不穏な影
夜の帳が降りた貧民街の中を複数の人影が歩いていく。そのどれもが手には得物を持っており、貧民街の住民ですら息を潜めて隠れるほど物騒な気配を発している。
先頭を歩くのは刃渡り一メートル以上ある分厚い両刃の剣を持つアムドゥ。その後をロレーやラウムといった面々が続いた。
その一種異様な雰囲気を持つ一団の最後尾を、少々小柄な人影が付いていく。
シアスである。
シアスは頬を緩め、軽い足取りで一団の後に続いていた。
「さてさて、店を乗っ取ったらどうするか。貧民街だけで終わらすには勿体無いからなぁ。やっぱ、貴族街に乗り出して……できたらそれなりの貴族を味方に引き込みたいもんだが……ん?」
ニヤニヤとしながら独り言を呟いていたシアスが、ふと暗い路地裏に何かを見つけて立ち止まった。
凶悪な集団の一員である自信からか、シアスは胸を張り、威圧的な大股歩きで路地裏へと向かっていく。
「なんだ、なんだ? 俺たちに文句でもあるって言うのか? 何処の誰かは知らないが、見物料を払いたいってんなら俺に……」
ナイフを片手に揺ら揺らと振りながら路地裏に近づいたシアスは、陰に潜む人物と目が合った瞬間固まった。
「……な、な、なんだ。アンタ……」
膝と声を震わせ、シアスは後ずさる。
その肩を、陰から伸びた白い手が掴んで路地裏へと引きずり込んだ。
シアスの不在に気付くことなく、先頭を歩くアムドゥは真っ直ぐに地下食堂を目指す。路地裏に入り、角を曲がり、突如として地面に暗い影が落ちる。
アムドゥは、忌々しそうにその地下へと続く階段を睨み、背後を振り返った。
「……やることは簡単だ。まずは用心棒であるデカブツを倒す」
「それは私にやらせてもらう」
アムドゥの言葉尻に噛み付くように、ビフロズがそう言った。その鋭い隻眼と三本の指で器用に握られた片刃の剣の刃先を睨み、舌打ちを返す。
「あの野郎は囲んでメッタ刺しにしてやりたかったが、仕方ねぇな。ただし、お前がやられそうな時は後ろから二人まとめて斬り捨てるぞ」
アムドゥが底冷えするように低い声でそう告げたが、ビフロズは意に介さず肩を竦めた。
「好きにしろ」
そう答えるビフロズに、アムドゥは再び舌打ちを返す。
「面白くねぇ野郎だ」
そう口にして鼻を鳴らし、地下への階段を見据えた。
その時、後方からバタバタと足音を立てて走ってくる者がいた。その音にアムドゥのみならず他の者達も振り返る。
アムドゥがその人物を見て訝しげに眉根を寄せて口を開いた。
「なんだ、シアスか。何処かに行ってたのか?」
そう尋ねられたシアスは、肩を上下に動かしながら青白い顔で引きつり笑いのような笑い声を上げた。
「へ、へへ……いや、言い忘れたことがあってな。この食堂には裏口があるんだよ。従業員用のな。そっちから入れば、上手くいきゃあ例の用心棒を後ろから刺せるぜ?」
その言葉に、ビフロズが目を細めた。
「いらぬ世話だ。正面から斬り合う」
「お、おい。ビフロズ」
あっさりとシアスの提案を蹴って階段を降りようとするビフロズに、シアスは慌てて声を掛ける。
ビフロズが立ち止まったのを確認したシアスは、両手を広げて不器用な笑みを浮かべた。
「どっちにしろ裏から入れば邪魔が入らなくて良いだろ? 今は客もまだ大勢いるだろうし、鬱陶しいじゃないか。不意打ちが気に入らないなら声を掛けるなり好きにしな」
シアスがそう告げると、ビフロズは眉間に皺を寄せたまま暫く動きを止め、やがて口を開いた。
「……良いだろう。だが、不意打ちはせんぞ。真正面からの殺し合いだ」
「へいへい。そこは好きにやってくんな」
シアスはビフロズの念押しの言葉を聞き流すと、さっさと地下へと続く階段の傍を通り抜ける。そして、数メートル進んだ先で立ち止まり、振り返った。
「ほら、ここだ。扉があるだろ?」
そう言ってシアスが地面を軽く二度踏み付けると、硬い金属の音が鳴った。
「そのデカい鉄板が、扉か?」
シアスの説明に唖然とした顔でアムドゥが聞き返すと、ラウムやロレー達も前に出てその扉を見下ろす。
石畳の道の真ん中に暗い銀色の鉄板のような扉があった。表面には不思議な紋様が彫られており、その大きさは人が一人寝ても余りそうなほどである。
「……開くのか?」
ラウムが静かにそう尋ねると、皆の視線は一団の中で最も恵まれた体躯のアムドゥへと注がれた。
「……開けてやろうじゃねぇか」
アムドゥは肩を怒らせてそう呟いたのだった。
路地裏の暗い石畳の道の中、ぽっかりと開いた暗い階段を前に立ち尽くすシアスに、後ろから声が掛かる。
「上手いじゃないか、シアス君」
その言葉に、シアスはびくりと肩を跳ねさせた。
「い、いや、別に……」
真っ青な顔で首を左右に振るシアスの肩を、長い指の手が掴む。
「ひぇ……っ」
息を呑むシアスを見て、その人物は大きく口の端を釣り上げた。
「その意気で、貧民街の実力者を集めてくれたまえ……それが、君の生き残る唯一の道だ」
そう言って、フルベルドは肩を揺すって笑ったのだった。