閉ざされた部屋
いつもありがとうございます。
目を開けると薄暗い部屋のベッドの上に寝かされていた。
ベッドの傍らに、何かいる。
ぼんやりとした頭で、そこにいるモノをみる。
ひと、のようで、ひとではない。
鬼だ。
頭に、銀に輝く角がある。身体はほのかに燐光を放っている。
ただ、異形、というほどいかついわけではなく、ちょっとガタイのいい兄ちゃんという感じ。
鍛え上げられた厚い胸板。瞳は金。武闘派系美形的顔立ち。
鬼は、ただ、じっと私を見ている。敵意はとりあえずないようだが、状況は全く分からない。
ガチャリ、と、扉が開く音がして、現れたのは、ほっそりとした男性だった。
パチリと、電気の明かりがともり、周りが明るくなる。どうやら壁の内装から見て、裏野ハイツの部屋で間違いないと思われた。
男は、キツネのような印象の吊り目のひとえの瞳をしている。整ってはいるが硬質な印象の顔だ。
年齢はたぶん、音無氏と同じくらいの三十代半ば。ただ、浮世離れしたような雰囲気があって、若いのか年をとっているのか、わからない。
「目は覚めましたか?」
男性は、私を見て、そう口を開いた。
「ここは?」
私は、ゆっくり身を起こしながら男性にたずねた。
「僕の部屋です」
男性は、私をはぐらかすかのようにそう言った。
「すみませんね、僕の茨木が、勝手につれてきてしまいまして」
彼はそう言って、私の傍らに座っていた鬼にそういうと、鬼は申し訳なさそうに頭を私に下げた。
「勝手に?」
「そうです。僕が『欲しい』だろうと思ったそうで」
彼はにっこりそう笑い、パチンと指を鳴らした。
鬼は、すうっと姿を消す。どうやら、アザミさんと同じ式神みたいなものらしい。
「驚かないのですね」
彼は私を見ながら、そう言った。どうやら鬼が消えたことに私が無反応だったことを言っているらしい。
「……いろいろありすぎて、マヒしているだけです」
私は首を振った。
「君、名前は?」
面白げに私の顔を見ながら、彼はベッドの横に腰かけ
た。
「有野礼香です」
「203の男の何?」
何と言われても困る。そういえば、兄妹は田室さんに『魂のいろ』とやらが違いすぎると指摘された。
嘘をついても、きっとバレる。
「雇われ人です」
「ふーん」
彼は、私の頬に手を伸ばした。
私は、思わず、じりっと彼から離れる。
「あの、私にご用がないのでしたら、帰りたいのですが?」
「君、彼氏は?」
面白げに見る。
どうせ、いないと思っているのだろう。
「いませんが、何か?」
「へえ、顔も可愛いのに。奥手なのかなあ、礼香ちゃんは」
突然、名前呼びされて、褒められたのに、背筋がゾクリとする。なんか怖い。
「茨木が、つい、連れてきちゃうだけあって、霊波は、今まで見た中で一番、綺麗だ」
くすくすと彼は笑う。
「僕も気に入っちゃった。ああ、まだ名乗ってなかったね。僕は、八代保。保でいいよ」
そう言いながら、八代は私の肩に触れる位置に身体を寄せてきた。
私は、じりっとさらに横に動いて、離れる。
「えっと。八代さん、わたし、帰りたいのですが?」
私は部屋を見まわす。203号室とほぼ同じ間取りの部屋だ。
「そう? 残念だなあ」
八代はニヤニヤと笑い、私から離れた。
私は、ベッドから身を起こし、玄関へと向かう。
意外にも、きちんと玄関に揃えられていた自分の靴を履き、玄関の扉に手をかける。
ざわっ
何かが体中に駆け巡る。
扉が開く。暗い夜の闇がそこにあって、私は外へと足を踏み出す。
「え」
踏み出したはずのそこは、外ではない。玄関だ。
何度か繰り返すが……外へ『出られない』。
「無理だよ? この部屋からは外に出られない。言っておくけど、僕も出られないンだ」
私はへなへなと、そこへ座り込んだ。
「かろうじて、茨木だけが、玄関先に出ることが出来るけど、茨木もそこから先には行けない」
八代は首をすくめた。
「……どうやって、生活しているの?」
私の問いに、八代は笑った。
「不思議とライフラインは使えるし。昨今は、食べ物も宅配サービスがある。ありがたいね」
食品の宅配業者とは家の前に置いてもらう契約らしい。
「仕事は?」
「僕は、もともと表向きは、自宅勤務のプログラマーをしていてね。電話回線とネットが使えれば、仕事は出来る」
会社が倒産して首になったばかりの私には、羨ましいお話である。
「どうして?」
「そこじゃ、話しにくい。コーヒーでも飲みながら話そう」
八代は私の手を引いて、キッチンの椅子に座らせた。
玄関から自力で出られない以上、八代に逆らっても益はない。
今は、出来るだけ情報を八代から引き出し、音無氏が来てくれるのを待つしかない。
私の内心の焦りとは別に、八代は優雅な仕草で香り高いコーヒーを入れて、私の目の前のテーブルに置いた。
静寂の中、時折、ミシッミシッと、天井が揺れる。おそらくラップ音であろう。
「うーん。奴さん、結構、必死だねえ」
八代は、そういって、天井を見上げ、ニヤッと笑った。
「僕が出られなくなったのは三年くらい前からさ。仕事でね。ある人物をさぐっていた」
八代は、私の前に座って、カップに口をつける。
「その人物は、『空間』を操る術者でね。探っているのがバレて、僕は閉じ込められたってわけ」
「空間?」
「そ。ま、空間を操るっていうのは、人間の力では通常無理なんだが……ここのアパートの地下には、すごい気脈が走っていてね。奴はそれを利用しているわけ」
私は、首を傾げた。
「それは霊的磁場ってやつと関係があるのですか?」
「ああ。気脈があるから、霊的磁場が発生する。関係はあるよ」
丁寧に説明されているとは思うのだが、やっぱりよくわからない。というか、わからないままでいたいと何となく思う。
「えっと。ここの住人さんの誰かが、空間の術者さんで、八代さんはそのひとを調べようとして、返り討ちにあったというようなことですか?」
「言いにくいことを、はっきり言うね。礼香ちゃんは」
八代はそう言って、さりげなく私のそばに立った。
「でも、そういうとこ、僕は好きだな」
ニコニコっと、八代が微笑んだ。美形に好きだと言われたのに、私の背筋は凍り付いた。
「茨木が『僕の嫁』として連れてきたくなった意味がわかるよ」
「嫁?」
言葉の意味を咀嚼して。私は、慌てて八代から逃げよう立ち上がったが、突然、荷物のように担ぎ上げられた。
身体をじたばた動かしたものの、そのままベッドに放り投げられる。
「そんな目で、あおらないでよ。三年も女を抱いていないから……結構、僕、余裕がないんだ」
「いやっ」
私にのしかかる八代を必死で跳ねのけようともがく。
「離してっ! やめてっ!」
細身の身体とはいえ、男の力だ。抗えない。
「助けて……音無さん」
ぐわっ!
突然、大地が揺れた。
ビリビリビリッ
何かが裂ける音がした。
「遅いよ、有野さん」
聞きなれたバリトンの声がした。
「もっと早く、俺の名を呼べよ」
何を言われているのかよくわからないが、いくぶん、声がイラついている。
「きさまは」
八代の視線の先に、眉間にしわを寄せた音無氏がいた。
「有野さんを返してもらいにきた」
八代は、目を見開いた。
「きさま、どうやって入った? どうやって出ていく?」
「彼女が呼んでくれたから入った。田室さんの妨害もなくなったからな」
音無氏はそう言って、八代の顔を睨みつけた。
「あんたも出たいのなら、彼女を返せ」
私は、八代の拘束が緩んだので、自力でベッドから這い出る。
「きさまが、この『閉鎖』の術をやぶれると、言うのか?」
音無氏は、私と八代の間に入って立った。そして、私の手を取り、肩を抱くようにして、助け起こしてくれる。
「おい、礼香ちゃんは僕の嫁だ」
グワン、と空気が振動した。
八代の前で、何かが弾ける。
「くだらないことを言うと、あんたは、ここに置いていく」
音無氏の目と八代が睨みあう。明らかな敵意がこもっている。
私は、ぞわりとした。
「あの……八代さん。取りあえず、ここから出ましょう。ここから出れば、私なんか嫁にしなくても、八代さんのルックスなら、いくらでも若くてかわいい女性に不自由しないでしょう? わたしなんかの為に『外へ出る』チャンスを逃すのはマヌケすぎますよ」
私は、八代を諭すようにそう言った。
八代は不満げだったが……しかし、『ここから出る』という意見には賛同したらしい。
「それで……どうすればいい?」
「無理やり破る方法もあるが……一番、穏便なのは、龍の橋を渡ることだな」
音無氏はそう言って、手を伸ばした。玄関扉に黒い渦のようなトンネルが開き、銀の橋がかかる。
よく見ると、橋に鱗がある。テラテラと輝いて、しかも『動いて』いた。
「地の龍を呼べるとは……」
八代はそう言って、口をつぐむ。
「おいで」
音無氏はそう言って、私の手を引く。銀の橋に足を載せ、黒い渦のトンネルに入る。
よく見ると、黒く見えた渦のなかに、たくさんの『ひと』のようなものや、『異形』が、叫びながらのたうっていた。
銀の橋は硬質であったが、人ひとりがようやくに通れるほどの幅しかなくて、柵も手すりもなく、周りには歩くたびに何かが『身体』を通り抜けていく。そして、橋の横側は、黒い『何か』が波しぶきのようにはじけ飛んでいた。
「高いところ、ダメ?」
足がすくんで、止まった、私をくすくすと音無氏は笑った。
「高いところ、って定義で当てはまる問題じゃないと、思います」
「そうだね」
音無氏はニコッと笑って、私の身体を抱き上げた。
お姫さま抱っこ、ってやつだ。
私の胸がまた勝手に早鐘を打ち始めた。
「ちっ」
八代が小さく舌打ちをしたようだったが、それ以上は何も言わない。
まあ、ここを出れば、彼にとって私などどうでも良い存在になるのだから、音無氏に逆らうのは得策じゃないと判断したのに違いない。
「目を閉じて、少しだけ、がまんして」
私の身体を、何かがヒューヒューと通り抜けていく。
私は思わず音無氏の胸にしがみついた。
「抜けたな」
八代の声がした。
「目を開けていいよ」
音無氏に言われて。瞳を開けると、そこは202号室の前の通路で。朝日が昇ってきたのがみえた。
次回は、ラストになります。