田園調布に咲く一輪の花
――十五億、八億、駐車場三台完備。みんな二階建てが中心で、昔わたしが免許伝来を受けた不動産仲介業知識からいうと、閑静な第一種低層専用住宅地域だということになるだろう。
厚さ二十センチメートルはあろうかという『週間住宅情報誌』改装直後の新宿駅構内でアルバイト求人誌と肩を並べ無造作に置かれてあった。あの独特な表紙のてかりが苦々しく、わたしは照れ臭さに顔をふせた。勢いだけで、あるいは不平不満を愚痴るために仲良くなった音信不通の友人に出会ってしまったかのようなうしろめたさ。わたしは罪悪感もないのに、なぜか胸の底が真っ赤になる。
わたしは十五歳にして、その週刊誌を買った。ページごとにカラー・インデックスが付いていて、わたしは紫色で?大田区田園調布?と分類されていたところの端を三つ折りにしていた。
もちろん田園調布に住む夢を持っていた。易学でも、儒学、マーフィーの法則、〈いつまでもあると思うな親と金〉という故事ことわざもじゅつつなぎに羅針盤の代用とした。しかしどうすることも出来なかった。泥沼に住むどじょうが、太平洋へ引越しをしようとするようなものである。
たまたま昨日、東横線に乗ってそこに降りたった。駅舎は頑丈で清潔。下り坂の?田園調布商店街?を降りると日本一の高級住宅街が開けた。商店街外れの昔ながらの庶民派青果店を過ぎる瞬間、わたしは階級の大気圏に入った気がする。ほっと落ち着くようなアスファルトの足触りだ。だが数秒後時空、時代、国家さえも超越した人生の重みがわたしの胸を貫く。
田園調布百景は北海道のように道が十字にブロック別けされ、マンションは一棟もなく、ただ夜空がきれいだった。見晴らしが素晴らしく、番犬などおらず、通る車もなく、ファッションセンスが良い帰宅中美女の足音以外、ただ静寂の音が大音量で流されている。わたしは幸福だった。幸福は音のない空間に一輪の花を咲かせている。
誰もがそれを見つけようと、現代社会で悪戦苦闘の日々を過ごす。わたしは田園調布に咲く花を探していたことになる。正直今では何の興味も湧かない。金が稼げたら貯金をするだろうし、客観的で有意義な出費先はどこであるか頭を絞って考えるだろう。物よりも空間。あの静けさが贅沢だと知ったわたし自身に価値が生まれた気がする。
わたしは耳障りなネオンを浴びながら家路に向かった。