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31 意図的に隣人にしてもらい、守られていたのだ(私は隣の田中です)

 今回は、「小説家になろう」内の小説がテーマです。

 書くに当たり、作者である秋月忍氏のご了解は得ています。

 また、「小説家になろう」内の小説を取り上げることについても、運営さまから問題ない旨回答を得ています。

 「私は隣の田中です」は、「小説家になろう」で、2015年5月から7月までの間、全六章31部分で連載された小説です。

 なろう小説の常で、その後、後日談なども発表されていますが、ここでは本編のみを対象として語ることにします。


 この作品は、主人公の鈴木(・・)麻衣が、「闇の慟哭」シリーズの6巻を買って帰宅する途中、「闇の慟哭」という小説の世界にトリップしてしまうところから始まります。

 タイトルに反して、メインで主人公を張るのは、鈴木麻衣です。

 最新作にして最終巻である「闇の慟哭 最後の戦い」は、なぜか前作が出てから3年もの間を空けて発売されました。

 麻衣は、住んでいるマンションのエレベータの中で黒い靄に襲われて意識を失い、気が付くと「闇の慟哭」の世界で、主人公:如月悟の隣人:田中舞になっていました。


 素直に読むと、よくある“物語世界へのトリップ”です。

 元からその世界にいたキャラに憑依してしまうというのも、ありがちです。ただ、少し一般的でないのは、鈴木麻衣と田中舞の人格・記憶・魂が融合して両方生き残ったことです。

 普通は、元の人格はほぼ塗りつぶされてしまうのですが、この作品では、鈴木麻衣の人格が主ではあるものの、田中舞の人格も生きているのです。序盤では、よくある脳内会議みたいな感じで鈴木と田中が会話していたりもします。元々生い立ちも食べ物の好みや生活習慣もほとんど同じだったせいで、違和感なく“田中舞の記憶を持ち田中舞として生活する鈴木麻衣”=マイになっていくのですが。


 田中舞に憑依した鈴木麻衣は、小説と同じような世界で、登場人物と同じような名前の人物と関わりながら、小説と違って妖魔の事件に関与していくのです。

 作中では、田中舞と鈴木麻衣が融合した状態を「マイ」と呼ぶことが多いので、この文章でもそのように呼ぶことにします。

 それでは、各話の流れを追いながら見てみましょう。




第一章 異界渡り

 妖魔“異界渡り”に襲われた鈴木麻衣は、小説「闇の慟哭」に酷似した異世界にトリップし、田中舞の体に入ってしまう。2人の魂は一体化し、霊的魅力や霊力が爆発的に上がってしまい、隣人で、防魔調査室所属の如月悟、如月の式神である桔梗と交流を持つことになった。


 導入のお話。小説ではヒロインだった雪野さやかは、現実では事件に巻き込まれることなく引っ越してしまいます。

 “異界渡り”を呼び出したのは、里村という画家でした。

 里村は、覗き屋(ピーピング)という、異世界の情景を見る力を持っていて、鈴木麻衣に惚れ込み、“異界渡り”を使って鈴木麻衣をこの世界に連れてきたのです。

 融合してしまった田中舞と鈴木麻衣の魂を分離させるのは不可能、そして、元の世界に帰るには“異界渡り”か“界弾き”の力が必要で、しかも命の保証はない、つまりマイはそのまま生きていくしかないことが語られます。




第二章 血の芸術

 ムーンライトホテルのディナーペアチケットを当てたマイは、ムーンライトホテルを舞台にした事件が小説にもあったことを思い出す。如月に情報提供した結果、2人でディナーに出掛けて調査することとなった。しかし、ホテルには、小説での犯人:亜門とよく似た名前の子門という画家が描いた絵に、鈴木麻衣の生家が描かれていて…。


 ここでは、融合したマイの霊的魅力と、小説に似て非なる経緯を辿る事件が描かれます。

 一方で、マイの恋愛にも焦点が当てられ、如月に惹かれながらも小説内で女性遍歴華やかな如月に気後れするマイ、マイにアプローチしているにもかかわらず空回りしている如月、職場の同僚で元々田中舞を好きだった熊田といったラブコメ要素も出揃っています。

 防魔調査室の柳田瞬が登場し、如月をいじったり、マイを防魔調査室にスカウトしたりと、背景事情も動き出します。




第三章 赤の絆

 如月の兄:徹が訪ねてきた。行きがかり上、徹のお見合いの手伝いをすることになったマイは、小説でのヒロイン:国城エリカの代わりに如月と蛍祭りに行き、キスされる。だが、そこに色情魔が現れて…。


 この回は、小説では、如月がお見合いする話で、如月に死んだ妹がいること、桔梗が妹に似せて作られていたことが語られています。見合い相手である国城エリカとはキス止まりで終わり、濡れ場がない珍しい話だということも語られます。

 それが、現実では、見合いをするのは兄だし、妹の奈津美は生きているし、桔梗はかつて如月が救えなかった少女に似せて作られていたのです。

 そして、最も重要なのは、この回で初めて如月が「マイ」と呼び捨てにし、キスしていることです。

 この回は、どちらかというとラブコメ回というか、如月とマイとの恋愛がメインです。そのため、小説でどんな事件が起きたのかは語られません。

 結局、エリカは徹と結婚する流れになり、エリカも奈津美も、田中舞が好きな小説「青の弾丸」の愛読者だとわかり…。そして、如月がマイの鎖骨につけたキスマークが、「赤の絆」という妖魔除けの(まじな)いであることが語られて終わります。

 この回の特徴は、とにかく恋愛に振っている点で、原作の流れというものがほとんど語られません。小説では奈津美が死んだことについてがメインで、エリカとのことは添え物的に描かれていたということですが、実は、小説でエリカと如月がどうして別れたのかが語られないのです。

 基本、小説での如月はワンナイトラブなので、ほかの話のヒロインとなら、どうやって別れても知ったことではありませんが、エリカについてはそうはいきません。なにしろ、如月の見合い相手なのですから。

 マイの方でもそれがわかっているのに、小説でエリカとどうなったのかに触れていないのは、作者の手落ちですね。

 これは、如月とマイのキス云々を描く方に気を向けすぎたせいでしょう。




第四章 溺愛の泉

 如月が女を伴ってマンションの部屋に向かうのを見たマイは、これが小説の四章の始まりであることを知る。それは、新たなヒロインの登場と、自分がヒロインではない現実を意味していた。

 一方、マイの職場で出会った取引先の郡山謙藏は、かつて田中舞が家族を失った水害の後、立ち直る切っ掛けをくれた恩人:佐久間の弟だった。佐久間と会うために出掛けたマイは、人の手を咥えた鬼を見た…。


 この回は、如月への想いを自覚したマイが、小説どおり女と部屋に向かう如月を見たことで、“単なる隣人”という自分の立ち位置を再確認するお話になっています。

 マイの特徴である2つの魂の融合は、マイの霊的魅力を大きなものにしていますが、霊的な感覚が鈍いマイは、その説明に実感が湧かないため、如月の好意に気付けないのです。

 鈴木麻衣も田中舞も、家と家族を失っています。鈴木は火事で、田中は水害で。鈴木の家については第二章で出てきましたが、今回は田中の番です。

 小説では、ヒロインの杉野亜弥が反魂のための人柱にされそうになりますが、現実では杉野は防魔調査室の関係者で、人柱にされそうになるのはマイの方です。

 そして、マイは如月への恋情と、“隣人”という自分の立ち位置に悩み始めることになったのです。




第五章 界弾き

 職場の同僚に付き合って占いに行ったマイは、占い師(実は呪言師(じゅげんし))の日野陽平から公私ともにパートナーにならないかと誘われる。翌日、マンションの部屋の前で待ち伏せていた日野にバラの花束を渡されたマイは、これが小説の五章「界弾き」の冒頭だったことを知った。

 職場にもヒマワリの花束を贈り、如月と出かけた次なる事件現場にも姿を見せる日野の呪言に、徐々に縛られていくマイ。日野に囚われたマイを如月が助けに来た時、界弾きが始まり、終わった時、日野の姿はなかった。


 クライマックスへと流れる回です。

 隣人で、モブでしかないという小説での田中舞の立ち位置と、現状のマイの立ち位置との差を理解できていないがゆえに、マイは精神的に不安定になります。

 そんな中、霊能力者である日野から花束を渡されるところを如月に見られたことで、それが小説五章での田中舞の登場シーンだと気付いて、益々混乱することになるのです。

 その隙を日野に突かれ、マイは霊傷を受けて日野の暗示に囚われてしまい、ならば舞の力で麻衣を体から追い出して本来の脇役に戻ろうと考えます。

 結局、界弾きが起きたことでマイの自爆は中断され、如月の「マイが好きだ。マイがいないと、だめなんだ」という言葉で日野の暗示も解けました。けれど、界弾きにより妖魔は降臨してしまい…。

 マイの知識にない最後の戦いが始まるところで、この回は終わります。




第六章 闇の慟哭

 如月と想いを確かめ合ったマイは、防魔調査室へと足を踏み入れる。マイはそこで、舞がこれまでずっと守られ、そのたび記憶を消されてきたことを知る。

 舞が如月の隣に住んでいるのは、“場の安定したところ”に引っ越すよう誘導された結果だった。

 如月の助手として事件の解決に貢献したマイは、防魔調査室に転職することとなった。

 そして、マイは知らないが、小説「闇の慟哭」の最終巻では、田中舞がヒロインとして如月と結ばれていたのだった。


 解決編。

 界弾きにより降臨した妖魔との戦いを狂言回しに、舞が防魔調査室に守られてきたこと、そもそも舞が如月の“隣人”であること自体が舞を守るためだったことが語られます。特に、如月の“舞を傍に置いておきたい”という気持ち、舞がマイになったことが如月はじめ防魔調査室の面々にとって福音だったこと、などですね。

 如月の“あくまで陰に徹し人知れず守り続ける”という孤独と、日野の“霊能力を厭いながらも自分にはそれしかない”という虚無感が好対照になっています。如月にとってのマイと、日野にとっての麗奈もまた好対照です。如月→マイと、麗奈→日野という具合に、好意を隠しきれていないのに、受ける側が全く気付かず誤解している、というわけです。ここがそれぞれ通じたことで、救いが見えるというところも。

 そして、この第六章では、それよりも、ラストの“小説は、如月とマイをモデルに書かれたもの”というオチが重要です。これがあるからこそ、この「隣の田中」は素晴らしいのです。




 この「私は隣の田中です」という作品は、非常に計算された構造を持っています。

 本編を読み終わった後、第一章から読み直すとよくわかります。

 第一章の段階から、ずっと伏線が張られています。

 特筆すべきは、第三章で、作中作「青の弾丸」のキャラクター:南条について、如月が“向こうの世界での鈴木麻衣の恋人だったのではないか”と疑っていることです。

 如月の嫉妬として描かれていますが、実はこれは、こちらの世界の覗き屋が、向こうの世界の人間をモデルに小説を書いている可能性を示唆しています。

 第一~第三章で、毎回、覗き屋を話題にしておいて、第四、第五章では敢えて触れず、第六章でオチに使うというのが、実に計算されています。初見で、このギミックに気付いた読者はまずいないでしょう。

 ラストを見て「えっ!?」となって、第一章から読み返すと、そこかしこにヒントがあったことに気付く。この作品の素晴らしさはここにあります。

 退魔系アクション、小説世界に転移、すれ違い系ラブコメ、というよくある要素で組み立てているように見えて、きっちり世界観の説明もこなしているのです。

 ゲーム世界に転移であるとか、漫画の世界に転移であるといった作品は数多ありますが、“どうしてそんな世界が存在するのか”という部分をきちんと説明できている作品は、そうはありません。鷹羽が知っている範囲では、本作以外だと2つですね。

 鷹羽自身、「転生令嬢は修道院に行きたい」で、乙女ゲーム世界への転生を書いていますが、その世界がどうして存在しているのかについては触れていません。なぜなら、超常の力をもってしないと、そんな都合のいい世界が存在するはずがないからです。鷹羽の場合、キャラに“神の作為”であろうと予想はさせていますが、ぼかしています。

 先程挙げた“本作以外の2つ”では、神のような超常の存在が用意した異世界という扱いでした。

 それを、「田中」は、“元々存在していた異世界(パラレルワールド)を見ることのできる男が、それを題材に小説を書いた”と、主客逆転させてしまったのです。もちろん、これも超常の力で“見る”わけですが。

 “小説に似た世界と人物”なのではなく、“小説のモデルになった事件と人物”なのです。喩えるなら、3億円事件をモチーフに探偵ものを書くようなもの。似て非なるものなのは、むしろ当然です。

 そして、第二章では、“覗き屋が見るのは、同じ時間軸とは限らない”ことも示しています。つまり、“今現在のマイの行動を見ていた作者がそれを題材に小説を書き、それが麻衣が高校生の頃(10年前)に出版されている”ことに矛盾がないのです。

 「闇の慟哭」の作者である天道寺は、未来の時間軸のパラレルワールドを覗ける“覗き屋能力持ち”で、10年未来を見ながら、物語として機能するよう、如月をナンパなキャラとして描いたわけです。もちろん、最後は舞とくっつくという予定で。

 隣人で脇役のはずの田中舞が真のヒロインという展開は、しかし、小説だけを読んでいた編集者には受け入れにくかったはずです。

 だって、天道寺にとって、舞は元々如月の想い人だけど、編集者にとっては、物語の導入やヒント提示のために登場するガジェットでしかないのですから。

 麻衣自身が「全部合わせてもおそらく一ページになるかどうか。熱狂的なファンでなければ、その名字すら記憶しているかどうか怪しい」と言っているように、“実はヒロインでしたぁ!”なんて言われても、「はあ!?」という反応になるのが当たり前です。

 そして、ここでも“麻衣が最終回を読めなかった”ことが伏線として機能しています。


 「隣の田中」の読者と、「闇の慟哭」の読者は、当然のことながら、読んでいるものが違います。マイを通して語られる「闇の慟哭」の物語と、マイが巻き込まれる“現実”の事件が違うのと同様に。

 当然、「闇の慟哭」の最終巻では、第三章同様、“現実”とはまるで違う事件が起き、脇役だった田中舞が事件の中心でヒロインとして輝くのでしょう。

 それでも、一章から一緒にやってきた編集者には唐突感が残ったからこそ、出版に当たって揉めることになったわけです。



 そして、この“現実”と“小説”の温度差は、マイの主観にも存在するのです。

 マイが如月の想いに気付かないのは、マイが自分を“脇役”だと認識しているから。

 わかりやすい如月の愛情表現を受けてさえ、“如月は仕事でやっている”と受け取ってしまう。

 そして、如月に好意を抱き始めつつも、“自分は隣人でモブだから”と一歩引くわけです。

 これは、作者である秋月忍氏の作風である“へたれであるせいのジレジレ”なのですが、氏の他の作品と大きく違うのは、“田中舞は作中で単なる隣人である” とマイが認識している点です。

 「闇の慟哭」の田中舞は、事件には何ら関与せず、各作品で如月とすれ違う隣人として登場し、事件のヒントを与える程度の役割なので、当然、マイは自分もそうであると考えているわけです。

 序盤、「オーバーワークだ」と散々愚痴っているのは、そういう自覚故です。

 秋月氏がほとんどの作品で使う「ジレジレ」は、異様なまでに自己評価が低いために相手の言葉を曲解するというものです。場合によっては、ハーレム系主人公並みに鈍感で、読んでいてイライラすることもあるほどです。

 ですが、「田中」に関する限り、マイの“私は単なる隣人で脇役で保護対象”という自嘲的印象は、仕方ないものと言えます。

 だって、彼女が10年前から読んできた「闇の慟哭」の田中舞は、本当にそうだったのですから。

 “現実との乖離”に気付かないという鈍感さは勿論ありますが、それでも培ってきた先入観はなかなか拭いきれるものではないでしょう。

 更に、桔梗がことあるごとに「マイちゃんは?」と、さもマイが重要人物であるかのように持ち上げてくることで、“霊的魅力は高いかもしれないけどさ”と自虐的な方向に走りやすいというフォロー付きです。




 このように、「田中」は、作者によって張り巡らされた数多の伏線によって支えられた、計算された構造を持つ作品なのです。

 本編が全六章と短いのも、こういったシステマチックな構造を持っているからです。これ以上の話数にすると、冗長になってしまいます。

 編集者に見出されて書籍化されたのも当然と言えましょう。

 秋月氏ご本人も言っておられますが、秋月作品の中で、抜きん出た傑作と言えます。

 本編最終回まで描かれてこそ完成する世界。書籍版下巻の刊行を願ってやみません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 構成まで考えて読んだことがないですが、 “元々存在していた異世界パラレルワールドを見ることのできる男が、それを題材に小説を書いた” これが分かった時には「わあ…!」と思いました。 この時は…
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