暗黒魔王と夜の女王
「主は私が守っておくので安心したまえ」
「…ああ」
夜の厨房にて、フルベルドとウスルがそんな会話をしていると、すぐそばに立つレミーアが口を挟んだ。
「…あの、本当に私も行くんですか? この格好で…」
そう言って、レミーアは自らの衣装に目を向けた。
光沢のある黒い革の服だ。身体のラインが出るぴっちりとしたものである。身体の一部が露出した服を着た上から膝まである黒い革のコートを羽織っている。
コートのお陰でかなり露出は抑えられているのだが、レミーアは頬を赤く染めて胸の辺りを両手で隠していた。
それを見て、ウスルは首を傾げる。
「…別に来なくて良いが」
ウスルがそう言うと、フルベルドが口の端を上げて首を左右に振った。
「我が主に聞いたが、こういうものを社会見学というらしい。良い経験になるからな。是非とも行ってくるが良い」
フルベルドがそう言ってレミーアを見ると、レミーアは目を細めてフルベルドを睨んだ。
「この服を着る意味が分かりません」
レミーアがそう言うと、フルベルドは喉を鳴らして笑った。
「ヴァンパイアは夜の王。ならば君も夜の女王だ。我が主に聞いたところ、夜の女王はそのような服を着るらしい。ボンデージという由緒正しき代物とのことだ」
フルベルドが何処か嬉しそうにそう言う姿を見て、レミーアは分かりやすく肩を落とした。
「…分かりました、行ってきます」
レミーアがそう返事をすると、ウスルは頷いて踵を返した。
隠し扉を開け、倉庫街を目指して地下道を歩くウスルに、レミーアは慌てて後を追いかけて走る。
「こ、こんな地下道が…って、何か変じゃないですか!?」
地下道を見ながら小走りにウスルの後を追っていたレミーアが、何か違和感を覚えてそんな大声を出した。
ウスルは歩いているのに、レミーアは軽く走っていて尚も二人の距離が離されていくのだ。
腰の高さほどある透明の板の向こう側をウスルは歩いており、レミーアはその足を必死に目で追った。
「…え!? 地面が動いてる!」
そして、ようやく地面にある仕掛けに気がついて驚きの声を上げる。
ウスルの足の下にある黒い床は、空港などで採用されている動く歩道である。
左右の壁の近くに行きと帰りの二本の動く歩道が設置されており、ウスルはその上を歩いているのだった。
「な、なんですか、それ!?」
「…乗ると速い」
「そうですね!?」
ウスルの的外れな回答にレミーアは走りながら文句を言い、すぐに板を飛び越えて動く歩道へ飛び乗った。
「わ、わわ…」
いきなり動く歩道に乗ったせいで少し足を取られながらも、レミーアはなんとかバランスを保つ。
その間も、ウスルはマイペースに先を歩いており、レミーアは頬を引き攣らせながら呻いた。
「…フルベルド様もウスル様も我が道をいく性格ね」
レミーアはそう呟くと、急いでウスルの後を追いかけたのだった。
倉庫街と呼ばれる区画に、血と鉄の蛇の隠れ家の一つである建物はあった。
基本的に関係者しか知らない場所であり、その存在を知る者もわざわざ其処へ近寄るような馬鹿な真似はしない。
そんな闇に生きる者達ですら敬遠する隠れ家が、今は怒りと混乱によって支配されていた。
「頭がどうかしたんじゃないの?」
若い女の声が響き、先程まで響いていた喧騒は急激に静まっていった。
薄い青紫の長髪を揺らし、その女が目つきも鋭く背後を振り返る。
黒い服を着込み、刃が大きく曲がった短剣を二本腰に差している小柄な女だ。歳は、その身長と童顔のせいで十代前半から中頃に見える。
その女が、壁際に並んで跪くように座った男達を睥睨していた。女の背後には四人の壮年の男達が並んで立っており、その後を数十人の男達が立っていた。
女の台詞を聞くと、跪く男達の一人が愛想笑いを浮かべて頷いた。
「いや、本当に強くて…スレーニスだってコテンパンなんですから」
若い男がそう言うと、スレーニスが眉間に皺を寄せて男を睨んだ。
「俺のことはいいんだよ。まあ、確かに勝てる気がしない奴だったが…」
男に文句を言ったスレーニスが小さな声でそう呟くと、女がスレーニスに視線を送る。
「…スレーニスが勝てないって、本当なの? 父の代から一番強かったヤクシャより強いのに」
女がそう言うと、女の背後に立つ男の一人が顎を引いてスレーニスを見下ろした。
白髪混じりの頬の痩けた男である。しかし、黒い服に隠れていない首や手を見る限り、筋肉質であり痩せているわけではないと分かる。
「お嬢。この小童じゃあ、頭を使って闘われたら勝ち目がありません。恐らく、力で勝っていても頭で負けていたんでしょう」
「…なんだと、コラ」
壮年の男の台詞に、スレーニスが低い声を出し、辺りには先程よりも更に剣呑な雰囲気が漂い始めた。
「…スレーニスを頭を使って一対一で倒せるなら、それはそれで凄いわね。部下に出来ないかしら?」
二人の会話を聞いていた女がそう呟くと、壮年の男は目を見開いて感嘆の声を発した。
「おお! 流石はお嬢! 先代のマダ様も実力のある者は誰であれ受け入れる度量の大きな方でした…やはり、お嬢には先代の血が濃く…」
「お嬢はやめなさいよ。私の名前はフルーレティー。父とは違うわ」
フルーレティーと名乗る女がそう言って壮年の男を一瞥すると、男は静かに頭を下げて口を閉じた。
その様子に、スレーニスが眉間に皺を寄せて男を睨む。
フルーレティーはスレーニスを尻目に、視線を倉庫の一角に移した。
そこには、ソファーに座って身を縮こませる女の子の姿があった。
十歳ほどに見える、赤い長い髪の少女である。
「…で、その大男に言われるまま、あのお嬢ちゃんを寛がせてる、と」
フルーレティーがそう呟くと、頬に傷のある男が慌てて口を開いた。
「いや、大丈夫ですぜ、ボス! ちゃんと、あの嬢ちゃんは箱に入れて此処まで連れてきやしたんで」
「そういう問題じゃないわよ」
頬に傷のある男の弁明に、フルーレティーは呆れた顔と声でそう答えた。
その時、倉庫の角、ちょうどフルーレティー達が集まっている方と反対の地面から微かな音が聞こえた。
金属と重く硬い物がぶつかるような、芯に残る音が響いてくる。
連続して響くその音に、皆が自然と口を閉じ、一斉にそちらへと目を向けた。
倉庫の出入り口ではなく、地の底から響く音に、思わず何人かの男は唾を嚥下して唸る。
そして、地面の一部が盛り上がるように動いた。
いや、盛り上がったように見えたといった方が正しい。そこにマンホールのような穴があるとは知らない血と鉄の蛇のメンバーは、呆然とした様子でその光景を眺めていた。
まるで地面が盛り上がったように見える部分から、太く長い男の腕が現れた。
赤茶けた髪が揺れ、その威容が地を割り出てくる。
「…で、デカい」
誰かがそう呟くと、地の底から這い出てきたウスルが赤茶けた髪の隙間から男の方を見た。
髪と髪の間から鈍く光って見えるウスルの双眸に、男は短く悲鳴をあげて腰を抜かした。
ウスルは辺りを見渡すと、片手で自分の額を掴み、髪を無造作に後ろへ流す。
髪に覆われていた素顔が晒されると、フルーレティーが顎を上げてウスルの顔を凝視する。
一瞬の間が空き、ウスルは深い息を吐いた。
「…ボスは、どいつだ」
皆の注目を集める中、ウスルは一言そう口にして、微動だにしない面々を眺める。
ウスルが出て来たマンホール状の穴の出入り口だけは、主人公が様子見で作ったものなので振動音が聞こえます。
他の出入り口はそこまで音は響きません。




