第二話 春?
降車した瞬間に眩い日差しが理篇の目を襲う。
「んだよ、なんなんですか? さっきまで曇ってて雨降りそうなくらいだったのによぉ」
ブレザーを着込んでいる理篇やその他同高校生徒たちは、その神様のイタズラに対して苛立っているようだった。
「(最近地球温暖化の進行が緩和されてきたとかなんとか言ってたけど、ハッタリじゃねぇのかこりゃあ)」
科学に対して興味の無い理篇だったが、テレビやスマホのニュースであれだけ騒いで「緩和、緩和」と言われれば、自ずと耳に残ってしまう。だがこの暑さはなんだ、と彼は研究者に向けて心の中で問う。
本来ならまだ四月である今日は『ポカポカ陽気です♡』なんて表記をするのが常套だろう。だが、そんな常識を覆すような、まるで地球やその他太陽系の公転周期がイカレちまったんじゃないか、と真剣に疑念するくらい本日は『蒸し暑いです⤵︎』と表記するべき天候だ。
これから約二十分程歩いて高校を目指す。
こりゃあ学校に着く頃には滝のように汗をかいてるな、と事前予測で結果時の衝撃を軽減させようとしている理篇はブレザーを即座に脱ぎ、無理矢理鞄に詰める。
この駅から学校まで徒歩で行く生徒はごくわずかで、大半の降車する生徒はバスを利用しているようだ。その方が遅刻とは無縁ルートを歩むことができるが、理篇の両親はそれを許してはくれなかった。
一人っ子なため、比較的甘やかされて育ってきた理篇だが、金銭面では逆で、周りの家よりも厳しく取り締まわれていた。
それは今現在も継続中で、小遣いなんてものを人生で一度も貰ったことがない。
なら働け、という意見は無視してきている理篇。理由は「俺の大切な時間を労働なんかに使えるかボケ」らしい。
たしかにこれから先、嫌というほどの労働が何十年間も待っている。仕事は学生の本業ではないというのは分かるが、かといって勉強が他者よりも出来るわけではない。下手したらバイトしている同級生よりも成績が低い理篇であった。
気づけばもう、ホームルーム開始五分前にさしかかっていた。
理篇は今、通学ルート最難関の『学校前大坂』の中間点にいた。
彼の通う高校の立地場所はちょっとした山の上。つまり、少し上り坂を通らなければならないのだ。
「(つくづく思う、こんな高校来なきゃよかったあーちくしょーー!)」
時すでに遅し。
気付いた時にはもう遅い。
理篇の通う高校がやっと頭を出して見えてきた。
外装も内装も敷地内も特に個性的な部分はなく、部活動もこれといって栄えてるわけでもない、ただの公立高校。
周りの生徒達が走り出しているのを見て、理篇もすかさず真似をする。集団心理というのはこういうことをいうのか、と改めて感心させられていた。
校門をくぐると、理篇は急ぎ足で下駄箱が待つ昇降口へと向かった。
下駄箱の場所は前年のクラスの場所のままだったので、迷うことなく上履きへと選手交代することができたが、ここから先どこに行けばいいのかさっぱり分からない。
「(普通なら一年時のクラスのとこだよな……いやまて、そういう心理的死角を狙ったなんらかの暗部による罠かもしれない)」
本気で迷っているのか疑ってしまうレベルに達している理篇の思考回路は、これでも絶賛正常運転中なのだ。
なんてバカ(真面目)な考えを一人昇降口で張り巡らせていると、横合いの渡り廊下から突然女の人の声がした。
「理篇くん、なにやってるの? もうチャイム鳴ってるからホームルーム始まってるよ」
歳は四十五くらいで、いかにもな先生の匂いを放つその人は前年度の俺のクラス担任であった。
理篇は同級生とおなじく、先生との交流も乏しく、あまり向こうから声をかけられることはないが、この方は例外中の特例である。
「あ、いや、あのですね……えー、その……なんと言えばよいのやら」
なぜ理篇がこんなにも挙動不審になっているのかというと、この先生が少し苦手だからだ。
苦手なだけで嫌いではない。教師の鏡としての立場を築いているし、なんせ理篇にとって他人から話しかけられるなんてことは中々ないので、重宝すべき存在なのだろう。
「(いい人なんだけどお節介なんだよなぁー……面倒見がいいと言うべきか……)」
「ん、どうしたのそんな顔して。 まさかどこの教室に行けばいいのかわからないとか言い出すんじゃないでしょうね?」
肩を落として下を向いている理篇を覗き込むようにしながら、先生は「図星だろ」と言わんばかりに攻撃してくる。
『ズギャン』という効果音が今まさに胸を貫く。あぁ、そうですよ、図星ですよ、と理篇は半ギレ状態で開き直っている。
「やっぱ日頃からのやる気の無さが結果として滲みでてるわね、たく。 えーっと理篇くんは、と……」
と、なんだかんだいって手元にあったクリアファイルの中から名簿を探し出して、理篇の名前が書いてあるであろうクラスを探してくれていた。
「恩にきります、先生」
理篇は都合良く礼を言う。
あ、あった。と言って彼女が提示した紙には『二年六組名簿表』と書かれていた。
「サンキュー先生、もし俺が総理大臣になったら公務員の給料何パーセントか引き上げますから」
と、調子に乗って走り出そうとした理篇を、先生は後ろから呼び止めた。
「それは期待するけど、二年六組ってことは私の持ちクラスよ」
「へ……?」
五秒程の沈黙が続いた。
それを破ったのは先生だった。
「これで理篇くんも非行少年にならないこと確定だから安心ね、さて、総理大臣になってもらうために今年も勉強頑張りましょうね」
「嫌だぁぁぁあーーーー!!!」
理篇の森羅万象に対する絶叫は学校中に響いた。
とっくにホームルームの時間が過ぎているのも忘れてた二人がこの後、仲良く教室に入って、理篇がまるで転入生みたいに他の生徒から見られたのは言うまでもない。
今年もハイペースで展開されてくなぁ、おい。と理篇は心でツッコむ。
「(まあ、なんだかんだ言って先生でよかったかもな……いや、まて。 まさか今年の希少な友達枠ってまさか先生じゃねぇよな!? ちょっと待て、なんか変なフラグ立ってねぇか!? 今すぐ折りにいってやる!)」
一人妄想して一人で泣きそうな顔になっている少年、理篇を一人の少女がジーっと監視していた。
もちろん、理篇の友達ではないが、凄い見ていた。理篇は気付くことなく、自分の席の上で突っ伏していた。
「あは、あはは、あはははは」
笑ったり泣いたりしている理篇を見て、その少女はため息をつく。
「はい、遅れてすみませんでした。 それでは朝のホームルーム始めますね。 理篇くん、起きなきゃ放課後課題を出しますよ?」
変に仲良いですよ感出すな!と思ったが、口には出さなかった。
それから先生はすぐに朝のホームルームへと移行していた。こういう場面では、やはり教師の鏡(他の先生視点)だと思わされてしまう。
そんな自分が何故か虚しく思えた。
先生が新二年六組の生徒たちに本日の始業式兼入学式の段取りを説明しているのがなんとなく聞こえるが、理篇は特に耳を傾けることもなく窓の外に目をやっていた。
「(それにしても初日からハイペースだな。 これが原因でクラスの皆から一目置かれなきゃいいけど)」
外の景色は、普段見慣れている高層ビルや高速道路などなく、少し山形の地形になっているせいか、目の前は畑が広がっている。
このご時世、畑が郊外にあること自体とても珍しいことである。
ついそんな珍百景を見ていた理篇は欠伸を漏らす。
先生が呆れたように理篇のことをチラチラと見ていたが、特段叱るわけでもなく、引き続き数少ない聴衆に向かって段取りの説明をしている。
ふと、理篇が誰かからの視線に気付き、窓側の席から廊下側の一番後ろの席へと目を移す。
そこには髪が天然っぽい茶色で、腰まで伸ばしている女の子が理篇をジッと、怒ったような形相で睨みつけている。
つい理篇は「うひっ!」と情けない声を漏らしている。
「(な、なんだアイツ……俺なんか変か? アイツと知り合いだっけか、いいやそんなはずはない。 水間理篇を舐めるなよ。 それにしてもなかなか美人だな……)」
色々考えすぎたのか、理篇の思考が逸れ、危ない方向へと直行していた。
その少女、花約カレンはそんな戸惑い顔の理篇を見て、先生と同様、呆れた顔をしていた。
「(なんなのあの怒髪男、なんかヤル気ゼロ満載な顔しちゃって。 こっちまでテンション下がるっつうの)」
理篇からしてみれば理不尽って言えば理不尽だが、カレンはヤル気のない顔をしている彼に対して行き場のない苛立ちを感じていた。
「(!? なんかさっきより顔つきが悪くなってないかっ?? まさか、先生と仲が良いっていうのを疎ましく思ってんのか)」
理篇は後悔する。
初日っから目立つのは、なんか典型的な虐められ役にわざわざ徹しにいくようなものだ。あぁ先生恨むぜ、と心の中の藁人形を先生に見立てて釘を打ってみるが、先生はピンピンとしていていつも以上に説明に精が出ているようだ。
とにかく今は何もなかったかのように誤魔化そう、という考えに達した理篇は『コホンッ』とわざとらしい咳をついて先生のいる教卓へと目を向けてみる。
「(くあっ……死ぬ…まじで死ぬ。 なんだこの生きてる心地がしない緊張はっっ…)」
彼は必死だった。
必死すぎて全身の血管が破裂するかと思うくらい体に力をいれていた。
無理もない。なんせ理篇にとって人と関わるなんてことが珍しいのに、なぜかそれを通り越して睨まれるという行為にまで発展してしまっているのだから。
嫌な汗が全身を伝う。
このままホームルームを過ごせば、精神が耐え切れなくなり、精神が崩壊し、この後一生学校にはこれなくなってしまう体になる自信があった理篇は意を決する。
もう一度、確認してみる、ということを。
呼吸を整える。
五臓六腑が嫌な音をたてて鳴るのを必死に抑える。
すでに理篇の体とワイシャツは、緊張による汗でビショビショになっている。
「(くっそ! これじゃまるでコミュ障じゃねぇか! 勘違いされたら最悪だぁ)」
僅かに理篇の瞳が湿る。
彼もこんな経験は初めてだ。故にこれほどの緊張を伴う戦いとなってしまっている。
今の俺の状況に比べれば、天下統一の戦なんぞ生温いもんだ、と理篇は口には出さないが、心で叫ぶ。
覚悟は決めた。あとは首を百度曲げるだけ。簡単な仕事だ。
先生が黒板に始業式の並び順やらなんやらを汚い図で書いて説明している。その手が滑り、彼女の手からチョークが地面に落ちて四方八方に砕け散るのを合図に、
理篇は目にも留まらぬ速さで振り向いた。
そして、彼女とまた目が合った。
十秒間程、現実でなにが起こっているのか整理と理解が追いつかず、沈黙の見つめ合いが繰り広げられる。
ギブアップをしたのは理篇だった。
顔を腕で隠すようにして机に突っ伏して『勘弁してくださいもう無理戦えない!』と言わんばかりに頭をグリグリと動かす。
そんな理篇を見ても、花約カレンは表情一つ変えずに彼を凝視し続ける。
その後数分も経たないうちに、先生の始業式兼入学式の段取り説明は無事終了したらしく、「では廊下に男女別出席番号順にならんでください」なんて、もう次の段階にステップアップしているようだった。
その指示を合図に、約四十人ほどのクラスの全員が二つしかない出入り口へと向かう。彼ら各々は、前クラスからの友達の所へ行き「始業式だりぃーな」だの「あの子可愛くね?」だの、早速おノロケ話しを展開させている。
しかし、理篇はまだ教室の窓側の自分の席に突っ伏していた。
先程の花約カレンの執拗な視線のことで考え事をしているのもあるが、それ以前に、彼にはわざわざ駆けつけて世間話をしてくれる友人や、その逆も全く無いのである。
「この時間が一番嫌いだよ、全く」
つい理篇から愚痴が漏れる。
カレンも、他同クラスの生徒と同様に前クラスの友達と何か会話をしながら教室を出て行った。
「あの会話、もしや俺の悪口じゃないよなあ……あぁ! もう、くそ! 俺がなにしたってんだよーー!」
理篇が腹の底から叫んだその時、黒板側の教室と廊下を繋ぐドアから先生が顔を出して、
「理篇くん、始業式早々バックれはさすがの先生でも目をつむれませんよ!」
理篇はジト目で先生を睨みつけたあと、ヘイヘイとふてくされながら廊下へでた。
理篇が通う高校は、他の高校と比べて特異点はない『ザ・スタンダード高校』である。
県で有数の実力を誇る部活動があるわけでもなく、偏差値が高いわけでもなく、校則が厳しいわけでもなく、校内施設が充実しているわけでもないただの『学校』だ。
彼がそれに不満なわけではない。
いやむしろ、そのほうが俺にはピッタリだ、とまで思っているようだった。
今理篇が座っているこの体育館も、小さいわけでもなく、大きいわけでもなく、綺麗なわけでもなく、汚いわけでもない。
そんな普通の体育館に、約千人もの学生が収容されている。
今日は例年の月間平均気温に比べて暑く、そんな檻の中で収監されることへの苦痛のせいか、心なしか校長の挨拶が長く感じられる理篇であった。
体育座りで顔を埋めていたせいか、首に激痛を覚えた理篇は勢い良く顔を壇上へと上げる。その時、さっきと似たような感覚に陥った。
「(この感じ……さっきも感じた嫌な視線……まさか!)」
少し顔を下ろし、辺りを見渡す。ほどでもなかったが、すぐにある少女が自分の肩越しに理篇を見ていることに気づいた。
実際、見ている、なんて生易しい表現の仕方では信憑性に欠けるほどの形相&目つきで理篇を睨んでいる。
「(うおっ! あの鬼女、また俺を睨んでやがるっ! あぁもう無視無視!)」
無理矢理、意にそぐわない命令を脳に下す。
しかし、長くは続かず、またすぐに彼女を恐る恐る見てみた。
するとカレンはもう前を向き直していた。
はぁ、と溜息混じりだが本当にホッとしたよう息をつく。
今まで友達が出来た試しがなかったせいか、人からああいう目で見られたりすることへの耐性が無かった理篇にとって、それは新鮮味を感じさせてくれる部分もあった。
「(ちょ、ちょいまち! なんか俺喜んじゃってない!? 人に睨まれて喜んじゃってない!? そ、そんな……俺ってMだったのか……)」
理篇は本気で落ち込んでいた。
今までマゾなやつを馬鹿にしてた彼にとって、それはとてつもない後悔と嫌悪感を同時に突きつけられていた。
そんな彼を横目に、カレンは不満そうな顔を浮かべる。
「(なんか一人で楽しそうな顔してるわね。 ったく、喜怒哀楽が顔に表れすぎなのよ、アイツ……)」
自分でも、なぜこんなにも理篇に対して苛立ちを覚えているのかは理解できなかった。
ただ、一人で満足して、一人で楽しそうに過ごしている彼を放っておけない気がした。
勿論、理篇は満足しているつもりはない。
だが、カレンから見た場合、彼はそれで満足して、開き直って、仕方ないと感じているように見えた。
これはカレンに限らず、客観的に見たら、全ての人が感じるだろう。
実は、カレンは一年の頃から水間理篇というなんの変哲もない人間を目に付けていた。
理系科目の移動授業の際、違うクラス同士で混合で受ける場合がある。その時にカレンは理篇を見つけた。
その度に、理篇の様子を見ては、心の中にある疑念を積み重ねていっていた。
「学校は皆で仲良くする場所でしょ? なんでアイツは一人で孤独に生活してるの?」
カレンは誰にも聞こえていないような声で呟く。
でもたしかにその声は誰かに向けたものであったに違いない。
そう、孤独を楽しんでいると思われているあの少年に向かってーーー。