暗黒大魔王ウスル
血と鉄の蛇。
リセルス王国内で最大級の規模を誇る犯罪者集団である。
その組織に所属する者の出自は様々で、食い詰めた民草から傭兵上がりのゴロツキ、刑罰によって仕事を失った悪徳商人や没落した騎士の者、更には現役の冒険者までいる。
生活の糧は、窃盗、強盗、ゆすり、恐喝、そして、誘拐や麻薬、殺人といったあらゆる悪事に手を染めて得ている。
国も衛兵の見回りを強化したり、大事件が起きた時には冒険者にも依頼を出して組織を潰そうとしたが、蛇は狡猾で隠れるのも上手かった。
気が付けば、数人程度だった血と鉄の蛇は二百人もの大所帯となっていた。
二百人もの荒くれ者が、王都の中の何処かで毎日何かしらの犯罪を起こしている。
勿論、捕縛される者もいたが、それよりも組織が大きくなる方が早いようだった。
その血と鉄の蛇の隠れ家の一つが、倉庫街の一角にある。
周りには商人の倉庫が並び、蛇の住処は協力関係にある商人の倉庫に偽装されており、いまだに衛兵の目をすり抜けてきた。
故に、住処へ戻った蛇のメンバーは、一瞬何が起きているのか分からなかった。
倉庫内の椅子やテーブルが並ぶ中、中央に置かれた三人掛けの革張りのソファーに座る黒い影に、十三人もの荒くれ者達が度肝を抜かれたのだ。
座っていても分かるほど図体のデカいその男は、何処から持ち出したのか煙草のようなものの煙を存分に味わって寛いでいた。
背中を丸め、両肘を左右の膝の上に置いた格好で、口には煙草のように紙を丸めた棒状の物を口に咥えている。
その自然な態度から、蛇のメンバーは男を見た瞬間新人かと勘違いしたのだ。
しかし、男が吸っている煙草らしきものを見て、その十三人は目を丸くする。
この王都で最も危険な嗜好品と呼ばれる麻薬、モーブ。
厳密には禁じられているこの麻薬だが、実際には王侯貴族から商人にいたるまで、陰で好んで使用する者は後を絶たない。
ただ、出回っているモーブは殆どが一パーセント以下の含有量になった物で、様々な香草と一緒に混ぜて使い、味や匂いの違いを楽しめる物となっている。
使い方は、焼いてその煙を吸うというものだ。慣れた者は白い煙の濃さでモーブの割合が分かる。
だが、本来はテーブルの上や皿などに載せて焼き、薄い煙を本人の判断で吸っていくというものだ。
そして、大男の口からは明らかに真っ白な煙が立ち昇っている。
「…お、おい。なんだお前は」
「馬鹿、意識なんかねぇよ。見ろよ、あのモーブを…」
「くそ…末期の中毒者か? 売ったらいくらになると思ってんだ、あのモーブ…」
男達がそんな会話をしている中、ソファーに座っていた大男はゆったりと顔を上げた。
「お、おい、動いたぞ」
「倒れるんじゃねぇか?」
「いや、生きてるだけ凄いだろ」
男達の会話が聞こえてるのかいないのか、大男は蛇のメンバーを睥睨すると、おもむろに口を開いた。
「…お前達が後ろ暗い生き方をする者達か…」
大男が低い声でそう口にすると、蛇のメンバーは顔を見合わせた。
「…いや、確かにそう言われると後ろ暗いけどよ」
「なんか悪い事をしてる気分になるな」
「いや、今更過ぎるだろ」
「てか、あいつ喋ってるじゃねぇか」
困惑する男達の様子を眺め、大男はゆっくりと身体を起こし、立ち上がった。
片手でモーブを摘み、白い煙を口から吐いて顎を引く。
「…選択だ。俺の下につくか、抵抗を試みるか…」
大男がそう呟くと、蛇のメンバーは吹き出すように笑った。
そして、一番前にいた厳つい顔の男が口を開く。
「やっぱ正気じゃねぇな。まあ、その巨体を見る限り腕っ節には自信がありそうだが、どっちにしろこの場所を知った以上、ただでは帰れないんだ。悪いな」
男はそう言うと、両手にナイフを持って不敵な笑みを浮かべた。
ナイフの刃先を向けられ、大男はもう一度モーブを口に咥えて煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「…そうか。俺はウスルだ」
ウスルはそう言うと、煙を吸いながらナイフを持つ男の方へ歩き出した。
「は、はは…名乗られても手加減はしねぇぞ、ジャンキー」
無造作に近付いてくるウスルに、男は馬鹿にしたようにそう言ってナイフを構えて腰を落とした。
他の何人かもウスルの揺るぎない歩みを見て刃物を手にする。
煙を吐きながら迫るウスルの巨体に、ナイフを握る男は思わずナイフを振っていた。
肘から先を使う手慣れたナイフ捌きだが、ナイフを振るうには距離が離れ過ぎていたこともあり、男のナイフは軽く避けられてしまうだろう。
しかし、ウスルは歩みを止めずに白刃の下に身を晒した。
次の瞬間、甲高い金属音が響き渡り、分厚いナイフの刃が床に刺さる。
刃の折れたナイフを持った男は、目を見開いて自分の持つナイフを見つめていた。
そして、ウスルに軽く胸の辺りを蹴られ、男は地面を転がって壁に背中から衝突して倒れた。
その光景に、周りの者は唖然とした顔で動きを止めた。
「…お、おい。今、指で摘んだらナイフが折れなかったか?」
「バカ言え。そんな…」
そんな声が響く中、ウスルは白い煙を吐き出して眼前に立つ男達を見下ろした。
「…お前達はどうする?」
ウスルが無表情にそう尋ねると、呆然としていた男達の目に力が篭った。
「ば、馬鹿にしやがって…!」
「舐めるなよ、このデカブツが!」
色めき立った男達の怒声に、ウスルは眉根を寄せて口を開く。
「…馬鹿にしたつもりは無いが…まあ良い」
そう呟き、ウスルはモーブを一吸いして顔を上げた。
白い煙を細く吐き出し、視線だけを男達に向ける。
「…やる気のある者は挑むがいい」
ウスルがそう口にした瞬間、男達は怒号のような声を上げて一斉にウスルに突貫した。
短剣や直剣、棍棒などの武器を持った男達は、流石に場慣れしているのか、素早くウスルを取り囲むように散らばった。
そして、ウスルに左右と背後から襲い掛かる。
だが、ウスルはそちらには気を払う様子を見せずに、ただ前へ直進した。
「馬鹿正直に…」
ウスルの正面に立つ男が直剣を体の前に持っていき、何か言いながら剣を前に突き出した。
同時に、ウスルは剣を人差し指で弾き、男と身体を入れ替えるようにして男の背後に移動した。
ウスルの周囲を囲んでいた四人がウスルの背後でぶつかり合う中、ウスルは奥に立つ男達の方へゆるゆると歩く。
「ば、化け物め」
声を上げた男は丸みのある剣を薙ぐようにして振り、ウスルの前に出た腕を狙った。
しかし、男が斬ったのはウスルの残した白い煙だけだった。
ウスルの姿を見失った男が辺りを見回す中、男の背中に現れたウスルは男の襟首を掴んで他の男達の立つ場所へ放り投げる。
衝撃音とくぐもった悲鳴が響き渡り、僅かな時間に半数が地面に倒れることとなってしまった蛇のメンバーの残りは、ウスルを信じられないものを見るような目で眺めた。
「…それで、どうする?」
ウスルがモーブを吸いながらそう口にすると、残った男達は身動きできずに口籠もった。
その時、倉庫に更に新たなる人影が現れた。大小様々な十人近い男達である。
「…なんだこりゃ」
ドスの利いたしゃがれ声が響く。
声を発したのは、中心に立つ大剣を背に括り付けた二十代ほどに見える白い髪の男だった。
ウスルが無言でそちらを振り返ると、白い髪の男は険しい目付きでウスルを睨む。
「…テメェがやったのかい」
白い髪の男がそう呟くと、ウスルは軽く頷いて白い煙を吐いた。
「…そうだな。俺の下に付くか、抵抗するか。好きな方を選べと言っただけなんだがな…言い方が悪かったか…」
ウスルがそう呟くと、白い髪の男は歯を見せて笑った。
「頭がおかしい類か。ムカつくから死んでろよ」
白い髪の男はそう言うと、背中に括り付けてあった大剣を抜いて鼻を鳴らす。
「俺はBランク冒険者でもあるんだ。素手で勝てると思うなよ」
そんな台詞を聞き、ウスルは目を細めて頷いた。
「…それは面白そうだ」




