8、お買い物
ビアーレのドール専門店で博美はマリードールの新しいドレスを捜していた。
店内には、大きな目の、現代的なちょっとつんとした表情をした、新作の70センチドールが並び、壁いっぱいに衣装のハンガーがかけられていた。
博美は自分の服を買うように浮き浮きした気分でバリエーション豊かな服を眺めていった。
服は一式で7000円から1万5000円くらいの物がほとんどで、でもマリーはそんな安物では満足しないだろう。
奥の方のワンコーナーにゴージャス系のドレスが揃っていて、さすがに目の肥えたマニア向け商品なだけあって、デザインも縫製もしっかりしていた。お値段も一般の物とはかなり違う。
博美の頭にはマリーの好みがインプットされていたけれど、他にも色々目移りして、それはきっとマリーが色々楽しんでいるのだろうと思った。
チャイムに続いて店内アナウンスが流れてきた。
何気なく聞いていた博美はギョッとした。
『市内からお越しの西川博美様。お連れの七尾様がお待ちです。2階、総合案内カウンターまでお越し下さい。繰り返します。市内からお越しの西川博美様……』
麻樹だ。ここに来てるんだ。
なんで?、と思って、どうしよう?、と思った。
せっかくの楽しいお買い物気分が台無しだ。
どうしよう、どうしよう、とうじうじ迷って、
ああ、そうだ、もう買い物が終わって出たことにすればいいんだ、
と、ほっとしたところ、スマホが鳴った。
嫌な予感がしながら見ると、案の定、麻樹からだった。
さっさと電源を切っておけばよかった、と自分の迂闊さを呪ったが、手遅れだ。
ああ、嫌だなあ……、と恨めしく呼び出し画面を見ていると、ふいに切れた。
あれ?、と思い、またすぐにかかってくるんじゃないかと身構えていたが、かかってこなかった。
変なの、と思ったが、きっと勝手にもういないと思ってくれたんだろう、と気楽に考えて、再び楽しいドレス選びに夢中になっていった。
「あれ、切れやがった。……あん? 電池切れ?」
麻樹は急に切れてしまった自分のスマホを見て舌打ちした。
「おっかしいなあ、んなに使ってねーのによおー。
しゃあねえな、
そっちから博美にかけろよ」
二人のうち一人が自分のスマホを操り出したが、
「あんれえー、こっちも駄目だ。おっかしいなー」
と、もう一人に振り、残る一人がスマホを取り出すと、
「ええ? なんで? こっちもだよ」
と、嘘じゃないことを麻樹に見せた。
「どうなってやがんだよ、くそっ」
女子高生の汚い言葉遣いに、夫人を伴った年配の男性が顔をしかめて行った。
平日夕方の郊外型大型ショッピングモールには昔からの中心街よりずっと多くのお客がいた。麻樹たち同様、派手な化粧をした、スカートの極端に短い女子高生たちも多数見られた。
麻樹たちは、丸い帽子を被ったおしとやかな女性二人が座った丸い案内カウンターの前の、お店の並ぶ左右のウイングをつなぐブリッジになる、ちょっとした広場にいた。1階を見下ろす広い吹き抜けに臨んで椅子が並び、座って休憩している老人たちがいる。
さっき呼び出しのアナウンスをしてもらった。居ればここに来るはずだ。来なければ……
明日どういうことになるか、分かってるよなあ、博美?
麻樹はイライラしながら博美を待った。
「なあ、麻樹。あの女、なんかずっとこっち見てねえか?」
「あん?」
メンバーの指差す方を見て、麻樹はつり目を丸くした。
広場の入り口に当たるところに女が一人立っているのだが、それがなんともまあ、目立ちまくりの場違いなかっこうをしていた。
帽子……普通の帽子じゃなくて、レースが盛大にはみ出した、大きな丸いつばの帽子で、着ているのがまた、肩の膨らんだ、ひだひだの重なった、脚をすっぽり覆ったボリュームたっぷりのスカートの、ゴールドのラインの入った、濃い、渋めのグリーンのドレス。
要するに、超時代錯誤の、ゴージャス系のロリータ服で、
ここにもたまにそういう恥ずかしい女子が歩いているが、
この女が特別なのは、混じりっけのないブラウンの、くりくりの巻き毛をした、物ホンの西洋人だという点だ。
日本人にはあり得ない白い肌をして、透明なグリーンの瞳をしている。
年はちょうど二十歳くらいに見えるが、外国人の年齢はよく分からない。13くらいかもしれないし、35くらいかもしれない。
女は三人が気づいたのを見ると、スイ、スイ、とスカートを揺らして近づいてきた。
外国人にビビる二人に押される形で麻樹が前に出た。
50センチの近くで女は立ち止まり、麻樹と見つめ合った。もっとも女は175くらい背があって、麻樹は見下ろされていたが。
ムカつくくらい綺麗な顔をしていたが、ムカつくのはその目が侮蔑的に冷たいこともあった。
「な、なんだよお?」
とても友好的とは思えない態度に麻樹も苛立った声で訊いたが、完全に及び腰になっていた。
「 」
「あん? なんだって?」
女は何か言ったが、外国語、英語ではないけれど多分ヨーロッパの言葉で、まったく聞き取ることも出来なかった。
女は言葉を続けて、
「だから、なんつってっか分かんねえっつってんだろ!」
と麻樹は声を荒げたが、女は、
「ふっ」
と鼻で笑って、無知な東洋の女学生を猿でも眺めるみたいに嫌な目で見下した。形のよい丸い唇が動く。
「 」
何を言っているか分からないが、相当腹の立つことを言っているんだろうとは分かった。
この女はなんなのだろう? こんなふざけた格好をして、ショップのイベントにでも呼ばれたモデルだろうか?
「 」
女が嘲りの顔で言い、周りで見物している客たちまで同調して呆れたようにクスクスし、大口開けて笑い出す中年親爺までいた。
麻樹はカアーッと怒りで赤くなった。
「なんなんだよ、てめえ! いい加減にしやがれ!」
無駄にリボンの並ぶ胸元につかみかかろうかと手を伸ばすと、途端に、
辺りの空気がぞっとするほど冷たくなった。
周りのお客たちの目が冷たい。
さっきまで女と一緒に嘲っていたのとはまた違って、ひどく嫌な物を見るように、蔑みの目をして、ひそひそ顔を寄せる女子高生たちから「クスリ」という言葉が聞こえた。
「ま、麻樹い……、なんか変だよお……」
後ろの二人が怯えて麻樹の背中にくっついてきて、麻樹は憎しみの目で女を睨みつけて、いったん止めた手を伸ばした。
バチッ、と、デコピンでもくらったみたいな衝撃に頭が反っくり返った。
何が起こったのか目をパチパチさせていると、鼻の奥がツーンと痛んで、きな臭い臭いがあふれ返った。
「お客様、大丈夫ですか?」
案内嬢が慌てて、一人がカウンターの下からティッシュボックスを持って立ち上がった。
「麻樹い、鼻血」
「え?」
下を見ると、ボタボタと赤い筋が紺色の制服に滴り落ちた。思わず手をやると、手のひらが真っ赤に染まっていった。
「大丈夫ですか?」
案内嬢から3枚4枚とまとめて渡されるティッシュで鼻を押さえると、それも見る間にぐっしょり濡れていった。
麻樹はショックで呆然としていたものの、後ろに下がってあからさまに「ばっちい」顔をしている女を見て、またカアーッと頭に血が上った。
「てめえ、なんなんだよおっ!?」
「お、お客様」
重ねたティッシュを差し出しながら、案内嬢が麻樹の目を覗き込みながら訊いた。
「大丈夫ですか?」
「あん?」
苛立って睨みつけた麻樹は、案内嬢の目に怯えを見て、ふと見渡して、立ち止まって、もしくは足早に行き過ぎながら嫌な目を向けているお客たちの様子に気づいた。
西洋女は、すっかり冷たい顔に戻って、ゴミでも見るように麻樹を眺めていた。
「ま、麻樹い~、なんか変だよ。恐ええよお~……」
二人が泣きそうな顔で訴えてきて、
「ただ今係の者が医務室までご案内いたしますので、落ち着いてお待ちください」
となだめるように言う案内嬢と、カウンターで電話をかけているもう一人を見て、麻樹も、
「うっせーよ! ほっとけよ!」
と、さすがにいたたまれなくなって、女を睨みながら背を向け、駆け出すように歩き出した。メンバー二人も、
「麻樹い~~」
と名前を呼んで追いかけた。
麻樹は名前を呼ばれるのが恥ずかしくてしょうがなかった。