王城からの使い
珍しく、食堂に男の怒鳴り声が響く。
まだ昼前なので客がいないから良かったが、いたらさぞ眉を顰めたことだろう。
俺は厨房からそっと様子を窺いつつ、溜め息を吐いた。
食堂ではウスルを相手に息を巻く傷一つない綺麗な鎧を着た男達の姿があった。背中にマントを付けている辺り、王城から来た騎士か何かだろう。
ウスルの背後ではケイティ達が怯えているし、さっさと帰ってもらいたいのだが……。
俺がそんなことを考えていると、後ろからナナが来て俺の隣に立った。
「……あの、例の作戦とやらはどうなったのですか?」
「いや、まさか開店前に来るとは……ドア壊れそうなくらい叩くし……」
俺がそう文句を言うと、ナナは息を漏らすように笑った。
「アクマ様の予測が外れることもあるんですね。少し、安心しました」
「アクメや」
ナナの言い間違いを指摘した俺は、ナナを振り返って口を開いた。
「仕方ない。こちらから動くしかないか……とりあえず、フルーレティーに急ぎになったと伝えてきてくれ」
「はい。すぐに」
俺が指示を出すと、ナナは詳しく聞き返すこともなく返事をし、厨房の奥へと消えた。
ナナの背を見送った俺は、また厨房へと視線を向ける。
「まったく……面倒ったらありゃしない」
俺はそう呟き、溜め息を吐いた。
「だから、さっさと女を出せと言っている!」
厳つい顔つきの男がそう怒鳴ると、ウスルはがに股で椅子に座ったまま首を左右に振った。
「……いないらしい……」
ウスルがそう言うと、男は床を何度も踏みつけながら声を荒らげる。
「だ、か、ら! いないらしいとはなんだ!? いないらしいとは!? いないのか!? 居留守なのか!? それとも貴様が分からないだけなのか!?」
「……そう言えと言われている……」
「あぁん!? じゃあ居留守だ! 居留守ってことじゃないのか!?」
「……いや、居留守ではない……」
「意味が分からん! 貴様は本当に言葉が通じているのか!? それとも私をからかっているんじゃないだろうな!?」
今にもウスルに掴み掛かりそうな男の剣幕に、ウスルの後ろの方で身を寄せる少女達が小さく悲鳴を上げる。
食堂の掃除をしていて戻るタイミングを逃したのだろう。ケイティやシェリル、ティナとミアの四人がチラチラとこちらを見ている。
俺が出るのはリスクが高いから出ないが、かといってエリエゼルを出せばそのまま王の下まで連れていくという話の流れができてしまう。
時間稼ぎも限界か。
俺はそう思い、そっと厨房から手招きをしてケイティを呼んだ。
そっとこちらへ歩いてきたケイティに、俺は特徴的な形のビンを十本ほど出して配膳台に乗せた。
「これを持っていってくれ」
俺がそう告げると、ケイティはそれだけで意味を理解し、大きく頷いた。
「持っていってきます!」
ケイティはそう言って笑顔でラムネの乗った配膳台を押していく。
開けて面白く、飲んで美味しい。爽やかな味もまた苛立ちを抑えてくれるかもしれない。
俺がそんなことを思いながらケイティの後ろ姿を見守った。
「皆さん、これを飲んでみてください」
ケイティがそう言いながら男達に近付いていくと、ウスルに正面から文句を言っていた男が顔を赤くしてケイティに振り返った。
そして、配膳台を横から蹴り倒した。
「ふざけるな! 女子供は引っ込んでおれ!」
男が大声を張り上げてケイティを怒鳴る。
ケイティは男の声にビクリと体を震わせ、次に地面に転がるラムネのビンを見た。頑丈なビンなのだが、何本かは割れてしまい、床にラムネが漏れ広がっていく。
ケイティが目に大粒の涙を湛え、床に落ちたラムネのビンを拾い集め始めた時、俺は我慢の限界を迎えた。
「何をしているっ!」
俺が今まで出したことの無いような怒声と共に食堂へ飛び出ると、皆の視線が俺に集まる。
怒りに周りが見えなくなった俺は、一直線に配膳台を蹴った男へと向かい、ウスルの手に止められた。
俺はウスルの斜め後ろでなんとか踏み止まり、男を睨み付ける。
「……その子に謝れ」
俺が低い声でそう言うと、男は丸い鼻ひげを揺らし、俺を睨み上げるように見据えた。
「無礼な! ワシをコルソン男爵と知っての物言いか!? 貴様も貴族とでも言うつもりか!?」
コルソン男爵という丸い鼻ひげの男にそう言われ、俺は一度口ごもり、なんとか取り繕った答えを口にする。
「お、俺はシェフだ! その子は俺の大事な部下だぞ、この野郎!」
俺がそう怒鳴ると、コルソンは片方の眉を上げて鼻で笑った。
「シェフだぁ? 料理人ごときがこのコルソン男爵に何を言った!? 貴様の小汚い部下なんぞ知ったことか! この度重なる無礼、到底許せるものじゃない! こんな食堂なぞ、明日にでも潰してやるぞ!」
コルソンがそう吠えた瞬間、食堂の入り口が開く鈴の音が響いた。
「……おいおい。誰かこの店を潰すとか言わなかったか?」
「……なんだと?」
「そいつは聞き捨てならねぇな」
そんなことを口々に言いながら現れたのは、グシオン率いる冒険者達である。
店内の席が満席になりそうな大人数で押し寄せてくる冒険者達に、コルソン達は慌てて向き直った。
「ぼ、ぼ、冒険者風情が何を言うか!?」
コルソンがそんな虚勢を張ると、グシオンが眉根を寄せてコルソンの顔をじっと観察する。
「なんか見たことのある顔だな、サヴノック」
「……確か、貧乏領地を辛うじて回している落ち目の貴族だったか……王都中の冒険者を敵に回せるような器ではないと思うが……」
グシオンの問いにサヴノックがそう答えると、コルソンの顔は見る見る間に憤怒に染まっていった。
「こ、こ、この、無礼者共が! ワシは王から重要な案件を受け持ち、此処に来ておるのだ! ワシに逆らうということは、つまり国王に逆らうということで……!」
「お待ちください」
コルソンが決定的なセリフを口走りかけたその時、食堂にエリエゼルが姿を現し、一言そう言った。
一瞬の静寂が訪れ、エリエゼルはその沈黙の中をゆっくりと歩む。
さっきまであれほど怒り狂っていたコルソンも、その後ろで殺気立っていた兵士らしき男達も、凛とした雰囲気で歩くエリエゼルに吸い寄せられるように顔を向けていた。
そんな顔を順に眺め、エリエゼルは薄っすらと微笑んだ。
「コルソン卿? その発言は、この国の総意を貴方様が代弁するに等しいものとなります。 冒険者全員を敵に回す……中々の決断かと思いますが、責任は全て、コルソン卿がお取りになるのでしょうか?」
「ぬ、ぐぐぐ……!」
エリエゼルの質問に、コルソンは悔しそうに歯を嚙み鳴らす。エリエゼルはそれを眺めて笑みを深め、顔の前で指を一つ立てた。
「コルソン卿……一つ、妙案があります」
エリエゼルが悪戯めいた微笑みを浮かべてそう言うと、コルソンは喉を鳴らしてエリエゼルの微笑に顔を赤らめる。
「な、なんだ!?」
照れ隠しなのか、コルソンが怒鳴りながら聞き返すと、エリエゼルは焦らすようにゆっくりと口を開いた。
「もしも、今話題のダンジョンの地底湖からオリハルコンの短剣を持ち帰ったなら、王城へと赴きましょう」
エリエゼルがそう言うと、コルソンは目を瞬かせた。
「……お、オリハルコンの短剣、だと……!? ど、何処でそんな話を……!?」
驚愕に目を見開くコルソンを眺めて、エリエゼルはグシオン達に顔を向ける。
「確か、冒険者の方の誰かがそんなことを言っていらしたような……」
エリエゼルがそう呟くと、冒険者達は一斉にグシオンに目を向けた。その視線を受け、グシオンは慌てた様子でエリエゼルを見て口を開く。
「ば、馬鹿! それは内緒だって言っただろ!?」
下手くそ!
俺は思わずそう叫びそうになった。なんだ、今のワザとらしいセリフは!
そんなことを思いながら俺が半眼でグシオンを睨んでいると、コルソンがグシオンを振り返った。
「貴様……わざと報告をしなかったな? この事は陛下に報告をするぞ! そして、女! 先程の言葉、忘れるでないぞ!」
コルソンはそんな捨て台詞を残し、食堂を後にした。
冒険者達から質問責めに合うグシオンを横目に、俺はケイティの方へ歩み寄る。
「大丈夫か?」
俺がそう尋ねると、ケイティは悔しそうに俯いたまま、俺に頭を下げた。
「申し訳、ありません……ご主人様の用意してくれたラムネが……」
「いや、気にするな。ラムネはまた出せるからさ」
俺がそう言うと、ケイティは涙を零しながら唇を噛む。
「私は、ご主人様が馬鹿にされてしまったようで、悔しくて堪りませんでした……そして、その相手をそのまま帰してしまった自分にも腹が立って仕方がないんです」
ケイティは感情を吐露するように早口にそう言うと、涙を片手で拭って立ち上がった。
「申し訳ありません……少し、頭を冷やしてきます……」
ケイティはそれだけ言うと、厨房へと走っていってしまった。
俺は見たことの無いケイティの悔しそうな顔と涙声に何も言えず、その切ない後ろ姿を見送った。
俺はケイティが並べた配膳台の上のラムネのビンに視線を移し、眉根を寄せる。
「……ちょっと許せないな、あの馬鹿男爵」
俺がそう呟くと、ウスルがケイティの拾い集めたラムネの一本を持ち、上の部分を割って中身を喉に流し込んだ。
「……美味い……」
ウスルはそう言って、空のビンを配膳台に置く。
ラムネの供養のつもりか、ウスル。
また変な貴族を出してしまった……。




