三号店
フルーレティーから何やら話があるということで、ウスルが相手をするのを俺は厨房から眺めている。
ちなみに、フルーレティーはなぜか本題ではなく、色々と愚痴のようなことを言いながら徐々に用件を話していた。
入り口からは最も奥であり、厨房からは一番近い席でウスルとフルーレティーが向かい合って座っている。
「——ってことだから、協力してくれてる商人に多少の旨味は与えないといけないの」
面倒臭そうにそう言うフルーレティーに、ウスルは浅く顎を引いた。
「……それで、三号店は何処に作る……?」
ウスルがそう口にすると、フルーレティーは腕を組んで溜め息を吐いた。
「貴族街」
その一言に、俺は思わず眉根を寄せる。
「……必要な金と場所、物資は提供する代わりに純利益の半分が欲しい、と……」
ウスルがそう言うと、フルーレティーは肩を竦めた。
「基本的に貴族の息が掛かった店しか貴族街には出せないから、商人達にとって貴族街に店を構えるのは一つの夢なんだけど……この地下食堂からすると良い話とは言えないかもしれないわね」
と、フルーレティーは語る。
純利益の五割。
恐らく、適正価格か安いくらいの設定なのだろう。
大商人という話だが、それでも貴族街に持てる店の数は限りがあるはずだ。その中の一店をこちらに譲ってくれるというのだから、かなり良い条件なのではないだろうか。
俺はそんなことを考えながら、ウスルに合図を送った。コップを目の高さにまで掲げて、回すように布巾で拭く。
「……駄目だな……その話は無しだ……」
ウスルがそう答えると、フルーレティーはフッと息を吐いて頷いた。
「でしょうね。二号店は出してるけど、そんなに本気で売上を伸ばそうとしてるようには見えないし。味が凄く良いから繁盛はしてるけど、いきなり休みになってる時もあるし」
半ば断られると予測していたのか、フルーレティーはそう言って背もたれに身体を預ける。
純利益の半分を払えば貴族相手に商売ができ、その上貴族と繋がりを持てる可能性がある。
確かに魅力的だろう。
ただ、それでも五割は高いし、貴族と繋がりがありそうな大商人なんてオーナーを抱えるような真似は面倒極まりない。
俺にとって嫌なモノの上位にランクインされるのは細かく口を出してくる上司である。
貴族街という、どう考えても面倒そうな客が現れるだろう場所で、何故嫌な思いをしてまで店を出さねばならないのか。
俺はフルーレティーの持ってきた話に興味を無くすと、そのまま厨房の裏口から出て一号店へと戻ったのだった。
数日後。
二号店でグシオン達からAランクの冒険者達が徐々に王都へ戻ってきたという報告をウスルを通して受けていると、わらわらと多数の人間が入り口から入ってきた。
白と黒を基調にしたオセロのような鎧とマントを付けた兵士達だ。
数は三十はいるだろうか。
兵士達は、店内に入ると壁に沿うように移動し、食堂内に散らばった。
そして、入り口から真っ白な衣装に身を包んだ高貴過ぎるほど高貴な見た目の中年の男が現れた。
見るからに貴族だ。間違いない。
店内にいた客が唖然とした顔で出入り口に顔を向ける中、俺はウンザリとした気持ちで厨房の奥へと避難する。
「貴様ら! 椅子から降りて床に膝を突かんか!」
兵士の一人が急に怒鳴り出し、店内の客は慌てて床に膝をついて頭を下げた。
グシオンは片膝を突いて嫌そうな顔で貴族の様子を窺っているが、どうやら片方でも両方でも膝を突けば良いらしい。
兵士は納得したように頷き、貴族の男に視線を向けた。
ウェーブのかかった赤い髪と黒い眼。そして、頑固そうな雰囲気を持つ精悍な顔つきの男だ。歳は四十から五十の間くらいだろう。
何処かで見たような、誰かの面影を感じるような……。
俺がそんなことを考えていると、貴族の近くに立つ鼻髭を生やした兵士が口を開いた。
「キメイリエス伯爵様のお出である! 店の主人は何処か!?」
兵士はそう怒鳴り、周囲を厳しい目つきで見回す。
「伯爵かよ、面倒臭いな……」
俺はそう呟くと、厨房にいたナナに声を掛けた。
「ウスルに用件を聞くように言ってくれ。後、用件を言わなくても店主はいないと言って帰ってもらおう」
「……分かりました」
俺の指示を聞いてナナは緊張した様子で頷き、静かに返事をした。
シンと静まり返っている食堂の中をナナが堂々と歩き、先程怒鳴っていた兵士も思わずナナの姿を無言で見つめる。
ナナがウスルの側に行って何か告げると、ウスルはゆっくりと立ち上がって貴族の方へ向かっていった。
「お、お前が主人か?」
ウスルの巨躯から発せられる圧力に威圧されたのか、先程まで威勢の良かった兵士が動揺しながらそう尋ねる。
ウスルはその兵士を軽く見下ろすと、すぐに貴族へと視線を移した。
「……主人ではないが、代理だ……用件を言え……」
ウスルの高圧的な物言いに、伯爵も目を丸くして驚いている。
そして、貴族を相手にしているとは思えないウスルの態度と言動がようやく頭の中に浸透したのか、先程の兵士が剣を抜いてウスルに近付いた。
「貴様! なんという態度を……!」
兵士が怒鳴りながら剣先をウスルに向けると、ウスルはそちらを見もせずに剣先を素手で掴み、兵士から剣を取り上げた。
慌てる兵士達を尻目に、ウスルは剣を両手で握り、特に力を込めた様子も無く剣をヘシ折る。
あ、剣ってそんな風に折れるんだ。鉛筆みたい。
「お、おい、ウスルさん……?」
「ちょ、ちょっと待て。なんだ、今のは。私は白昼夢でも見たのか……?」
さしものグシオン達も跪いたまま驚愕している。
ウスルの怪力に俺が感心しながら眺めていると、血の気の引いた顔でウスルを見上げる兵士達が慌てて剣を抜き、伯爵を後方に引き退らせようとする中、伯爵が兵士の手を遮って前に出た。
「素晴らしい! なんという剛力か!? 私はキメイリエス伯爵家当主のキメイリエス・ハンニ・ラウムである。貴殿の名をお聞かせ願いたい!」
「……ウスルだ……」
「ふむ、ウスルダ殿か。どうだ? 伯爵家に士官しないか? 決して悪いようにはしない」
伯爵はそう言ってウスルを引き抜こうとしやがった。貴様、人の会社内で人の部下を堂々とヘッドハンティングしようとしやがって。名前も間違ってるじゃないの。
俺がギリギリと歯軋りしながら伯爵を睨んでいると、ウスルは首を左右に振って口を開いた。
「……俺はここの用心棒だ……それ以外に興味は無い……」
ウスルがそう言うと、伯爵の連れてきた兵士達が色めき立つ。
だが、その兵士達を押し留めて、伯爵が不敵に笑った。
「面白い御仁だ。恐らく、傭兵で名を売った豪傑か、元Sランク相当の冒険者だろう。貴族に媚を売らない姿勢を貫く者は稀に見る。だが、貴族を相手にするのに意地だけではどうしようも無い時がきっと来るだろう。多少、権力の力というものを勉強した方が良い」
伯爵がそう言うと、ウスルは深く溜め息を吐き、伯爵を正面から見据えた。
「……俺も王族だったからな。権力を持つ苦労なら知っている……」
ウスルがそう返事を返して同情するように伯爵を眺めると、場が凍り付いた。
皆がウスルに注目する中、ナナだけは俺に顔を向けてくる。
いや、その話題はウスルさんのアドリブですよ?




