13:忘れてしまうのはやっぱり悲しいことです
家庭用補助機械が初めて認識した人間は、年齢にして5歳と推測される銀髪碧眼の少女だった。
「お父さん、お母さん! この子動いたよ!」
キャッキャとはしゃぐ少女の名がひまわりで、それを愛おしそうに眺めるのがその両親であり設計者――そして自分がこの家族の補助を行う存在であると回路が認識する頃には、
「Piって鳴くからこの子はピーちゃんだね!」
と少女に名付けられていた。
その名について人間らしい感想を抱くことはなかったが、ハウスキーパーは静かに永久保存ファイルにその名を刻んだ。
記録によればこの家族は遭難者とのことだった。
個人所有の小型宇宙船で娘が生まれた報告をしに行く途中にこの星に不時着、苦労を重ねて宇宙船を再建しつつハウスキーパーを作る余裕ができた――ということらしい。
ハウスキーパーの役目はもちろん家事……といっても中央管制がその多くを担っている以上ハウスキーパーの役割はその補助程度だ。それゆえその役割は少女――ひまわりの遊び相手という方が正確だった。船の修理(もちろんこれも手伝ったが)に忙しい両親の代わりが主目的といっても過言ではない。
「あはは! ピーちゃんまてーーー!」
多輪駆動でひまわりの駆け足より少し早い程度の速度で逃げ回ると、少女は大喜びでそれを追いかける。無人とはいえ危険な動植物(特に大トカゲは大人でも対処が難しいだろう)は存在するので、それらと出くわさないよう細心の注意を払いながら、ひまわりを誘導する。
「あははは、捕まえたー!」
頃合い――追いつけないことに癇癪を起こす前に速度を落として小さな手に捕らわれると、少女はまた嬉しそうに笑う。
よく笑う人間だ――比較する対象はその両親しかいないが、一般的な記録を参照しても、感情豊かな少女だ。
すっかり懐かれているようで、笑顔が向けられるたびに回路の回転が速くなるような気配があったし、実際にそうだった。感情機構が搭載されているといったことはなかったはずだが、ハウスキーパーはいつしか自身を『僕』と認識し、ひまわりの遊び友達にふさわしい存在となるよう自身を定義するようになっていた。
様々な遊びの中でも、彼女のお気に入りは『天気予報ごっこ』だった。
「ウェザーインフォメーションの時間です。アーバラナ地方 15℃ 南南西の風1m 降水確率0% 晴れになるでしょう。晴れになるでしょう」
両親のもっていた記録映像の中で天候案内用人型自律機械が舞い踊りながら予報を告げる様がいたく気に入ったらしく、廃墟にあったガラクタを集めて天候案内用人型自律機械と同じ格好(もちろんほとんどをハウスキーパーが作ることになったのだが)をして真似事をしはじめたのだ。
地名も、天候も、何もかもがでたらめだったが、そんな謳い踊る少女の笑みは一等輝いていて、いつしかハウスキーパーにとってもお気に入りの遊びになっていた。
少女が年を重ねるうちにその機会も減っていったが、それでもその笑みは変わらず、ハウスキーパーは常に少女の傍に寄り添い続けた。
そうしてハウスキーパーの製造から5年……遭難から10年の月日を重ねて、ひまわりの両親はついに小型宇宙船を再建する。
「ねぇ、ピーちゃん……お空の星には沢山の人が住んでいるんだよね?」
出発前夜、空を見上げてひまわりが呟いた言葉を訂正することはなかった。輝く星が恒星で、惑星は夜空に輝くことがないことを告げたところで彼女の言葉の真意に影響しないことは長い付き合いでわかっていたからだ。
「宇宙ってどんなのだろ? 人がたくさんいるって……どんな風なんだろ?」
バイタルを確認するまでもなくひまわりが不安を覚えているのだと認識したハウスキーパーは、
「Pi」
と一鳴きして、ひまわりの手に万能手腕を添える。
「うん……そうだね、ピーちゃんがいてくれたら、大丈夫だよね」
その時の笑顔を永久保存ファイルに刻まなかったことをハウスキーパーは長らく後悔することになる。明日も明後日も見ることができると思っていたものは、失われたときに初めてその価値を増すということを身をもって経験する羽目になったからだ。
まだ大気圏にすら到達していない時点で、小型宇宙船は瓦解した。
重ねた年月と出来の良さは比例しない――どこがどう悪かったのか家庭用に設計された身ではわからなかったが、船が不出来なものであったことは現実だった。
最初に母親が砕けた天井の下敷きになり(バイタルは即死であることを告げていたがあえて示すことはしなかった)、続く衝撃で生存者は操縦室から奥の通路へと投げ出された。
幸いにも父親とハウスキーパーに守られたお陰で少女は無事だったが、父親は頭から血を流して立ち上がれなくなってしまった。
「これからは、君がひまわりを守るんだ。これは最優先事項だ。いいね?」
騎士になれと命令された瞬間、ハウスキーパーは回路の命ずるままにひまわりを抱え上げて走る。
この船はもう駄目だ。少女を守り抜くには脱出ポッドに乗り込むしかない――そう演算がはじき出したからだ。
「やだっ! お父さんとお母さんと一緒じゃなきゃっ!」
脱出ポッドに押し込まれた少女の言葉にハウスキーパーは一瞬動作を止める。
母親はともかく、父親を回収してから脱出することは可能ではないか? 彼女のこれからに、父親は――それこそ自身以上に――必要なのではないか?
カメラを巡らせ、駆け抜けた通路を見やると往復の間に崩落する危険はないように見えた。
次の瞬間に船が爆発するかもしれない、至急脱出を。
設計者を回収し脱出するのに推定150秒、可能である。
並行処理で走る判断機構の裁定は五分と五分。
「ピーちゃん!」
もう一度、守るべき少女を見やる。『ピーちゃんがいてくれたら、大丈夫だよね』と彼女は言ってくれた。この子を守れと、設計者が言っていた。
ならば答えは一つ――ハウスキーパーは脱出ポッドのロックを外す。
その選択が正しかったのかどうか、未だハウスキーパーの中で答えは出ていない。
ただその選択がひまわりにどのような影響を与えてしまったのかは、すぐに思い知ることになる。
「Pi」
全く手を付けられていない食事を見てハウスキーパーは声を上げる。だが、それに答えるべき少女――もう二週間も食事を口にしていない――は真っ暗な部屋の隅で蹲ったまま動かない。
ドームに帰還して数日、ひまわりは散々に泣きはらした。そして涙が枯れ果てると今度は部屋に閉じこもるようになった。動かず、話さず、笑わず……ただ目を伏せて呼吸するだけの日々。バイタルの危険域などとっくに通り過ぎていて、このままでは彼女は緩やかに死を迎えてしまう。そうなる前に強引にでも彼女に栄養を補給させなければならないのだが、ひまわりが一度だけ呟いた言葉がハウスキーパーを迷わせる。
『生きてても、どうにもならないじゃない』
眩しい笑みとは真逆の、暗い絶望に満ちた表情は機能不全するかと思うほどにハウスキーパーを動揺させたものだった。
あの選択はひまわりにとってよくないものだった――そう思うと守護者自ら保護対象を窮地に追いやってしまったことになる。深刻な命令違反だ。
それに仮に少女を元気付けることに成功したとして、その先どうすればよいのか……その答えは記録のどこを探しても見つからない。
「……Pi」
だがもはや取り返しがつかない以上、彼女をこのまま死なせてしまったらそれこそ使命に反する。
「Pi」
食事を乗せたトレイをひまわりの傍に置き、ハウスキーパーは再度ひまわりに呼びかける。
「Pi. Pi!!」
返事がなくとも繰り返し、繰り返し、根気強く呼びかける。
「やめて」
ガチャン、とトレイがひっくり返る音が室内に響き渡る。
「Pi!!」
久々の反応が拒絶であることに処理速度が低下しそうになるのを堪えて、ハウスキーパーは万能手腕をひまわりに伸ばす。
何といわれようが食事をさせなければならない――その意思を感じたのだろうか、少女は顔を上げて、
「どうして死なせてくれないの?」
夜闇のような瞳でそう呟いた。
この時ばかりはハウスキーパーも言葉を話す機能がないことを呪わざるをえなかった。父親が彼女の生を願ったこと、そして自身もひまわりに生きてほしいと願っていること……せめてそれだけでも伝えられればいいのに。
「ねぇ……どうして私だけ助けたの? どうしてお父さんとお母さんも一緒に連れてきてくれなかったの? ねえ、答えてよ。答えてってば!!」
枯れたはずの涙を零して、少女はドン、ドン、とハウスキーパーの筐体を叩いて叫ぶ。
それは決して活動に脅威を与えるものではなかったが、その言葉はハウスキーパーを硬直させるのに十分な威力を備えていた。
この状況、この状態の少女を、どうすれば元気づけることができるのか……まるでわからない。
しかしそんなハウスキーパーの苦悩はすぐに終わりを告げる。
永遠に思えた時間はたったの312秒――極度の興奮が栄養失調にとどめを刺したのだろう、少女が腕を振り上げると同時に気を失ったのだ。
「Pi!!」
何と言われようが、少女の命は最優先事項――命じた人間はすでに亡く守るべき対象に厭われていても、それだけは順守するべきことだし守り抜きたい事項であった。
願わくば――回路の99%があり得ないと否定したが――目覚めた少女がその名の通りのまぶしい笑みを浮かべてくれると願って、ハウスキーパーは急いで栄養剤の投与を開始するのだった。
数日後。
目を覚ました少女の表情は、絶望に満ちた暗いそれでも太陽のような笑みでもなかった。
「あ、はじめまして」
席を外しているうちに目覚めた少女は下着姿で部屋のあちこちを物色していたようで、振り返るなりそう言って頭を下げた。
はじめまして――その言葉にハウスキーパーは混乱せざるを得なかった。彼此5年もの付き合いだというのにそんな言葉が出てくることはありえない。それに、まるで先日までのことが無かったかのように微笑む理由も思い当らない。
「自己紹介がまだでしたね。私は天候案内用人型自律機械。WA120型、個体識別コードPD-0019AC、ニンゲンさんがつけてくれた名前は『ひまわり』です」
起動したばかりのせいかどなたがつけてくれた名前なのか思い出せないんですけれどね、と苦笑する少女の言葉にハウスキーパーは再び混乱する。
一体何を言っているのかわからない。いや、言語的な意味では理解できるがひまわりの意図するところがわからない。いきなり機械の真似事を――それも昔よくしていた天気予報ごっこを持ち出してくるなんてどういうつもりなのか。
「ほら、これでそれっぽく見えますか?」
クローゼットの奥から猫耳型のデバイスを見つけて装着して見せるひまわりのバイタルは正常値を示していた。だが、この状況が正常であるとは回路のどこで演算を繰り返しても認識できない。
「あの……私の言ってる事わかります?」
沈黙を繰り返したことに違和感を覚えた少女が小首を傾げる。わかるもわからないもない――そう叫びたい程ではあったが生憎と搭載されている機能はたった一つ、
「Pi」
無機質な電子音を少女は肯定と捉えたようで、
「ああ、よかった。あの、見たところ家庭用汎用機械さんみたいですけれど、一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
安堵の笑みを浮かべながらクローゼットの中から一揃いの衣装を取り出す。ダークシルバーを基調にインディゴブルーをあしらったそれは、かつてひまわりが天候案内用人型自律機械の真似事をするために作ったものだ。(猫耳型のカチューシャも含めてほとんどがハウスキーパーの手によるものだが)
「装備が用意されていたみたいなんですけど、何かの手違いでしょうか? サイズがあわなくて……手直しお願いできますか? 私の中にはそういった機能がないようでして。流石にこの恰好で表に出るわけにもいかなくて困っていたんです」
下着姿を隠しながら首をすくめる少女の瞳には一点の曇りもなく、それを見て漸くハウスキーパーは一つの推測を組み立てる。
ひまわりは耐えられなくなってしまったのではないか、と。
両親を失ったことはもちろん、この星でたった一人生きていかねばならないという悲しみや不安に押しつぶされてしまったのではないだろうか。そのために、全ての記憶を――人間であることすら投げ出してしまったのではないだろうか。
「Pi」
だがどのような状況であれ、家事を指示されて断るハウスキーパーは存在しない。言われるままに衣装を受け取る。
「ありがとうございます。ところで、あなたのお名前は?」
そう尋ねてくる少女に、自分の推測は概ね正しいのだと認識する。本当にひまわりは天候案内用人型自律機械になってしまったのだ。そう、ハウスキーパーの名前もなにもかも忘れて。
「Pi...」
全てに絶望して死を願うまでに至った記憶を取り戻させるべきなのか、それとも今こうして笑みを浮かべているのだから忘れたままにしておいてよいのか……もはやハウスキーパーには判断がつかなくなっていた。
だが、名前を忘れられることが酷く回路の動きを鈍らせる――これがきっと悲しいということなのだろう――ことは間違いなくて、せめてもの抵抗で一鳴きしてみせる。
「うーん……何とおっしゃってるのかさっぱりわかりません。でも、Piと鳴くからピーちゃんですね」
ああ、ひまわりだ。
記憶を失っても、人であることを忘れてしまっても、それでも彼女はひまわりだ。
「Pi!!」
それならばこれでいいじゃないか。
その名のとおりお日様みたいな彼女の笑顔を守り続ければいいじゃないか。
「よろしくお願いしますね、ピーちゃん」
「Pi!」
管理者死亡に伴い、管理権限を再設定。
新規管理者 ひまわり。
最優先事項 ひまわりの守護。
ひまわりに関する一切の事項を最高機密に設定。以後、管理者の要請がない限り非公開とする。
僕はひまわりの騎士。
この笑顔を守るための守護者だ。