09:予報が当たれば雪が降る法則〜或いは終わりの始まり〜
「うー……さびぃ」
ほぅ、と吐き出す息が白く舞い上がるのに一層身を震わせながらトールは目の前の光景にもう一度吐息を漏らす。
季節は冬。
北風と共にあれだけ鮮やかだった世界は色を失い、一面の雪景色。曇り空も重なればまるで全てがグレーに染まったかのよう。どこか陰鬱な雰囲気すら漂っているのに、これはこれで風情というものがあるのだから不思議だ。
『エストラーニャ地方 2℃ 北北西の風0.9m 降水確率80% 雪になるでしょう。雪になるでしょう』
ひまわりがそう謳ったのは昨夜のこと。
天然の雪などついぞお目にかかったことがないトールはその予報にいてもたってもいられずに普段よりも早く目を覚ましてしまったのである。
「綺麗なもんだ。でも……こりゃさすがに寒いな」
いくら眺めが良くてもこのままでは風邪をひいてしまう。そう結論づけて、トールは踵を返してドームの中に引き返す。
「トール?」
震えながら室内に戻ると丁度起きてきたところなのだろう、ひまわりとピーちゃんが驚きでもってトールを迎える。
「おはようさん。予報は大当たりだぞ、外は一面雪だ」
身体に降り積もった雪を払いながらそう告げると、少女とハウスキーパーは挨拶もそこそこに表に飛び出して降り積もる雪を確認すると喜色満面で室内へと戻って来る。
「予報が当たったのがそんなに嬉しいのか?」
そう問いかけると、
「まさか、天候案内用人型自律機械が天気を当てるのは当然です」
的中率10%に満たない予報士が無い胸を張って否定する。何も言うまいとトールが先を促すと、
「トール、ユキガッセンをしましょう」
と、聞きなれない言葉を口にする。
「ユキガッセン?」
「はい、ご存知ないですか? 雪を手で丸めて投げ合うんです。本来は溝を掘ったりして身を隠しながら旗を取り合うゲームらしいですが、生憎と人数が足りませんのでもっとシンプルに、先に10発当たった方が負けです」
雪といえばスキーだのボードだのといった遊びしかしらないトールからすれば、なかなかに原始的だ。
「ほう、その口ぶりだと二人でずっとやってたわけか?」
「はい。といってもピーちゃんと私では勝負になりません。的が小さいですし、何よりピーちゃんの投擲はすごく正確なんです」
どうやら全敗らしい。少しは手加減してやれよとハウスキーパーを見つめるが、これでもしている方なんだと見返されては大体は想像がつく。
「今年はトールがいますから、きっと勝利を掴めるはずなのです!」
何やら闘志に満ち溢れた目で胸のあたりで両手をぎゅっと握りしめて気合を入れているが、要は助っ人を手にいれたと喜んでいるわけで物凄く恰好悪い。それには気付かないふりをしてトールはしばし考える。
この雪では船体の修理もできそうにもないし、プログラム的な修繕は大方済ませてしまっている。暇潰しには丁度いい。
「じゃあ、やってみるか」
トールはそう答えて上着を探すのだった。
「で、どうしてこうなるわけだ?」
トールは頭を押さえながら問いかける。粉雪の舞う向こう側に対峙するハウスキーパー――とひまわりに。
「これなら間違いなく勝てますから!」
防寒具を重ねに重ねて達磨のように丸々とした少女が得意げに叫ぶ。
いくら寒いとはいえそんな格好でまともに動き回れる筈がないわけで、その時点で全敗も頷けるし、そもそもこちらを助っ人と見込んで誘ったのではなかったか。
「ピーちゃんに勝たなくていいのかよ」
「勝てばいいんです!」
プライドはないらしい。
「はいはい、そーですか」
「ハンデとしてこちらに合計10回当てるだけでトールの勝ちにしてあげます」
それはむしろ当然のルールだと思うのだが、もう何もいうまい。
溜め息をつくと、合図もなしにひまわりが雪玉を放り投げてくる。もはやどこまでダーティに徹するつもりらしいが生憎と着膨れした腕で投げたところでコントロールどころか力が入るはずがない。あさっての方向に飛んで空中分解するそれを見つめながら、足元の雪に手を伸ばすと。
「うおっ!?」
べちっ、と頭に雪玉が的中する。見ると、万能手腕で器用に投擲をこなしたハウスキーパーの姿が見える。やたらと回路が明滅しているところを見るとしっかりと計算して投げつけてきているのかもしれない。
なるほど、強敵だ。
「まずは1回です!」
うるさい、お前何もやってないだろう。そう思いながらトールも雪玉を作る。柔らかな雪も力をこめて固めてやればひまわりのように空中分解するような玉にはならない。
「うおりゃ!」
大きく振りかぶって、ひまわりに向けて投げつける。あれだけ鈍重な恰好をしているなら狙うべきは彼女だ。ほぼ一直線に飛ぶそれは間違いなく命中する。そう思いながら次の玉を作ろうとした瞬間、
「Pi!!」
ハウスキーパーが一鳴きしたかと思うとそれを合図にひまわりがころん、と地面に転がって回避するではないか。流石、ひまわりのこととなると見境のなくなる守護者なだけのことはある――サポートまで万全である。それどころかカウンターといわんばかりに雪玉を投げつけてきて、トールはあわてて回避する。
「不利すぎるだろこれ……」
何か身を隠す場所がなければピーちゃんの投擲を避け続けることは難しい。さらにいえばひまわりの無茶苦茶な投擲は、もはやどこに飛ぶかわからない暴れ玉だ。
「どっか隠れるところは……」
ドームの周辺は廃墟の見本市。その中で最も近い、2m四方程度の壁を見つけると被弾覚悟で踵を返す。
「あっ、トールが逃げました!」
「Pi!!」
雪に足をとられそうになりながら混凝土の壁に背を預けてそっと顔を覗かせると、
「マジか!?」
ヒュン、と顔面を狙った雪玉が飛んできて慌てて顔を引っ込める。
物陰に隠れれば被弾は減るかもしれないが、身の乗り出し方などいくつかのパターンに絞られてしまう。この選択は悪手だったかもしれないと後悔しながら、こちらに近づいてくる足音に耳を澄ませる。
「袋のネズミさんですよ、トール」
「Pi!!」
両サイドから挟み込む形で迫る敵。別の壁に逃げるというのも手だが、逃げ回ってばかりでは埒があかない。
「ったく、楽しそうだなおい」
壁に振り返り状態を確認する。雪をかぶって滑りやすくはなっているが、グリップできないほどではない。
いける。
そう判断したトールは壁面を蹴って、その頂に手を伸ばして這い上がる。見下ろせば丁度ひまわりとピーちゃんが壁の裏から挟撃を仕掛けようとしているところ。あのハウスキーパーには熱暗視装置程度は搭載されているはずなのだが、手を抜いてくれているのかせめてものフェアプレイなのか……いずれにせよこれはチャンスだ。
気付かれぬように、壁の逆側に飛び降りる。雪が着地音を消してくれくれたことを幸いに、2、3個と雪玉を用意する。
「あれ? トールがいません!」
ご丁寧にひまわりが声をあげたのを聞いたトールは口の端を上げて雪を蹴る。声の位置から判断して壁を回ってハウスキーパーの背後に回り込むと、
「残念だったな!」
ピーちゃんの後頭部に雪玉を一つ、そして驚いてこちらを見上げるひまわりにも一つ雪玉を投げつけると即座に次弾を装填。次々に投げつける。
「きゃっ、一体どこからっ!?」
「Pi!!」
慌てふためくひまわりをピーちゃんが冷静に庇い退避すると、トールはそれを追ってさらに雪を蹴る。
立て直されてしまえば二対一では手数で負ける。今のうちに畳み掛けるべきだ。こちらの被弾は1、対して命中弾は4。少しでも稼いでおきたい。他の瓦礫の陰に逃げこもうとするのを見てトールは逆側から回り込む。
「なっ!?」
待ち伏せの形で飛び出した先にはひまわりの姿はなく代わりに同じく待ち構えるハウスキーパーの姿。すぐさま正確な投擲が降り注ぎ、トールは踵を返して瓦礫を背にやり過ごす。
立ち直るのが早すぎる。それに、ひまわりは一体どこに消えた? トールが次の手に考えを巡らせたその瞬間、
「!?」
ばさりと何かが眼前に覆いかぶさって慌ててそれを振り払う。
今度はこちらが奇襲される番か――そう思った時にはべちりと冷たい感触が頬に触れ、目の前にはしたり顔のひまわりの姿。
「私だけでもトールには勝てるんですよ!」
見れば、あれだけ着込んでいた防寒具を最低限にまで脱ぎ捨てている。なるほど、瓦礫の裏に逃げ込んだと見せかけて背後にまわりこんで脱いだコートを目くらましにしてきたらしい。
ひまわりから被弾するなんて不運以外にはありえないとばかり考えていただけに、ここまでしてやられるとは考えもしなかった。
「やるじゃねぇか」
しかし、黙ってやられたままでは男が廃る。手にしていた雪玉を威張り散らした顔面に叩きつけ、壁を回り込んでくるハウスキーパーから逃げるように雪原を走る。飛来する雪玉をステップで、あるいは障害物で避け、隙を見て応戦。
いつしか試合は互いにゲリラ戦を展開する様相になり、戦いの舞台も雪原から廃墟群へと舞台を移す。機動力を活かしてトールが背後を着けば、地の利と手数を活かしてひまわりとピーちゃんが後の先をとる。
「はっはっはっ、なかなかに楽しいもんだなこのユキガッセンってやつは!」
「そうですね、でもトールが負けたほうがもっと楽しいです!」
気温は零下だというのに互いに汗を散らし、笑いあう。
ポイントは8対8のイーブン。
トールは決着が近いことを予感して最後の攻勢に出る。身を隠している壁から程近い2つの瓦礫の左右に相手が隠れていることはリサーチ済み。狙うならばやはり右――ひまわりだろう。
壁の陰から身を低くして抜け出しながら、他の瓦礫に隠れながらの大回り。もちろん勝手に移動されないように牽制の雪玉も忘れない。時折あちら側からも投げ返されるが、狙いは先ほどいた壁の方。移動していることは悟られていないようだ。
いける。
トールは雪を蹴ってターゲットの瓦礫に回り込む。果たしてそこには、雪を丸めながら明後日の方向を警戒するひまわりの姿。
「きゃっ!?」
「貰ったぜ!」
驚く少女に勝利を確信して雪玉を投げつける。
あと一発。
そう振りかぶった瞬間、トールははたとその動きを止める。絶好の好機ではあるが、それ以上に大切なことに気づいてしまったからだ。
「?」
もう駄目だ、と身構えていた少女が首を傾げながら彼を見上げると、青年は肩をすくめながらちょいちょい、と頭を指差してみせる。
「あ」
自分の頭上で猫耳型のデバイスが点滅していることに気づきひまわりは声を上げる。
この星で唯一の天気予報の時間だ。
「ウェザー・インフォメーションの時間です……」
すっくと立ち上がり天気予報を始める少女を見てトールはやれやれと天を仰ぐ。もう少しで勝てそうだったのにこんなところで中座とは。何事かと顔を出したハウスキーパーにひらひらと手を振ると、理解した様子で雪玉を捨ててこちらに近づいてくる。
やろうと思えば予報の時間だなどと告げずにトドメを刺すこともできたのではあるが、なんだかそれは違う気がしてしまった。存外にこのユキガッセンとやらを楽しんでいる自分に驚きながらトールは汗を拭ってひまわりを見やる。
「アーバラナ地方 2℃ 北西の風1.3m 降水確率70% 雪になるでしょう。雪になるでしょう」
タン、タン、とステップを踏んで天候案内用人型自律機械は謳う。ダークシルバーとインディゴブルーのスカートが、銀の髪が、額の汗とともに風に揺れて、鈍色の世界の中で唯一輝くものに見えた。
「この天気予報が終わったら再開にするか。ああ、安心してくれよ。もちろんいきなり投げつけてゲームオーバーなんてやらねぇから」
踊る少女とハウスキーパーにそう笑いかけて、トールはくるりと踵を返す。とりあえずは近場の障害物にでも隠れてまた隙を伺おう。そんなことを考えながらうん、と伸びをして周囲を見渡したその瞬間、
「ブランドン地方……その他もろもろ、以下どーぶん!!」
耳を疑いたくなるような予報とともに、ベチッ、と後頭部に冷たい感覚。
「へ?」
わけがわからず振り返った時には遅かった。目の前に白が迫り、痛みとともに砕けた先にはガッツポーズでこちらを見つめる天候案内用人型自律機械の姿。
「10対9で、私たちの勝利です!」
ポカンと口を開けたまま見つめるトールに対してそう宣言して、ひまわりはハウスキーパーの万能手腕をとって勝った勝ったと囃したてる。
「ちょっと待て、いくらなんでもそれはないだろう?」
漸く我に返ったトールが抗議を入れる。
「何がですか?」
「何がですか? じゃねぇ! いきなり天気予報を切り上げて不意打ちとか汚ねぇだろ!」
「はぁ……でも、天気予報が終わったら再開と言ったのはトールですし、予報をどんな形でするかは私の判断に任されていますし……何も問題ないと思いますよ」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを隠そうともせずに答えるひまわりにトールは後頭部をかきむしる。
完全にしてやられた。そもそもの始まりからしてこいつは勝利の亡者で、フェアプレイだなんだは二の次なのだ。下手に情を見せてしまったのが失敗だった。
「はいはい、そーですか。ったく、こういう知恵ばっかり回りやがって」
「ふふーん、何とでも言えばいいのです。私は勝ったんですから」
えっへん、と無い胸を張って威張り散らすその様を子供のすることだと笑い飛ばすことは容易い。しかし、見知らぬ星の児戯に白熱しまった人間がそう簡単に鉾を収めることができるのかといえばなかなかに難しい。
「Pi! Pi!!」
そんなトールの子供じみた怒りに気付いたのだろう、そろそろやめたほうがいいとハウスキーパーがひまわりの袖を引くがそんなことに少女は気付かない。
「折角雷神と同じ名前なのに負けてしまうだなんて、悔しいのはわかりますよ? けれど素直に負けを認めるというのも潔いといいますか、ニンゲンさんとしてあるべき姿だとは思うんです」
完全な挑発であることに、勝利に浮かれた少女は気付かない。そしてそれが青年の下がりに下がった怒りのハードルを蹴りとばす様な行為であることにも。
トールは無言で足元の雪を掻き集め、ひまわりに投げつける。
「わぷっ!? 何するんですか!?」
「いや、負けを認めるのはまぁいいとしてだ。むかつくからさー」
少女の抗議など意に介さずに何度も何度も投げつける。
「もう勝負はついたじゃ……ひうっ!?」
「はっはっはっ。そうだ、ひまわり。もう勝負がついてるから、終わりはないんだぜー?」
どこまで本気かわからない胡散臭い笑みを浮かべて豪速球を投げつけられてはかなわない。
「ぴ、ピーちゃん!」
涙目になりながら相棒に助けを求め、ひまわりは脱兎のごとく走り出す。
「おいコラ、待ちやがれ!」
もはやどちらが子供なのかわからない。
音を吸い込む雪原にありながら騒がしい声を響かせる二人を見つめながら、はてさてどちらに味方したものかとハウスキーパーはカメラを巡らせるのだった。
「……ル。トール……」
まるで小さな宇宙嵐に引っ掛けたかのように身体が揺れる感覚にトールははっ、と意識を覚醒させる。目を開けると、肩を掴んでこちらに呼びかけるひまわりの姿。
なんだかんだと雪を堪能しているうちに気づけば日暮れ、ドームに戻り冷えた身体をシャワーで温めた上に食事も摂れば否が応でも眠気が迫ってくる。
「居眠っちまったらしい」
頭を掻きながらソファから起き上がろうとするがそれより先にひまわりがぽふん、と隣に腰掛ける。
「ん? どうした」
トールが首を傾げていると肩口にこつん、とひまわりの頭がもたれかかってくる。
「なんとなく、こうしたいだけです……」
なんとも煮え切らないが、秋口あたりから時折彼女はこういった物言いをするようになった。トールとしてもその気持ちがわかるようなわからないような何とも曖昧な感覚なのだが、特に拒否する理由もなく何とは無しに頭の後ろを掻き毟る。
「ピーちゃんは?」
「もう夜遅いんですよ? お部屋でスリープ中です」
「そっか……」
うまく会話が繋げられない。決して不快ではないのだがなんともじれったい感覚に言葉を探していると、
「今日は楽しかったです……ピーちゃんと二人でユキガッセンするのはもちろん楽しかったですけど、やっぱり二人より三人のほうがいいですね」
目を細めてひまわりはそう呟く。
「2対1で追い詰めて初勝利も掴めたしな?」
つい減らず口を叩いてしまう自分にうんざりしながら口の端をあげると、
「申し訳ない、とは思ってるんですよ? でも、嬉しくてしょうがなかったんです。その……初めてニンゲンさんとユキガッセンできることが。だから、つい……」
こちらを見上げる気配に視線を移すと少女の瞳がこちらを真っ直ぐに捉えていた。その澄んだ蒼に嘘偽りはなく安堵と幸福に満ちている。
「はしゃいじまったか?」
「はい、はしゃいでしまいました。でも、一度誰かに勝ちたかったのも本音なので私はやっぱり酷い天候案内用人型自律機械なのかもしれません。だから、ごめんなさい、です」
そう言ってひまわりはペコリと頭を下げる。仕返しも散々したしなにより心底怒っているわけではないのだが、律儀というとなんというか。だがここでそれを指摘したところで堂々巡りであることはこの一年弱の付き合いでトールは痛いほど知っている。だから、
「……またやろうな、ユキガッセン」
素直にそれを受け取ってそう告げる。顔をあげた少女の表情はその名の通りの花が咲いたかのように晴れやかで、それが正解だったのだと教えてくれる。
「やっぱりトールは優しいですね……」
甘えるようにこちらに抱きついてくる少女の柔らかな重みを受け止めると、不意に銀髪から覗く猫耳型のデバイスがチカチカと点滅を始める。
予報の時間か、と思ったところでトールは首を傾げる。ドームに戻る帰り道に18時の――本日最後の天気予報を聞いたではないか。その疑問は当然ひまわりにも浮かんでいるようで二人は顔を見合わせる。
「こんな時間に予報なんてしないよな?」
その問いにひまわりは、頭上の対になったデバイスに両手を伸ばしながら首肯し、
「おかしいですね……止まりません」
何やらそこに点滅を止めるスイッチでもあるらしい、カチカチと何度も音を立ててみせるが点滅は終わらない。むしろ手を動物の耳に見立ててごっこ遊びをしているかのような間抜けさがあって、異常事態だというのにイマイチ緊迫感がない。
「えいっ、このっ、ていっ……!」
ついに気合の声まで飛び出すがそんなもので解決するなら修理屋など必要ない。
「おいおい、そんなんで直る訳ないだろ、ちょっと見せてみろよ」
トールがそう言ってもひまわりは止まらない。
「えいっ、やあっ……もうっ!!」
スポン、と銀の髪から猫耳型デバイスが引き抜かれる。業を煮やした少女が力任せに取り外したのだ。
「へ?」
これにはトールは目を丸くする。本体の一部だとばかり思っていた。
「うーん、やっぱり止まりませんね……」
そんなトールをよそにひまわりは途方にくれる。
「それ、外せるのかよ……」
恐らくは気象情報だなんだを受信するのための謂わば天候案内用人型自律機械の生命線であろうデバイスを指差して問いかけると、
「はい。寝る時に邪魔じゃないですか」
あっけらかんと少女にのたまわれてトールは大きな溜息をつく。
「大事なものじゃないのかよ、それ」
「えっ?」
「そのデバイスで天気予報の管理してるんじゃねぇのか? って聞いてんだよ」
どうしてそこで首を傾げるのか、自分の一番大事な部分が異常を起こしているのだからもう少し焦るものだろうと思いながらトールはデバイスをひったくる。
「そうですけど……」
猫の耳を模した銀色のそれはクリア素材のカチューシャと繋がっていてアクセサリのように取り外しが可能であることが見て取れる。2つのデバイスを無理矢理にカチューシャに接着させたかのような雑な作りが気になるが、とりあえずはこの時間外労働を強いる点滅をどうにかする方が先決だ。
「だったら少しは焦ったらどうなんだっての」
先日のハウスキーパーのように自己保守で補いきれなくなった結果の故障だとトールは判断する。代替パーツもなく設計図すら存在しない彼女がこの先どのように壊れるのか、想像するだに不安になる。
「……ったく、何が修理不要だ。テキトーなこと言いやがって」
ひまわりの一大事だというのスリープから目覚めてもこないハウスキーパーに小さく毒づくと、何か言いましたか? と少女は小首を傾げる。
「なんでもねぇ、それより自己診断はどう言ってるんだ?」
テーブルに移動しながら工具ベルトからドライバーを取り出して振り返ると、ひまわりはうーんと首を捻り、
「よくわかりません」
と、頼りない答えを返す。
原因不明、設計図なし、さらには代替パーツもないとなればなかなかに厳しい。だというのに当の本人が事態の深刻さに気づいていないというのはどうやら最高機密ということは本当のようだ。
ただ、トール自身この状況が果たしてどれほどまずいものなのか掴み所がない。ひまわりそのものに不具合が見受けられないし、なにより守護者が騒ぐどころか目覚めもしないのだ。
「そうか。じゃあまぁ、お前も寝ろ。とりあえずこの点滅以外は問題ないみたいだし、夜も遅い」
本人が気づいていないのであれば、そのままのほうがいい。作業は恐らく試行錯誤の連続だ。患者の前で医者が険しい顔をすれば不安を与えるように、できれば作業をしているところなど見られない方がいい。
「あの……ここで見てちゃだめですか? もちろん、邪魔はしませんから」
「あん? 作業なんて見てもつまんねーだろ」
「だったら、きっと二人だとつまんなくないです」
「はあ?」
振り返ると少女は完全にこちらを信じきった目でじっと見上げていた。
ここで漸くトールは自分が思い違いをしていたのだと悟る。
故障について彼女が焦りも不安も表に出さないのは、『きっとトールが直してくれる』という信頼の方が大きいからだ。そうなれば己のことは考えの埒外で『一人よりは二人のほうが寂しくない』だとかそんなことを考えているに違いない。
全く、何が何でも直してやらなきゃ収まらねぇじゃねぇか。
「……コーヒー」
「へ?」
「コーヒー淹れてくれ。きっと長期戦だ」
素直ではない肯定に少女は素直に頷いて、とてとてと中央管制へと駆けていく。
「さて……」
それを見送りながら、猫耳型デバイスに手を伸ばす。対環境保護の施されたネジを回してデバイス内を覗き込んでトールは息を呑む。
「なんだこれ……」
目に飛び込んでくるのは全くの想定外の光景だった。
修理の最中に度肝を抜かれたことはこれまで幾度となくある。
それこそ、エンジンの不調を修理しようと蓋を開けたら運の悪い密航者が機関部に飲み込まれてミンチになっていただとか、操舵システムを覗き込んだら修繕に修繕を重ねた結果モザイクのように形を変えていたとか……けれど、今回のはそれはそんなものを超越していた。
思わず、握りしめていたドライバーを取り落とす。
「……」
震える手でドライバーを拾い上げると、コーヒーを持って戻って来たひまわりが小首を傾げる。
そんな彼女に、トールはなんでもないと精一杯の作り笑いを浮かべるのだった。