12:雷神の右腕(後編)
もう何度目かわからなくなった光線銃の熱波が閃いて大トカゲを焼く。銃を握るトールの額には汗が浮かび、白い吐息が宙に溶ける。
怒りに任せて遮二無二暴れまわった結果残り一匹までは減らしたが、こちらも二丁あった光線銃の片方はエネルギー切れを起こしているしもう一方もあと一発撃てるかどうか。
これ以上まともにやりあうのは危険だ――幾分か冷えてくれた頭がそう警告する。
「あいつら、もう行ったよな?」
チラリと出口へ伸びる道を見やる。
そもそもの目的は足止め――ひまわりが傷つけられた怒りで忘れかけていたが――すれば、その目的は十分に果たしただろう。
ひまわりを傷つけた大トカゲ達に恨みがないといえば嘘になる。根絶やしにしてやっても飽き足りない程だ。しかしそうするには体力も火力も足りないし、そんなことをしたところでひまわりが回復するわけではないのだ。自己治癒装置があれば大丈夫だと頭ではわかっている。けれど、彼女が元気に天気予報を謳うのを見届けない限り安心などできないというのが人情というものだ。
「すぐに追いつくって約束しちまったしな」
首を竦めてトールはクルリと踵を返して出口に向けて駆け出す。
追いかけられているという気配は感じないが所詮素人の感覚だ。しかも相手は野生生物。駆ける速度を落とさぬよう紙の海を走り抜け、漸く見えた出口を内心安堵しながら飛び出したところで、横殴りの衝撃。
「なっ!?」
雪面に組み伏せられた青年は驚愕に目を見開く。今にも頭蓋を噛み砕かんと顎を開くのは大トカゲ。追いつかれたのかと思ったが明らかに出口を出た瞬間を狙って飛びつかれたのだ、それは違う。こいつは……乱戦の中で姿を消してここに自分が出てくるのを待ち構えていたんだ。
「っ!!」
ガァッと怒声とともに噛み付くトカゲを首を捻って躱す。
次はない――生臭い体臭が、熱い吐息が、脳裏に危険信号を鳴り響かせる。
「クソがっ!」
全身全霊でもって光線銃を引き抜きトリガーを引く。ギリギリのエネルギー残量ではあったが頭一つを吹き飛ばすには十分な火力に大トカゲの身体はどう、とトールの身体に倒れ伏せる。
「……くそっ、重いっての」
焼けた肉の匂いとその重みに顔をしかめながらそれを引き剥がし、青年は大きく息を吐く。
「はぁっ…今のは、はぁっ……やばかったぞ」
光線銃の残量を確認すると綺麗に空になっていた。これがなければ今頃は死んでいた……身体の震えは寒さの為なのか九死に一生を得たが故か。
「ああ、畜生!」
こうしてはいられない、と浮遊駆動に向かう。幸いにも雪はやんでいたが、一面の銀世界と夜闇はまるで宇宙にいるのかと錯覚してしまうほどに静かで己の足音すら聞こえない。
そのせいだったか、あるいは焦燥か、恐怖か……いずれにせよ致命的なことにトールは背後の気配に気づくことができなかった。
「ああああああああっ!?」
左の肩口に突き刺さる牙の痛みにトールはバランスを崩して雪面に倒れこむ。お陰でのしかかられることはなかったが食い込んだ分の肉を剥がされ意識を失いそうになる程の激痛が走る。それでも気を失わずに済んだのは、視界の隅にその襲撃者の姿をとらえたが故か。
ドラゴンさん――室内に残した最後の一匹。
逃げるか、戦うか。トールにはその二択を選ぶ余裕すらなかった。えぐられた左肩からこぼれる血液が急速に体温を奪ってゆくし、全身が弛緩していくような感覚は間違いなく毒のせいだろう。どちらの選択をしても……いや、選ぶ以前に身体を起こすことすらできずにいた。
「ははっ、マジかよ……」
ゆっくりと大トカゲがトールの身体を押さえつける。即座にとどめを刺さないのは光線銃を警戒してのことか、それとも仲間を奪った仇敵をいかに苦しめるか思案しているというのか。
のしかかる重みは死へのカウントダウン。
(こりゃ、ピーちゃんに怒られちまうだろうな)
すぐに追いつくと約束していたがどうやらそれは叶わない。だが、同時にそれもいいか、と思っている自分がいた。
無事であると確認できずにいることは残念だが、きっとあのハウスキーパーはうまくやる。ひまわりさえ無事ならば、それで十分だ。あいつを連れ出してやれなかったのは申し訳ないことだが。
(俺は……死ぬんだな)
思い出したのは、この星に落ちる時の事。
警鐘を鳴らし続ける計器たちに囲まれてどこか他人事のように死を予感していた。あの時は本当に終わりだと思っていた……今と同じように。けれどどこか他人事だった。
人はいつか死ぬ。それこそ一人で宇宙を駆けていればその危険は跳ね上がる。それ故に覚悟していたし、例え自分が死んだとして悲しむ者など思い当りもしなかった。
そんな奴がひまわりを救えたことは命の使い方としては上等な部類だ。
(ひまわり、ね)
泣かせてばかりいた気がする。きっと能天気に笑っていたことのほうが多いのだろうけれど……こんな時に思い浮かぶのは泣き顔ばかりだ。
「なぁ、あいつ……やっぱ泣くのかな?」
開いた傷口に牙を突き立てようとしている大トカゲに――つい、問いかけていた。もちろん答えはなく、代わりに激痛が全身を駆け抜けるだけだったが。
(泣かれるのは嫌だな)
泣かれるたびに宥めるのに苦労した。こっちが原因なのに放りっぱなしなのは、ばつが悪い。
案外、厄介者がいなくなったと喜ぶかもしれない……そんな風に考えてみるとそれはそれで腹が立つ。さんざん世話になったが、同じくらい相手をしてやったんだそれは薄情ってやつだ。
泣かれたくない。でも、泣いて欲しい。
痛みだのなんだのでまとまらない思考の中で二つの思いが交錯する。
参ったな、と思う。
今まさに食い殺されようとしている時に、こんなに心がざわつくなんて。
(こりゃあ、死んでられねぇわな)
気が付けば、どこで野垂れ死のうが構わないとはいかなくなっていた。
泣かせたくない、泣いて欲しい……そして何よりも一緒にいたいと願う存在ができてしまったのだから。
いつだって気付くのが遅すぎる。何度やらかしても、結局気付くのはことが起こってからだ。
(どうする? 光線銃はもう使えない)
自由になる右手を彷徨わせて、指先に触れるのは工具ベルト。この握りはハンマーだろうか。
『トールは、いつも金槌を持っているんです。とっても強いんですよ』
いつか聞いたこの星の神話を思い出す。
参ったね、一切合切みぃんな、ひまわりだ。
トールは最後の力を振り絞ってハンマーを握りしめる。
「だったらやっぱり、ここで死ぬわけにゃいかねぇよなぁ!」
右腕を振り上げて左肩に食い込む頭蓋に叩き付ける。
ゴッ、と鈍い音と同時に大トカゲが悲鳴を上げる。絶命はおろか昏倒にすら至らなかったが、身を翻して距離をとる程には驚かせることには成功したらしい。
「はははは! 痛てぇんだよクソが!」
起き上がる余力はもちろんなかったが、それでもトールは哄笑をあげる。
雷神トールは強いんだろう? だったらこれくらい虚勢はれなくてどうする。
対する大トカゲは思わぬ反撃に警戒を強めながらも再び距離を詰めようと足を踏み出そうとする。
(さて、どうしたもんか)
正直さっきの一撃でもギリギリだ。もうハンマーを握る力どころか意識だっていつ途切れてもおかしくない。
ぼやける視界と、近づく死。
いよいよ万事休すかと思ったその時だった。
「!?」
ごう、と轟音とともに風が吹いて闇夜に眩いばかりの光が現れた。
それはそのまま一直線に図書館に突っ込んで、見事に倒壊させる。
「なんだよ、あれ……」
どこかで見覚えのあるような、ない様な。視覚がぼやけてはっきりと像を結ぶことができない。
ふと見れば大トカゲは驚いたのか尻尾を巻いて逃げ出していた。
(助かった……のか?)
そう思った瞬間、急速に意識が遠のいていく。
喰われないのはいいけど、結局これ凍死じゃね?
そう思った時には、トールの意識は深い闇に沈んでしまっていた。
「……」
なんで生きてるんだよ。
口にしようとした言葉は痛みで声にならなかったが、お陰でこれが夢やら死後の世界ではないことがよく分かった。
見上げる天井はよく知った小型宇宙船の船室。
何がどうなっているんだ? そう思いながら痛む左肩に気を付けて上体を起こすと、貧血かそれともまだ毒が残っているのか眩暈を覚える。
どうやら床に転がされてるらしく、どうせならベッドに寝かせてくれればいいのにとそちらに首を巡らせて目を見開く。
ひまわり――無事を確かめたかった少女が静かに寝息を立てて横たわっていたからだ。
「っ……!」
思わず身じろぎして、左肩の痛みに倒れこむ。しかし、その痛みがこれが現実だと改めて教えてくれていて、トールは安堵に声を上げる。
「ははっ、夢じゃねぇ」
涙が思わずこぼれたのは嬉しいからじゃなくて痛みのせいだ。そんな益体もない言い訳をしていると、船室の扉がスライドしてハウスキーパーが現れる。
「よう、ピーちゃん」
そう声を上げるとハウスキーパーは回路を明滅させながらクルリと一回転して、鳴き声を上げる。
「ひまわり、大丈夫なんだな?」
そう問いかけると投影画面にひまわりの状態が表示される。毒や傷跡の後遺症はなし。しばらく休めば問題なしとのことだ。ついでと言わんばかりに表示されたトールの状態に『絶対安静』と赤文字で表示されたのには苦笑せざるを得ないが。
「流石はひまわりの騎士様だ。お前ならやってくれるって信じてたぜ。ありがとな」
そう返すと守護者は回路を明滅させてクルリと一回転。
「ところで俺はどうやって助かったんだ? ぶっちゃけもうダメかと思ってたんだが」
とりあえず横になれと万能手腕を伸ばすのを制して問いかけると、ハウスキーパーはしばしのあいだ回路を明滅させ、
「Pi」
と、新たに投影画面を表示させる。
『トール……トールはどこなんですか?』
自己治癒装置を投与してしばらくしたころの映像らしい。意識を取り戻して一番のセリフがこれじゃあ、ちょっとお前も浮かばれねぇよなと呟くと左肩を小突かれた。絶対安静はどこいったんだよ。
『ピーちゃん、答えてください。トールは? トールは大丈夫なんですよね?』
動くなと押さえつけるハウスキーパーにもがく少女の顔は青ざめていて、記録映像とはいえ胸が痛む。
『私は大丈夫だから、ね? ピーちゃんお願いです。トールを……』
鎮静剤を打たれながらもなお呟き続けるひまわりを映した画面はくるりと反転して船室の外へ向かい、操縦室にたどり着く。
「え?」
思わず声がでた。万能手腕がのびて計器をいじり始めたのだ。確かにシステム面以外の修理はほぼ終わっているとはいえ、ひまわりを乗せているのにそんなでたらめな行動をとるとは。
ふと思い出す。気を失う直前、図書館に突っ込んだ光のことを。あれは、この小型宇宙船だったのだ。
それを裏付けるように、着陸座標を設定して自動飛行を設定したハウスキーパーが着陸失敗の衝撃で床を転げまわる様が画面には映し出されていた。
「お前な……無事だったからいいものを。下手したら全員巻き込んでおしまいだぞ? 守護者としてどうよ、これ」
頭痛がするのは体調不良のせいかそれともこの現実のせいか。
半眼でにらみつけるとまた左肩を小突かれて悶絶する。いや、それシャレになってないくらい痛いんだって。
「Pi」
そんなトールの眼前に別の投影画面。トールとひまわりの顔を模したアイコンが浮かびあがっている。
「Pi! Pi!!」
トールのアイコンにバツ印がつくと、ひまわりのアイコンが泣き顔に変わる。続けて、トールのアイコンに丸印がつくと、ひまわりのアイコンは笑顔になる。
「PiPi! Pi!!」
さらに浮かび上がるのはハウスキーパーを模したアイコンか。ひまわりと同じように反応すると示している。
買い被りでなければ、ハウスキーパーの説明は『トールが死んでしまったら結局駄目なんだ』ということになる。どうせ死なれてひまわりが駄目になるのなら……一か八かの賭けに出たほうがマシだった、そう言っているのだ。
「いやいやいや、少なくともひまわりだけでも生きてたほうが全然いいだろ。って、だから肩はやめろ!」
万能手腕を払いのけてトールは叫ぶ。
「よかった……トールも、ピーちゃんも元気です」
声に振り返ると、ベッドから身体を起こしたひまわりが笑っていた。
「ひまわり……」
もう一度彼女の声を聞けた。それだけで、あれやこれやがどうでもよくなってしまう自分の単純さにトールは内心苦笑する。もしも身体が自由ならきっと反射的に抱きしめていただろう。
「Pi」
ハウスキーパーがいそいそとひまわりに寄り添い立ち上がるのを手伝おうとすると(傷口を小突くのとは雲泥の差だ)ひまわりはそれを制してこちらに近づき、左肩の包帯に気を付けながらゆっくりと抱きついてくる。
「トール、私は……ニンゲンさんみたいです」
「そっか。でも、ひまわりだ」
無事でよかったとかごめんなさいだとかそんなものは不要で、ただ二人はこの顛末が起こったときに必要だった言葉を口にする。
「正直、頭の中はぐちゃぐちゃです。どうして私がこんな風になってしまったのか、やっぱり思い出せないんです」
「ああ」
「だから……トールも一緒に聞いてくれますか?」
何を? とは問わなかった。
ひまわりがどうして天候案内用人型自律機械を名乗るに至ったのか、そしてそのことを懸命に守り続けていた存在をよく知っているからだ。
「もちろんだ。なぁ、ひまわりもこう言ってることだし、そろそろ種明かししてくれないか? ピーちゃん」
だからトールは明日の天気を問うような声で守護者に向き直る。
「Pi...」
ハウスキーパーは思案するように回路を明滅させる。
「ピーちゃん、お願いします。私のこと、教えてください」
管理者の言葉が決め手だったのだろう、ピーちゃんは意を決したかのように万能手腕を振り上げて投影画面を表示させるのだった。