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2 これが我らの生きる道(アクマイザー3)

 特撮やアニメの主題歌には、色々なパターンがあります。

 名曲・燃える曲が多い反面、歌詞だけ見ると「なんじゃこりゃ?」な歌も多いですね。

 最も有名なのが、「超人バロム・1」のオープニング「ぼくらのバロム・1」 でしょう。

 「マッハロッドでブロロロロー、ブロロロロー、ブロロロロー!」から始まるこの曲は、擬音などを削っていくと「マッハロッドでぶっ飛ばすんだ、魔神ドルゲをやっつけるんだ、みんなで呼ぼう、必ず来るぞ、超人僕らのバロム・1」と、短いながらも案外まともな歌詞になっています。

 のっけから余談ですが、この「超人バロム・1」の出演者は大変豪華です。

 「ルパン三世」で次元大介を演じる小林清志、「超電磁ロボ コン・バトラーV」で南原ちずるを演じる上田みゆき、「科学忍者隊ガッチャマン」でベルクカッツェを演じる寺島 幹夫、主題歌も歌っている水木一郎の諸氏が顔出しで出演していたりします。

 バロム・1に変身する2人のうちの1人:白鳥健太郎を演じた高野浩幸氏は、「ウルトラマンティガ」でキリエル人の人間体を演じていたり、「ウルトラセブン」でペロリンガ星人の人間体を演じたりもしています。




 ちなみに、あまり意識されることはないと思いますが、「ウルトラマンの歌」も相当とんでもない歌詞です。

 ちょっと思い出してみてください。

 「胸に着けてるマークは流星」って、これ、科学特捜隊(科特隊)の制服の胸に着いてる流星バッジのことですよね。

 「自慢のジェットで敵を討つ」だって、科特隊のジェットビートルです。

 それなのに、「光の国から僕らのために来たぞ我らのウルトラマン」と続くんですよ!

 2番こそベータカプセルが光ってウルトラマンが出現するという内容ですが、1番も3番も、途中まで科特隊を褒め称えておいて、いきなり手の平を返してウルトラマンを歓迎するんです。

 みんな、どうして不思議に思わないのかなぁ…。




 拙作「FALL IN LOVE ~それは、坂道を転がり落ちるように~」4話「結婚する気はありません」の中で流れる「宇宙猿人ゴリなのだ」の歌詞は、「惑星Eから追放されたこの悔しさを忘れはしない。宇宙を旅して目に着いた地球を必ず支配する。私は科学者、宇宙猿人ゴリなのだ」と、とてもまともです。

 一方、途中でオープニングに昇格した「スペクトルマン・ゴーゴー」は、擬音やスペクトルマンの連呼を外していくと、「地球の防衛するためにネビュラの星からやってきた超能力のサイボーグ」と、スペクトルマンの紹介をしているだけだったり。


 特撮番組の主題歌は、ヒーローの名前の連呼と擬音が主成分であることが多いです。




 で、今回のタイトルとなっている「これが我らの生きる道」ですが、「アクマイザー3」のオープニング「勝利だ!アクマイザー3」の歌詞の一部です。

 これもまた、名前が連呼される歌なのですが、例によって連呼等を削っていくと、「輝けジャンケル空高く、技と力と心が通う、行く道1つただ1つ、これが我らの生きる道」と、訳がわかりません。

 「アクマイザー3」は、アクマ族の反逆者ザビタン、イビル、ガブラの3人が、ジャンケルと呼ばれる剣を使ってアクマ族と戦う“変身しない”ヒーローです。

 要するに、常にアクマ族の姿(着ぐるみ)のままです。

 戦う前の名乗りに相当する部分で、3人がそれぞれ剣を重ねて天に掲げ、「唸れジャンケル! 我らアクマイザー3!」とやります。

 「輝けジャンケル空高く」というのは、このシーンを表します。


 この「アクマイザー3」は、地上を征服しようとするアクマ族に対し、アクマ族の裏切り者であるザビタン達3人が戦いを挑むという物語です。

 アクマ族は、遙か昔に地底ダウンワールドに住むことを選び、体をサイボーグ化して環境に順応した人類で、地上の人間を滅ぼして地上をも自分達のものにしようとしていますが、アクマ族の父と人間の母の間に生まれた混血児ザビタンは、それに異を唱え反逆します。

 ザビタン討伐隊の一員であったイビルとガブラは、ザビタンの心意気に惚れてやはり反逆し、3人でアクマイザー3を名乗ることに。

 なにしろかつての同胞を相手に戦うわけですから、因縁には事欠きません。

 ザビタンは「反逆を喜んで泣きました」と言った母を処刑され、親友サイレーンと敵対し、イビルは婚約者ダイアナと敵対し、かつての上司オオカミーダと戦い、ガブラも幼なじみユキオンナと戦うことになりました。

 ザビタン達は、「人間を守る」という信念の下、親友と、婚約者と、幼なじみと戦うことになります。

 苦悩しつつも、彼らは人間を守る戦いをやめません。

 こんな重たい作品でしたが、東映特撮にはよくある話で、途中で路線変更されてコメディタッチになり、ザビタンは人間の姿になれるようになったりします。

 それでも、人間を守るために我が身を捨てて戦うという信念は変わらず、最終回では、使えば必ず死ぬとわかっている技を使い、アクマ族の地上侵略主戦派の代表を倒して相討ちで終わるのです。

 「行く道1つただ1つ、これが我らの生きる道」…人間を守るために全てを捨てて戦った彼らは、正にこの言葉を体現していました。




 拙作「奇蹟の少女と運命の相手」で、28話のサブタイトルを決める際、かなり考えました。

 28話は、それまで“何のために研究するのか”という目標を持たなかった主人公ローズマリー(マリー)が、“私の作った作物に、多くの人が笑顔を浮かべる、そんな研究を目指しましょう”と方向性を定めるエピソードです。

 ここで、マリーは、一部の貴族のためでなく、自分の実家のためでもなく、国のためという漠然としたものでもなく、市井の民が喜ぶものを作ると決めたのです。

 鷹羽は悩んだ末に、サブタイトルを「私の生きる道」としました。

 鷹羽は、小説を書く際、アニメや特撮、ゲームのネタをメタ的に入れることはしません。

 小説はその世界観の中で動かすべきという信念による拘りです。

 そのルールで行くと、サブタイトルを特撮絡みから持ってくるというのは反則ギリギリです。

 しかし、マリーにとって、今後の指針となる大切な骨子です。

 決して揺るがぬ強い想いであるべしとの願いを込めて、そのものズバリで使わずに「私の生きる道」としたのです。

 鷹羽とマリーの想いを汲んでいただけると嬉しいです。

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