08:もう少しこのままでいいですか?
「あんまり遠くまでいくんじゃねーぞー!」
辺りを駆け回るひまわりとハウスキーパーに声をかけ、保護者かなにかかよとトールは苦笑する。
秋。
落葉樹は葉を紅や黄に色を変え、風に吹かれて舞い散る……そんな季節。
トールの住む星にも四季はあるがあくまで人工の気候だ、本物とは比べるべくもない。
「へぇ、本当はこうなるんだな」
夏にひまわり達と戯れた湖岸の木々は黄や赤に模様替えをし、カサカサと葉を散らす。その一つ一つに同じものはなく、緑混じりの紅葉などは生まれて初めて見るものだ。『衛星の気象操作』による紅葉はこのような色づきを産み出す事はない。
「夏の暑さは勘弁して欲しいところだがこういうのが見れるのはいいもんだな」
休憩がてらに立ち寄ったのは正解だった、と落ち葉の上にごろりと横になる。修理に疲れた身体がまるで地面に溶け込んでいくよう、鼻腔をくすぐる土や葉の香りは嗅ぎ慣れないものだが何とも言えない安心感を与えてくれる。
「ふぁ……」
欠伸を一つ噛み締めてトールは瞳を閉じる。そんなつもりはなかったのだが、こうも心地よいと昼寝の一つでもしたくなるのが人情というものだ。
と、
「えいっ」
瞼越しに影が見えたかと思うと、ばさりと顔に何かが降り注ぐ。
「うわっ!?」
慌てて跳ね起きて両手で振り払うと、果たしてそれは赤や黄の落ち葉だった。悪戯っ子の表情で笑うひまわりを見れば彼女が犯人である事は間違いがない。
「何すんだよ」
「隙だらけのトールが悪いんですよ」
クスクスと笑って、少女は落ち葉を蹴って逃げ去っていく。悔しかったら捕まえてみたらどうですか、の囃子付きで。どうやら追いかけてこいとのことらしい。
「ったく……」
トールとて、こんな安い挑発にのるような年ではない。半年以上の付き合いだ、きっとひまわりもわかっているだろう。しかし、同時にトールにも彼女の気持ちもわかるというものだ。
折角遊びにきたのにピーちゃんと遊んでいろだなんて寂しいじゃないですか――きっとそんなところだ。
うん、と伸びをして岸に沿って歩みを進める。言いつけどおりそれほど遠くない木々の間あたりで少女とピーちゃんの声が聞こえてくる。
夏仕様から元の長袖に戻った少女の腕はスカートの前をつまみ上げ器のようにしてきゃっきゃとはしゃぎながら舞い散る葉を受け止めようと走り回っていた。きっと先ほどの木の葉もああやって集めたのだろう。
赤や黄や茶に混じって銀髪が舞う様は確かに美しくて、それこそ初めて彼女の天気予報を見た時の神々しささえ思い浮かぶ程。だが……
「何やってんだあいつ」
ひまわりのスカート丈は精々膝上程度まで。そんなことをすれば丸見えなのだ――下着が。それこそサイドを紐で縛るタイプなのだとか、ライトグリーンのストライプ柄なのだとか何もかもが。
『人並み』の羞恥心を持っているはずなのだが、見た目相応に無防備なのが頭痛の種ではある。指摘すれば面倒だし、指摘しなければ何故教えてくれなかったのかと怒られる。どうしたものか、と頭を抱えていると、
「トール! 見てください、こんなに集りましたよ」
喜色満面でひまわりがハウスキーパーと共に駆け寄ってくる。
「おう、綺麗なもんだな」
彼女の言の通り色とりどりの葉がスカートの上に広がってグラデーションを作る様は確かに感動的だ。だが、今はどちらかといえば後先の事が気になって集中できない。
「Pi?」
どうしたのか? と異変を察知するハウスキーパーに、お前がついてるんだからもう少し気を遣えよ、と詮無き事を心の裡で呟いて覚悟を決める。
「うん、確かに綺麗なんだがな、ひまわりよ。もう少しおしとやかにというか、慎みというか……気をつけた方がいい」
覚悟を決めたところで、この程度なんだよなぁ、と己の不甲斐なさに辟易していると、予想通りひまわりの頭上に『?』が浮かび上がる。
「走り回るのはよくないことなんですか?」
やはり伝わっていない。
「いや、そうじゃなくてだな……そうやってスカートを持ち上げてるとだな、見えるんだよ、その……パンツが」
後頭部を掻きむしりながらそう告げるとひまわりはしばらくの間ポカンとトールを見上げ、それからばさりと葉を散らしてスカートから手を離す。そしてまるで信じられないものを見るかのように後ずさると、見る見るうちに顔を真っ赤に染めていく。それは舞い散る葉よりも紅くて、トールはやっぱりそうなるよな、と心の中で溜息をつく。
「……っ!」
それからのひまわりの動きは素早かった。クルリと身体を反転させたかと思うと、明後日の方向に走り出したのだ。
「あ、おい!」
追いかけるべきか、そっとしておいてやるべきか、そんなトールの葛藤は無駄に終わる。
「ふやっ!?」
木の根に足を引っかけたひまわりが、なんだか間抜けな声を上げて盛大に素っ転んだのだ。
「大丈夫か?」
枯れ葉に顔を埋めて突っ伏す少女の手を引こうとすると、恥ずかしいのかふるふると首を振る。
「だ、大丈夫ですから……いたっ……」
照れ笑いが苦痛に歪む。どこか痛めたのだろうか。
「Pi!!」
流石というかなんというか、素早くハウスキーパーが駆け寄るのを見てトールはああ、と納得する。右足の膝のあたりを擦りむいてしまったようだ。
「怪我してる。ちょっと動くなよ」
先日のハウスキーパーの故障の件もある、一応金属骨格に問題がないか確認しようとその足に触れると。
「ふぇっ!?」
ひまわりは頬を赤らめてスカートの裾を両手で押さえる。なんともやりにくい反応だが、無視してブーツを脱がせて足首の稼働域を確認する。
「痛いか?」
と顔を上げて問いかけると少女はふるふると首を横に振る。骨格も人工筋肉も問題ないようだ。すれば、擦りむいた膝だ。
赤く血の滲んだ傷口を見て、トールはふと疑問に駆られる。
人型自律機械は人間そっくりに作られた存在だ。当然血液も人工だしあらゆるそ構造が人に似せて作られる。しかし、どれだけ人に似せられて作られようが病や怪我といったものは機械のそれだ。
例えば風邪は恒温機能の酷使による内部エラーの蓄積だし、骨折してしまえば当然その部分を換装することになる。
そう、換装だ。
ハウスキーパーの換装パーツはふんだんに用意されていたのに、あのドームにはひまわりの部品は一つも用意されていなかった。この程度ならともかく『大怪我』をした場合はどうするというのか。
「Pi」
思考に囚われるトールの横から万能手腕が伸び、傷口を洗い清潔な布(確か包帯だったか)を巻きつける。まるで人間にするのと同じような治療行為だが、この程度の傷ならば換装するまでもなく自己保守機能が働いて数日で癒えるのだから適切なものだ。
「これまでに怪我したことは?」
顔を上げてひまわりに問いかけると少女は不思議そうに首を傾げて、
「そりゃあ多少はありますよ。でも、いつもこうしてピーちゃんが治してくれます」
ありがとうございます、とハウスキーパーに頭を下げるひまわり。
これまで換装が必要な怪我をしていないという『幸運』にまるで気づいていない様子だ。
「そっか」
折角遊びに来ているのだ、わざわざここで問いただすこともないだろうと頷いてひまわりの足から手を離すと、ガサリと落ち葉を掻き分ける足音に気づく。
ぎょっ、として二人に静かにするように合図をして、光線銃を引き抜き周囲を警戒する。
無人のこの星に足音があるとすれば正体は何かしらの動物だ。危険な存在でなければいいのだが……
「トール……」
小声でひまわりが袖を引き、言われるままに視線を移すと……
「最悪だ」
果たして、そこには『ドラゴンさん』が二匹。幸いにもこちらには気づいていないようだが、動けば確実に見つかる。
夏場は全く見かけなかったのだが、秋になって餌場を求めて再び舞い戻ってきたのだろうか。
さてどうしたものか、とトールは思案する。
気付かれる前に光線銃で手早く仕留めるのが一番かもしれないが、そこまで射撃に自信があるわけでもないし、何よりも再びひまわりに肉片が飛び散る様を見せるのはどうにもきまりが悪い。
「やりすごそう」
考えているうちに気付かれてしまっては元も子もない。トールはあの時と同じようにひまわりに覆いかぶさり、息を潜める。
トク……トク……とひまわりの鼓動が早いのが気になるが近寄られなければそれでいい。大トカゲ達の動向は無機物たるピーちゃんに任せて足音に耳を澄ます。幸いにもこちらに近づいてくる様子はないようだ。
と、少女の小さな手がきゅっ、っとトールの服を掴む。
怖いのも当然だろう、とトールはひまわりの身体を強く抱きしめてやる。
あの図書館の一件はいくらアンドロイドでもトラウマものだ。その証拠に『ロボットがニンゲンさんに守られるなんて逆だ』と抗議する様子すらない。
彼女を庇う背中は秋風と緊張で冷え切っているというのに、触れる部分はひどく暖かい。この温もりを決して離してはいけない――それはもはや孤独というよりは衝動に近い思いで、それを改めて心に刻んでトールは万が一に供えて思考を巡らせる。
「Pi」
数分後、ハウスキーパーがもう大丈夫だと一鳴きするのを聞いてトールはほう、と息を吐き、
「もう大丈夫だぞ、ひまわり」
と地面に腕をついて少女をを覗き込む。さぞかし青ざめていることだろうと思っていただけに彼女の表情を見てトールは戸惑いを隠せない。
頬を上気させ瞳を潤ませて、どこか遠くを見るように惚けたそこには、恐怖といったものは全く見受けられない。
「てっきり怖がってるものだと思ったんだけどな」
そう声をかけると、ひまわりは潤んだ瞳のままこちらに視線を向けて。
「怖かったですよ。でも、それなのにトールに抱きしめられたら温かくて、ホッとして……すごく怖いはずなのに、安心して、嬉しくて……あはは、おかしいですよね」
と、頬を染めたまま少女は苦笑して起き上がり、クイ、とトールの裾を引く。
「ひまわり?」
ふわりと枯葉の香りを漂わせて抱きつかれトールは戸惑いの声を上げる。
「変なことしてるって、わかってます。でも……もう少しだけこのままでいいですか? ぎゅっ、として……ください」
こんな時気の利いた言葉の一つでも出て来ればいいのに……トールは心の中で苦笑して、小さな背中に腕を回してやる。
「はふぅ……」
自身の中に広がる温かな感覚にひまわりは吐息を漏らす。
トールに告げた通り綯い交ぜになっていた感情は少し落ち着きを取り戻し、その代わりにどうしてこんなにも『嬉しい』のだろうという疑問が生まれる。
こんなことをしていてはドラゴンさんが戻ってくるかもしれないのに、どうしてこんなにもこの温もりに抱きしめられたいのだろう。こんなこと、ニンゲンさんの安全を侵すだなんて、ロボット失格なのに……
答えは見つからない。
ただこれまで読んだ様々な本の中にしばしば現れるシーンと今の状況がよく似ていることはわかる。
まるで風邪のように熱っぽく、天気のように気まぐれで、花の蜜のように甘い……ああ『ずっとこうしていたい』って台詞は、こういうことだったのか。
けれどそんな言葉を口にすればトールをさらに困らせてしまうように思えて、だからひまわりは代わりにトールの服をきゅっ、握りしめるのだった。
眠れない夜はやけに雨音が大きく聞こえるものだ。
ドームを叩く雨音にやれやれと首を振りトールはベッドから起き上がる。
落ち葉舞う湖岸から引き上げたころには、天気予報通り雨になった。ど
ひまわり曰く、アキサメゼンセンとやらの影響らしい。夏に入る前と同じように雨がちになるのだと言う。気温の高い夏と、おそらく真逆であろう冬。そしてその境目には長雨……やはり住みづらい星だと言わずにはいられない。トールの住む星では衛星による気象操作が行われていたので尚更だ。
ふと時計を見ると標準時(時刻を認識する存在がここにしかいないのだから標準もへったくれもないものだが)にしてAM2:30。どうしたものかと思案していると、身体がぶるりと震える。
少しばかり、肌寒い。
きっとこの雨は急なもので、室温調整が追いついていないのだろう。そう判断したトールは部屋をでて、薄暗い広間の中心でひっそりと佇む中央管制の前に移動する。
制御板に触れ室温制御の設定を変更しながら、ふと、ひまわりの様子がおかしかったことを思い出す。
何やらひどく舞い上がっているというか、落ち着きがないというか……とにかくずっと顔が赤かった。
風邪ではないかと額に手を伸ばすと逃げだすし、かと思いきやさっきのは嫌だとかそうじゃないんですとすり寄ってくる。
本格的に何かがおかしいのではないか、と半ば本気で心配したものだ。
「あ……」
おかげでひまわりの予備パーツの在り処を問うのを忘れていた。
明日聞けばいいのだが、目が冴えていることだしこれを機に探してみるのも一興か。
そんな軽い気持ちでトールは制御板に指を走らせる。
最初に浮かび上がるのはドームの見取り図。
トールの部屋にひまわりの自室、それから空室が2つに倉庫。それぞれが60°おきに配置され残る一画は出入り口。長い生活のうちに把握した通りだ。空室は最低限の調度以外はもぬけの殻、トールの部屋とほぼ同じ形。どこかに隠し部屋があるわけでもないのは、壁の厚さを考えればわかることだし見取り図にも不審な点は見当たらない。
それならば、とトールはひまわりの換装パーツの在処を検索する。
ハウスキーパーのものであれば、部品の場所はおろか在庫数や設計図まで網羅されていることは以前の修理の際に知っている。それならば、同様に天候案内用人型自律機械のそれも見つかる筈だ。
まずは一般的なキーワード『天候案内用人型自律機械』から。
『該当なし』
数秒の演算の後表示されたのは無機質な文字列のみ。
それならば、とトールは『WA120型』と入力する。
『該当なし』
個体識別コード『PD-0019AC』ではどうか。
『該当なし』
「マジかよ……」
秘匿である可能性は否めないが、まさか本当に出てこないとは思いもしなかった、というのがトールの本音だ。設計者は本当に予備をしなかったのか? あるいはその余裕がなかったのか? いずれにせよ、経年劣化への備えがないことに背筋にゾクリとしたものが走る。
はぁ、と息を吐いてトールは改めて『ひまわり』と検索をかける。
『管理者権限が必要』
「あん?」
花の写真でも出てくるかと予想していただけにトールは目を丸くする。
『ひまわり』などという一般的な言葉にわざわざ制限を加えるなどありえない。だが、そこまでするということはあの少女について秘匿が存在するということだ。
「管理者……ねぇ」
誰が管理者なのか、それについては可能性はいくつかある。
例えばひまわり、或はピーちゃん。
日常的に中央管制を運用しているのだからあの二人に権限が与えられている可能性は大きい。もっともトールのように利用者扱いであったとしてもほぼ支障なく使用することは出来る。とすれば、例えば彼女らを産み出した人間が管理者である可能性もある。
何の為のプロテクトなのか。
ひまわり自身がそれこそ日記だとかそういったプライベートなものをここに保存している、などという笑い話の可能性もある。しかし、とトールは思う。彼女は天候案内用人型自律機械だ。そのようなものは自身の記憶に残せば済む話。とすれば、やはり『誰か』がひまわりに関わる情報を隠そうとしたと考えるのが自然だろう。
現在を生きるトールからしてもひまわりは出来のいい人型自律機械だ。旧世代にとってはそれこそ世紀の発明で情報漏洩を恐れて秘匿しようとした……と考えればこの想像はそれ程的外れではない、とトールは結論づける。
幸いにも管理者権限は暗号式。総当たりでこじ開ければいい。もちろん、その先で生体認証を求められてしまっては詰みではあるが。
「……」
ひまわりのため、と言いながら好奇心がないわけではないのは事実だ。けれどやはりあの少女を、あの無邪気に笑う天候案内用人型自律機械を、みすみす失うなんてことは御免被る。
トールは一旦部屋に戻り、8インチ程の小さな板なようなものを手に再び広間に顔をだす。
汎用端末――アプルーヴ社製の最新モデルのそれは墜落で悲しいことに大破してしまっていたが、先日復旧した船の中央管制で修繕を行い見事蘇った。この旧式の中央管制などとは比べ物にならないほどの処理能力をもった機械を通せば、旧世代の暗号など立ち所に解析してしまうだろう。
「さて、何がでてくることやら……」
端末を接続し、暗号解析のプログラムを走らせようと投影画面に触れようとしたその瞬間のことだった。
「Pi」
聞き慣れた電子音と共に後頭部に冷たいものが押し付けられる。
いつの間に? 集中しすぎていたのか、それとも足回りを綺麗に修理しすぎたか……両手を上げて抵抗の意思がないことを示しながら首を小さく巡らせると予想通りハウスキーパーの姿があった。
万能手腕が握りしめていたのは、恐らくひまわりのものをくすねたのだろう……光線銃だ。
「おいおい、随分物騒なもん突きつけるじゃねぇか」
不正なアクセスを検知するとハウスキーパーに通知が飛ぶ仕組みにでもなっているのだろう、とトールは推測する。人間と違って気まぐれに目覚めるなどということはありえない。しかしながらただの家事用のロボットがこのような行為に出るようにプログラムされているとは思えない。せいぜい、主人に警告を発する程度。とすれば、これは彼独自の判断――ひまわりの守護者としての行動だ。
「OK……わかった、もうしないからとりあえず銃を下ろしてくれねぇか?」
思いの外大きく跳ねる鼓動を抑えながらそう告げると、
「Pi」
電子音と共に圧迫が取り払われると、トールは大きく息を吐き出して振り返る。銃は確かに下ろされていたが、その手から離れてはいない。
「悪かった。すまん」
身内から銃を突きつけられる――それは思いの外心に突き刺さる事柄だった。きっとその逆も(希望的観測だが)同じだろう。つまりそれ位、このハウスキーパーにとっては触れて欲しくなかった部分だということだ。だから素直にトールは頭を下げる。
「Pi PiPi」
どういうつもりなのか、とでも言いたいのだろう。銃を突きつけはしなかったが事と次第によっては……ということか。
「お前みたいに、ひまわりが壊れたときにどうしたらいいのか、って思ってな。おかしいじゃねぇか、あの倉庫にはひまわりの予備パーツどころか、生体パーツすらありゃしねぇ。そりゃあお前に聞くなりするべきだったんだろうけどな、なんか聞きそびれてな。謝る。だが、予備パーツの在処か、あいつの設計図ぐらいは目を通しておきたいんだ」
頼む、と頭を下げるとハウスキーパーはしばし回路を明滅させた後、半球状の頭部を左右に回転させる。NOということらしい。
「何でだよ、お前はひまわりが故障してもいいってのか? 人型だってな、自己診断と自己保守には限界があるんだぞ?」
声を荒げて訴えるトールにハウスキーパはしばし思案した後、右のアームを人間でいう口の当たりに動かして万能手腕で一本指を作ってみせる。ひまわりには秘密、ということらしい。守護者であることを漏らさなかった事で一定の信用は得られているらしい。
「わかった、約束する」
そう返答すると、
「Pi」
と、一鳴きして投影画面に部品と設計図を模したアイコンが浮かびあがり大きく×印が重なる。
「部品も設計図もない……? そんな馬鹿な話があるか……そうか、ここにはないって意味か?」
設計者が何らかの理由でこの星を去った際に持ち帰った、という話もありえるかとトールは問い返すが、ハウスキーパーは半球状の頭部を動かしてNOのサイン。
「そもそも代替パーツが存在しないってことか? 巫山戯んな、そんな機械なんざあるもんか。特注だってちったぁ用意するもんだ」
トールが詰め寄っても返答は変わらない。
このハウスキーパーがこのような見え透いた嘘をつく性質でないことはわかっている。とすれば、プログラムレベルでそう信じさせられているのか、それとも何かしらの事実の暗示なのか……。
「……そりゃあ、最初からないものが見つかるわけねぇって言われちゃあその通りだけどよ……ひまわりは知ってるのか?」
その問いには、鎖に雁字搦めにされた錠前の画像が表示される。
最高機密、と言いたいらしい。
「理由が見えないが、お前がそう言うってことはひまわりのためか?」
「Pi」
一鳴きして肯定するハウスキーパーを見つめながら、トールは顔をしかめる。
つまり、どういう理由か知らないがひまわりは代替パーツの存在しない機体で、これまた理由は明かせないがそのことについて彼女に知らせる事は平穏を脅かす事に等しい……ということになる。
全く訳が分からない。
恐らくあの管理者権限の向こうにはそういった理由だのを解き明かすヒントが隠されているのだろうが、もはやアクセスは叶わない。元よりひまわりのことを思っての行動だ、ここで事を構えては本末転倒もいいところだ。
「じゃあ確認だ、代替パーツが存在しないことは、お前の『ひまわりを守る』っていう使命になんら問題ないんだな?」
ハウスキーパーは即座に肯定する。
アンドロイドなどという繊細な機械が修理不要だなんて悪い冗談だ、と溜息をつき、ふと思い出す。
「なぁ、じゃああいつの記憶喪失はどう説明するんだ」
生まれた経緯も何故この星に残されたのかもわからない、と語る機械のどこが壊れていないというのか。あるいは意図的に削除されたとでもいうのだろうか。
「Pi……」
ハウスキーパーの回路がせわしなく明滅し半球状の頭部がぐるりと回る。答えに窮したのだろう、えらくわかりやすい。
「なぁ、ピーちゃん。俺は別に事を荒立てたいんじゃない。最初に言った通り、万が一に備えたいだけなんだ」
詰め寄るトールに突きつけられるのは、冷たい銃と最高機密の表示。
「どうしても駄目なのか?」
「Pi……Pi!!」
まるで『ぼくだってこんなことはしたくないんだ』と言わんばかりに逡巡しながら、ハウスキーパーは断言する。
「……俺はな、修理が終わったらひまわりも一緒に連れて行こうと思ってる」
ひまわりに伝えられずにいる言葉をトールは口にする。
「Pi?」
「もちろんお前も一緒だ。こんな寂しいところにお前らを置いて帰るだなんて、やっぱり俺にはできない。まぁ、ただ俺が寂しいだけなのかもしれないけどよ……でも、それくらいお前らのことが気に入ってる。だから……だからこそ、いざという時のために知っておきたいんだ」
きっと足りないのは覚悟だったのだろう、あるいは誠意だっただろうか。
このハウスキーパーから最高機密を引き出すには、こちらもそれに見合うものを見せるべきだ。
それくらいその秘密は重要なものなんだろ?
縋るように、祈るように、トールはピーちゃんをまっすぐに見据える。
その時だった。
「何をしてるんですか!?」
聞きなれた声がリビングに響き渡る。
ハッ、として振り向いた先には顔を青褪めさせてこちらを見つめるひまわりの姿があった。
酷いタイミングだ、とハウスキーパーと青年は顔を見合わせる。
端から見ればトールにピーちゃんが銃を突きつけている構図だ、誤解するなという方が難しい。
「ピーちゃん!! どういうことなんですか!? 勝手にこんなもの持ち出して……」
血相を変えて光線銃をひったくり、ハウスキーパーを叱り付ける少女を見て、ひとまずトールは安堵する。話を聞かれていたわけではないようだ。
しかし、このままではいつぞやのようにまたピーちゃんに貧乏くじを引かせてしまうことになる。
「いやいや、待ってくれひまわり。別にピーちゃんは俺に危害を加えようとしてたわけじゃない」
トールの言葉にひまわりはおろかハウスキーパーまでもがこちらに視線を向けて首をかしげる。せめて、お前はその通りだって顔しとけよとトールは苦笑する。どうにもひまわりが絡むとこいつはぽんこつになるらしい。
「ほら、昼間ドラゴンさんに襲われただろ? うまくやり過ごせたけど、やっぱりあいつらと事を構える可能性は残ってる。だからさ、ピーちゃんにも護身術っていうか……ちゃんと戦えるようにって教えてたんだよ、銃の使い方を。こいつが俺を撃つわけねーだろ?」
我ながらよくもまぁスラスラと嘘八百が並ぶものだとトールは肩をすくめる。
「で、でも銃がトールの方を向いてました」
「そりゃあ狙いをつけてみろって言ったからな。でも、確かに危ないことだ。気をつける」
食い下がるひまわりだが、その言葉に反論は浮かばなかったらしくトールとピーちゃんを交互に見比べてはぁ、と溜息をつく。
「ごめんなさい、私の勘違いだったみたいで」
慌てたことが恥ずかしかったのか、少しばかり頬を赤らめながら少女は申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、俺たちの方こそ紛らわしい真似して悪かった。すまん」
嘘をついているのはこちらのほうなのに謝られるのはきまりが悪い。慌ててこちらも頭を下げると、それに倣ってハウスキーパーも電子音を響かせる。
「それじゃあ、お互い様ですね。でも、あんまり危ないことはしないでくださいね。確かにドラゴンさんは怖いですけど、その前に二人が怪我をしてしまったら、嫌です。二人とも私の大事な人なんですからね?」
そう言ってはにかむ少女を見て、トールとピーちゃんは顔を見合わせる。
ひまわりを守りたい――その気持ちは同じはずなのに、どうしてすれ違ってしまったのだろうか。
トールは思う。
いつかは向き合わなければならないことなのだろう。けれど、その時になればきっとこの有能な守護者は秘密を明かしてくれるはずだ。
焦ることなんてないじゃないか。存外に自分の中でひまわりの存在が大きくなっていて、つい焦ってしまった、と。
ハウスキーパーは演算を巡らせる。
トールは信頼に足る存在であり、仲間だと認識している。何よりひまわりの騎士である自分を認めてくれた掛け替えのないニンゲンさんだ。
きっと告げるべきなのだろう、ひまわりの、このドームの全てを。
けれど、ためらってしまう。
全てを知った時彼は、まとめて面倒を見ると言ってくれた彼は、そのままでいられるだろうか、ひまわりは、そして僕は、このままの関係でいられるだろうか。
思いの外この日々を愛してしまっているが故に、つい恐れてしまった、と。
それぞれの思いは違えど、結論はただ一つ。
「ああ、気をつける」
「Pi!!」
もう少しこのままでいいだろう。
そう結論づけて、二人はひまわりに誓うのだった。
ドラゴンさん(ティガレックス)を狩っているうちにこんなにも間隔があいてしまいました。申し訳ないです。