2、骨董屋
「やだよお、これ。どうしよう?」
「わっ、馬鹿、こっちよこすんじゃねえよ!」
真っ青になり、泣きべそをかきそうになりながら、彩美は死人から渡された人形が気持ち悪くてならず、リーダー格の女子、麻樹に、どうしよう?と両手で腰を持って差し出した。麻樹は汚物を避けるように飛び退いた。
「捨てりゃいいじゃねえか……、ま、呪われたって知らねえけどな」
「そんなあ……」
麻樹に嫌な笑顔で意地悪を言われ、彩美はますます泣きそうになった。
「でもさあ、麻樹……」
メンバーの一人が何か言いかけて、あっ、と慌てて口を閉ざした。が、
「なに? 博美」
麻樹に睨まれて、博美は、ふにゃっと頬の膨らんだ顔に愛想笑いを浮かべ、人形に目線を合わせて、言った。
「これ、けっこういいやつなんじゃね? 骨董屋とかにけっこうな値段で売れるんじゃねえの?」
言われて麻樹も、眉をひそめながらも人形の顔を眺めた。人形はほっそりした顔立ちで、目鼻や唇の輪郭がくっきりして、素人目にも安っぽい外国の工場の大量生産品とは出来が違っていた。
「なるほどね」
ニヤリと欲をむき出しにした。
「骨董屋って、どこがある?」
「確か、あっちの方にあったと思うよ?」
博美はアーケードの、事故が起こったのとは反対の出口を指した。事故が起こった方は、わあわあと野次馬でいっぱいになっている。
近くに立った主婦らしい中年女性が、彩美と女のやり取りを見ていたのだろう、非難を含んだ目をこちらに向けていた。麻樹は宣言するように高い声を上げた。
「本人からあげるって言われてもらったんだ、これはもうこいつのだよ!」
中年女性もガラの悪そうな女子高生に絡まれるのはご免で、ぶすっとした顔を逸らした。
「さあ、行こうぜ」
女子高生5人組は騒ぎに背を向けて歩き出した。
骨董屋は、アケード街から2ブロック下った、古い小さな専門店の集まった並びにあった。通りはアーケード街から離れるごとに寂れていくようで、街灯の鉄柱もペンキが剥げて錆だらけだった。
店主は頭のすっかりはげた、丸メガネにちょび髭の、自分も骨董品みたいな親爺だった。
女子高生が持ち込んだフランス人形を眉間にしわを寄せて眺め、眉を山なりにして彩美を見上げると、
「これ、君の?」
と訊いた。後ろから麻樹がニヤニヤした顔で、
「いとこの姉さんからもらったんだけどさあ、フランス人形って年でもないしさあ、悪いけど、現金の方がいいもんねー?」
と適当に話を作り、彩美もうなずいた。
ふうん、と親爺は人形に戻り、巻き毛をかきあげて首の後ろを見たり、スカートをめくって脚の付け根を調べたりした。
「新しく作ったコピー品だな。中古品扱いだから、600円てとこだな」
「ええっ、んなわけねえだろ!?」
期待を大きく下回る金額に麻樹はガラッと声音を変えて抗議したが、
「大手のリサイクルショップなんて持って行ったら、300円も付きやしないよ?」
と、親爺の方もジロリと女子高生たちを見回し、
「不満なら買わないよ? 高い商品となると、ちゃんと大人の人といっしょに来てくれなくちゃ。どうする? こっちはどっちでもいいよ?」
と気のない風に言い、
「ちぇっ、なんだよ、足下見やがって。3000円!」
「800円」
「2000円!」
「900円」
「1800円!」
「1000円」
と、けっきょく、
「1200円」
ということに落ち着いた。
彩美が買い取り証明書に名前と住所を記入し、麻樹が1200円受け取り、
「毎度あり」
の声に送られて女子高生たちは店を出た。店を出た途端、
「くそっ、因業ジジイ!」
の声が聞こえて来て、店の奥の親爺は、チラリとだけ視線を上げ、あくどくほくそ笑んだ。
「毎度ありい~」
人形を改めて眺め、
「ふうむ……」
と難しそうに目を細め、疲れたようにパチパチ瞬きした。
「10万くらい付けてみるか。素人の趣味の作品だろうが……、ま、まさかな」
二度三度首を振り、可笑しそうに笑った。
客はない。
古本の文庫を読んでいた親爺は、表もすっかり夜になったようで、さて、と店じまいすることにした。
コッチ、コッチ、と複数の時計から古いガンギの音が響く細長い店内を歩いて行き、開いた自動ドアからひょいと腕を伸ばしてフックを引っ掛け、ガラガラとシャッターを下ろした。カチッとターンをひねって鍵をかけ、これで店じまい完了だ。
店主の住まいはここではなく、10分ほど歩いた所に家がある。愚痴しか言わない婆さんと二人暮らしだ。
急いで帰りたい家でもなく、店主は阿弥陀様なんかの置物と並べて陳列したビスクドールを前に立ち止まり、またしばし見つめた。
「……20……、30……、50万付けてもいいか…………」
薄暗い蛍光灯の下、グリーンの瞳を眺めているうち、自分の目玉までガラスになったように固まり、ポカーンとだらしなく口が開いていた。
ガシャガシャガシャ。
突然の騒音にぎょっと伸び上がり、店主は自分が背中にびっしょり汗をかいているのに気づいた。
「な、なんだ?」
音のした表の方を振り返ると、
ガシャン、ガシャン、
と、何者かが店のシャッターを叩いているようだった。
酔っぱらいが出るにはまだ早いがと思いつつ、様子をうかがった。
ガシャン、ガシャン、としつこく叩かれ、舌打ちすると、
「はあーい。どなたあ?」
と迷惑そうに声をかけた。叩いていた音が止まり、
女の声が言った。
「人形」
店主は何故かひどくぎょっとした。
つばを飲み込むと、喉が貼り付いたように痛んだ。
「人形。わたしの人形、返して」
店主は思わずビスクドールを振り返った。
痛む喉にあふれるつばを飲み込んで、二度三度ためらって、呼びかけた。
「なんです? なんのことですか?」
「返して、わたしのお人形」
女の声は、変に震えを帯びて、まるで人を脅かすみたいに急に高くなったり低くなったりした。
店主は気味悪くなり、
ああ、そうか、あの女子高生どもが仕返しに来たのか、
とも考えたが、どうも違うように思われた。
背中の汗が冷えて、ブルッと震え上がった。
「あんた誰だ? あんたの人形なんて知らんぞ!」
店主は思わず大きな声を出した。腹の底から勢いよく吐き出さなければ、震えて声が出そうになかった。
ガシャンッ、ガシャンッ、ガシャンッ、
怒りをぶちまけるようにシャッターが激しく乱打され、店主は怯えた。
「返せええ、わたしの人形おおおおおおおお」
ひいいい、と店主は震えると、
「やめろおっ! 警察呼ぶぞおっ!」
と、渾身の声を上げた。
静かになった。
10秒、20秒、
1分、2分、
店主は暗く自分の姿を映す自動ドアのガラスを微動だにしないで見つめ続けていた。
ガシャ、ガシャ。
再びシャッターが鳴らされ、店主はぐっと首に筋を立てた。
「すみませーん。おられますかあ?」
男の、割合のんびりした声が呼びかけて来た。そういえばシャッターを鳴らす音も穏やかだった。
「は、はいっ? なんですか?」
店主は思わず声を裏返らせて返事した。
「わたし、東通り交番の者です。この辺りに不審な女がいると通報受けまして。いかがですか? 何か変わったことはありませんか?」
お巡りさんのようで、店主はほっと息をついた。
「き、来ましたよ、うちに、その女」
「えっ、本当ですか?」
「横に回ってくれますか? 裏口開けますんで」
店の横にとなりの店との間に、ほんの細い通路がある。
店主は奥に向かうと、お会計の横のドアを、向こうの壁にぶつけないように6割ほど開けた。
「あ、こんばんは」
まだ若いお巡りさんがひょっこり顔を覗かせた。心持ち体が斜めなのがこの通路の細さを表している。
「どんな女でしたか?」
「いや、姿は見てないんです。表のシャッターをガンガン叩いて、訳の分からないことをわめいて」
ぐうっ、とお巡りさんの顔が大きく歪んで、店主もびっくりして顔を引きつらせた。
お巡りさんは表の方を向こうとして、急激に力つきたように崩れ落ちた。
ぬっ、と女が現れた。
「うわああっ」
店主は悲鳴を上げてのけぞった。
一目見て、女は、異常だった。
顔が、斜めにずれていた。髪の毛がぐちゃぐちゃに、血でべったり、額から頬に貼り付いていた。首も真っ赤に染まって、ワンピースの赤が元々の色なのか、それも血に染まったものなのか、店主には分からなかった。
あの女だった。
車道にスキップで飛び出し、横からもろに車に激突され、即死したかと思われたが、生きていたようだ。
しかしやはりダメージは大きく、ガクリ、ガクリ、と腰を踊らせて、まともに立っていることも出来ないようだ。
地面に横たわったお巡りは腰の後ろに手をやり、うう、うう、とか細いうめきを上げている。
女はそのお巡りをまたいで、グラリ、グラリ、と大きく左右に揺れながら店内に入って来た。
「うわあああっ」
女の右手が握っている物に店主は恐怖を新たにした。
医者が手術に使うメスだ。
真っ赤に濡れ光っているのはお巡りの血だろう。
お巡りの苦痛のうめきを聞き、女の壊れてしまった顔面がぬうっと迫ってくるのを見て、店主は新たな悲鳴を上げると、中央の通路に駆け出した。
背中に女が抱きついて来て、ずるりと滑り降りながら、逃げようとする店主の腿にしがみつき、バッタリ倒れさせた。
店主は悲鳴を上げて腰をよじり、脚と手で女を引きはがそうとした。
「放せ! 放しやがれ!」
女の腕が振り上げられ、グサリ、とメスが脂肪で膨らんだ店主の腹に突き刺された。
メスはすぐに引き抜かれ、悲鳴を上げる店主の腹に、グサリ、グサリ、と、闇雲に突き立てられた。
ポロシャツの胴がぐっちょり濡れ、メスが振り上げられるたび、辺りに血が飛び散った。
女は本当に闇雲にメスを振るっていた。
店主の腿の間から顔を上げると、ギョロリと店主に目を向け、言った。
「返してえ、わたしのお人形おおお」
「かっ、かっ、」
店主は口から赤いあぶくを飛ばしながら、ようやく言った。
「返……す」
しかし、女の目は表面にビニールが浮いたようになっていて、もはや焦点が合わなくなっているようで、耳も聞こえていないようで、
「返してえ、わたしのお人形おお」
と同じ言葉を繰り返し、いつまでも飽き足らないように手を上げ下げし続けた。
飛沫に顔面も真っ赤に染めながら、店主は、
「返す……って、言って……るじゃないか」
と恨めしく洩らし、こちらももはや暗くなった視界で天井を仰ぎ見た。
・・・・・・・
え?…… なんだって?…………
店主はありったけの力で首を持ち上げた。2段になった陳列台の上の方で、
人形がこちらを向いて立っていた。
通路に向けておいたはずだが、店主にはそれがひどく納得出来た。
女はまだ飽きもせずにぐさぐさになった腹にメスを突き立て続けている。
店内には自分の血が飛び散る音だけが静かに響いている。
聞こえたのだ、軽やかで、残酷な、
若い女の笑い声が。
あの笑い声は…………
店主の体は女の手の動きで揺れるだけになった。
女の手が上がり、女は不思議そうに首を横にすると、ようやく手を止めた。
「お人形、わたしのお人形…………」
用のなくなったメスを放すと、喉から声を漏らしながら、壊れた体でなんとか立ち上がった。
「お人形、わたしのお人形」
壊れた女の顔が、自分の方を向く人形を見つけると、とても嬉しそうに笑った。