『幸せ』
「どうしてそんなに俺を不幸にしたいんだ?俺、お前に何かしたのか?」
「えっ?」
あれから数日経ったある日、俺は以前思った疑問を彼女に聞いてみた。
意外にも驚きを見せた彼女は、妙な事を口にした。
「だって、不幸知らずって誰かが言っていたわ。そんなのかわいそうじゃない」
不幸知らずはかわいそう。
全く意味が分からず、きょとんとしていると、彼女は幸せそうに笑う。
「自分の不幸が誰かの幸せに繋がっている瞬間ね、たまに凄く幸せになるの」
不幸を知らずして本当の幸せを知る事は出来ない。
彼女はそれを伝えたいが為に、一生懸命に努力していたのだ。
しかし、未だ理解出来ないでいる。
そんな事聞いた事が無かったからだ。
困惑していると、彼女は無理やり俺の手を引くと走り出す。
「一緒に来れば分かるかも!来て!」
拒む事は容易くできた。
この後自宅で勉強する予定があるし、正直迷惑でしかなかった。
しかし、その手を振り払う事が出来ずに彼女に連れられていく。
何故だろう。
名案だと喜んで手を引く彼女の嬉しそうな顔を見ていたら、勉強など、どうでも良く感じたのだ。
◯
「帰りたい」
先ほどの感情を全否定し、目の前の惨事に目を伏せる。
ボロ家に入って数分、彼女は小学生の弟妹達五人に振り回されてはボロボロになり目を回し始める。
効率が悪いとかそんな問題ではなく、ただ純粋に一人の負担が大きいのだ。
ヤンチャに遊ぶ子供達は、散らかし喧嘩し汚して回る。
「大丈夫か?」
「大丈夫に決まってんでしょ!あぁ!こらそこっ!喧嘩やめなさい!」
ドタバタと騒がしいこの家族は、自分の家とは別物だった。
自分の時間などほとんど無いではないか。
「で、俺は何をしたらいいんだ?」
喧嘩の仲裁に入り、ビシバシと殴られている彼女にそう聞くと、なんとも面倒くさそうな返事が返ってくる。
「一緒に料理を作りましょう」
なんとか仲直りさせ、戻ってきた彼女は食材を冷蔵庫から取り出す。
一体何を作るのか、俺には見当がつかない。
「何を作るんだ?」
「え?見てわからないの?」
台所に並んでいるのは、人参とジャガイモと豚もも肉。
駄目だサッパリわからない。
「カレーよカレー。食べた事あるでしょさすがに」
「カレーってあのカレーか?」
「そうそう、そのカレーよ」
「金箔がかかってるあれだろ?」
「どのカレーよそれっ!」
俺の知っているカレーではないのだろうか。
「キャビアは添えてあるだろ?」
「無いわよっ!」
「は?それカレーか?」
「一般家庭舐めんなよ?!」
キレられながらもジャガイモを押し付けられる。
皮を剥けとの事だった。
その間に彼女は鍋に火を入れると人参を切り、豚肉を軽く炒める。
「毎日こんな事してんのか?」
「そうね。でも苦じゃないわ」
「...そうか」
◯
出来上がったカレーはとてもいい香りがし、シンプルな見た目だが食欲がそそられた。
「食べて行きなさいよ」
「いいのか?」
「当たり前じゃない。あなたも一緒に作ったのよ?」
小さなテーブルにぎゅうぎゅうになりながらも座り、全員で手を合わせ唱える。
『いただきます』
スプーンですくい一口。
「...美味い」
「でしょ!?」
嬉しそうに身を乗り出してそう言う彼女は、全員の顔を伺う。
俺も目で追うと、そこには笑顔で溢れていた。
「ね?幸せじゃない?」
つまり、誰かの幸せの為の不幸なら、それは幸せでもある。
と、彼女はそう言いたいのだろう。
「さぁ...な」
「えー、わかんないかぁ」
「カレーは美味いがな」
「そいつはよかった」
だが未だに俺はピンとは来なかった。
理解は出来たが、幸せには今ひとつ。
しかし、自分を犠牲にし、人に尽くそうとする彼女を見ていると、少しだけ。
「おかわり」
「食べるの早いわね」