトが出会わないと物語が成立しないからです。
おそらく作者の中では、そんな展開は思いもよらなかったものと思います。
作者の中では、ステラとリーンハルトがレイモンドの仲介で出会い、お互いを必要としていく過程の構築が重要であって、リーンハルトの能力のメリット・デメリットがわかっている人から客観的にどう見られるかという発想がなかったのだと思います。
きっと、2人がどうやって出会うか、それが偶然でない方法は、と考えていった結果、レイモンドを介するしかなかったのでしょう。
レイモンドがステラの心を救いつつリーンハルトを助けようと思うことは、たぶん必然です。なにしろ、レイモンドが両親から毒を飲まされ続けていたために、ステラは彼を救えなかったと悔やんでいることを彼自身が知っていますから。
そのこと自体は、ちっともおかしくないのですが、やはり国王サイドの考えそうなことを想像すると、王国がリーンハルトと連絡を取ろうとしない合理的な理由は、鷹羽には思いつけませんでした。
現にダンジョン攻略に5年の月日を掛けていて、しかもせっかく聖女2人体制で一気に勝負をかけようと思ったところでステラを失った王国にとって、強大なダンジョンをほぼ単独で破壊できてしまう竜の力は、大変魅力的です。
幸い、大抵の怪我や病気は治せてしまうオリーヴィアがいるのですから、オリーヴィアによる治癒をちらつかせてアマリアからリーンハルトを引っ張り出して交渉するくらいは、国の長としてやるべきではないでしょうか。
例えば、打診はあったが既にリーンハルトが国を出た後だったので探していた、という情報が、アマリアで王と再会した後で提示され、「もう治ったし、いいよね」あるいは「同胞の血による治癒能力で治してもらうなど冗談じゃない!」となっていれば、後々の説得力が随分違ったことでしょう。
リーンハルトがリンデール王都に行っていることをどうごまかすか、という問題が残りますが、これもまた、行かなかったことにするのは嘘くさいし、王都で誰もリーンハルトに気付かなかったとなれば、門番なりの首が飛ぶことになるし、なかなか難しいところですが。この辺り、少し練る必要がありますが、国同士で内密に話をしていたことにすれば、門番の首ひとつふたつですみそうではあります。
もうひとつ、展開を急ぎすぎて、ユルルクでステラが治療のやり方を変えた途端に旅に出てしまうことになったのもマイナスでした。
なにせ、“完全には治さない”をユルルクではやらないまま旅に出てしまいましたから。
けれど、それ以外では、とてもよく練られています。
ステラがアマリアで獣人達と協力してダンジョン攻略したことから共に戦う仲間との連帯感の必要性に気付き、オリーヴィアの力の源が亜人の血であることに気付き、オリーヴィアを罪に問うにはリンデールのダンジョン攻略に協力せざるを得ないと考え…。この辺りの展開の爽快さは、特筆に値します。
そうして、ステラはリーンハルトと共にダンジョンに赴き、ライルやアドラムと共に戦います。
そうして、オリーヴィアに傷を治すよう頼まれても、「だって私、聖女じゃありませんから」と断ります。
ステラにとって、「聖女」とは、“無償で、全力で、あらゆる傷を治す者”でした。
だからこそ、レイモンドを完治させられないことに悩み、欠損すら治すオリーヴィアに敗北感を抱き、搾取されるのは嫌だと誰とも組まずに冒険者をしていました。
それらを全て背負った上での「だって私、聖女じゃありませんから」です。
このシーンのためにこの作品はあった、正にタイトルどおりの作品だったのです。