上
2/9(火)とある高校。
「ねぇねぇアカ、コレ行こっ」
授業が終わるなり急いで部室に飛び込んできた長髪の少女は、先に部室にきて今にも壊れそうなパイプ椅子に腰掛けて紙のカバーが掛かった本を読んでいる少年に、手にしていた雑誌の付箋の張ってあるページを開いて見せた。
「ん?」
本から顔を上げた黒縁眼鏡の少年の眼前に、雑誌の広告欄を押しつける。
「これ!」
少年は、見えん……。と言いながら眼鏡を外して雑誌を受け取り、顔を引いた。
「今週の土曜じゃないか。」
「うん!」
少女は眼鏡の奥の瞳を嬉しそうに輝かせている。
「予定、なんかあった……?」
そして、今更ながらに都合を確認した。
「……ないな。」
少年は、生徒手帳を制服のベストの胸ポケットから取り出して中を確認し、言った。
「やった!」
少女はガッツポーズをする。
「予定ないと行かにゃならんの?」
「……行きたくないんなら、いい」
少女はあからさまに落ち込んだ。
しょぼーん。とセルフ効果音を小さくつけて。
「行くって。
そんな落ち込むなよ、蛙子。」
少年は仕方ないとでもいうように、眉を八の字にした。
「──こんちゃっす」
「ちわー」
「こんにちわ」
そこで、タイミングを見計らったかのように他の部員も部室へやってきた。
ここは部員7名(幽霊部員1名+兼部1名含む)の文芸部部室。
唯一の3年生が幽霊部員なため、仕方なく2年生で部長代理をしている少年紅雄は、眼鏡をかけなおして本をテーブルに置くと、立ち上がった。
「じゃ、全員揃ったから今日の活動始め。」
彼が手を2回叩くと、各々活動を始めた。
ある者は400字詰め原稿用紙に文字をおこし、ある者は画用紙にインクとつけペンで世界を創造する。
またある者は、特別に使用許可の出されているノートパソコンのキーボードを強く打っていた。
紅雄は読書を再開。
「アカもたまには何か活動しようよ」
ノートに人物相関図を書いていた蛙子が言うと、
「ベニ先輩。仮にも部長代理でしょー?」
思い出したように、原稿用紙から顔を上げた少年が言い、
「暇なら手伝ってほしいですクレナイさん」
「紙めくる音が気になります。副部長。」
後輩たちも続いた。
「うるさいお前ら。
それとな椎名。確かに俺は部長代理で副部長だけど、それはクロ先輩が幽霊部員だから仕方なくだ。
文句があるんなら代わってくれ。」
クロ先輩とは、黒木という名字の3年生。
今年は文芸部唯一の3年であり、一応部長である。
定期的に発行する部紙に掲載する作品はメールで送られてくるが、それ以外は廊下ですれ違いさえしない。
なのに部員として名があり、出席日数も足りているのは不思議でもある。
「……ついでに乃樹。お前紙めくる音嫌いならなぜ文芸部に入った」
紅雄の言葉に、キーボードに恨みでもあるのかというくらい強く叩いていた1年生の少年、乃樹が手を止めて顔を上げた。
「嫌いじゃなくて気になるだけです。」
「……違いがわからん。」
紅雄は首を傾げた。
「クレナイさんこそ文芸部部長代理なのに、日本語大丈夫ですか?」
「……エリア、お前は好き勝手に俺を呼ぶな。」
描き終えた画用紙を持ち上げてゆっくり移動させている西洋風の顔たちをした少女、エリアは、紅雄に名を呼ばれて一旦動きを止めた。
彼女の両親は西洋の方らしいが、彼女自身は生まれも育ちも日本であり、長期休みの帰省以外は旅行ですら外国へは行かないらしい。
ちなみに、絵梨亜という漢字表記もある。
「……何か問題でも?」
首を傾げたエリアに、
「いいじゃないッスか副部長。」
椎名が続いた。
「それはいい。」
「クレナイさん」
エリアは画用紙を窓際の日陰に置いた後、紅雄を呼んだ。
「それが不可だと言っているんだが?」
紅雄はついに本を音を立てて閉じた。
「ベニ先輩」
「アカ」
椎名と蛙子が、また紅雄の呼び名を口にする。
「……それは甘んじて受け入れよう。」
と、目を閉じて眉間にしわを寄せながらも頷いた。
この文芸部は習慣で、部活中は基本的に部紙に掲載する際のペンネームで呼ぶ。
エリアはペンネームがないために本名だが、蛙子、椎名、乃樹はペンネームである。
そして、紅雄が部紙で用いているペンネームが「紅」であり、ふりがなはなく、読みも固定していない。
だから読み方は「ベニ」でも「アカ」でも「クレナイ」でもいいはずなのだが、「クレナイ」に関しては、マンガの中で厨二的なキャラの名前である。という理由で断固拒否していた。
「だが──」
「ねぇねえアカ、」
紅雄が言葉を続けるのを、やや強引に蛙子が遮った。
これまでにもこのような流れになったことがあり、その時の紅雄は、不機嫌になって矛盾したとんでも論理を押しつけ続け、結局部活動終了時刻をすぎて校舎施錠時刻になり、担当の教師が懐中電灯片手に見回りに来るまで続いたのだ。
だからそれを通して蛙子は学んだ。
強引にでもこの流れは断たなければならないと。
「バレンタインの臨時号って、今年は出すの?」
部紙は年に4回、3ヶ月おきに発行していた。
年始めが新入生の勧誘を兼ねて4月なので、通常2月の発行はない。
だが昨年、今は幽霊部員となっているがその頃は誰よりも活発に活動していたクロ先輩の強い希望により、ハロウィン号とバレンタイン号という二冊の臨時号が100部限定で発行された。
年に6冊という、やる気のない部員にとっては地獄のような状況が作り出されたのである。
ちなみに今年のハロウィン号はなく、8月号に早めのハロウィン作品がいくつか掲載されていた。
「臨時号、出したいか?」
「強引な話題転換……」
とりあえず椎名の呟きは棚上げしておく。
やる気のある部員であった蛙子は定期の方には連載作品を提出し、臨時の方には短編をイラストつきで提出した。臨時号は部員に作品の提出義務がないため、バレンタイン号など、クロ先輩と蛙子で半分以上のページを占め、残りは文芸部以外からの持ち込みや部員が不足している部活の広告に充てられたのだった。
「出すの?」
紅雄の問いにエリアが疑問で返す。
すると紅雄は他の部員に問いかけた。
「出せるヤツ」
乃樹は無言で右手を挙げる。
その間にも左手はタイピングを続けており、顔も両の眼もノートパソコンの画面に向けられたままだった。
「イラストちょっとなら。」
エリアは言う。
椎名は無反応。
どうやら自分の作品世界に没頭してしまったようだ。
「……この状況で──出せるか。」
「できる……よ、たぶん。わたしも結構かくし」
「──期限は3日後。それまでに原稿俺んとこに直接提出すること。椎名にはエリアが後で伝えといて」
その期限は発行の2日前。
「了解です」
1日で印刷を終え、製本まで完了させなければならない。
業者に頼むわけではなく自分たちでやるから、時間調節はやりやすいかもしれない。
「外からも募集した方がいい?」
「集まればどちらでもいい。」
「わかった! でも、アカは書かないの?」
「クレナイ先輩は、描かないんですか?」
最近の2冊(8月号、12月号)の部紙に紅雄は短い作品しか提出していない。
紅雄は文よりも絵の評判がいいのだが(蛙子、エリア談)、彼自身は文の方が好きらしく、だが苦手としているためになかなか納得のいく話が書けないことが理由なのだという。
普段の部活動時間に読書をしているのも、ネタ作りのためだと主張している。
紅雄は蛙子の声とエリアの無言の視線から目をそらした。
「時間がないから俺は出さな「表紙よろしく」
エリアたちの問いに答える紅雄の言葉を、他ならぬ蛙子が遮る。
というか返事はきかずに書かせる気しかないようだ。
「……じゃあ俺が表紙描くから。」
「言葉すぐに曲げちった」
エリアのうれしそうな笑顔と冷やかし(?)もこの際棚上げ。
「差別だ」
その呟きは静かな狭い室内にいる皆に聞き取れたが、反応を返す者はいなかった。
* * *
部活が終了し、敷地外に出た後、蛙子は紅雄に話しかけた。
「ねぇ、アカ」
「ん?」
紅雄は蛙子のほうを見たが、俯いているためにその表情は見えない。
「イヤだったら、描かなくてもいいんだよ?」
「……描くさ。自分で言ったんだから」
俯いていても、蛙子が微笑んだことが紅雄には解った。