14、人形の中にいるもの
彩美は博美に話した。
「あの人形が家にいる時、すっごくおっかない夢見たんだよね、死ぬほど苦しい夢。わたし、後ろから誰かに顔を水に浸けられてさあ。
……その時、後ろでわあわあ人が騒いでる声がしてたんだけど、それが外国語でね、英語ではないんだけど、なんか、聞いたことのあるような言葉でさ。なんだったかなあ……って思ったらね。
中学の時の音楽の先生が、『人類史上最高の音楽だ』って言って、授業3回に渡ってまるまる、バッハの『マタイ受難曲』全曲聴かされてさあー、イエス様がはりつけにされちゃうやつ、一々先生の解説付きでさあ、おかげでバッハもクラシックも大っ嫌いになっちゃった」
博美は元気なく笑い、怯えた目で彩美を見つめ続けた。
「あれってドイツ語でしょ? 夢の中で、後ろでわあわあ騒いでたのって、ドイツ語じゃあないかと思うんだよね、意味は全然分かんないけど。
でね、あの夢ってなんだったのかなあ……って考えて……、拷問だよね?顔を水桶に突っ込まれるなんてさ?
それで思ったんだよね、あれって、魔女裁判、ってやつなんじゃないか、って。
あのさ、
この間、誘拐されて殺された子ってさ、博美ちゃんの知り合いだったんじゃない?」
「なんで?」
「うーん……。
その子、全身を錐で突き刺されていたんだよね? それにさ、
麻樹は石を大量に飲み込んでプールに沈んで、溺れ死んだんだよね?
魔女裁判ね。
ちょっと調べてみたんだよ、また人形に睨まれるんじゃないかって怖かったけど。
魔女裁判、魔女狩りって、中世ヨーロッパってイメージするけど、本格的に行われたのは15世紀から18世紀で、4万人から6万人が魔女として処刑されたんだって。
魔女裁判のやり方っていうのが恐怖でね、完全な拷問よ。はっきり言って、一度魔女として告発されたら、自分は魔女です、って認めるまで絶対許されないで、拷問の途中で死んじゃった人もいっぱいいるんだって。
その拷問の内容っていうのがね…………
魔女裁判の指南書みたいな本があってね、なんとか会の異端審問官のクレーマーとか言う人(※ドミニコ会のハインリヒ・クラーマー)が書いた、
『魔女に加える天誅』(※『魔女に与える鉄槌』)
って本で、ここに魔女の定義と、魔女の判定の仕方……っていうか拷問の仕方、が具体的に書かれているわけよ。
これがエログロ満載のトンデモ本でね、当時大ベストセラーになっちゃったのよ。なんてったって偉い学者の書いた、有名大学のお墨付きなんだからね。
魔女は、
サバトで悪魔と交わって契約した者で、
体のどこかに悪魔との契約の印があって、
その印は刺されても痛みを感じないで、
悪魔の力で水に浮くんだって。
……馬っ鹿みたいでしょ?」
彩美は笑ったが、二人ともどんどん暗く深刻な顔になっていった。
「魔女として告発された者は、悪魔との契約の印がないか調べる為に、全身の毛が剃られて、全身を針で刺されて、痛みを感じない場所がないか調べるんだって。
鉄の檻に入れられて、水に沈めて、浮き上がってこないか調べたり……、溺れ死ぬっつーの。ねえ?」
魔女狩りの拷問と、事件。両者の符合に博美は戦慄した。
彩美はその表情をうかがいながら続けた。
「それでも自分は魔女だって告白しないと、手に焼いた釘を刺したり、指をペンチで潰したりして拷問したんだって」
二人とも顔が真っ青になっている。
「昔の人はよくそんなひどいことが出来たもんだよね?
魔女ってね、元々は薬草とかおまじないとかの昔ながらの民間療法を施す、今で言うといわゆるヒーラーとかっていう人たちだったみたい。そういう人たちが、キリスト教の教えに合わないってことで、異端の邪教徒ってみなされて、それでそんなひどい拷問がされたみたい。
『魔女の天誅(※魔女に与える鉄槌)』を書いたクレーマー(※クラーマー)って人も、すごく研究熱心な、熱烈なキリスト教信者だったみたい。宗教って怖いよねえ?
わたしがアーケードであの変な女の人に人形をもらったときさ、あの人、変なこと言ってたよね?
『わたしはもう十分幸せになったから、今度はあなたの番よ』
みたいにさ。なんなんだろうなあ?って思ってたんだけどさあ」
博美は胃が痛くなった。
「魔女狩りってね、何も教会ばかりがやってたわけじゃないみたいなのね。だんだんと、むしろ町とか村とかの普通の人たちが熱心にやるようになってさ。それがなんでかって言うとね、
魔女として処刑された人の財産はね、裁判官が自由に処分していいことになってたんだってさ。だからね、
例えば村の嫌われ者で、あいつは金を貯め込んでいるぞ、なんて人がいると、その財産目当てで魔女として告発する、ってことが多かったみたい。
だからね……。
あの人形が持ち主を幸せにするっていうのは、没収された財産を与えるってことで、でもその財産って、魔女にされて殺された人たちの物だったんだよね。だからさ、すっごい怨念のこもった財産なんだよ。だから、
財産をもらって幸せになった人って、魔女たちの恨みを思いっきり買ってるんだよね。
あの女の人が狂っちゃって、あげくの果てに自分から車に飛び込んでひき殺されちゃったのって、幸せになった後の、呪いだと思うんだ。
博美のお父さんが人形を欲しがったのってさ、ただのアンティークだから?」
博美は答えられなかった。彩美はそれでもかまわないように続けた。
「とにかく、すっごい特別の人形だって思ってたんだよね?
あれってさあ、見た目よりもずっと古い物なんじゃないかな?」
博美はうなずいた。
「200年以上前の物だって。ビスクドールの歴史より古い物なんだって」
「200年かあ……。てことは、1800年代、19世紀だよね? ちょっと新しいなあ……。
わたしさあ、その、マリー?だっけ?、マリー人形って、魔女狩りで殺された魔女たちの怨念がこもった、呪いの人形じゃないかと思うんだよね」
博美の胃はぎゅうっと凝り固まっていった。
「ちょっと話が大きすぎるかなあ……とも思うんだけど」
彩美は照れたように笑ったが、博美は全く笑えなかった。
博美は吐きそうな顔をしてしきりに生唾を飲み込んでいたが、体が揺れて、ふうっと意識が遠のきかけて、ブルルッと頭を振った。
「本当に……、そうかもしれない……。
マリーには、本当に魔女の怨霊が取り憑いてるのかもしれない。
ど、どうしよう?……」
博美に哀れにすがられて、彩美は考えた。
「うーん……、人形だから……、お寺に持ってって、供養してもらう?」
西洋の魔女のアンティークドールに和のお寺はミスマッチに思えるが、取りあえず女子高生に思いつくのはそんなものだった。
「お寺の和尚さんに相談したらいいじゃん? 少なくともあたしらよりかずっと専門家でしょ?」
「そうだね……」
頼りになるのかどうか怪しかったが、博美は少し元気になった。解決法が見つかったよりも、彩美との友だち関係が復活したのが嬉しかった。
「じゃあ、一緒に行ってくれる?お寺」
「しょうがないなあ。わたしもお祓いしてもらわなくちゃ」
「お祓いって神社じゃなかったっけ?」
「そうだっけ?」
二人は可笑しそうに笑った。
お寺よりは当てになりそうな解決法が見つかった。
帰宅した博美に母が詩穂の母の提案……霊能師・神樹光子留のことを話したのだ。
博美は神樹光子留を知っていた。そういえば最近その手の番組がなくなって見なくなったが、以前はけっこうテレビに出ていた、怖い顔のおばさんだ。
博美の了解を得て母はさっそく詩穂の母に電話をした。
こうなっては一刻も早く悪霊人形を除霊してもらわなくては、怖くて仕方なかった。




