ダンジョンの入り口
長い階段を下る。
もう五分以上降っているのに、一向に目的地に辿り着かない。
その状況に、アムドゥはようやく疑問を持った。
「……こんなに地下深くまで歩いたか?」
「知らん」
「俺もだ」
仲間からの頼りない回答を聞き、アムドゥは不満そうに舌打ちをする。
「まぁ良い。どうせそろそろ着くだろう」
そう呟くと、また階段を降り始めた。
階段は、磨き上げられた見事な石段に対し、左右の壁や天井はごつごつとした洞穴のようなものである。外へ向かって僅かに風が流れているが、その風も肌にまとわりつくような湿気を含んでいた。
灯りは等間隔に壁に据え付けられたランプのみで薄暗い。
そんな不気味な階段を更に五分ほど降り、一部の男達の顔も強張り始める。まるで地獄の入り口に向かうかのような、地下へと続く階段だ。
しかし、その恐ろしい行軍もようやく終わりが見えた。
赤い両開きの扉が現れたのだ。左右に松明が揺れており、扉を明々と照らしている。
「……片方開いてるぞ」
ラウムが一言呟き、先頭を歩いていたアムドゥの足が止まった。
松明に照らされた両開き扉の左側が僅かに開いていたのだ。拳一つ分ほど奥に向かってズレた扉と、その隙間に広がる真っ暗闇を見つめ、アムドゥは何かを感じたのか「うっ」と息を飲む。
しかし、後ろに居並ぶ面々の視線を感じ、軽く息を吸うと肩を怒らせて扉に手を置いた。
重々しい雰囲気の扉だが、不思議と音も無く開いていく。
中は真っ暗闇だったが、扉が開ききった時灯りが灯った。左右の壁を交互に照らすように付いた、頼りない松明の火である。
揺らめく火に所々を照らされた長い通路の先には、また暗闇があった。
「おい、早く行けよ」
「後ろからじゃあ何も見えんぞ」
立ち止まって通路を確認していたアムドゥにそんな野次が飛び、アムドゥは「ぎゃあぎゃあ言ってんじゃねぇ」と怒鳴りながら奥へと足を踏み出した。
広い間隔で配置された松明程度では通路の半分近くが見えず、必然的にアムドゥの歩みは遅くなる。
それに焦れたのか、ビフロズが脇を通り抜けて先頭に出た。驚くアムドゥを尻目に、ビフロズは腰に下げた皮袋を手にし、奥へと放り投げる。
何が入っているのか、鈍い音を立てて通路を二度三度跳ねた皮袋に、ビフロズは一人浅く頷いて歩き出した。
「先に行く」
そう告げると、何事も無いように通路を進んでいくビフロズに、アムドゥは唖然とした後舌打ちをする。
「ふん、世捨て人が……」
文句を言いつつ、ビフロズの歩いた数歩後をピッタリとつけて歩くアムドゥに、ラウムは鼻を鳴らして笑った。
通路をしばらく歩くと、不意にビフロズが立ち止まり、釣られて後続も足を止める。
「なんだ?」
「店に着いたのか?」
ビフロズの背後からそんな疑問の声を発しながら顔を出す面々。
すると、ビフロズが片手を上げて「シッ」と鋭く息を吐き、一同に黙るように合図を送った。
数秒間の沈黙が訪れ、暗い通路の先で僅かに布が擦れるような音がし始める。
そして、通路の奥の闇の中で小さな火が出現した。
ゆらりと揺れた小さな火は何者かが点けたらしく、その者が持つ葉巻の先端で止まった。
葉巻の先端をじっくりと炙ったその人物は、葉巻を咥え、火を顔の近くに持ち上げる。
無表情にビフロズを見据える赤茶けた髪の大男、ウスルの顔が火に照らされた。
その瞬間、アムドゥが何かを口にする間も無く、ビフロズが剣を抜いて走り出す。
「誰も手を出すな」
それだけ言い残して駆け抜けていくビフロズに、アムドゥ達は目を丸くする。
弓から放たれた矢のように迫り来るビフロズに、ウスルも葉巻を吸いながら口の端を上げた。
一方、一歩出遅れたアムドゥ達は急いでビフロズの後を追おうと前に出る。
しかし、背後で低く重い音が響き、反射的に足を止めて振り返った。
最後尾にいた目つきの悪い男には、遥か後方で出入り口である扉が閉まってしまったことが分かったらしく、「おい、閉じ込められたんじゃねぇか!?」と声を上げて狼狽している。
直後、出入り口側から順番に新たな松明の火が灯り始めた。先程までとは打って変わって明るくなった通路は、それまでぼんやりとしか見えなかった壁面までも照らし出す。
そして、その光景にアムドゥ達は体を強張らせて目を見開いた。
石畳と石壁の重々しい通路が続く中、等間隔に壁に埋め込まれるような形で鎧が並んでいたからである。ただ、実際には兜や籠手、脛当てなども含めた日本の鎧兜だったのだが、アムドゥ達には分からない。
「な、なんだ、この不気味な甲冑は!?」
「見たことも無い甲冑だが、飾りか……?」
「こんな飾り方があるかよ、気持ち悪い!」
上ずった声を上げるアムドゥ達は完全に足を止めてしまった。
すると、出入り口側から硬い音が響く。金属と金属がいくつも重なり合うような音と、重い物が地面を擦るような音だ。
その音に、アムドゥ達は再度、背後を恐る恐る振り返る。
出入り口側の奥の方に、無言で仁王立ちする鎧の姿があった。皆が息を呑んで見つめる中、鎧は静かに刀を抜き放つ。
「な、中に人が入ってるヤツがあったのかよ。驚かせやがって」
最後尾に立っていた男がそう口にすると、腰に下げた刃の分厚い直剣を抜き、仁王立ちしたまま動かない鎧の方へと歩いていく。
「舐めるんじゃねぇぞ? 俺は王国騎士団の騎士三人を正面から斬り殺したこともあるんだ。甲冑だから勝てるとか思ってんじゃねぇ!」
怒鳴りながら、男が鎧に斬りかかった。狙いは刀を持った方の腕の肘の裏。鎧の繋ぎ目である。
男の剣は高い音を立ててあっさりと腕を切断した。それを確認しながら、男は上体を倒して突き出すように蹴りを放つ。
「おらよ!」
鎧の腹の部分に蹴りを受け、片腕を失った鎧は後方へと倒れた。
「へ、へへ。なんだ、大したことねぇじゃねぇか」
そう男が呟いた瞬間、男の腹に刃が生えた。赤い血がどろりと溢れ、男は目を剥いて刃を片手で握る。
「な……」
振り向こうとした男の首を、今度は別の刃が横一文字に斬り落とす。
腹から刃を抜かれて倒れて死んだ男と、その背後に立つ二体の鎧姿がアムドゥ達を振り返った。
「ひ、ひぃっ!?」
「ありゃ人間じゃねぇぞ!」
「中身はグールか!?」
口々に声を上げながら皆が後ずさる中、ロレーが目を細めて周りを見た。
「……この周りの甲冑も動くぞ」
その一言に、皆の顔から血の気が引く。
「い、入り口は開くか分からねぇ! 奥に行くぞ! 走れ!」
アムドゥが声を荒らげ、皆は堰を切ったように走り出した。だが、それを合図にしたかのように壁からは次々と鎧が刀を抜きながら動き出す。
「く、くそったれが!」
「ぎゃあっ!」
「なんなんだよ、此処は!?」
悲鳴と怒声を響かせながら、アムドゥ達は必死に通路を走り抜けた。その間にも一人二人と刀を身に受けて倒れていき、アムドゥは命からがら奥へと辿り着く。
だが、そこにあったのは血に塗れて地面に転がるビフロズの姿だった。




