03:雷神トールとドラゴンさん(或いは孤独のシグナル)
「ドルエンタ地方 22℃ 西の風2.0m 降水確率40% 曇りになるでしょう。曇りになるでしょう」
トールが眠気眼を擦って外に出ると、ひまわりが定刻通りに天気予報を謳っていた。
標準時にして9時、12時、15時、18時の1日4回。誰一人としてそれを必要とする者がいないのに、彼女は必ず天気予報を行う。
この星に人間は存在しない。ひまわりからそう教えられた青年はその光景を複雑な表情で見つめていた。
こいつがいつから稼働しているのか知らないが、ずっと誰に聞かれるでもない天気予報をプログラム通りに発信し続けてるってわけか。
滑稽な話だ、とは思わない。
それが彼女の仕事であり役割だからだ。天気予報の機能に人の型や感情機構を搭載してしまった制作者の気まぐれが生んだ悲劇なのかもしれない。
「エストラーニャ地方 21℃ 北北西の風1.2m 降水確率0% 晴れになるでしょう。晴れになるでしょう」
最後の予報を告げてひまわりのステップが止まり、こちらに気づいた少女は嬉しそうに少女は微笑む。
漸く天気予報を必要とする者が現れたのだ、それはひとしおだろう。
「おはようさん」
「はい、おはようございます。トール」
こんな挨拶のやり取りは久しぶりだ。星間修理業者なんてやっていると大抵は闇の海の中だ。配偶者はおろか恋人もいない身となれば、港に戻ったとしても口にすることは少ない。
「そういやまだ聞いてなかった。ここは何地方なんだ?」
「エストラーニャです」
「なるほど、晴れか。それは助かる」
「はい!」
自分の予報が役に立ったことが嬉しいのだろう、ひまわりは胸元で拳を作って頷いてみせる。
本当はこういうやり取りを見越しての設計だったのかもしれない。先程『気まぐれ』と称したのは早計だったかもしれない、と思いながらトールは何気なく、ぽんぽん、とひまわりの頭を撫でてやる。
「わふっ、どうかしたんですか?」
驚きながらもどこか心地良さそうに首を傾げるひまわりに、ご褒美だと笑う。
「ところで頼みがあるんだが、俺の船のところまで案内してくれないか?」
旧式と評した医療行為だったが、目覚めてみれば傷の癒えの早さに驚かされた。問題なく動けるのであれば、まずは船の状況を確認したいのが人情だ。まだ無事な部分があるならば保護もしておきたい。
「お易い御用です。でも、ここには重機なんてありませんよ?」
「問題ない。とりあえず、確認できりゃいいし……贅沢を言えば防水シートでもあれば上等だな」
頭の中で算段を立てながらそう言うと、不意に腹の虫がぐぅ、と唸りを上げる。
「朝ご飯にしましょうか、トール」
それにしても、よく笑うロボットだ。
銀色の半球の形をした建物を、ひまわりは『ドーム』と呼んでいた。そのものずばりである。表面は合金、内側はコンクリートの打ちっ放し。入り口を抜けると円形の部屋があり、外周には種々の目的に部屋へと通じる扉が並ぶ(トールの寝室もその中の一つだ)。そしてその中央に大きな機械が鎮座する。この建物を全面的に管理する中央管制だ。一般の家庭用にはこのようにバカでかいシステムは存在しないが、そこは旧式だと思えば頷ける。空調、防犯から食事や衣類まで、あらゆるもの管理・提供するそれがこの旧世代まみれの世界に存在したことは僥倖だ。これさえあれば、設計図さえ用意すれば時間はかかるが宇宙船のパーツだって生産できる。
「あれ? お前も食べるの?」
食卓に並ぶ2枚のエッグトーストを見て首を傾げると、
「はい。私は経口型なので。あ、お腹も鳴りますよ?」
先程のトールを思い出したのかクスクスと笑いながら、少女はトーストに齧りつく。
天気予報に大層な機能をつけたものだ、と思いはしたが、ウェザーロイド、と言うくらいだ。アンドロイドとして――つまりは人間と同等の何かを求めて作られたのだとしたらそれほど不思議はない。
「ま、一人で食うよりはいいな」
ちらりと見やると、もう一台のロボットは中央管制からコードを伸ばして充電中。あそこにひまわりが同じように繋がっているのを眺めながらの食事は少々きまりがわるい想像だ。
「うん、味は……」
少女にならって齧りついたエッグトーストを飲み込んでトールは苦笑する。万能である中央管制だが、産み出すものは基本的には粗悪だ。原材料無しでも大気だ土壌だのから適当に見繕ってあらゆる演算と化学反応を駆使して目的物を産み出すという乱暴なものであるせいか、どれだけ演算的に正しくともオリジナルに劣る。例えば食事、同じレシピと材料であってもぶれはあれど人の手によるものの方が味は勝る。部品だって耐久に劣ることが多々ある。改良に改良を重ねてはいるが未だにオリジナルと同等のシステムは開発されていない。だからあくまで中央管制による生成は防犯だとか空調だとかの管理のオプションでしかない。
この星の卵がいったいどんなものかは知らないが、きっともう少し濃厚で旨味があるのだろう。
「お口に合いませんでしたか? 美味しいと思うんですけど」
流石に料理の機能までは搭載されていないのだろう。毎日これを食べているであろう彼女からすればそりゃあ慣れ親しんだ味だろう。
「いや、多分俺の舌がこの星の味に慣れてないだけだろ。なんだって初めて食うもんは違和感あるだろ? よくできてると思う」
別に彼女が作った訳でもあるまいに、不安げに表情を歪ませて見上げてくるひまわりを見ていたらそんな社交辞令が口をついた。
それを聞いて、パッとその名の通りに笑うウェザーロイドを見てトールは胸を撫で下ろし、そして心の中でこう思う。
これを作った奴は家族を求めていたのだろうか。
息子というよりは丁稚のような扱いで育てられた身としては、この空気が少々くすぐったい。
「じゃあ片付けちゃいますね」
お互いに朝食を腹に収めると、ひまわりは皿を重ねて中央管制へ。洗う代わりにシステムに放り込んで再構築し新たに皿つきの食事を生成……ものぐさな人間はそうやって毎日を過ごす。一人暮らしならこの方が効率がいい。トールだって星に戻れば大抵そうだ。
料理の一つでも教えてやったら喜ぶだろうか?
そんなことを考えながらその様子を眺めていると、充電中のハウスキーパーのケーブルに少女の足がひっかかりそうになるのを認める。
「あ、ちょっと……」
声をかけるのが遅かった。
ものの見事に足を引っかけて少女はすてーん、と床にダイブする。遅れて、ガシャン、と皿が割れる音。
「大丈夫か? ひまわり」
慌てて抱き起こすと、赤くなった額を撫でながら少女は苦笑する。
「あはは、失敗しちゃいました。初めてのニンゲンさんなので頑張ったんですけど……私ってどうもお天気以外はドジみたいで」
割れた皿が刺さっていないかと見回すトールの視線がピタリ、と止まる。
「初めて?」
「はい、少なくとも私の記憶には他のニンゲンさんのことは何も。誰がマスターかもわかりません」
その瞳に何一つ揺らぎがないことに心の奥から何かが沸き上がりそうになるがそれを堪えて、
「別に無理することはねぇだろ……世話してもらってる上に、余計な気まで使われたら申し訳ねぇ」
と顔を逸らして吐き捨てる。
ウェザーロイド、という位だ。完全自律のアンドロイドとは違って『天気予報』という役割を与えられて作られた以上『人の役に立つ』という思考回路はむしろロボット寄りの筈だ。生まれて初めての人間を目の前にしてそれが強く働いているのだろう。
理屈ではわかっている。
「トール?」
けれど彼女を見ていると、今まで気づかなかったものを見せつけられているようなのだ。
たった一人で、いや一人と一台で無人の星で暮らしていた彼女と親の顔も知らずに温もりらしい温もりも与えられずに育った己に共通する……孤独という奴を。
「何でもねぇ。とにかく無理すんな。俺は居候なんだから顎で使ってくれりゃいいんだよ」
言いながら割れた皿を拾い集めようとすると、ふるふると首を振ってひまわりが制する。
「駄目ですっ、ニンゲンさんにそんなことさせるだなんて」
「あのな、俺もお前も、出るとこ出りゃ立派な『市民』なの。つまり、対等ってことだ。プログラムがどうのとかあるだろうけどさ、これくらいさせろっての」
お互いに一歩も引かずに揉み合っていると、スッ、と万能手腕が伸びて皿を拾い始める。
「あ」
「ピーちゃん……」
いつの間にやら充電が終わったのだろう、呆気にとられる二人を尻目にハウスキーパーは手早く皿を回収し、キィと半球状の頭部を回転させてこちらをみやると、
「Pi」
と一鳴きすると、ぽい、と中央管制に皿を放り込んで周囲の掃除を始める。
言葉はわからずとも、二人には彼の言っていることがわかった気がする。
これは僕の仕事です。全く、何のために僕がいるんだか。
ぐうの音も出ない正論に二人は目を見合わせて、ぷっ、と吹き出して笑うのだった。
幸いにも予備の浮遊駆動があったので、二人並んで(正確にはひまわりのホバーにはピーちゃんが乗っているが)宇宙船に向かう。
本格的に外に出てわかったことはドームの位置する場所が市街地の一部で他の建造物は軒並み風化してしまっているということだ。ドームだけが生き存えているのはあの合金製の外装のお陰だろう、他の建物は大抵がコンクリート製だ。もしかしたらあの建物にだけ誰かが外装を施したのかもしれない。
誰が?
例えば、ひまわりの設計者とか。
「そこの区画を曲がった辺りです」
ホバーにして10分。町外れに当たる場所に目的地はあった。
「……うん、思ったよりは無事……だな」
その外観を評して、トールはそう呟いた。
全長25mの小型宇宙船、グレーを基調としたその船体はエンジン由来の火災で後部が煤けていた。不時着の影響か船底の損傷も激しいが辛うじて穴は空いていないようだ。
ふと見ると、エンジン付近に一部が焦げ付いた球状の機体が転がっている。緊急脱出ポッドだ。恐らく気を失ったトールを船が最後の矜持でもって脱出させたのだろうが、飛び出したタイミングが遅かったのか何かの不具合か……運悪く燃える船体近くに落ちたらしい。航行服が焦げていたのはこれのせいだろう。
助けられなければ人間の蒸し焼きの出来上がり。ゾッとしない話だ。
「よくお前ら二人で助けられたな、めちゃくちゃ燃えてただろ?」
そう問いかけると、
「助けに向かう途中で、運良く通り雨が降ったんです。空にもこもこ〜っとした雲がでていたので、ピカッとくるかな、と思ったらビンゴです。トールというお名前ですからそういう巡り合わせだったのかもしれません」
話が見えなくて首を傾げつつ、とりあえず操縦席によじ登ると、ひまわりも追いかけてくる。手を貸してやって見渡すとポッドと共に飛び出した座席が欠けて、あちこち火災でひしゃげている。雨が降ったお陰で全焼は免れたようだ。
となると、積み込んだ資材やらも無事かもしれない。
「この近くに図書館があるんです。ほとんど資料は駄目になってるんですけれど、それでも閲覧できるものがあって……そこにこの星の神様の話が載っていたんです」
神様。
信仰を持つアンドロイドがいても不思議ではないが、こんなところで機械仕掛けの存在からその言葉が出てくるとは思いもしなかった。
物入れを漁る手を止めて振り返ると、ひまわりは物珍しげに船内を見渡していた。
「それで?」
先を促しながら、再びロッカーを漁る。
ここに入れた筈だ、命の次に大事な商売道具を。
「はい、そこに出てくる神様の中にトールって名前があるんです。雷と農耕の神様、トール。だから、雷雨が降ってトールが無事だったのはそういう巡り合わせかなって。それに、農耕と天気は切っても切れないものです。だから私が助けることになったのかもしれませんよ」
確かな手応えを感じながらごちゃごちゃになった荷物から引き摺りだすと、果たして願い通りのものが出てくる。
星間修理業者の命綱、工具箱だ。
これが無事だったことが何よりの救いだ。それこそ、その神様とやらの加護かもしれない。
「名前一つでそこまで持ち上げられてもなぁ……でもそういう考え方も悪くない。どう考えても死んでいた筈の状況で、俺は生きてて、こうして道具も見つかった。ハッピー・ハレルヤ・ピーナッツバターって奴だ。ありがとな」
古い映画で見た台詞を交えながら再び礼を口にして工具箱を開く。うん、問題ない。
「やっぱり、トールです」
「へ?」
「ほら、このハンマー」
大事なものだということを気遣ってか、ひまわりは手に取らずに工具箱の中の金剛石合金の金槌を指差す。
「これがどうした?」
「トールは、いつも金槌を持っているんです。とっても強いんですよ」
ニコニコと笑って話す様はまるで、得意げに知識を披露する子供のようだ。どこかで知ったことを話したくて仕方が無くて、でも、そんな相手などどこにもいなくて……遠い昔の記憶が蘇り、もう少し真面目に聞いてやるべきだったかとトールは頭をかく。
「そりゃあすごい。だったら俺もこのハンマーでばっちり修理しねぇとな」
社交辞令と言ってしまえばそこまでだが、それでも大真面目にそう答えるとひまわりは嬉しそうに頷く。それだけでこっちの記憶まで満たされた気になるのは、なんだか妙なものだ。どうやら孤独という奴は大いに我が身を蝕んでいたらしい。
「さて、もうちょい使えそうなもの集めて……破損箇所の確認しねぇとな。退屈なら先に戻ってても……いや、よかったら手伝ってくれるか?」
退屈なんて、彼女の生活を想像すれば茶飯事だろう。それこそ図書館で神話なんてものを仕入れるほどに。
いや、そんな考えは本当の所は言い訳で、トール自身が『孤独』というものに飽いていたのかもしれないが。
「はい。喜んで、でも一人じゃなくてピーちゃんも一緒ですから三人ですよ」
再び操縦席から降りながらそんな会話を交わす。
「そういや、そのピーちゃんはどこいった?」
流石にあの身体ではよじ登って来れないだろうから待機しているとばかり思ったのだが。
「Pi!!」
ガタガタとローラーを転がしながら宇宙船の影から声の主が姿を現す。
「お待たせしました、ピー……」
ひまわりの声がそこで途切れる。
「どうした、ひまわ……」
続くトールもその視線の先を見て絶句する。
ハウスキーパーのその後ろに見たこともない生物が存在していたからだ。
小さく細長い頭部と重厚な体躯。尻尾の先まで含めれば2、3mは優に越える。その表面は鱗で覆われ、太い四つ足で這いずるようにこちらに近づいてくる。
きっとトカゲの類なのだろう。宇宙は広くこのような生物が種々いると聞き及んでいるので不思議ではない。だが人類まみれのこの時代に、こんな存在とかちあう経験など開拓者か研究者でない限りありはしない。
「ドラゴンさんです……でも、どうして……」
ドラゴン。空想上の生き物の名だ。これが空想だったらどれだけいいか。こちらを威嚇するように細長い舌を突き出して、のこぎりのような歯を剥き出しにして顎門を開いているではないか。
「対処法は?」
なるべく刺激しないように小声で問いかけると、少女は首を振る。万事休すか。
見知らぬ星なのに危険な生物がいる可能性を失念していたことが悔やまれる。護身用の光線銃が無事にロッカーに残っていたというのに。
「Pi!」
ヒュン、とハウスキーパーから投影画面が飛び出す。
そこに映るのは、図鑑かなにかのようだ。大トカゲの特徴だの何だのが事細かに示されている。
「今それどころじゃねぇ」
声が大きくなりそうになるのを堪えながら吐き捨てる。歯に毒がある? そりゃあおっかねぇ。火に弱い? そんなの大体そうだろ。
「Pi!」
画面が切り替わる。いや、拡大されたのだ。解説の終わりの辺り、そこにはわざわざイラスト付きでこう書いてある。
『死んだふり』
「嘘だろおい……」
こういう手合いは生きていようが死んでいようがおいしくいただいてしまう連中だろう。
「Pi! Pi!」
早くしろ、ということらしい。確かにそろそろ大トカゲの方も狩り時だと舌舐めずりを始めている。
「くそっ」
ひまわりを抱き寄せて、そのままうつぶせに倒れ込む。
「トール、これじゃ逆で……」
騒ぐ少女の口を片手で塞いで、
「文句は後で聞く。頼む」
覚悟を決めて動きを止める。早鐘のように打つ鼓動に黙れと念じ、なるべく呼吸を小さくして、瞳を閉じる。
震えているのはトールか、ひまわりか。いずれにせよそれは致命になりかねないとさらに少女の身体を抱き締めて鎮めようと務める。
ガキン、と金属質の何かが転がる音がする。
目を開けて確認することは叶わないが、おそらくはあのハウスキーパーが蹴り飛ばされた音だろう。
死んだふりをする、ロボット。
こんな状況じゃなければ何の冗談だと笑う所だ。
ずしり、と踏みしめる音が聞こえて、首筋に生臭い息がかかる。
いよいよこちらの番らしい。
丸太のような足でトールの後頭部や背中、腕あたりを小突くそれは直前まで動いていたはずのものなのにという戸惑いが見え隠れする。だが、されるがままのこちらはたまったものではない。触れられる度に何キロあるのかわからない重量がのしかかり、身体が悲鳴を上げる。
ひまわりじゃ、こんなの折れちまうだろ。
人間だから、という理由で庇おうとした少女に心の中で苦笑してじっと耐える。
ぼたぼたと身体を濡らすのは唾液だろうか? ネトネトとして気持ち悪いし、吐きそうな程に臭い。
どれくらい時間が過ぎたのか、それとも一瞬の出来事なのか。緊張の中で時間の感覚を失いながら不動の構えを続ける。
「フシュゥゥゥゥゥ」
べろり、と耳の辺りを舐められる。まだ温かいことが不審なのだろうか。二度三度と繰り返されるとおぞましさに震えそうになる。
頼むから早くどっかいってくれ。
そう叫びそうになる、その時だった。
ぽつり、と大トカゲの唾液とは明らかに違う水滴が後頭部を叩く。
「グルル?」
それは大トカゲにも不思議なことだったのか、一瞬動きが止まる。
そして、その水滴はみるみるうちに数を増して、ザァァァァという音に変わる。
見えなくたってわかる、雨だ。
「グゥゥゥ……」
トカゲの類ということは身体が冷えることは致命的なのだろう。突然の雨を嫌がるように身を震わせ、ばしゃばしゃと足音を立てて離れてゆく気配を感じた。
助かった、のだろうか?
まだ油断はならないと心のなかで百を数える。
1、2、3……
数える数字に鼓動が重なる。
20、21、22……
それは数える速度より明らかに早くて、それがひまわりのものであることに気づく。
50、51、52……
アンドロイドを抱いたことなどないが、人間と同じように心拍があると聞く。
70、71、72……
これまで無事だったのだ、きっと『生まれて』初めての危機だろう。
90、91、92……
怖かったろう。けど、泣かれたらちょっと困る。
100。
「ぷはぁ!!」
緊張と共に大きく息を吐き出して、両手両足を立ててぜぇぜぇと荒くなる呼吸に身を任せて目を開く。
「はぁっ……」
見下ろすと地面に寝転がるひまわりも目を見開いて、息を吐き出していた。
終わったんですか?
と問いかける瞳に、こくりと頷くと。緊張の糸が切れたかのようにその両の瞳から涙が零れ落ちる。
ほら、やっぱり泣いた。
けれど、ひまわりの頬へと落ちる水滴にはトールから垂れ落ちるものも含まれていて、それが雨なのか汗なのか、それとも涙なのかさっぱりわからなくて。
「なぁ、ひまわり」
誤摩化すように声をかける。
「はいっ」
ぐしぐし、と鼻をすすりながら返事をする少女にかける言葉なんて持ち合わせていない。こういう処理をうまくできないから、ローラの尻を撫でるくらいしかできなかったのだ。だから、
「降水確率0%じゃなかったのかよ」
外れた天気予報を詰るのが精一杯。
「あはっ、外れちゃいましたね」
泣き笑いで答えるひまわりを見て、少なくともそれが不正解ではなかったと悟る。
「何が『天気以外はドジみたいで』だよ。お陰で助かっちまったじゃねぇか」
「はいっ……ただのドジなウェザーロイドだって、バレちゃいました」
クスクスと少女が笑う。全く、馬鹿にしてんのに怒るどころか笑うなよな。
それが何だか嬉しくて、無性に恥ずかしくて。
「この、ポンコツめ」
笑う少女の額を、ピンッ、と指で弾いてやるのだった。