馬鹿正直な男とただの馬鹿
食堂の端に寝かされていた男が気が付いた時、介抱していた二人の少女達は自分から目を離して何かしらの会話をしている場面だった。
「……つまり、貧民街では有名な人物?」
「はい。アムドゥとかなんとか……子供達も知っていたので本当に有名なんですね」
「悪い意味で、ね……」
「あ。それと、そこに倒れてる人もアガリ君が知っていましたよ? 元冒険者で今は傭兵か何かをしてるみたいな……」
「元冒険者……なんで助けようとしてくれたんだろうか?」
「良い人なのでは?」
と、呑気な会話が頭の上で交わされ、男は静かに口を開いた。
「……違う」
掠れた声でそう口にすると、オレンジ色の髪の少女が勢い良く振り返る。
「起きましたか!?」
「あ、ああ」
少女の勢いに若干引きながら、男は上半身を起こす。そして、自らの顔や頭、首と肩を手でなぞる。
「…………怪我が無い?」
そう呟くと、オレンジ色の髪の少女の後ろにいた水色の髪の少女が得意げな顔をした。
「ウスル様が……手加減をしておいた……すぐに気がつくだろう……って言ってました!」
ウスルの声真似をしてそんなことを言った少女に、男は顔を引攣らせる。
「……手加減。拳どころか身体のこなしすらまともに見えなかったというのにか……」
信じられないといった様子でそう呟いた男を見て、少女達は目を丸くする。
「……ウスル様の攻撃が少しでも見えた?」
「じゃあ、もしかしてグシオンさんとかサミジナさんと同じくらいの冒険者さん?」
その言葉に、男は眉根を寄せて深い皺を作った。
「サミジナ? グシオン? まさか。俺は冒険者の期間は短かくCランクまででしか無かったが、長く冒険者をやったとしてもそんなトップの冒険者になれる器ではなかった」
溜め息と共にそう言った男の横顔を眺め、少女達は顔を見合わせる。そして、オレンジ色の髪の少女が何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば、先程『違う』と呟いてましたが、何が違うのでしょう?」
尋ねると、男は表情を固くして言い淀んだ。
暫く答えられずにいたが、やがて意を決したように目を細め、顔を上げる。
「……実は、金が尽きてしまい、危うく俺があのアムドゥと同じことをするところだった。そして、アムドゥが暴れようとしたのを止めたのも、アムドゥに多額の賞金がかかっていると知っていたからだ……助けようとしたのではなく、奴を捕まえて金にしようとしたのだ」
そう言って、男は目を瞑った。
言わなくても良いことを自ら自白した男に、少女達は顔を見合わせて目を瞬かせる。
「……なんというか……」
「やっぱり、悪い人ではなさそうですね」
小声でそんな会話をする少女達に、別の方向から声が掛かった。
「やぁやぁ、遅くなって悪かったね」
そう言って現れた男に、少女達は明るい声を出して応える。
「アクメ様!」
「ご主人様!」
二人が名を呼ぶとアクメはお疲れ様と一言返し、地面に座り込んだままの男の前に移動した。
「少し聞こえてしまったが……まぁ、どちらにしてもこちらは助かったし、勘違いで昏倒させてしまったのはうちの過失だ。お詫びに食事をご馳走しよう」
アクメがそう言うと、奥の方から美しい女とウスルが現れた。料理の乗った皿と酒瓶、グラスなどを手にした二人を見上げ、男は喉を鳴らして呻く。
「う……い、いや、大変ありがたいが……その、良いのだろうか? さっきも言ったように、俺は決して助けようとしたわけでは……」
「まぁ、もう料理はできているわけだし、どうぞどうぞ」
軽い返事を聞き、男は深々と頭を下げる。
「では、ありがたく頂く。俺はドラン。ドラン・ヴァイヤーだ。この恩は、決して忘れない」
堅苦しい言葉を聞き、アクメは苦笑しながら首を傾げた。
「こちらが謝る側だから恩を感じる必要も無いと思うが、まぁいいか。俺はアクメだ。よろしく。さぁ、そっちに座って。立てるか?」
【アムドゥ】
ウスルの一撃を受けて失神したアムドゥは店の外に放り出され、行き交う貧民街の住人達に暫く醜態を晒してしまった。
意識を取り戻したアムドゥがそのことに気が付き、急ぎ足で根城に戻った後、堪え難い怒りに支配されるのは当然と言えた。
「ふ、ふざけやがって、あの野郎共……っ!」
怒鳴り、近くにあったなけなしの家具を蹴飛ばす。元々ボロボロだった椅子やテーブルはアムドゥの一撃で見事に砕け散った。
舞い散る木屑と肩を震わせて怒るアムドゥを見比べ、小柄な男が溜め息を吐く。
「そんなに怒んなよ。ほら、田舎もんの行商人でも襲って酒飲もうぜ。ついでに女も手に入ると万々歳だがな」
そう言って、男はアムドゥの背中を叩いた。背の小さな、垂れ目の男だ。目は糸のように細く、常に笑っているような顔をしている。
その男を横目で睨み、アムドゥは舌打ちをした。
「そんな気分じゃねぇんだよ。あの店をぶっ潰してやらにゃあ気がすまねぇ」
「おいおい、あの店にゃあもうそれなりに常連がついてるみたいだぞ。あのアビゴルもこの前貴族の蔵破って連日店に通ってるって話だ」
「知ったことかよ!」
怒りが再燃したアムドゥはテーブルの破片を蹴り飛ばし、叫んだ。
「アビゴルだろうが貴族だろうが国王だろうが関係ねぇ! 俺を誰だと思ってやがる!?」
歯を剥いて怒鳴るアムドゥに、男は冷や汗を流しながら一歩下がる。
「ま、まぁまぁ。落ち着けよ、アムドゥ。どうしてもやるなら、仲間を集めようぜ」
「……仲間?」
訝しむアムドゥに、男は黄ばんだ歯を見せて笑った。
「数だよ、アムドゥ。数で一気に制圧しちまうのさ。そんで、あの店の料理長やら何やらを全員奴隷にしちまおうぜ。そうすりゃあ美味い飯食べ放題で、他の顔役共から金まで奪える」
男がそう告げると、アムドゥは眉間に皺を寄せて顎を引いた。
「……仲間を集めるんなら、それで他の奴らにもバレねぇか? 血と鉄の蛇の奴らにでもバレたら面倒なことになるぞ」
「ああ、あいつらか。この前の騒動で一つ抜けたからな。だが、あいつらは基本的に倉庫街と商人街を巣にしてる。大丈夫だろうさ」
その台詞に、アムドゥは腕を組んで鼻を鳴らした。
そして、口の端をあげる。
「……あの店が俺の物に、か。良いじゃねぇか。失敗すんじゃねぇぞ」
アムドゥがそう言うと、男は甲高い笑い声をあげて両手を広げた。
「お前こそ、俺を誰だと思ってんだ? 俺は国一の詐欺師、シアス・ウォソだぜ?」
そう言うと、シアスは愉しそうに笑った。