10:いろんなことが沢山起こった夜でした
カチャカチャと、トールが猫耳型デバイスを弄り回す音だけが響いていた。
邪魔をせぬようにと離れてソファに腰掛けるひまわりの視線が時折背中に感じられるがそれをどうこう思えるほどトールの意識は穏やかではなかった。
この機械はおかしい。
それがトールの感想だ。
例えばそれが旧時代に失われた未知の法則でもって作られていれば、対策を講じようとしただろう。
例えばそれが見た目以上に壊れてしまっていて修繕が厳しいとなれば、代替パーツの設計から始めただろう。
けれど、これはそんな代物ではない。
太陽光パネルが仕込まれた外殻に、点灯のための永久灯火、そして制御装置。
このデバイスを構成するパーツはたったそれだけだ。
単純すぎる――中身を覗き込んだ瞬間、思わずそう呟いてしまいそうになったくらいだ。
こんなもので天気予報を受信できるわけがない。
さらに制御装置を紐解けば驚きは呆れに変わる。
出てきたのは基盤に接続された蓄電池と振動体、そしてデジタルパネルだ。
目覚まし時計――カチューシャの部分がデジタル表示が隠れるように接着されているが、これはどこからどう見てもそれ以外のものには見えない。
制御装置に並ぶボタンを弄れば、アラームの時刻設定が表示される。設定時刻は9時、12時、15時、18時――天気予報の定刻だ。続けてカチューシャ越しになんとか時刻表示を確認すると、9時を過ぎたことを示していた。何かの拍子に12時間時計が狂ったのだろう。少し操作をすれば立ち所に元通り。
文字通り蓋を開けてみれば、冗談のような結果が待っていた。
ひまわりが大事なものだと、天気予報を管理するデバイスだと答えたものが、このようなものであるはずがない。
「……」
真っ先に思いつくのは、彼女の勘違いだ。だがしかし、とトールは否定する。
仮にも天候案内用人型自律機械であるならば、自身のパーツが何の役目をしているかくらいは把握しているものだ。何のための自己診断だというのか。
とすれば、何かしらの――あのハウスキーパーの言う最高機密が絡んでいるだとか、もっと飛躍するならば彼女はそもそもロボットではないだとか――馬鹿馬鹿しい想像はともかく、そういったややこしい理由があるのだろう。
「やっぱり難しいんですか?」
心配そうな少女の声には振り返らない。振り返ればきっと青ざめた顔に違和感をもたれてしまう。
「いや、余裕。俺を誰だと思ってんだ」
だからそんな風に軽口を叩いて、思案する。
ひまわりが嘘をついているとは思えない。と、すればやはり最高機密絡みであることは想像に難くない。ならば、時刻設定を戻し直ったぞと笑いかければ話は終りだ。けれど、この事実を無視するのはあまりに居心地が悪い。もっと致命的な欠陥がその先にある気がするからだ。だが同時に、あのハウスキーパーがひた隠しにしてきた事柄にあえて触れることは彼らの平穏を壊すことになるのではないかという危惧もある。
所詮、余所者だ。いずれあの星の海に帰る身としては立つ鳥跡を濁さずの精神を持つべきだ。けれど、この滑稽とも言えるデバイスを目の前にして何も言わずに居られる程ひまわりを軽く見ることができないことも事実だ。
「……」
心などとっくの昔に決まっているはずなのに何が余所者だ、と自嘲する。何のために彼女の代替パーツを探したのか、何のためにハウスキーパーに誠意まで見せて秘密を知ろうとしたのか。
ひまわりと離れたくないと願ったからだろう。
ひまわりと共にこの星を出たいと願ったからだろう。
今更、見て見ぬ振りなんて選択肢はありはしない。
と、そんなトールの思考になど気づかない少女はクスクスと笑い、
「ふふっ、そうでした……トールは凄い修理屋さんでした。あれだけボロボロだった小型宇宙船も一人で修理しちゃうんですもの」
ひまわりの言う通り船の修理は八割方終わっている。中央管制製とはいえ部品が揃ってくれたからこそできたことではあるが、彼女の言葉には少し間違いがある。
「一人じゃねぇよ。お前も、ピーちゃんも手伝ってくれたからだろう」
きっと一人でもやってのけることが出来たという自負はある。けれど、やはりこれだけ温かい日々を送れたのは――それを手放したくないと願うようになったのは、彼女らのお陰だ。
「で、もうすぐ修理が終わるわけだけどさ……よかったら一緒にこないか? もちろんピーちゃんも一緒だ」
なるべく平静を装って、けれど跳ね上がる鼓動を押さえつけながらトールはそう告げる。
対するひまわりは、しばらくの間その言葉の意味を噛み締めるのに時間を要したのかぽかんと口をあけたままトールを見つめ、
「びっくりしました」
あはは、と笑いながらソファから立ち上がってトールとの距離をつめていく。
「考えてもいませんでした、そんなこと。いつかお別れしなきゃいけないんだって、だから今のうちにしたいことを全部しなきゃって……」
いつかトールはいなくなる。そして自分はこれからもこの星で役割を果たし続けなければいけない。
それが天候案内用人型自律機械として当然のことだと思っていた。
ニンゲンさんの役に立つ、その役目を果たせることが一番の喜び――そう思っていた。
けれど、いつからだろう?
悲しい、と。嫌だ、と思うようになってしまった。
トールと離れ離れになるだなんて寂しくてどうにかなってしまいそうだ、と。
本音を言えば、こんなに気持ちになるのならばあの日空から落ちてこなければよかったのに、と泣いた夜もあった。けれどやはりその先に別れがあるとわかっていても『ニンゲンさん』と……いや『トール』との日々は嬉しくて、温かくて、時折熱っぽい、かけがえのない日々だった。
だからこそ、辛い。
「そっか……そうだったんですね。私は、トールと離れたくなかったんです」
どうして、思いつかなかったのだろう。
どうして、連れて行って欲しいの一言が出てこなかったのだろう。
「ひまわり……」
突然まくしたてたものだから驚かせてしまっただろうか? 名を呼んでくれた青年の表情はそう口にするのが精一杯といった感じ。照れ屋さんの彼のことだからきっと沢山の勇気が必要だったのだろう。
けれど、だからこそ最後に搾り出す言葉はトールの本当の気持ちだということを知っている。
その言葉が、どれだけ胸を温かくしてくれたか痛いほど知っている。
そして、彼を見つめるだけでわきあがってくる風邪のようなぼう、とした感覚。
ああそうか、とひまわりは苦笑する。
私も照れ屋さんで、断られるのが怖かったんだ。
「あ……あれ?」
ぽろぽろ、と涙が零れ落ちてくる感覚にひまわりは慌てて目元を拭う。けれど、堰を切ったように流れるそれは思い通りに止まってくれなくて……
「おかしいな……嬉しいはずなのに。あはは、やっぱり私はポンコツみたいです」
泣き笑いになって見上げてくる少女の頭を撫でてやりながら、トールは首を振る。
「別におかしいことじゃねぇだろ。それに本当にポンコツなら……俺が修理してるっての」
さて、このおかしなデバイスについてどうきりだしたものか。このいささかお涙頂戴的な雰囲気の中で口にすることがあまりよろしくないことはさしもの朴念仁にも理解できるところではある。
「ぐすっ……あ、もう修理終わったんですね。やっぱりトールはすごいです」
鼻をすすりこちらを見上げた少女が、手持ち無沙汰にデバイスを弄んでいるのを目ざとく見つけて手を伸ばす。
「あ、ああ。すっかり元通りだ」
言葉に詰まりながら猫耳型のそれを手渡してやると、ふと少女は小首を傾げる。
「あれ?……これ、目覚まし時計です……よね?」
トールは目を見開く。まさか当の本人がそのものズバリな発言をするなどとは思ってもみなかった。
「お前、これは天気予報の管理用だって言ってたじゃねぇか。それとも何か? この星の目覚ましには予報システムを搭載するのが一般的なのか?」
「違います……でも、これ目覚まし時計です。どこかの廃墟で見かけて、二つ並べたら猫の耳みたいで可愛いなって思って……あれ?」
何度も首を傾げる少女を見てトールも首を傾げる。
目覚まし時計だと知っていたのにそれを天気予報用のデバイスだと思い込んで過ごしていた……あまりにおかしい。今の今までその歪みに気づいていないとなればそれは明らかに異常だ。
「でもどうしてそれがここに……」
つぶやきながら、ひまわりはドクンと、鼓動が跳ね上がるのを感じていた。
「あ……」
いけない、と思った時には視界がぼやけはじめていて今自分がどこにいるのかさえ不確かな感覚に陥る。
ああ、この感覚はいつだったか記憶喪失に触れてしまった時の不具合と同じだ。
確かこの後は頭が痛くなって……
――おかしいなぁ、修正したはずなのに。
それから気が遠くなって……
――あれ? どうやって修正したんだっけ?
「ひまわりっ」
気がつくと、ぼやけた視界の向こうで心配そうにこちらを見下ろすトールの姿が見えた。ああ、倒れそうになったのを抱きとめてくれたんだ、と頭が理解する頃には不具合は鳴りを潜めていてくれていた。
「大丈夫ですよ、トール。もう平気です」
「何が大丈夫なんだよ。急に倒れるってことは、自己診断も自己保守も仕事してねぇってことだろ。こんなおもちゃより、お前自身がおかしくなっちまってるじゃねぇか!」
ああ、本当に優しい人だ。嬉しくて、嬉しくて、だからこんなにも離れたくないんだ。
「トールは優しいです」
「優しいだけで解決するなら、聖人君子にでも何にでもなる」
心配の裏返しに怒鳴り散らしながらトールはソファに少女を横たえる。
「いいか、大事なことだからちゃんと答えてくれよ? 自己診断はなんて言っている? 教えてくれ」
異常を発しているか否かはこの際どちらでも構わない、今はせめてデータが欲しい。
「ですから、特に異常は……」
「異常がなくてもいいんだ。金属骨格疲労度は? 70あたり? 人工筋肉損耗度はどうだ? 神経回路伝達率の数値も欲しい」
立て続けにトールは質問を投げかける。せめてどこかに彼女を直すヒントが欲しい一心で。しかし少女は視線を泳がせるばかりで答えようとしない。
「ひまわり、もしかして自己診断もいかれちまってるのか?」
もしもそうならば想像していたよりも、いや恐ろしすぎて想像さえしたくなかった最悪の状況だ。あのハウスキーパーも含めて不良を感知できない状態だっただなんて、今この瞬間にも機能停止してもおかしくないのだから。
ただ、一つ引っかかる。ひまわりはともかくピーちゃんの修理の際には異常は徹底的に洗った。バランサーの調整のついでに、物理面だけではなくシステム面でもきっちりクリーンアップしたはずなのだ。
「なぁ、ひまわり。別に怒ってるわけじゃない。ただ、何が起こっているかを知らないことには修理屋ってのは何もできねぇ。頼む、正直に答えてくれ」
怯えさせるのは本意ではない、トールは我慢強く言葉を選んで再度問いかける。
「……いんです」
しばらくして飛び出してきた声は消え入りそうなほどに小さなものだった。
「え?」
「わからないんです!」
こちらを見上げて叫ぶ少女の顔はまるでお気に入りの傘を盗まれた時のような戸惑いに満ちていた。
「わからないんですっ! 天候案内用人型自律機械なのに、自己診断どころか私の回路が弾き出しているはずの何もかも……まるでわからないんですっ!」
頭を痛めていた不具合が消えた瞬間、これまで自身を満たしていたはずの演算の数々が頭の中から綺麗さっぱり抜け落ちてしまっていた。
「それは、さっき倒れた時か?」
「……わかりません。本当にわからないんです」
きっかけはそれだ。けれど、実はもっと前からそうだったのかもしれないしそれこそ元々そうでなかったのかもしれない。そう思えるほどに記憶の中から消え去ってしまっている。
「どうして、どうして……こんなことに?」
トールの制止を振り切ってソファから立ち上がり、ひまわりはブツブツと疑問を口にする。
ドウシテ? ワタシハコレマデウマクヤッテコレタハズナノニ。
「ちょっと落ち着けって」
言いながらトールが伸ばした手をひまわりは反射的に振り払う。
ダメ、コレイジョウソバニイタラ……シラレテシマウ。
――何を?
ワタシガニンゲンダッテコト。
「……っ!」
瞬間、全身の人工血液が煮えたぎるような感覚。そして先ほどより激しい頭痛が襲い来る。
――ニンゲンさん? 私が? そんな……
「そんなはずないっ!」
突然立ち上がったかと思えば、虚ろな瞳で歩き回り、挙げ句の果てに叫び始めた少女の行動はトールを不安にさせるのに十分だった。人型自律機械の異常行動など、専門が宇宙船である彼にでもわかる典型的な故障の症状だからだ。
だが、その動きはそれらの例に比べてどこか生々しい――いや、妙に人間臭いのだ。元々そういう部分がある個体ではあるが、故障時にそんな行動をとれるというのは旧世代にしては奇跡的な産物とはいえいくらなんでも出来が良すぎる。
「私は天候案内用人型自律機械。WA120型、個体識別コードPD-0019AC……通称『ひまわり』。れっきとした、機械です。ニンゲンさんじゃありません!」
「だから、落ち着けって!」
喚き散らす少女をトールは抱きとめる。兎に角、これだけ異常が起こっている状態で無理に動き回られるのはよろしくない。それに、彼女の言葉も引っかかる。
ひまわりが人間だと?
旧世代まみれの世界で彼女は異質なまでに出来のいい天候案内用人型自律機械だ、確かに人間だと言われても納得することは出来る。しかし、何の為にわざわざ彼女が機械を名乗る必要があるというのか。
にわかには信じられない。
「トールっ! トールだって、わかってますよね? 私が天候案内用人型自律機械だって」
正気を失った瞳が縋り付くように問いかけてくる。それに対する答えが気休めであるべきか、本心であるべきか、思い悩む余裕など彼には与えられていなかった。だから、
「お前がそう言ったんだ。俺はそれを信じてここまでやってきた」
トールは言葉を選ぶ。嘘ではなく、それでいて答えになっていない、実に彼らしい回答を。平時ならそれで十分だっただろう、けれど平静を無くした少女にその言葉は酷く残酷に響いた。
「どうして、わかってくれないんですか?」
「どうして、って……言ってることがメチャクチャだ」
「もういいですっ!」
トールを突き飛ばし、ひまわりは涙をこぼしながら叫ぶ。
「ちゃんと証拠が……証拠があるんですっ!」
それだけ吐き捨てて、少女はドームの外へと走りだす。開いた扉の向こうは昼間とは違う吹雪の闇。
「ひまわりっ!」
自分の答えが誤りであったことを悔やみながら追いかける。しかし、一寸先も見えない闇吹雪の中では小さな少女の影などすぐに見えなくなってしまう。
「この馬鹿っ! こんな中に飛び出したらどうにかなっちまうだろ!」
有りっ丈の声で叫ぶがその声が届くはずもなく、トールは髪を掻き毟って辺りを見回す。
証拠か何か知らないが、一体何処へ向かったというのか?
と、
「っ!?」
吹雪を裂くように目の前を何がか走り抜ける。
浮遊駆動だ。運転手が誰なのか、そんなことは確認するまでもない。
「Pi!!」
追いかけようと身を翻したところで背中から聞きなれた電子音。
この一大事に、いや、ひまわりがこれだけ異常を起こしているのにスリープから目覚めなかった守護騎士。
「おせーんだよ、出てくるのが! とにかく行くぞ!」
言えた義理ではないが八つ当たりのようにハウスキーパーを怒鳴りつけて、トールは浮遊駆動を起動して少女の後を追うのだった。
仕事が忙しくてなかなか更新できず申し訳ないです。