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ただの旅館?

「靴を脱ぐんだぞ」


「え?」


 俺の言葉にアガリが目を瞬かせて振り向いた。フラスや他の子供達は素直に靴を脱いで両手に持ち、こちらを見ている。


 アガリは自分の靴と俺を見比べ、何かを考えるように首を傾けた。


 どうやら、アガリという少年は純粋な貧民街の生まれではないのだろう。靴を脱ぐことに違和感を覚えているらしい。


 いや、履いているものが靴かどうかすら怪しい代物だが……元は革靴のようだが穴が開き過ぎて謎の履物になっている。


 よく見ればフラスや子供達もなんとも言えない履物を履いていた。草履なのかサンダルなのか分からないボロボロさ加減だ。


「……よし。思い出の靴とかでも無いなら新しい靴をやろう」


 俺がそう言うと、子供達が両手を上げて歓声をあげる。


「新しい靴!?」


「お下がりじゃない靴!?」


「自分用の靴!?」


 何やら悲しい声が聞こえてきたが、気にせずにアガリに対して口を開く。


「ほら、脱いで上がれ」


 そう言って目の前で靴を脱ぎ奥へ行くと、フラスや子供達はすぐに付いてきた。素直過ぎるのも不安になるが、貧民街で育ったのだから危険か安全か嗅覚的な何かで判断しているのだろう。多分。


 一人残ったアガリも諦めて靴を脱ぎ、付いてくる。


「こっちだぞー」


「はーい!」


 楽しそうな子供達を連れて、奥へと向かった。奥といってもこの旅館もどきは小さく、三十メートル歩けばそこは大浴場である。


 ガラガラと音が鳴る引き戸を開け、脱衣場へと入る。


「あ、流石にフラスが一緒はマズイか」


 そう口にすると、フラス本人が眉根を寄せて口を尖らせた。


「なんで?」


「いや、なんでって……ここは風呂だからな?」


 そう言うと、子供達は不思議そうに脱衣場を覗き込む。


「フロー?」


「フロだってさ」


「なんだ、フロって」


 ギャアギャアと喧しい子供達の後ろで、アガリが目を細めて疑いの眼差しを向けてきた。


「そんな馬鹿な。風呂って、この貧民街の中にお風呂なんてあるわけが……」


「疑り深い奴だな。よし、一番に入れてやる。ほら、そこで服を脱いでカゴに入れろ」


 そう告げると、アガリはハッと目を見開いた。


「そうか! 僕たちの服を奪うつもり……!?」


「誰が奪うか」


 まったく失礼な奴である。この国の貴族相手にそんな発言したら処刑されるぞ。


「ほら、脱げ脱げ」


「う、うわぁー!?」


「ひゃー!」


 そんなことを思いながらアガリのボロ布のような服を剥ぎ取っていくと、周りに子供達も集まってきて嬉しそうに作業に加わった。


 あっという間に裸に剥かれたアガリはフラスの視線を気にしながら涙ぐむ。


「な、なにを……」


「ほら、先に入って待ってろ。手桶で体を洗うのは良いが、綺麗になるまで風呂の中には入るなよ?」


 そう言ってアガリを浴場に押し込むと、次は子供の服を順番に脱がせていく。






【アガリ】


 酷い扱いを受けた。


 貧民街に隠れ住むようになった幼少の頃を思い出しながら顔を上げて、僕は絶句する。


 風呂と聞き、そんな馬鹿な、と口にした。その言葉は本当に素直に心の底から出た言葉だった。


 なにせ、形だけの爵位を持つ貴族では持てない代物だからだ。風呂を自らの屋敷に備えるのは生活にゆとりがある証拠でもある。


 つまり、王侯貴族と大商人、極一部の冒険者などだろう。


 それでも、本来なら二人から三人入れる風呂といったものに違いない。そんな常識のもと、この貧民街に風呂などあるはずが無いと判断したのだ。


 だが、目の前にはその僕の常識を裏切る光景が広がっていた。


 綺麗に磨き上げられた黒い石の床や壁でできた広い空間。その辺りの家など目じゃない広さだ。


 そして、その広い空間の右半分全てに水が張られていた。


 いや、信じられないことに湯気が見える。あれはお湯なのだ。


 風呂と呼ぶには大き過ぎるその湯溜まりは、明るい色合いの木の板に囲まれた中に溜まっている。


 もしもあれが風呂なのだとしたら、二十人といわず同時に浸かることができるだろう。


「……う、嘘だ。こんなこと……」


 夢を見ているに違いない。


 そんな気持ちでユラユラと水面に立ち昇る湯気を見つめていると、奥で水が出ていることに気がついた。


 うん、夢だ。やっぱり夢だった。


 何故か安堵感を覚えながら、僕はその水が湧き出る場所へと歩いていく。


 壁に同化したような格好で石像の獅子の顔が置かれており、その口から湯気と共に大量の水が湧き出ているのだ。


 こんなことが現実にあるわけが無い。


 大きな風呂ならば、湯を温め続けるのは大変だが、奴隷を十人働かせればなんとかなるかもしれない。魔術師ならば二、三人いればなんとかなるだろうか。


 しかし、こんな湯が出続けるような造りは不可能だろう。


 いや、やり方はあるのかもしれないが、僕には見当もつかない。


 僕が動きの悪くなった頭をなんとか回転させながら湯を吐く獅子を見ていると、入口の方から楽しげな子供達の歓声が響いてきた。


「すっげー!」


「なにこれー!?」


 素直に喜ぶ子供達を少し羨ましく思いながら振り返ると、裸の子供達と一緒にあの男の人とフラスも立っていた。


 何故か共に裸で、フラスは大きな真っ白い布を体に巻きつけている。


「凄い……!」


 目を輝かせてキョロキョロと周りを見ているフラスを、僕はなんとも言えない気持ちで眺めた。


 夢の中とはいえ、フラスが半裸で男の人のそばに立っている光景が嫌だった。


 そんなことを思って悶々としていると、何故か一緒に裸になっている男の人がこちらに向かって手をあげる。


「ほら、こっちで体を洗え!」


「は、はい」


 思わず流されてしまった。文句も言えない気の弱い自分が嫌になる。


 夢の中でまでなんでこんな思いをしているのか。


「これを捻ったらお湯が出る。こっちは水だ。で、これを押して石鹸を出して、頭から順番に洗っていきなさい」


「え? 捻ったらお湯? 石鹸?」


「こうやってな……ほら」


 思考がまとまらないまま、男の人が目の前で丸いつまみを捻る光景を眺めていると、雨のような形でお湯が出た。


「ひぇっ」


 驚いている僕の頭に今度は何かを塗りたくられ、ガシガシと音が出るほど洗われた。


「泡立たないな。もう一回」


「あわわわわっ」


 更に洗われると、僕の頭から大量の泡が流れてきた。良い匂いがする。花の香りのようだ。


「こんな感じだ。皆できるか?」


「はーい!」


「これか?」


「これを捻るんだよ」


 僕が洗われる姿を見た子供達が、自分で頭を洗い始める。


 隣に座って頭を洗う子供をよく見れば、不思議な形の丸い物からお湯が噴出しているようだ。


 石鹸は白いツボのような容器に入っているのか。


 ダメだ。なにも分からない。分からないことだらけだ。


「おぉ……! 気持ち良い! 良い匂い!」


 フラスの喜ぶ声が背後で聞こえた。


 違う意味でドキドキする。


 何がなんだか分からないが、こうなったら風呂を楽しむしかない。風呂なんて夢の中でくらいしか入ることはできないのだから。


 そう開き直った僕は、そっと体を洗うフラスの様子を盗み見てしまったのだった。


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