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24 戦いすんで見上げる空にひとつ輝く僕の星(帰ってきたウルトラマン)

 1971年放送の「帰ってきたウルトラマン」は、鷹羽が初めてテレビで見たウルトラマンシリーズです。

 鷹羽が初めて買ってもらったソフビ人形はブルマァク製の新マン(多分30cmくらい)でしたし、幼い頃に使っていた食事用スプーンも新マンでした。

挿絵(By みてみん)

 これは、今でもデザートスプーンとして日々使っています。結婚する時も連れてきました。






 さて、この「帰ってきたウルトラマン」は、大変に不遇な作品です。

 何が不遇って、後のシリーズ設定変更などの絡みで、後付けの設定が増えてみたり、商品展開で不利だったり、最初の「ウルトラマン」からちょうど5年遅れで放送されたために、○十周年がことごとく「ウルトラマン」の○十五周年に塗りつぶされたり。

 せっかく彼女持ちだったのに、ヒロインが非業の死を遂げたり。

 枚挙に暇がありません。


 「帰ってきたウルトラマン」は、番組タイトルに反して、地球に来たことのないウルトラマンが主役です。この辺りは、大人の事情が絡んでいます。

 「ウルトラマン」最終回で、ウルトラマンはハヤタと分離して光の国に帰りました。

 元々、「ウルトラマン」という番組は、TBSの“空想特撮シリーズ”の第2作として作られています。第1作は、「ウルトラQ」です。

 この“空想特撮シリーズ”は、別名“ウルトラシリーズ”とも呼ばれ、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「キャプテンウルトラ」「ウルトラセブン」の4作品を指します。「キャプテンウルトラ」だけが東映制作です。

 ですから、本来「ウルトラシリーズ」は、円谷プロではなくTBSのものだったんですね。

 「ウルトラセブン」で、制作費の大赤字を出し続けて経営が疲弊した円谷プロは、一旦ウルトラシリーズから撤退し、TBSのウルトラシリーズもそれに伴って終わりました。


 その後、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」の再放送があったことで新作への期待が高まり、「ウルトラファイト」の好評をバネに、新作ウルトラマンの制作が決まりました。

 当初の企画では、“ハヤタと分離したウルトラマンが帰ってきて、新たな宿主と合体する”ということになっていて、だからこそタイトルが「帰ってきたウルトラマン」なわけです。

 ところが、ウルトラマンの人気を支える玩具メーカーから、“同じウルトラマンでは、新しい人形を出せない”とクレームが入り、急遽別人ということになりました。

 これにより、「帰ってきたウルトラマン」に登場するウルトラマンは、前作のウルトラマン(以下「初代」)とは別人ということになってしまい、看板に偽りありなタイトルとなったわけです。

 新たなウルトラマンは、番組中では単に“ウルトラマン”と呼ばれます。

 「帰ってきたウルトラマン」は、上記の事情から、個体名がなく、ファンは区別のため“新しいウルトラマン”ということで、“新マン”と呼んでいました。タイトルを省略して“帰りマン”という呼び方もありますね。そもそも、当初は番組に登場するウルトラマンは新マンしかいないはずだったので、個別の呼び方などは番組中では必要なかったのです。

 この辺りは、プリキュアシリーズが作中ではタイトルの冠(「Hugっと」とか「プリンセス」とか)は呼ばれず、単に「プリキュア」としか呼ばれないのと同様ですね。

 同様に、タイトルが「仮面ライダー」であるスカイライダーではうまく回避した部分です。

 スカイライダーは、過去のライダーの客演が多いので有名ですが、元々は客演させる予定はありませんでした。

 そのため、作中では単に“仮面ライダー”と呼ばれています。ただ、客演ライダーが登場する際は、区別のために“スカイライダー”と呼ばれます。

 呼び名に困った新マンを見ていたからでしょう、スカイライダーは、放送前から愛称として“スカイライダー”という呼び名をもらっていました。



 ともかく、そんなわけで、新マンには個体名がありません。

 ですが、次作「ウルトラマンA」では、初代と新マンがウルトラ兄弟として並び立つ必要があり、“ウルトラマン2世”なんて呼ばせています。

 2世というのは違和感がありますが、やはり作中で新マンと呼ぶのは躊躇われたのでしょう。

 1984年封切の「ウルトラマンZOFFY」において、いよいよ呼び名が必要となったことから、“ウルトラマンジャック”と名付けられてしまいましたが…。

 言っちゃあなんですが、巨大なお世話です。

 番組終了から10年以上も経ってから名前なんて付けられても、今更過ぎて愛着なんて湧くわけがない。

 むしろ、好きなものを汚された気分です。

 リアルタイム世代で、“ジャック”という名を気に入っている人には会ったことがありません。あまり気にしていない人というのは、たまにいますけど。

 郷秀樹を演じた団さんも、どこかのインタビューで、「今更名前なんか付けられてもねぇ」と困惑されていました。




 「帰ってきたウルトラマン」の放送された時代は、俗に“変身ブーム”と呼ばれますが、「スペクトルマン」に始まる各種の変身ヒーローとウルトラマンには、大きな違いが1つあります。

 それは、変身前後で人格が違うこと(・・・・・・・)

 ハヤタにしろ郷秀樹にしろ、ウルトラマンとは別人格であり、それぞれ1話ではウルトラマンと会話しています。

 「帰ってきたウルトラマン」では、それを活かし、“郷の意思では変身できない”という設定を盛り込みました。

 自分の意思で自由に変身できない変身ヒーローなんて、新マン以外では、エース(初期のみ)とスペクトルマンくらいしかいません。しかも、いずれも変身可能になること自体が変身シークエンスの一部になっています。新マンは、それすらありません。

 “人間として精一杯努力した後”とか“ウルトラマンと郷の意思が一致”とか色々な解釈がありますが、ともかく、この設定のせいで、新マンには変身アイテムがありません。自由に変身できないのにアイテムなんかあるわけがない。

 変身ブームの東映ヒーローが変身アイテムを商品展開の主軸にしていたのと対照的に、ウルトラマンが変身アイテム玩具を本格的に売り出すのは、1979年放送の「ザ・ウルトラマン」のビームフラッシャーが最初です。

 それまでの変身アイテムは、ウルトラリング(エース)やウルトラバッジ(タロウ)、レオリング(レオ)など、ギミックを仕込むのは不可能なものばかりで、隊員セットの一部として売られていました。変身アイテムセットには、これらリングやバッジがちゃんと含まれています。アイテムそのものがない新マンは、そういうところにも組み込めないという不幸を背負っていました。

 変身アイテムがない分、ウルトラブレスレットが商品化されることになるのですが、やっぱりちょっと違うかなぁ、と感じざるを得ません。

 余談ですが、新マンには、等身大で変身してその後巨大化、という展開が2回あります。巨大化する時にいつもの変身バンクが使われていて、あれが巨大化しているシーンであることを示唆しています。

 この点は、初代がダダに縮小されて人間大になった後、いつもの変身バンクで元の大きさに戻るシーンと同様ですね。

 ちなみに、等身大変身は、1つは郷が走りながらウルトラマンに変化し、そのまま巨大化するもの、もう1つはトンネル内で子供を抱き上げたまま変身し、トンネルの出口にいた人に子供を託し、外に出るなり巨大化するというものでした。

 等身大になると、新マンって背が低いです(笑)

 




 とまぁ、不遇っぷりを列記していくだけで1本書けてしまいそうなのですが、さすがに文句だけ書いていると鷹良箱の趣旨に反しますね。



 幼い頃、「帰ってきたウルトラマン」の全体的なイメージは、“キラキラ”でした。

 アバンタイトルの光、OPのバックの光、アイキャッチで字が出る時の光、変身シーンの光。

 そして、新マン自身の体のツヤ。


 ウルトラマン達の衣装(スーツ)は、基本的にゴムのウェットスーツです。

 どうも制作された時期によって違うものがベースになっているらしく、各ウルトラマンの本放送時のスーツは、それぞれかなり材質や色合いが異なります。

 例えば初代と新マンのスーツでは、銀色も赤も全く違う色です。

 ウェットスーツの材質や元の色が違うため、塗料のノリが違っていたり、そもそもゴムに定着しやすいよう、ボンドと塗料を混ぜて手作りしたボンド銀と呼ばれるもので塗っていたらしいです。

 初代が銀と朱色で塗られているのに対して、新マンは銀と赤です。銀もかなり印象の違う色になっていますね。銀にしても赤にしても、各ウルトラマンで微妙に違います。

 新マンと初代とでは、同じCタイプの顔のはずなのに、並べてみると全然違う。

 興味のない人には同じように見えるかもしれませんが、確実に違います。

 実は、新マンの方は、目のパーツをツリ目気味に付け直してあるそうです。

 首が銀色なのも、違うポイントですよね。

 新マンのデザインの特徴というと、初代と同じタイプのデザインでありながら短パン状(おむつ状?)のボトムと、模様の二重線でしょう。

 あと、綺麗な時のツヤ感ですかね。


 新マンは、夕日と土埃が似合う、とよく言われます。

 夕日が最も似合うウルトラマンといえば新マンです。これはもう鉄板です。

 そして、土埃にまみれて苦しい戦いをするのも新マンの特徴です。初代のような圧倒的な強さはありません。倒されて倒されてそれでも立ち上がるのです。

 グドン&ツインテールといい、シーゴラス&シーモンスといい、ナックル星人&ブラックキングといい、2対1で挟み撃ちされながら戦うことのなんと多いことか。

 ウルトラマンシリーズにおいて、2体の怪獣に挟み撃ちを受けながら1人で勝ったという戦いは、多くはありません。

 新マン以外では、ぱっと思いつくところだと、レオの2話くらいですか。

 新マンは、敗北の後にセブンや初代に救われたことはありますが、戦闘中に他のウルトラマンに加勢をもらって勝ったことはありません。そこがエースやタロウと違うのです。

 土埃は、戦闘中には誰も助けに来てくれない新マンだからこその、絶望的な戦いに必死に挑む姿の象徴なのです。


 一方で、鷹羽は綺麗な時の新マンも大好きです。

 変身直後の登場シーンの姿とか。

 あと、ですね。

 水に濡れた時のベールを被ったような独特のツヤは、ウルトラマンシリーズでも最高に綺麗だと思うのです。

 雨や湖、海など、水濡れのシーンが多いのも理由の一端でしょうか。

 新マンのデザインは、上記のとおり、初代やゾフィーと同系列でありながら、かなり違います。

 一般に特徴とされる二重線よりも、実は“銀色比率の高さ”が大きな特徴だったりするのです。

 この銀色の比率が、水に濡れた時の美しさを演出していると思います。




 さて、番組全体を見た時の新マンの特徴は、少々不本意ではありますが、“弱い”ことです。

 頼もしいヒーローだった初代や、戦闘的なデザインのセブンに比べて、いかにも弱いという印象を持たれているのは間違いないところで、仮にウルトラ兄弟最強は誰か? という話になった時、新マンを挙げる人はいません。大変悲しいことですが。

 これまた悲しいことに、“ウルトラブレスレット”を挙げる人はいるんですね。ブレスレットがあるから新マンは強いという逆説的な話です。“もうブレスレットが本体でいいじゃん”なんて暴論を吐く人までいる始末です。

 実際のところ、新マンは決して弱くはありません。

 初代だってセブンだって、自力で勝てなかったことは何度もあります。

 初代は、アントラーにはバラージの石がなければ勝てませんでしたし、ゴモラとの初戦では、尻尾で殴られて失神しているらしい描写があります。ゼットンには敗死すらしました。

 セブンにしても、キングジョーには歯が立たず倒したのはウルトラ警備隊、ガッツ星人には囚われ、ワイルド星人には魂を抜かれ、ダンカンには洗脳され、と案外負けが込んでいます。

 圧倒的な強さを見せるエピソードが多いせいで、負けが目立たないのでしょうか。

 そのため、ゴモラやゼットン、キングジョーはとてつもなく強かったんだ、という話になるわけです。

 その点、新マンは不利ですね。

 序盤である4話5話(と6話冒頭)で連続して負けたものだから、弱いという印象になってしまった面もあるでしょう。

 また、最初の敗戦相手であるキングザウルス三世が、バリアしか能のない一芸特化型で、大して強くなかったのも痛いですね。

 キングジョーみたいに本体が堅くてアイスラッガーを跳ね返すというのと、正面にしか張れないバリアに阻まれるのとでは、同じ勝てないでも意味合いが違いますから。

 実際のところ、あれはシナリオが悪いのです。

 空を飛べるウルトラマンが特訓して高くジャンプするという不条理が、情けなさに拍車を掛けてしまいました。


 ドラマの濃い前後編が多いのも、弱く見せる原因です。

 グドン・ツインテールとの戦いでは、ツインテールの卵を巡っての岸田隊員との対立や、東京を灰にする超強力爆弾(スパイナー)の使用を巡る上層部との対立、爆弾使用を阻止するためにMATの意地を掛けた決死の決戦。

 人間くさく、泥臭く、人間・郷秀樹が前面に出ている分、新マンが霞んじゃった面があります。

 シーゴラス・シーモンスでも、シーモンスの生態を巡るドラマが充実した分、イマイチ強い怪獣に見えなかったという弊害はありますね。東京を全滅させかねないほどの津波を起こす地球怪獣って、シーゴラスくらいなんですけど。

 テロチルスもそう。フラレ男の立て籠もりのドラマがメインです。

 ナックル星人とブラックキングについては、セブン暗殺計画ばりに新マンを徹底研究して倒していて、敵方の狡さ強さはよく出ていました。これでピンチを救ったのがMATならよかったんですけどねぇ。初代とセブンにいいとこ持ってかれてしまって。


 作品としての特色は、現実感です。

 「ウルトラマン」「ウルトラセブン」が、いずれも近未来感を演出していたのに対し、「帰ってきたウルトラマン」では、放送当時の風景が随所に見られます。

 MATの戦闘機であるマットアロー1号は、歴代で最も実在の戦闘機に近いデザインです。

 新マンのアクションも、スーツアクターである菊池英一さんが格闘技的なアクションをしているのが特徴で、スピーディーかつわかりやすい戦いを演出しています。

 一方で、初代やセブンに比べて制作費が少ない=特撮に金と時間を掛けられない分、安っぽい画面になっていることは否めません。怪獣プロレスなどと馬鹿にされたりもしました。

 この辺には、怪獣の着ぐるみ制作者が代わったことや、デザインから成田亨さんが抜けたことなども影響しているでしょう。怪獣のデザインセンスも造形レベルも、格段に落ちました。

 さらには、前2作と違って予算を掛けられない分、映像もチープになっています。

 というか、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」では、予算の持ち出しによって高レベルをキープしていたわけで、こちらが普通なんですけどね。

 先に挙げた土埃も、ビル街での戦いじゃない=セットをケチった、という見方もあるわけです。

 「狙われた女」の回では、怪獣と新マンが海に入るシーンがありますが、本当に海で撮影しているので、ものすごくチープに見えます。

 マットシュートも、合成の手間と金を省くため、途中でビームから火薬銃に変わっています。「A」「タロウ」では、最初からビーム銃は持っていません。

 それでも、同時期の円谷プロ制作の「ファイヤーマン」や「ジャンボーグA」に比べれば、レベルは高いですけどね。




 また、良くも悪くも、「帰ってきたウルトラマン」は大人向けのドラマのエッセンスが強いです。

 メインライターである上原正三氏の作風でもあるのでしょうが、良く言えば地に足のついた、悪く言えば人間の汚さを前面に出した物語が展開します。

 ちょっとおさらいしておくと、郷は高校を出た後、田舎から上京してきて坂田自動車修理工場で働きながら、坂田と一緒にレーシングカーを設計・制作して自動車レースに出ることを目指す青年でした。

 坂田は、レース中の事故で足を痛めたため、自分と組んでレーサーをやってくれる人間を必要として、郷を雇っていたのです。そんな中、郷は坂田の妹アキと恋仲になり…という、地に足の着いた設定でした。

 坂田は、郷の人柄などを相当気に入っていたようで、アキとの仲を応援し、1話では、郷の死に際して、5年もの歳月とそれなりの資金を注ぎ込んで作ったレーシングカーを手向けに燃やすほどの思い入れを見せています。

 また、郷がMATに入った後も、結局“組む相手は郷しかいない”と、MATが休暇の日は郷を呼んでいます。

 郷の田舎には母親がいるのですが、田舎がどこかは触れられていません。息子が死んだと連絡されているであろうに病院に駆け付けられないところを見ると、かなり遠いところでしょう。なにせ、回想で「レースに勝って賞金もらったら、田舎の母さん呼んで一緒に暮らそうかな」と言っているくらいです。

 こんなに細かいところまで設定された主人公は、ウルトラマンシリーズでは、ダイナまでいませんでした。

 まぁ、メインライターの上原氏は、そういう細かい設定をすぐ忘れる人なので、小学校の同級生の家が東京にあったり、会って4か月の伊吹隊長に、私にはあなたという父がいましたみたいなことを言ったりして、とっても不安定なんですけど。



 俗に“ガキ向けにチャチになった”と言われることの多い第2期ウルトラですが、「帰ってきたウルトラマン」は、人間ドラマという面では第1期を凌駕します。

 ただ、爽快とは言えない人間模様やドラマは、メイン視聴者である子供には辛かったでしょうね。

 鷹羽は、本放送当時は小さすぎて、こういう細かいところは見ていなかったと思います。

 本放送当時のイメージは、郷が瓦礫の下敷きになったり水に落ちたりすると変身するってことと、体でぶつかっていく新マンのアクションくらいでしょうか。

 ウルトラブレスレットは、光になって飛んでいくイメージです。

 以前にも書きましたが、鷹羽のウルトラマン原体験は、従兄からもらった「ウルトラマン」の子供向けムックです。

 動いているウルトラマンを見たのは、新マンが初めてだったと思います。──実は、ちょっと自信がなくて、父が日直で出勤した日に、職場のテレビがカラーテレビに入れ替わって、その場に居合わせたんですが。そこでセブンの「U警備隊西へ(前編)」のラスト、キングジョーとの戦いが映ったんですよね。その後はセブンを見ていないので、再放送だったのか、隣県の放送が入っただけだったのかもわからないのです。ただ、「仮面ライダー」の2号編を父の職場のカラーテレビで見た記憶はありますので、1971年の冬より前だったのは確実です。

 ちなみに、キングジョー戦のセブンの中身は、新マンと同じ菊池英一さんです。というか、ここでピンチヒッターでセブンを演じたことが縁で、新マンのオファーが来たそうです。


 いずれにしても、1回限りでなく1年通して初めて見たウルトラマンは新マンなので、鷹羽にとって、ウルトラマンのアクションのスタンダードは新マンなのです。

 スノーゴンのバラバラ事件は、なんか覚えてます。バラバラになっても元に戻れることに、無敵なんじゃないかと思ったものです。子供だから、単純です。

 まだビデオデッキなんか一般家庭に普及していなかった時代ですから、その後の新マンのイメージといえば、「A」「タロウ」「レオ」に客演した姿です。テンペラー星人の時以外、ロクなもんじゃない。

 ヒッポリト星人の時は泣きましたね。ウルトラの父の死に。

 ウルトラブレスレットがあれば、ブロンズ像からも復活できるのでは? とは、後に思いましたが、当時はそこまで気が付きませんでした。

 そして、ドロボンの時は、ぺちゃんこになった新マンに衝撃を受けました。カラータイマーが取れるなんて思いもしなかったし、取られたらぺちゃんこになるなんて、思いもしなかったので。ぺちゃんこ状態から復活する姿に、“浮き輪みたいだ”と思ったのは内緒です。片手で足りる年齢だったのに、かわいげがないなぁ、我ながら。




 そんなわけで、改めて「帰ってきたウルトラマン」を見たのは、1978年頃の再放送でした。

 当時、新潟では、月~金の朝6時過ぎから放送していて、父のいびきに邪魔されながら、父の寝室のテレビで見ていました。

 初代もセブンも放送していたので、初代「ウルトラマン」をテレビで初めて見たのもその頃ということになります。


 小学生が見てもね、「帰ってきたウルトラマン」は面白いんですよ。

 OPも、きちんと歌詞に意味があるのは新マンからなんです。

 ウルトラマンシリーズのOPで、歌詞がストーリー仕立てになっているのは新マンだけじゃないかな?

 この傾向は、没主題歌「戦え!ウルトラマン」だと更に顕著です。

 没主題歌の方は、庵野監督が素人時代にゼネプロで撮った「帰ってきたウルトラマン」で知られています。知る人ぞ知る、レベルですが。

 小学生だと、ストーリーもそれなりにわかるわけです。

 2話での郷の超人ぶり、坂田さんに拒絶されてくさるところとか、ちゃんとわかる。

 ところどころ、“このシーン、見たことある!”だったりして、それもまた楽しかった。

 描写とかも、ちょっと大人向けな感じのものが多いですね。

 個人的には、オクスターの話とか好きです。



 上で挙げた「狙われた女」では、紅一点の丘隊員が怪獣に憑依されて次々とミス(に見えるテロ行為)を続け、休暇という名の謹慎を食らいます。

 その後、怪獣が出現したのに、丘が連絡を寄越さないことに不安を感じる隊長。

 謹慎させられたことを苦に自殺したんじゃ…と、丘の自宅に電話を入れると、ちょうど丘が帰宅、「お酒を飲んだみたいな…」というお母さんの言葉に、“ふてくされて地下のバーか何かで飲んでいたから、怪獣出現のニュースを見ていなかったんだ”と安心する隊長。

 この流れが、メチャメチャ痺れます。

 これ、「帰ってきたウルトラマン」の中での描写ですよ! 隊長とお母さんの会話も敬語とかある程度使っていて、今見ても大人の会話になってます。

 その前後で、隊長他2名がウイスキーを飲み、その後マットアローで出撃しているのはご愛敬。“むしろ謹慎すべきは隊長では?”とか言っちゃいけません。戦いの後、現場で酒を飲みながら魚焼いて食ってますけど、その酒、出撃する時に持ってきたんですよね?


 とまぁ、若干首を捻るところもありますが。

 よく“第2次ウルトラ”として、子供向けであることを揶揄されますが、「帰ってきたウルトラマン」は、アダルティなのです。

 ほかにも、「ふるさと地球を去る」では、MATガンを延々撃ち続ける子供に不安を感じた南隊員が「もうよせ!」と強い口調で言ってから“しまった”って顔をして、ニコリと笑い、「もう、いいだろう」と言い直すシーンとか、色々あるんですよ。



 そういうテーマ性が特に強いとされるのが、“11月の傑作群”です。

 遺伝子操作で生み出した怪獣レオゴンを殺すことができず、反対に食べられてしまった科学者を描く「許されざるいのち」、伊吹隊長の娘がかばった可哀想な少年が実は宇宙人で、娘を利用していた「天使と悪魔の間に」など、救いのないお話が多いです。

 中でも、「帰ってきたウルトラマン」といえばこれ!的に言われる「怪獣使いと少年」。

 気味が悪いからといって少年を「宇宙人だ」と虐めていた中学生達が、いざ宇宙人の力(念力)で犬を殺されると蜘蛛の子を散らしたように逃げる。少年を虐める理由として「宇宙人だ」と言っているだけで、本当にそうだとは思っていないわけです。もし本当に宇宙人だと思っているのなら、反撃されたら自分が死ぬんですから、安易に手を出せるわけがない。

 結局、この中学生達のせいで、罪もない、というか、怪獣を封じてくれていたメイツ星人が警官に射殺され、怪獣が復活して街に甚大な被害が出たわけです。郷が必死にやめろと言っていたのを無視して、です。

 鷹羽は、今でも、こいつらには死をもって償わせるべきだったのではないかと思います。きっと鷹羽が演出したら、こいつらが戦いの余波で死んだんだろうなぁ、という服の切れ端とかを一瞬映して溜飲を下げることでしょう。

 あと、郷の制止にもかかわらず発砲した警官も、しかるべき処罰を受けるべきでしょう。


 2006年放送の「ウルトラマンメビウス」はウルトラマンシリーズ40周年記念ということで、過去のウルトラマン作品のオマージュなどを多くやっています。

 「帰ってきたウルトラマン」からも、ウルトラ5つの誓いの1つ「他人の力を頼りにしないこと」が本編中で活かされていたりします。

 また、光の国では“他人を兄弟と呼べるほど信頼関係を築く”ことにものすごく憧れがあるという話も語られます。坂田亡き後の郷と次郎くんの関係性から、“ウルトラ兄弟”という他人の集団の存在に意味を与えてみせたわけです。

 ほかにもツインテールがエビのように海を泳いでみたり、コダイゴンを研究して作られた“無機物を怪獣化する薬品”が登場したりと、うまく料理していることが多いのですが。

 唯一、「怪獣使いと少年」の後日談として描かれた「怪獣使いの遺産」は、いただけませんでした。

 「怪獣使いと少年」は、地球人に嫌気が差し、メイツ星に行くべく宇宙船を探して穴を掘る少年の姿で終わります。

 それなのに「メビウス」で、昔その少年を見たという人が、少年は楽しそうに穴を掘っていたと話すのです。

 たしかに、あの陰惨なラストをそのまま持ってくるわけにはいかなかったでしょう。

 けれど、だったら、あれを題材になどしなければよかったのです。

 救いを与えたかったのなら、正面からあの薄汚い人間のエゴに相対し、自分なりの解決を描けばいい。

 もしも、少年がいつの間にか宇宙船を見付け出してメイツ星に行き、復讐の戦団と共に帰ってきたとして。戦えますか? 純粋に、何の罪もないのに地球人に殺された宇宙人の関係者が復讐に来たとして、“無関係な人を巻き込むな”と殺せますか? 地球を守るためには戦わざるを得ないでしょう。ですが、それは「超兵器R1号」以上に救いのない戦いです。

 メイツ星人側から見たら、たまたま訪れて帰れなくなっただけの同胞を殺され、復讐しようと思ったら、それも全滅された、ということになります。どう見ても地球人が悪いです。

 元々「怪獣使いと少年」は、集団に溶け込めない者、社会的弱者を、言い掛かりを付けて迫害する人間、相手が強いとわかると数の暴力で押し切ろうとする卑劣な人間、自分が危なくなると、さっきまで無視していた相手に助けろと迫る身勝手な人間、という現実にもある人間の醜さを描いた作品でした。そんな中、パン屋のお姉さんだけが少年にパンを売ってくれて、「同情じゃないわ。パンを売るだけよ。だって、うち、パン屋だもの」と言った姿が僅かな救いとなっていました。

 これ、生半可な覚悟で触ってほしくないですよ。「帰ってきたウルトラマン」どころか、ウルトラマンシリーズ全体で見たってトップクラスで重いテーマの問題作なんですから。

 ちゃんと、ウルトラの星は見えていましたか?

ウルトラファイト

 1970年から放送された5分間番組。

 経営が疲弊した円谷プロが、金の掛からない番組を作ろうと企画した。

 当初は「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の戦闘シーンなどの再編集ものにプロレス風ナレーションを入れたものだったが、大受けしたため、浜辺でセブンと怪獣が殴り合うだけといった超絶チープなものも新規撮影された。



変身可能になること自体が変身シークエンスの一部

 ウルトラマンエースは、エースと北斗・南がそれぞれ別人格で、エースが“変身してよし”と判断した時点でウルトラリングの石が光る。北斗と南がリングが光ったのを確認してから「夕子~!」「星司さ~ん!」と呼び合って変身(ウルトラタッチ)するのがデフォだった。

 後期、北斗が1人で変身するようになったため、この演出は消えた。


スペクトルマン

 1971年放送の特撮ヒーロー物。

 宇宙の平和を守るネビュラ71遊星から派遣された戦闘用サイボーグ。地球人と同じ姿に改造されており、電送された戦闘用のコスチュームを纏うことで能力が発揮される。

 ネビュラの意思によって縛られており、その指示には従わなければならない。

 命令違反すると、機能を停止されたり、最悪分解刑に処される。

 変身に際しては、ネビュラから「スペクトルマンに告ぐ。直ちに変身せよ」の指令に右手を挙げて「了解」と答える、あるいはスペクトルマン側から「ネビュラ、変身願います」「よろしい、変身せよ」で、コスチュームが電送されて変身する。

 戦闘中には、武器の使用についてさえ指示されることもある。



第1期ウルトラ、第2期ウルトラ

 一般に、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」を第1期、「帰ってきたウルトラマン」「ウルトラマンA」「ウルトラマンタロウ」「ウルトラマンレオ」を第2期と呼ぶ。

 「帰ってきたウルトラマン」以降の作品の存在により、「セブン」までと区別するためにできた呼び方であり、公式のものではない。

 また、TBSの“空想特撮シリーズ”も「キャプテンウルトラ」も忘れ去られた後のものであり、“ウルトラといえば円谷”となった時代の呼び方である。

 なお、「ザ・ウルトラマン」「ウルトラマン80」を第3期ウルトラと呼ぶこともないではないが、特撮なのが「80」だけであるため、ごく少数派である。

 また、「ウルトラマンティガ」「ウルトラマンダイナ」「ウルトラマンガイア」は、第4期ではなく“平成ウルトラ3部作”と呼ばれる。


庵野監督が素人時代にゼネプロで撮った

 ガイナックスの大元となった「ゼネラルプロダクツ」というガレージキットや素人作のビデオ作品を輩出していた会社がある。

 エヴァンゲリオンで有名な庵野監督は、ここで「帰ってきたウルトラマン」を撮っていた。

 登場するマットアローはガレージキットを使用、ウルトラマンは庵野監督自身がジャージの改造・素顔で演じたというちょっとカルト的伝説の作品。


「怪獣使いと少年」

 数年前に地球を訪れたメイツ星人が、たまたま出現した怪獣ムルチを封印した。

 メイツ星人は、自分の宇宙船を地底に隠して地球に滞在したが、環境汚染によって体を壊し、宇宙船を地上に出すことができなくなった。

 彼と同居するようになった孤児の少年は、彼の代わりに宇宙船を掘り出そうと、日々穴を掘る。だが、その姿は周囲から奇異に映り、宇宙人だと噂されるようになる。

 中学生が少年にけしかけた犬をメイツ星人が(こっそり)念動力で始末したことから、少年は宇宙人としてリンチに遭いそうになり、それを助けようと姿を現したメイツ星人は、郷の制止にも関わらず発砲した警官の銃弾で死亡、ムルチは封印が解けて暴れ始める。

 「MATだろう、怪獣を倒してくれ」と叫ぶ民衆に、郷は「勝手なことを言うな! 怪獣を出現させたのはあんた達だろう」と怒るが、放っておくわけにもいかず変身してムルチを倒した。

 その後、相変わらず宇宙船を掘り出すために穴を掘る少年の姿があった。

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