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12、プール

 博美に詩穂の母から詩穂にお別れをしに来てほしいと電話があった。

 父と娘があんな死に方をして、叔父が人をひき殺して裁判待ちの状態で、二人の葬儀はごく身内だけで済ませることにしたが、特に仲の良かった博美ちゃんには是非、葬儀とは別に、お別れしてやってほしいというお願いだった。

 博美は怖じ気づいた。

 詩穂が死んだのは、自分が詩穂なんていなくなればいいと願ったからかもしれない。

 それに詩穂は、ひどい殺され方をしたようだ。そんな怖い死体に会いたくないと思った。

 電話を受けたのは博美の母で、娘もショックを受けていますので相談してお返事いたします、といったん失礼させてもらった。

「どうする?」

 と訊かれて、博美は絶対行きたくないと思い、お断りの電話をしてもらうことにした。

 母に電話してもらうと、詩穂の母はひどく残念がったが、無理もないと納得してくれ、

『どうぞ博美ちゃんに、詩穂のことをいつまでも忘れないでいてくださいとお伝えください』

 と言付けて、電話を終えた。


 詩穂のことをいつまでも忘れないでいてください。


 その言葉は博美の脳裏に呪いのように定着し、悩まされた。


「わたしのせいじゃないもん。詩穂ちゃんが意地悪なことを言うから、悪いんだもん……」

 そう思いながら、博美はマリーに近づかなくなった。



 マリーは、とても怒ったかもしれない。



 1週間が過ぎた。

「おい、博美」

 休み時間、すっかり疎遠になっている麻樹がニヤニヤしながら話しかけてきた。

「昨日よお、変なおっさんに話しかけられてよお。それがさ、おまえのことを訊きたいってさ。そのおっさん、探偵だってよ? 笑えるよな? ま、以前のあたしならダチを売るような真似しねえんだけど……、おまえはもうダチじゃねえもんなあ? お小遣いくれるって言うんで、べらべらしゃべっちゃった。アハハハハ~、ごめんなあ~?」

「何を訊かれたの?」

「さあ? おまえに何か変わったところはないか?とかってさあ、向こうも何が訊きたいんだか分かってねえ感じ? でもさあ、変わったことおおありだよなあ? なあ? 例えば……、変な外人の人形とか?」

 博美は内心ギクリとしたが、顔に出さないように努力した。そんな博美を麻樹はニヤニヤして眺め、

「じゃ、ま、そういうことで。小遣い稼ぎさせてくれてありがとうよ」

 と、行ってしまった。

 誰が? どうして? 自分のことを調べているんだろう?

 パパのライバルの人だろうか?

 どこからか人形のことを嗅ぎ付けたコレクターだろうか? パパの話では世界中に狙っている大金持ちがいるそうだから。

 博美が深刻に悩んでいると、離れた席から麻樹がニヤニヤして博美の様子を楽しんでいた。


 邪魔なやつ。

 友だちの縁切ったんだから、もうかまわないでよ!



 昼休み。

 麻樹にとっても憂鬱な時間だった。

 グループは解散し、独りぼっちになっていた。自分が嫌われているのも承知していて、孤高を気取っていたが、本心では寂しく人恋しかった。

 しかしメンバーとよりを戻そうと思ってもすぐに余計な憎まれ口を叩いてしまう。

 麻樹は弁当を持つと席を立った。さあて、今日はどこで食おうか。

 廊下へ出ると、中学で一緒だった女子が友だちと談笑しながら歩いてきた。中学の時は仲の良かったやつだ。高校に入学して、最近は全然話してない。

 麻樹はいたたまれない思いがして、つい、近くにあったトイレに入った。

 洗面台に人がいたのでしょうがなく個室に入った。

 このあたしが便所めしかよ、くそっ。

 まさかここで弁当を開く気はなかったが、そうした方が楽に思うほど、実は麻樹の精神は追いつめられていた。

 コンコン、とノックされたが、それはドアではなく、となりとの仕切りの壁だった。

 壁を見て、視線を上に向けた麻樹は、

「わっ」

 と驚いた。

 天井との隙間から人形が覗いていた。あのフランス人形だ。

 人形がしゃべった……ように聞こえた。

「へえー、ここがいわゆるブタ箱ってところかしら?」

「なんだとお……」

 捕まえようと手を伸ばすと、ひょいと人形は引っ込んだ。

「くそ」

 麻樹は個室を飛び出し、となりのドアを、ドン、と叩いて怒鳴った。

「てめえ、博美か!? ふっざけた真似しやがって、ただで済むと思うなよ!」

 カチャッ、と鍵が外れた。

「よおーし。いい心がけじゃねえか。少しは手加減してやるよ」

 ドアが内側へ開いていった。

 そこに立っている物を見て、麻樹はぞっとした顔で固まった。

 馬鹿みたいなドレスを着た、あの外人女だった。


 ありえねえ。あたしは幻覚を見てるんだ……


 女は白い綺麗な顔に酷薄な笑みを浮かべると、今度は麻樹にも分かるように言った。


「汚らしい牝イヌ」


 くわっ、と、麻樹の目玉が裏側へひっくり返った。

 脳内が真っ赤に爆発して、意識が、真っ黒になった。




 昼休みが明けて授業が始まっても、教室に麻樹の姿はなかった。

 不良を気取っていてもしょせんは恰好だけで、授業をさぼるなんて事はなかったので、どうしたのだろう?と一応クラスで心配された。


 授業をさぼって屋上で煙草を吸っている3年生がいた。

 階段室の上であぐらをかいて、スパーと気持ちよく煙を吹き上げながら下らない下界を眺めていた彼は、プールサイドへ上がっていく女子生徒を見つけ、何やってんだ?と興味をそそられた。

 女子生徒は真ん中の飛び込み台に立つと、ドッボーン、と盛大に水を跳ね上げて飛び込んだ。へっぴり腰で、腹から着水する、へたくそな飛び込み方だった。

 何してんだかなあー。ま、色んなやつがいるわな。俺が言うこっちゃねえわな。

 彼はのんびり煙草を吹かしながらプールを見守った。

 女子生徒は制服を着たままだった。

 水泳部も練習を終了して、水が恋しい季節でもないだろうに、酔狂な女子だぜ。

 彼は煙草を吸い続けながら、だんだん渋い顔になっていった。

 吸い殻をコンクリートの屋根で消し潰した。

 なんで上がってこねんだ? どうしてこんなに長く潜ってられんだ?

 彼の位置から、女子生徒の飛び込んだ辺りに黒い影が底をゆらゆらしているのが見える。

 立ち上がって覗き込んだ。手足がもがくように動いている。なんでだ? どうして立ち上がらない?

「おーーいっ!」

 彼は自分の立場も忘れて大声を上げた。

 プールのとなりに体育館があって、わーわーと声が上がって、授業が行われている。

「おおーーい! おおーーいっ! 体育館!」

 彼はありったけの大声で叫んだ。下の校舎でガラッと窓の開く音がした。

「プールだ! 女子生徒が飛び込んで、溺れてるぞ!」

 下でわあわあ騒ぎ出した。校舎のプールに向かっては廊下になっていて、教室から出てきた生徒たちが「おーい! プールだ、プール!」と叫び出し、体育館でもようやく気づいて中央の引き戸が開いた。

「プールだ! 女子が溺れてる!」

 体操着の男子が屋上の彼に気づいて、仲間に声をかけてプール向かって走り出した。男性教師も出てきた。校舎からも数人の男子生徒が駆け出してきた。

 早くしろよ、おい、と、屋上の彼はイライラと見守った。プールの底の女子はもう手足を伸ばしたまま動かなくなっている。

「あそこだ!」

 と見つけて、体操着と学生服がプールサイドを走り、勢いのままジャンプして飛び込んだ。

 潜って、女子生徒の腕を取って引っ張り上げようとして、何を躊躇しているのか、いったんやめて、水上に顔を上げた。4人、男子生徒が飛び込んでいる。

「おい、何やってる? 早く引き上げろ!」

 駆けつけた教師が泡を食って命じ、4人は浮かない顔でうなずき合って、せーの、で潜って、左右から女子生徒の腕を取ると、引っ張り上げた。

 女子生徒が引き上げられないのは着ている服が水を吸ったせいだと思っていた。

 だが。

 4人が顔を上げ、「せーの!」と踏ん張って、女子生徒を引っ張り上げようとした。

 音がした訳ではないが、「べりっ」と言う、何かが裂けた感触を感じた。

 女子の上半身が引き上げられた。と同時に、

 プールに、ゴボゴボッという泡と共に茶色い物が広がり、それはすぐに、濃い真っ赤に変わった。

「うわああっ」

「な、なんだこりゃあっ」

 水の中の男子たちが悲鳴を上げて、女子生徒を放り出して、プールサイドへと逃げ帰った。

「おいっ、こらっ!」

 体育教師は叱りながら、自分も腰が引けて動けなかった。

 女子生徒はうつぶせで浮かび上がった。その下から、どくどくどくどく、と、真っ赤な血が噴き出し続け、周囲に広がり続けた。

 校舎から悲鳴が上がった。

 何がどうなっているのか、誰も理解できなかった。



 死亡したのは七尾麻樹だった。

 信じがたいことだったが、麻樹は腹に大量の石を詰め込んでいた。自分で飲み込んだとしか思えない。

 石はグラウンドの外の駐車場に敷かれた砂利と思われ、小さい物ばかりでなく、けっこうな大きさの物もあり、これを飲み込んだなら喉が裂けそうで、実際麻樹の喉と食道はかなり損傷していた。

 自分から進んでそんなことをしたとは考えられないが、屋上から目撃した3年男子によれば、麻樹は確かに一人でプールにやってきて、自分から飛び込んだ。

 プールの底に沈んでいた石を回収したところ、10キロ以上あり、これが全部腹に入っていたなら、麻樹の腹は臨月の妊婦のようにぱんぱんに張っていたはずだ。3年男子は、言われてみればそんな風なよたよたした歩き方をしていた、と証言した。

 大量の石のせいで麻樹は浮き上がらず、溺れて、簡単には引き上げられず、元々張っていた腹の皮が、ついに限界を突破して破けてしまったのだ。

 自殺としか考えられなかったが、何故こんな死に方をしたのか、その動機も、まったく分からなかった。



 博美は、

『マリーさんがやらせたんだ』

 と思った。

 マリーさんもきっと、汚い言葉を使う、不良の麻樹が嫌いだったんだ。と。

 それでも、

『どうして?』

 と思った。

 どうしてわざわざ、こんな、みんなに見せつけるような殺し方をしたんだろう?と。

 そうして、

 自分の気を引く為では?

 と思った。

 自分がかまってあげなくなったから、気を引こうとして、自分の嫌いな麻樹を殺してくれたんじゃないか?

 でも、じゃあ、もし、

 自分がマリーさんに嫌われちゃったら、

 自分もやっぱりこんな風な……、ううん、きっと、

 もっとひどい殺され方をするんじゃないか?…………

 博美は真っ青になって、椅子から全く身動きできなくなってしまった。

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