少年はどこに?
いつもありがとうございます。
とりあえず、朝食、ということになり、駅の近くのファーストフードまで行くことになった。
アザミさんは、式神なので、いっしょに行けない。なんでも、彼女を『見えない』人間がいるそうで、いっしょに食事は出来るけど(食べものを食べられるっていうのも、ナゾだが)アザミさん自身が見えない人から見ると、いろいろオソロシイ状況に見えるそうだ。
研究所を訪問した時、『ドアフォン』で『彼女の声が聴ける』という項目、『彼女の姿が見える』という項目がこの仕事の採用の必要最低条件だったというのは、式神がみえるということがすなわち、霊が見え、かつある程度の霊力があることが保証されるということらしい。
「それで……どうして、妹なのですか?」
家を出る前に、音無氏に私は尋ねた。
「恋人の方が良かった?」
「え?」
質問に質問で返されて、私は返答に詰まる。
私の顔に何を見たのか、音無氏は苦笑いを浮かべた。
「この部屋、俺名義で借りていて、先週まで、ひと月近く住んでいたから、無関係な人間が勝手に寝泊まりするとなると説明が面倒だから」
「なるほど」
つまりは、名義人の変更をせずに、私が住むとなると、ご近所的には、やはり妹が無難かもしれない。似てないケド。
「では、ご近所さんの前で話すときは、お兄さんとお呼びしたほうがいいですよね?」
さすがに、『音無さん』はおかしい。だって、妹なのだから。
「今からでも、恋人に変更しようか」
「だ、だめですよ」
私は慌てた。こんな美形の男と恋人設定なんて、無理だ。似合わない。
似てない兄妹より、ハードルが高そうだ。
「そんなに嫌?」
「え? そ、そうじゃなくて……お婆さんに話してしまいましたし」
私の言葉に、音無氏は何か言いたそうだったが、とりあえず、「妹」設定ということで落ち着いた。
二人で玄関を出ると、私は扉に鍵を掛けた。
202の新聞受けから新聞が消えている。
「お隣の202号室の方は、どんな方ですか?」
私の問いに、音無氏は首を振った。
「わからない。会ったことがない」
音無氏はそう言いながら、階段を降りていく。慌てて、私は後を追った。
「結界があって、アザミもあの部屋に入れないんだ」
追いついた私の耳元で、ポツリとそう呟く。
「え?」
壁抜けのできるアザミさんも、入れないって……それって、普通じゃないってことかも。
ぶるりと思わず震えた私の頭に音無氏は手を載せた。
「おはようございます、音無さん」
103号室から、三十代くらいの女性が出てきて、こちらを見て頭を下げた。
優しそうで大人しそうな女性で、綺麗な人だった。
「おはようございます。沢田さん」
私は音無氏にあわせて、「おはようございます」とあいさつした。
その女性は、興味深そうに私と音無氏を見る。朝、男女二人で部屋からそろって出てくるとなれば、興味を引いても当然かもしれない。
「あ、兄がいつもお世話になっております」
私は、慌ててそう言って頭を下げる。
「いもうとさん?」
不思議そうに彼女は私を見る。
「似てないですよね」
言われる前に、そう言って、相手の言葉を封じ、ニコニコっと笑う。
我ながら、悪だ。
先に言われたら、もう、相手は何も言えない。
「あら、でも、目元が少し……」
いや、それ無理があるでしょう、というフォローを彼女はして、「では」と微笑んで自転車に乗っていった。
「私と同じくらいなのに……小さい子がいるお母さんって大変ですねえ」
「え?」
私がそう言うと、音無氏はびっくりした目で私を見た。
なんだ。この反応。
「あの? ひょっとして、彼女より、私、すごく年上に見えます?」
自分の方が若く見える……ということはないだろう。沢田さんは私より服装も若い感じだった。綺麗な女性は確かに若く見えるけど。
「い、いや、そうじゃない。むしろ君の方が若い……お母さん?」
音無氏はあわてて、そういった。
「彼女が、母親だと、どうして知っているの?」
「え?」
「彼女の、沢田家の息子さんは、一年前から行方不明なんだ」
音無氏の言葉に、私は背筋がぞくりとした。
ファーストフードに入って、モーニングセットを頼んだ。
料金は音無氏持ちだ。必要経費、ということらしいので、遠慮はしない。
「沢田幸彦くんは、去年のちょうど今頃、行方不明になってね」
音無氏はノートパソコンを開いて、当時の新聞記事を見せてくれた。
当時は大騒ぎになって、近隣の池や川の捜索までしたそうだが……手がかり一つ見つからなかったとある。
「この子!」
私は新聞の写真の男の子を凝視する。間違いない。
「昨日、私、この子があの家の玄関の前に立っているのを見ました」
「え?」
音無氏は驚いたようだ。
「ママに会いたい……ぼくを見つけてほしいって言っていました」
声は聞こえなかったけど、そう言ったと『わかった』。
音無氏は黙り込んだ。
「あの?」
沈黙に耐えられず。私は音無氏の顔を覗きこむ。
「……本当に君は、霊に好かれやすいんだな」
ぽつりと呟いた音無氏の言葉は、少しも嬉しくない言葉だった。
「でも……霊って、昼間にも出るものなんですか?」
裏野ハイツに戻りながら、私は音無氏にたずねた。
「幸彦君は君に助けを求めたのだろう? なら、君が『望めば』現れる」
本音を言うと、ほぼ『幽霊』確定の幸彦君に会いたいかどうかは、微妙である。
でも。
『家に帰りたい』と玄関の扉に立ち続ける幸彦君の姿を思い出す。
目の前の家族のもとに、『帰れない』彼の気持ちは、どんなものなのだろう。
「どうすれば?」
裏野ハイツは、夏の日差しを浴びていた。201号室と103号室には洗濯物が干されている。
他の部屋はカーテンが引かれていた。
周りに人影はない。強い太陽の日差しが照り付け、影の色がとても濃い。
「手を握るよ?」
音無氏がそう言って、私の手をキュッと握った。
「うわっ」
電気のような痺れが、音無氏の手から伝わってきた。暖かい、安心する『何か』が私の身体を駆けめぐる。
「名前を……呼んで」
言われて。私は深呼吸をする。
音無氏の大きな手の感触に支えられ、不思議と怖くはなかった。
「幸彦君」
その名をとなえると、目の前にぼんやりと幼い男の子が現れた。
立体感はあるのに、よくみると後ろが透けていて……影がない。
「捜してあげる。どこにいるの?」
幸彦君は私を見て、歩き出す。
私は音無氏とともにその後を追う。
ぐるぐると住宅街を歩き、ある一軒家にたどり着いた。
その家は車一台がやっと通れるくらいの古い住宅密集地にあったが、この真夏の日差しの中、歩く人はどこにもいない。
「人……住んでいるのよね?」
家の雨戸が全て締まっている。
しかし、家の庭木は明らかに手入れされていて、植木鉢に植えられた花も、しおれてはいない。
幸彦君は、その家の二階をすうっと指さした。
「音無さん」
私の言葉に、音無氏は頷き、パチンと指を鳴らした。
門の向こう側に、アザミさんがすうぅっと現れた。
「二階だ」
音無氏がそういうと、アザミさんは壁に溶けるように消えていった。
不意に、幸彦君の姿が消えた。
「あの? うちに何か御用ですか?」
振り返ると、三十代半ばくらいの女が、そこに立っていた。
とても綺麗な顔つきをしているけれど、目が少し落ちくぼんでいて、ヒステリックな雰囲気のする女性だ。
音無氏は、私を庇うように女の前に出た。
「迷子の男の子を捜していまして」
にっこりと笑った音無氏を女は、にこやかな笑みで返す。
「あら。うちは、私の一人暮らしなの。残念ながら子供はおりませんから、子供がうちに来ることはないですわ」
言外に、関係ないといっているのだ。
「この男の子なのですが」
音無氏は、私に見せてくれたノートパソコンの新聞記事を、女に見せた。
「さあ。存じませんわ」
彼女はそういって、首を傾げる。
不意に、玄関の扉がカチャリと開いた。
「生きてます! でも、酷い状態で……救急車と警察を」
アザミさんが中から声を上げた。
「わかった。有野さん、救急車を」
音無氏に言われて、私は携帯を取り出す。
「あんた、何を言って?」
彼女にはアザミさんの声は聞こえなかったらしい。
「ここに、沢田幸彦君がいますね?」
私に電話をするように目配せをし、音無氏はそう言った。
女は電話を手にした私の手に飛びつこうとして、音無氏に腕をとられて締め上げられた。
「あの子は、私の子よ!」
女はヒステリックに叫ぶ。
「あの子は、私が……私が生むはずだった、子供なんだから!」
「仮に、あなたの子供だとしても……自由を拘束して、家に監禁することは虐待だ」
音無氏は、暴れる女を地面に押さえつけた。
「あのひとの子は私のものよ! 誰にも渡さない!」
女は、隣近所から人が集まってくることも気にしないで、大声でわめきちらす。
私は、救急車と警察に連絡を入れた。
やがて……痩せこけて、ほぼ昏睡状態の沢田幸彦君が病院に搬送されていった。
音無氏の人脈か何かが駆使されて、私達は夕方に、警察の事情聴取から解放された。
沢田幸彦君は、現在、飢餓状態のため、病院の集中治療室にいるそうだ。
まだ、取り調べの段階で、はっきりしたことはわからないが、幸彦君を監禁していた女は、四年ほど前に、沢田さんの夫のストーカーとして捕まった女だったらしい。
幸彦君が行方不明になった時、捜査線上にあがったことはあったらしいのだが、どうやら、警察の捜査をうまくけむにまいて現在に至ったようだ。
「これで、一件落着ですね」
私がそう言うと、音無氏は苦笑した。
「沢田家の問題はね。でも、君の問題は終わってないよ」
そういえば、私、昨日、金縛りにあったのだ。なんか色情魔とやらに気に入られたらしいという話だったのだ。
「今日は、俺も裏野ハイツに泊まるから」
「あんまり、あの部屋に泊まりたくないですけど」
思わず本音が漏れる。
「だったら、ラブホテルにでも泊まる?」
「は?」
言われた意味がわからず、音無氏の顔を見ると、彼はニヤリと笑った。
「だって、いっしょにいないと守れないし」
それはそうかもしれないけれど。
「どうせなら、そういうのもありかなあと」
低めのバリトンで囁かれると、からかわれているのがわかっていても、ドキッとする。
「音無さん、あんな事件があった後で、そう言う冗談、やめてください」
私はふうっと息を吐いた。
「その気もないのに、女をからかったりすると、痛い目に合いますよ」
「……その気がない、わけじゃ、ない、けどね」
くすりと、音無氏は艶っぽく微笑んだのだった。
微糖投入 しているつもり……当社比。