16、ハッピーエンド
閑静な住宅街に、2つの死体は突然現れた。
商用で通りかかった車が犬にズタボロにされた女性僧を見つけ、PR誌のポスティングに回ってきた女性がカラスに食い散らかされた性別不明の残骸を見つけ、あっという間に大騒ぎになった。
平日昼間で留守の家が多かったとはいえ、こんな状態になるまで事件が露見しなかったのが不思議だった。
表で騒ぎが起こって、約束の時間が過ぎてもなかなか現れない霊能師を不安な思いで待っていた西川家の母親二人は、まさかと嫌な予感に顔を見合わせた。
「ひっ・・」
突然詩穂の母が両手で耳を覆った。
「ああ、やめて、やめてちょうだい!」
神経質に引きつった顔で喚き始め、
「奥様、どうなさったの?」
博美の母はおろおろと訊ねた。
「笑い声よ。奥様、聞こえるでしょ? ほら、ほら」
博美の母には聞こえなかった。
「ああ、もう、なんて嫌な笑い声。気が変になる」
両手で頭をかきむしり、美しい顔が病的に歪み、博美の母は詩穂の母の狂気に染まった豹変に恐怖した。
ガリガリと髪をかきむしった詩穂の母は、
「よくも…………」
凄まじい眼光を発して2階を睨んだ。
「奥様、鍵を。もういいわ、わたしが直接あの人形を焼き捨ててあげるわ」
「で、でも……」
「奥様。鍵を」
鬼のような目を向けられて、博美の母はおずおずと鍵を差し出した。
「殺してやる……、殺してやる……、あの人と詩穂の敵を討ってやる……」
詩穂の母は客間から廊下に出ると、階段に向かった。
半ばほどまで上がった所で、立ち止まった。
階段の先を見て、
「殺して……、殺して……」
と声を震わせていたが、ふ、と声が止まり、ゆっくり後退すると、
「きゃーっ」
と悲鳴を上げて駆け下りた。そうしてそのまま、
「ああ、嫌よ、嫌よお……」
と泣きながら、玄関から出て行ってしまった。
廊下でぽかんとして見送った博美の母は、おそるおそる詩穂の母が見ていた階段の先を見て、手すりの影が落ちるだけで何もなかったが、ブルッと震えた。そして、
「あ、鍵」
と、詩穂の母が持ったまま行ってしまった鍵を思い出し、夫にばれたら大変だと、
「奥様、奥様!」
と慌てて追いかけた。
表の騒ぎにびっくりした。しかしこの時はどれほど恐ろしい状況であるのかまだ分からなかった。
詩穂の母の姿は見えなかった。多分反対の出口に行ったのだろうと向かった。そちらは道路ではなく堀が走っていたが、脇に細い通路が続いている。
しかしそこにも詩穂の母はいなかった。猛烈な勢いで出て行ったから、もう表通りに出てしまったのかもしれない。
詩穂の母はここまでタクシーで来たと言っていた。叔父の事故以来、自分で車を運転するのは怖くなったと。博美の母も自分用の軽自動車があったが、ペーパードライバーで、ほとんど乗らなかった。こんな時こそ乗らなければならないのだが、通りの騒ぎで車を出すことも出来ない。
自分もタクシーで、と思ったが、財布がない。
急いで家に戻ると、詩穂の母はバッグを忘れていた。バッグには財布もスマホも入っていた。
あらあら、届けてあげなくちゃ、とバッグを持って、玄関の鍵をかけて、堀の小道へ急ぎ足で戻って行った。
タクシーを捕まえて住所を告げ、バッグには家の鍵も入っていたので、奥様ったら、家に入れなくてお困りでしょうね、と考えた。
遠山家も西川家の界隈を上回るお屋敷町にあり、ステンレスの柵と一体化して温室の庭があり、中に赤やオレンジの花が見えたが、元気がなく枯れているようだった。
黒いつる草模様の門扉が開いていて、ステップの先に玄関が見えたが、一応呼び鈴を鳴らした。インターホンに返事はなく、
「奥様。遠山さん」
と呼びかけながら玄関に向かった。
ドアには鍵がかかっていた。
やっぱり入れなかったのね、と、どこに行ったのかしら?と家の周りを眺めていると、温室のドアのノブが半分ぶら下がっているのに気づいた。ドアが開き、中を覗くと、家のガラス戸が割れて開いていた。
まあ、と博美の母は呆れた。どこかで電話を借りて電話してくれたらよかったのに。それともタクシー代を払うのに無理やり入らなくちゃならなかったのかしら?と思いつつ、割れたガラスでけがをしたくないので、
「奥様。鍵、開けさせていただくわね?」
と声をかけて、玄関に戻った。
鍵を開け、広い玄関に入ると、上がった廊下に見覚えのあるパンプスがぬぎ散らかされていた。
「奥様、どちらにいらっしゃるの? あの、鍵を返してくださいな」
自分はきちんと靴を脱いで廊下へ上がり、呼びかけると、何か上から物音がした。
2階にいらっしゃるのかしら?と、遠山家は玄関からまっすぐ廊下が延び、途中で脇に階段があるようで、進んでいった。
上から何か物が床を打つ音がする。
「奥様、そちらにいらっしゃるの?」
シルバーのポールの並ぶ切れ込みがあり、絨毯の敷かれた上り口の床に入り、吹き抜けとなった上を向くと、途端に何か降ってきた。わっと慌てて身を引くと、
ダンッ、
と激しい音がして、目の前に黒いスカートの脚がぶら下がった。
突然のショックに顎をわななかせて見上げていくと、伸び切った白い喉にロープの輪が締まっていた。
上向いた顔に舌が飛び出ていた。
詩穂の母だった。2階の床から飛び降り、手すりに結んだロープで首をくくったのだ。
「ひひひひひひひ・・」
博美の母は後ろの壁に背中をつけてへたり込んだ。
美しかった詩穂の母の変わり果てた姿を見上げて、歯をカチカチ鳴らしていたが、
「そうだわ、鍵」
と所期の目的を思い出し、勇気を振り絞って、階段を2段3段上がり、手を伸ばして、ぶら下がる詩穂の母の服を探った。鍵はスカートのポケットに入っていた。
ほっとして、はっと自分のいる状況を思い出し、どうしようかしら、と迷ったが、そのままおいとまさせてもらうことにした。
さっき聞いたダンッという激しい音は、伸びたロープが壁を打った音だっただろうが、落下の勢いで首の骨が折れたようで、即死に違いない。
神樹光子留は現れなかった。
やっぱり通りの騒ぎのあれが彼女だったのだ、と思い、つまり、けっきょく、
負けたのだろう、
と考え、ならばもう、遠山の奥さんとも関わらない方がいい、と考えた。
警察が調べれば不審な点が多々あるだろうが、自殺が疑われることはないだろう。
博美の母は、ご近所の目がないか確かめて、急いで通りを歩き出した。
夜7時過ぎ、いつもの時間に西川氏は帰宅した。
「驚いたよ。たいへんな事故が起こったんだねえ」
西川氏は妻に、まだ警察の作業が続いていて、車が入れられず、近所の貸し駐車場に置かせてもらって、見張りのお巡りさんに住人だと名乗って通してもらったが、マスコミの取材がいっぱい来ていて、インタビューを迫られてまいったよ、と興奮した笑顔で話した。
「神社でも人が死んだんだろう? 犬に襲われたんだって? 何か変な電波でも出たのかなあ? 怖いなあ。明子も気をつけてな?」
「ええ」
夫人は青ざめた顔に元気のない笑みを浮かべてうなずいた。西川氏はちょっとその表情を気にしたが、すぐ近くでひどい事故が起こったんだから無理もないと、励ますように頼もしい笑顔を見せた。
「博美は?」
「ええ。今お風呂に入っているわ」
博美はずいぶん長風呂をして上がった。
「博美。ただいま」
「お帰りなさい、パパ」
パジャマに着替えた博美が居間に来て、父と挨拶を交わした。
妻が台所で皿洗いしている音を聞いて、西川氏は博美に訊いた。
「マリーさんは変わりないかい?」
「うん、パパ。何も変わりないよ」
「そうか」
西川氏は満足そうに微笑んだ。タブレットの経済ニュースをチェックしながら、BSの海外旅番組を見ている。
「それならいい。これからもマリーさんのお世話をしっかり頼むよ?」
「うん、パパ。大丈夫だよ」
日曜日。
博美と彩美はビアーレにいた。
二人はブロンドのウイッグを付け、エプロンドレスを着て、博美はマリードールを抱えていた。
お客たちが失笑まじりの呆れた視線を向けて行く。
あれがロリータファッションってやつ?
こんな地方都市でも頑張ってる子がいるんだあ?
と。
博美も彩美も恥ずかしくてたまらなかったが、仕方ない。
これは、マリーさんが望んだことなのだ。
博美が夢で指令を受け取ったのだ。
どうやらマリーさんはにぎやかな大型ショッピングモールがお気に入りになったようだ。
博美の父もマリードールを外に持ち出すのを心配したが、マリーさんの思し召しとあっては仕方なかった。
エプロンドレスの二人はマリーお嬢様の召使いだ。
お嬢様の思し召しに逆らうことは許されない。
マリーはキラキラと電飾を瞳に映し、お抱えの博美にあっちこっちと見たいお店を指示する。
ああ、まったく。まるっきり罰ゲームだよ、
と付き合わされている彩美は思う。
そうだ、これは罰ゲームなんだろう、マリーへの反乱を企てたことの。命があっただけ感謝しなくては。
自分も狂ったみたいに笑って「わたしは幸せよおー」と叫びたい気分だ。
さっさと他の人にマリー人形を押し付けて……
あの女の人の気持ちが少し分かったし、分かってしまうことにぞっとした。
マリーが飽きるまで付き合わなくてはならない。
でももし飽きられちゃったら、その時は…………
西川氏に副社長就任の内示が出たそうで、
お祝いの食事会をしようという話になった。




