06:初めての水遊びとロストメモリー(できれば全部忘れてくださいっ)
「あちぃなぁ、しかし……」
拭っても拭っても流れる汗に辟易しながら、手にしたレンチを工具ベルトに戻しながら空を睨む。
あの喧嘩から二ヶ月。日を追うごとに太陽は高くなり、気温も30℃を越える日々が続くようになった。
夏である。
居を構える惑星にも四季はあったが、これほどあからさまなのは緯度経度の関係かそれともこの星特有なのか。長雨が続いたかと思いきや途端に日照り続き……えらく住みづらい所だというのがトールの感想だ。
「お疲れさまです、トール」
そんなぼやきを聞いていたのか、ひまわりが断熱杯に注いだ水を差し出す。ウェザーロイドにも夏仕様の服があるらしく、インディゴブルーはそのままにダークブルーから白に基調を変えた薄手のノースリーブにスカート姿。ブーツも編み込みのサンダルになっている。
涼しげな恰好ではあるが、人間そっくりに作られた彼女もトールと同じく額に汗を浮かべている。
「おう、ありがとよ」
受け取った水を飲み干すと冷えた液体が臓腑に染み渡る感覚。本格的に火照っているようだ。
「ここって毎年こんな感じなのか?」
「あと、2、3℃上がりますよ」
マジかよ、とトールはがっくりと肩を落とす。日々の大半を空調の効いた船内で過ごす身としてはなかなかに堪え難い。
「なぁ、ひまわり。雨降らしてくれよ」
「無茶を言わないでください。私は天候案内用人型自律機械で、衛星じゃありません」
ひまわりの苦笑はもっともな話だ。幸か不幸か彼女の天気予報は10日続いて当たっていて、トールの知りうる限りの連続的中記録である。
何もこんな晴ればかり当ててくれなくてもいいじゃないか。
「トール、今何か失礼なことを考えてませんか?」
共に暮らせば互いに何を考えているか薄らと読めるようになるものだ。それは孤独とは対極で実に素晴らしいことではあるが、時に知られたくない思考まで透けてしまうものである。
「別に何も」
「どうせ、晴ればっかり当てやがって、とか考えているんでしょう? トールはいじわるです」
頬を膨らませてコン、と水筒で額を小突かれる。
何故ばれた、と笑うと更に叩かれる。
こんな軽口の叩き合いが出来るようになったのだから、大した進歩だ。
「それにしても参ったな。こう暑くちゃ話にならねぇ。先に航行管制のプログラムをしたほうが利口なのかねぇ……」
いずれにせよ、現在進行形で流れる汗をなんとかしたいところだ。
「私もこの時期はあまりお出かけしないようにしています。肌がヒリヒリしちゃうので」
「人間そっくり、ってのがお前らのコンセプトだから仕方ねぇけど……そこまでやらなくていいだろ、って時々思う。不便なトコだからな、人間の」
このままではいくら水分があっても足りない。修理の進捗も悪くないし今日は撤退しよう、そう考えて他の部分を修繕していたハウスキーパーに声をかける。
「Pi!!」
僕は平気なのだけれど。そう言いたげに腕を上げるロボットだったが、汗ばむ二人を見て事情を察したようだ。
「戻ってシャワー浴びねぇとやってらんねぇ。今日なんかは水を被った方がいいぐらい……ん?」
そこまで言って、頭の片隅に追いやられた記憶が引っかかる。何か有用な情報があった筈なのだが、こういったとき人間の頭脳という奴は不便だ。
「トール?」
小首を傾げるひまわりを見下ろしながら、うん、と首を捻って漸く答えを見つけ出す。
「確かこの近くに湖がなかったっけ?」
あの大トカゲ共となるべく鉢合わせしないように何度か探索した際に見つけたものだ。宇宙船が落ちる以前はきっと彼らの水場だったであろうと推測したその場所は徒歩で数分圏内だったはずだ。
「Pi!」
言うや否や、投影画面が迫り出してその記憶を肯定する。
「よし。ひまわり、お前って防水問題ないよな?」
訝しげに頷く少女を見てトールは満足げに頷き、
「よっしゃ。じゃあピーちゃん案内よろしく。いくぞ、ひまわり」
少女の肩を押してトールは意気揚々と歩みを進める。
「え? え? どうして湖なんかにいくんですか?」
夏で、炎天下で、水場とくれば答えは決まっている。
「泳ぐんだよ」
目的の湖は木陰に囲まれた外周20分もかからぬ広さのものだった。奥手には水流がありその先に森を形成している。そこまで深くは探索していないが、少なくとも人が踏み入れることの出来る範囲に危険がないことは確認済みだ。
「泳ぐ、ってここでですか?」
「おう、水質も問題ねぇし、危険な生物もいない……だったよな?」
ハウスキーパーが肯定するとトールはいそいそと靴を脱ぎ捨てる。
天然の湖や海で泳ぐということは、有史以来の一大レジャーだ。こんな辺境の星で堪能できるとは僥倖である。
いそいそと上着を脱ぎ捨てて上裸を晒した辺りで、きゃぁ、とひまわりが悲鳴を上げる。
「ん?」
振り返ると少女が顔を真っ赤にしてハウスキーパーを盾にして両目を掌で覆って――ばっちりとその隙間からこちらを見ている。
「いやいや、下は脱がねぇから」
流石にそれくらいのデリカシーは学習している。腰に巻き付けた工具ベルトだけ外して、ほら、と『武器』がないことを示すと、
「突然だったのでびっくりしました」
と、おっかなびっくりこちらに戻ってくる。
「お前、俺のことなんだと思ってるんだよ」
年頃の少女に似せたプログラムの芸の細かさに呆れながらくしゃりと、乱暴に頭を撫でて、水に飛び込む。
太陽に晒されているとはいえ、十分な温度差。身体がビクリと震える感覚に心地よささえ感じながら水上に顔を出すと、眩しさと共に全身に爽快感が駆け巡る。
それ程経験があるわけではないが、やはり人工池とは心地よさが違う。
「お前も来いよ」
水深は1mくらいか。立ち上がり、陸でもじもじとしている少女にそう呼びかけると、
「み、水着ないですし……」
「俺だってねぇよ」
「そんなに暑くないですし」
「汗だくじゃん?」
何かと理由をつけて入ろうとしない。
「……泳げないのか?」
「違いますっ! 泳いだことがないだけですっ!」
ピン、ときた答えを口にすると、ひまわりは顔を真っ赤にして否定する。
ああ、なるほどと理解する。
そりゃあ空調の効いたドームに住んでいたのだし、他に人間もいなければそんな機会はなかっただろう。湖に行くと言って泳ぐという答えが浮かばなかったのも頷ける。
「なんだって初めてはあるし、今日はその日ってことだよ。大丈夫、溺れたら助けてやるから」
そう言って手を伸ばしてもまだ抵抗があるのか、サンダルを脱ぎ捨てた所で少女は固まってしまう。
「Pi!!」
そんな彼女を見かねたのだろうか、ハウスキーパーが勢いよく水面に飛び込む。
『ピーちゃん!?』
二人の驚愕が重なる。
防水はともかく明らかに泳ぐように出来ていない機械の身体が湖に飛び込んだら無事では済まない。事実、ブクブクと泡を立てていつまでも浮き上がって来ないではないか。
慌てて引きずり上げようとトールが近寄ると、
「Pi!!」
ポコン、と半球状の頭部が水面に浮かび上がる。見れば、筒状の胴体にドーナツ状の空気を含んだ防水布が展開しているではないか。それはまるで小さな子供が浮き輪で遊ぶよう。
「びっくりさせるなよ……」
苦笑して頭を小突くと、ハウスキーパーはスイーッ、と多輪駆動を推進力に湖面を滑る。どうやらこれが彼なりの泳ぎらしく、大丈夫だとひまわりに向けて一鳴きする。
「うう……ピーちゃんまで。わ、わかりました。い、いきますっ!」
ハウスキーパーは発破をかけることに成功したようだ。言うや否やひまわりは助走をつけて水面に飛び込む。
派手な水飛沫をもろに被ったのを拭いながらトールが見やると、水面に顔を出した銀髪の少女は悲鳴を上げてもがき始める。明らかに足がつく深さなのだが……どうやら本当に泳ぎを知らないらしい。
「助けっ……あぶっ、トールっ、トールぅぅ!」
はいはい、と応じて少女の後ろに回って脇の間に腕を通して抱きとめてやる。少女特有の柔らかい感触と浮力を差し引いても軽いその体躯に奇妙な感動を覚えていると、
「ひゃぁぁぁっ!? どこ、どこ触って……きゃぁっ!?」
腹のあたりに触れたと思っていたのだがどうやら違ったらしい。この事実は彼女の名誉の為に胸の裡にそっとしまおうと決意しながら、飛び退いた拍子に再び溺れだしたひまわりを今度こそセクハラにならない形で抱きとめる。
「は、離してください。また、胸を触るつも……うぷっ……」
言われた通りに離してやると見事に沈む。頭部の猫耳型デバイスだけ水面に顔を出すのはなかなかにシュールな光景だ。
「離しちゃ駄目じゃねぇか」
「いやらしいことしようって思ってるん……うぶぅぅっ!?」
「事故だったんだ。悪かった。けど、そうセクハラ親父扱いされるとな?」
「わかりました、わかりましたから急に離さないでくださいっ!」
二度三度と沈む少女とその都度持ち上げる青年の構図がしばらく続いて、ついにひまわりはトールの首元にしがみつく形で一息つく。
「酷いです、トール。意地悪ですっ」
ぜぃぜぃと息を吐きながら文句をつける少女にトールは苦笑して、
「いや、足がつくようなとこで溺れるって器用なロボットもいたもんだなって」
言いながら浮力を借りて少女ごと立ち上がると、その両足が水底に着地する。
「な? 立てる……だろ?」
驚く少女に笑いかけ、そしてトールは慌てて目を逸らす。
薄い白のノースリーブ、それが水に濡れて透けてしまっていたのだ。ささやかとはいえ膨らんだ胸元、成長過程のボディライン、それにぴったりと張り付き肌色を浮かび上がらせているだけでもまずいのに、下着の色がホワイトであることがわかってしまう始末。
年端もいかない子供のことなのだからと済ませることもできるだろう。けれど、欠片も色気を感じないのかと言えば嘘となる。少女特有のアンバランスに戸惑いは隠せないし、なによりも彼女が気づいた際にまじまじと見ていては何を言われるか。
「ふぇ?」
小首を傾げてひまわりを己を見下ろして、
「きゃぁっ!?」
胸元を隠してしゃがみ込む。
「す、すまん」
「不潔ですっ! トールはやっぱりそういうことを……」
「ちげーよ! 俺をどんな変態だと思ってんだよ!? 何も感じてねぇって……うわっ!?」
言葉の途中で水をかけられてトールはもろに水を飲まされてしまう。
「酷いですっ! 散々弄んだ挙げ句に魅力がないって言われましたっ!」
「そこまで言ってねぇだろ! やべー興奮してきた、とか言ったらそれはそれでアレだろ!」
本気なのか遊ばれているのか。自棄になって叫びながらかけかえすと、
「やっぱり変態さんですっ!」
ひまわりはきゃあきゃあとはしゃぎながら水をかけかえし、逃げ惑う。
「こら待て、ひまわり。いっぺんみっちりと教育してやる!」
転んだらまた溺れるくせに走り回る少女を追いかけて、トールもざぶざぶと水を蹴る。
年甲斐もなくムキになって、とは思うが、娯楽とはそういうものだ。
水を掛けあったり、掴みあったり、挙げ句の果てにはハウスキーパーまで参戦しての大立ち回りにまで発展し、トール達は日暮れまで飛沫を上げて遊ぶのだった。
日の暮れた木陰はなんだか不安だ。
ぶるりと身震いしたひまわりは、それが恐れのせいなのかそれとも濡れた服のせいなのか判断がつかず、さっさと終わらせようと結論づける。
「絶対に、こっち見ちゃ駄目ですからねっ!」
そう木陰の向こうに声をかけると、ぼぅ、と光るその辺りからトールの面倒くさそうな返事が聞こえてくる。
別に疑っている訳ではない。
ただ、時折不安に駆られてしまう。彼が突然居なくなったりやしないか、と。トールという存在の代償に知った孤独のシグナルは、まるで再現性のないバグのように突如として襲い来るのだ。
ひまわりはそれを振り払うようにして首を振り、ノースリーブに手をかける。
「んっ、あれっ? あれっ?」
一気に脱ぎ捨てるつもりが、濡れているせいで肌に張り付いたり頭の猫耳型デバイスにひっかかったりしてうまくいかない。もがもが、と服の中で呻きながらなんとか顔を出し、スカートのホックに手をかける。こちらは楽に脱げてくれた。
そこまでの作業を終えて、ひまわりはしばし黙考する。
下着が気持ち悪い。
白のブラジャーと、サイドストリングショーツ。上着と同じくすっかり濡れてしまったそれらは肌に張り付いてしまってどうにも落ち着かない。
いっそのこと脱いでしまおうかという気持ちと、男性の前でそれは流石にという羞恥心がせめぎあう。ピーちゃん相手ならば(それでも恥ずかしさはあるが)そこまで悩みはしなかったが、やはり相手はニンゲンさんで、男の子なのだ。
「うーん……」
散々セクハラだと罵りはしたが、トールが紳士だということは知っている。もしもその気ならとっくの昔にそうしていたはずだ。
ぶっきらぼうで、口は悪いけれど、とても優しい人。
トクン、と胸が鳴る。
頬が紅潮し、心拍が跳ね上がる感覚。
いけない、冷えて風邪をこじらせてしまっているのかもしれない。
背に腹は代えられぬ、とひまわりは決心して、ブラのホックを外しショーツの紐を解いて製造当時の姿を晒けだす。
ふっ、と風が吹くとまるでお尻を撫でられたような心地がして、慌てて毛布で身体を隠す。
想像以上に心許ない。
「うぅ……やっぱり恥ずかしいなぁ……」
下着姿も恥ずかしいのだが、あるとないとでは雲泥の差だ。
「ひまわりー?」
逡巡する少女に、木陰の向こうからこちらを心配する声が聞こえる。
「は、はい! 今行きますからっ!」
慌ててそう返事をすると、毛布にはだけた部分がないかを確認し意を決して木陰から飛び出す。
「あんまりもたもたしてると、風邪引くぞ? って、ロボットが冷えた程度でそうなるか知らねぇけど」
たき火に薬缶をかけながらトールがそう軽口を叩く。
「……病気はしたことがないですね、そういえば。でも、お気遣いありがとうございます、トール」
本人を前にすると、羞恥心はさらに増す。トクン、トクン、と高くなる鼓動はそれこそ病のそれのようで、ぼぅ、と視界がぼやけそうになる。
「Pi!!」
たき火の向こう側を見やると、片方の万能手腕を乾燥機に換装したハウスキーパーがトールの服を乾かしている所だった。身体を拭いている間に下着だけでも乾かしてもらえばよかったと後悔しながら彼に歩み寄ると、
「あっちに、私の服があるから……そのお願いできますか? 絶対に、トールには見せないでくださいね?」
と小声で囁く。
羞恥心がどれだけ伝わったかは不明だが、ハウスキーパーは何度か回路を明滅させた後、首肯する。
ほっ、と胸を撫で下ろすと少女は毛布がはだけぬよう気を遣いながらトールの隣に腰を下ろす。
こうすれば視界に入りにくいだろうし、それに、やはり彼の温もりは捨てがたい。
「ほい、温まるぞ」
薬缶から断熱杯に注がれたのはホットミルク。観察した限りトールはコーヒー派だったはずなのだが、きっと飲めないこちらにあわせてくれたのだろう。こういった優しさがたまらなく嬉しい。
「ありがとうございます」
二つの意味で礼を言ってひまわりは口を付ける。トールの言葉通り、冷えた身体に熱が染み渡りほぅ、と溜息をつく。
「今日は本当に楽しかったです」
たき火を見つめながらそう告げると、トールはそうかと微笑む。『トールはどうでしたか?』など聞く愚をひまわりはおかさない。表情を見れば伝わることだし、聞いても照れ屋の彼がまともな返事をしないことを知っている。
「初めて水に入ったことも、少しだけ泳げるようになったことも……すごく、すごく、楽しかったです」
その代わりに、というわけではないが口をついて飛び出す喜びを並べ立てると、トールはミルクを口にしながら何度も頷いてくれる。
トクン、と再び胸が跳ねてひまわりは少し慌てる。
おかしいな、恥ずかしいわけでも風邪でもないのに。
「どうした? 故障か?」
冗談混じりに額に触れられると鼓動はさらに早くなる。
ああ、そうか、とひまわりは理解する。
これは、楽しいからだ。トールと過ごす時間が、トールに触れられる時間が、たまらなく嬉しいのだ。
「違いますよ……またポンコツ扱いして」
よかった自分は正常だ。
口を尖らせながらも頬を緩めながらそう答えると、青年はそっか、と首を竦めて、
「俺って捨て子でな? 拾ってくれた親方は職人の塊みたいな奴で親らしいことはほとんどしてくれなかったんだ。別にそれを恨んじゃいねぇけど、あのおっさんが唯一遊びに連れて行ってくれたのが……海でな」
空を仰ぎながら呟くトールの顔はどこか寂しげで、ひまわりは思わずトールの手を握りしめる。
「よせやい、別に悲しい話をしてるんじゃねぇよ」
そうは言ってもトールはその手を払いのけはしない。
「海ってわかるか?」
「はい、知識だけですけど。塩水なんですよね?」
「ああ。まぁ、俺の住んでた星の海は人が入れたもんじゃねぇから人工なんだけどな。すげー楽しかったんだ、今日みたいに。けど、そのあと風邪引いちまってさ、面倒はごめんだって結局それっきりだった。だから、今日は本当に久しぶりで……楽しかった訳だ。ありがとよ」
そう言って、少し乱暴に頭を撫でられる。
「親方さんにまた会いたいですか?」
聞いてはいけない、そう思ったのだがつい口の端から溢れてしまう。
「だからそういうんじゃねぇっての、マジで。俺、あのおっさんにあの船の代金を借金させられてんだぜ? しかも法外な値段の」
けらけらと笑われては、心配も杞憂なのかもしれないという気分になる。
――けれどそんな借金も実はトールと会いたい口実なんじゃ……
そこまで考えて、やめる。答えの出ない話はきっと、堂々巡りの言い合いになってしまう。もっと楽しい話をしたい。
「こうやって泳ぐのは初めてですけど、なんとなく覚えていることがあります。お父さんとお母さんと遊びに出かけたことがあったんです。何をしたかまでは覚えていないんですけど、あ、確かみんなでお外でお弁当を食べたはずです。沢山花が咲いた場所で」
思い浮かぶのは、太陽に似た黄色い花。身の丈以上のそれを見上げてはしゃぐ自分と、顔の造形がぼやけた二人の笑顔。
懐かしくて、嬉しいはずなのに、何故か胸がきゅっ、と苦しくて……
「お父さんとお母さん?」
首を傾げるトールに、はっとする。
おかしいな、誰がマスターかも知らない筈なのにどうしてこんな記憶があるのだろう。
私は天候案内用人型自律機械。WA120型、個体識別コードPD-0019AC。通称『ひまわり』。
お父さんも、お母さんも、いなくて……
「おい、ひまわり?」
頭が痛い。
視界がぼう、とする。
温かに刻んでいたはずの鼓動が、痛いくらい冷たく跳ねている。
私は……
ワタシハ……
「Pi!!」
突然ハウスキーパーの声が割り込んで、ひまわりは渦巻いた思考から叩き起こされる。焦点を結んだ瞳に映るのは狼狽えて毛布越しに肩を揺さぶるトールの姿。
あはは、やだなトール。そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。
「うっかりしてました。お父さんとお母さんって、多分私のマスターのことです。ほら、私って、マスターの記憶を失くしているものですから……きっと試運転かなにかで連れ出された時のことを勘違いしてたんですね」
記憶の欠落に困ったことは一度もなかったが、まさかこんな形で不具合が起こるなんて。
「本当に大丈夫なのか? ひまわり。すまん、俺が故障なんて言ったもんだから……」
心配そうに見つめるトールを見ていると再び胸が熱く跳ねる。
優しい人だ。本当に、本当に……
「はい。記憶喪失のせいでちょっと不具合が出ただけですから。あとで修正しておきます」
ちょっとした自動修復の穴なのでしょう。そう少女は笑って、同じく心配げにこちらを見つめるハウスキーパーに視線を移して……凍り付く。
片腕には乾燥機。そしてもう一方にはあろうことか、紐の解けたショーツが握りしめられていたのだ。
「ひゃぁぁあぁぁ!? ピーちゃんっ、駄目っていったのにっ!!」
乾燥中に異変に気づいて駆けつけてくれたということは、ひまわりにも十分わかっている。けれど、だとしても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
慌てて立ち上がり、下着をひったくる。
「もうっ。心配してくれたのは嬉しいですけど、恥ずかしいんですよ?」
人差し指を立ててハウスキーパーに注意をしながら、ひまわりはふと違和感を覚える。
妙に身体が軽い……それに何だかお尻の辺りが妙にすーすーするような。
「?」
ふと振りかえりトールを見やると、今までに見たこともないほどにポカンと口を開けて……目を丸くしてこちらを見ていた。
一体どうしたんですか? そこまで言いかけて、彼の手に握られた毛布に気がつく。
それは少女の身体を包んでいたもの。それがそこにあるということは……
「ひまわり、落ち着け。な?」
「Pi!! PiPi!!」
二人の声はその答えを如実に現していて、みるみるうちにひまわりの頬が紅潮していき……
「きゃあああぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
夜闇に、乙女の絶叫がこだまするのだった。