彼女と過去の遭遇話
行く手には見知らぬ風景。
手は痺れて、擦り剥いた膝からは痛みを感じる。
新しい制服は汚れ、新しい靴には泥が付着している。
心は視界から入り込む情報になんとなく戸惑いを感じている。
どうしてここにいるのか、どうしてこんなことになってしまったのか、自分でもはっきりとは理解していない。
一瞬のことだったような、そうではなかったような。
数時間前の記憶はとても曖昧だった。
まだ慣れない学校の帰り道、美由紀は仲良くなった友達と一緒に下校していた。
今日は良い天気で、空には雲がひとつもなかった。
今朝のお天気キャスターが発していた快晴の言葉は正しかったようだ。
美由紀は高校での最初の友達と大通り付近で別れ、寄り道せずまっすぐ自宅へと進んだ。
これからの生活がとても楽しみに感じられた。
入学してからまだ一週間も経っていないが、早くも友達ができ、勉強も序盤だからかもしれないがしっかり理解は出来ている。
今日も楽しい一日を美由紀は過ごすことができた。
これからも色々な思い出が作れるのかな。
美由紀はコンクリートに咲いている小さなタンポポを見ながらそう思った。
しかし、突然快晴だった空から鼓膜が破れそうなほ どの爆音が聞こえてからは、そんなことは一切思わなくなった。
突拍子な太い笛のような爆音に驚きのあまり落としてしまったスマホを拾い上げた後、空を見上げると、そこには超巨大な円盤が宙を舞っている光景が目に映った。
一定のリズムで爆音を放っているその円盤は上空をゆっくり通り過ぎて行く。
まるでSF映画のワンシーンのようで、美由紀はその円盤に目が釘つけになった。
そして街の中心街の近くで動きを止めた。
一体何が起こっているのだろうかと美由紀は息を呑んだ。
数秒後、円盤から目を瞑りたくなるほどの眩しい線上の光がビルに放たれた。
目を瞑った真っ暗な視界に光の残像が残り、大きな音が耳に響く。
ゆっくりと目を開けると、ビルがコンクリートを一瞬のうちにバラバラに破壊され、一気に崩れ落ちていく光景が目に入った。
美由紀は衝撃のあまり声を出してしまった。
すぐ横にいる同じ制服を着た生徒も衝撃のあまり、声を上げている。
嫌な予感してきた美由紀は急いでその場を離れ、自宅にいる家族のもとへ全力で走った。
きっと宇宙人か何かだ。
もしかしたらどこかの国が攻めてきたのかもしれないけど、あんな兵器を作れる国なんて一つもあるはずがない。
だとしたらきっと宇宙人だ。
美由紀は止まってしまっている車の列を見て から赤信号を渡った。
再び何か破壊される音が美由紀の鼓膜を震えさせた。
一時止まって空を見上げると、そこには先ほどの超大型の円盤から小型の円盤が大量に排出されているのが伺えた。
その円盤のいくつかはもう既に美由紀の上空を通過している。
恐怖がそそられる。
そしてその一つから先ほど見たのと同じような眩しい線が地上へ放たれ、近くにあった車は爆音と共に炎上し始めた。
人々の恐怖の叫び声が頭に強く響く。
美由紀は蓄積された恐怖により声を出して駆けだしてしまった。
どうやら直感的な予測が的中しているのは確実のようだ。
視界には逃げ出す人々と、雪男のような見たことのない生き物が映る。
いくつかの円盤は既に地上に着陸行動を始めている。
美由紀はその場から急いで離れるため、自宅への近道である曲がり角を曲がった。
この裏路地は幅がとても細く、円盤は着陸することは出来ない。
そのため、裏からの妙な視線がとても気になった。
数分後、美由紀は宇宙人に見つかることなく自宅へ帰ることが出来た。
緊張しながら普段と同じの玄関扉を開けた。
いつもなら母と小学生の妹が先に帰宅しており、美由紀の帰宅を待っているはずだった。
しかし今日はいない。
宇宙人にさらわれたかと不安になったが、特に襲われた形跡はなかったため、どこかで謎の飛行物体の野次馬になっているのだろうと推測した。
自宅前にはいなかったので近くの公園だろうか。
美由紀はカバンをリビングに置き、制服のまま家を出た。
公園までは歩いて五分ぐらい、走れば三分、中学から陸上部に所属している美由紀なら二分で着く。
そこまでの道に宇宙人らしき人影はなかったが、変わらず上空には怪しい円盤がうようよしている。
走りながらスマホで母に電話をかけるが、超大型の円盤から一定に鳴り続けている爆音のせいで母の携帯の着信音が耳に届いているとは思えなかった。
足を大きく動かして、猛スピードで見慣れた道を走った。
やがて公園が見えてくると、そこには大勢の住民が集まっており、その中に母と妹の姿もあった。
美由紀は公園に入ると走るのを止め、歩いて母と妹の真後ろへ行った。
後ろ姿の母の肩に手を差し伸べる。
一体何があったのか、そう聞こうと思った。
しかし触れることが出来なかった。
肩に触れる前に突然母が前に向かって倒れてしまったからだ。
それに続いて妹も大勢いる他の人たちも、意識を失ったかのように倒れていく。
何が起こったのか理解できずに、美由紀は差し出した腕が動かなかった。
そして全員が前倒れした後、母たち住民によって死角になっていた前方が明らかになった。
その時美由紀は声が出なかった。
目の前にいたのは全身毛で覆われた雪男のような黒い生物で、先程大通りで一瞬見た生物と姿形が良く似ていた。
こちらをじっと見て、睨んでいるようにも見える。
美由紀は視線を出口の方に回そうとしたが、その宇宙人は美由紀と目を合わせた。
その瞬間、体が動かなくなった。
驚き、口も開けない。
とにかく 体が出口に向かえるように必死に動かそうとした。
しかし金縛りにあったように、びくともしない。
宇宙人はゆっくり近づいてくる。
殺される、殺される!!
極度な精神状態に陥った。
しかし美由紀には視界右側の道路から誰かが走ってくるのが見えていた。
明らか人間ではない容姿をしている。
何をする気なのか全く分からなかったが、それは宇宙人に突進し、美由紀の金縛りを解いてくれた。
一気に全身に力がよみがえり、美由紀は宇宙人らのその後の現場を目撃する事も無く、公園の出口を抜けて逃げ出した。
あの時宇宙人が住民にどんなことをしたのか、そして一体何者が助けてくれたのか。
美由紀は一つも疑問を解決することが出来なかった。
ただ脳裏に焼き付いていたのは真っ白い人間ではない何かが自分を助けてくれたという事実だった。
美由紀は止まらずそのまま走り去った。
全員倒れてしまった住民を思い出すと、怖くて怖くて立ち止まることが 恐ろしかった。
頭の中には逃げることでいっぱいいっぱいになっていた。
家には戻らなかった。
今自宅に戻ったところであんな近くに宇宙人がいるのなら殺されに行っているようなものだったからだ。
足を動かし続けているのに目的地はなかったが、足が勝手に向かっていたのは市内のある森だった。
森の中なら宇宙人も人間を見つけにくい。
そんな期待もあったから美由紀の脳は足にそう命令したのかもしれない。
別のルートから森に近い大通りに着くと、逃げ惑う人で道路が賑わっているのが良く分かった。
運転者を失った車が走る人たちの行く手を阻み、人々の逃げる速さを遅くした。
後ろから沢山の宇宙人が追いかけて行く状況になった。
裏の方にいる人を見る余裕なんてなかっ たが、誰かの叫び声だけは良く耳に届いた。
人々はどこに向かって走っているのだろうか。
目的地はどこかということよりも逃げるという人間の本能が働いているのだろう。
美由紀は前だけを見つめて駆けていた。
後ろから追いかけてくる宇宙人よりも速く逃げていれば、捕まることはない。
陸上部に関係するようなことに敏感な美由紀はそう思った。
しかし、思いも寄らないことが美由紀の前方で起こった。
前方から宇宙人がやって来てしまったのだ。
人々は愕然とし始め、そこにいたほぼ全員が終わりだと感じた。
しかし美由紀は諦めずに、危険に道である裏道に入った。
裏道は幅が狭い道で宇宙人に挟み撃ちにされたら一巻の終わりだから危険なのだ。
だがあの場にいても意味 がないことは誰よりもわかっているつもりだったので、この道を選んだのだ。
住宅で左右が囲まれ、日差しが入りにくく影になっているこの横道で美由紀は住宅の隙間から見える森を目指した。
今のところ宇宙人の姿は見えない。
これなら見つからずに行けるのではないか。
美由紀はそう感じた。
どうして宇宙人は急に人間を襲い始めたのだろうか。
人間は何も宇宙人に危害を加えていないのに。
確かに過度な調査などはあるかもしれないが、それで人間たちを殺しにかかるなんて、とんだ短気野郎だ。
美由紀はそうとも感じた。
青いポリバケツの横を通り過ぎた。
その数十秒後、そのポリバケツが誰かによって蹴られる音が耳に届いた。
まさかと思い、後ろを見るとそこには早くも宇宙人の姿があった。
美由紀は驚き、スピードを上げた。
追いつかれた くない!
どうにか森まで!
その言葉で頭の中はいっぱいだった。
落ちているゴミ袋を蹴って、不法投棄されたバイクを飛び越えて、転びそうになりながらも美由紀は懸命に走り続けた。
今まで殺されてしまった人々を散々と見てきたのだ。
同じ目に遭いたくなくて、苦しみたくなくて、もっと生きていたくて、必死だった。
絶体絶命の危機に刃向った。
しかし美由紀の運は牙を剥いたようで、前方からも宇宙人が現れてしまった。
それは生きることの終わりの意味を示していた。
美由紀は走るのを止め、膝から崩れ落ちた。
走っても意味ないと感じた。
あとは宇宙人に殺されるだけ。
捕まえるのかもしれないが、殺されるよりももっと辛い実験材料になる。
段々大きくなる足音と それに対する怖さで意識が朦朧とした。
前の宇宙人はもうすぐそこだ。
雪男のような宇宙人が暗闇から向かってくる。
頭を抱えて、美由紀はうずくまった。
そして薄暗い視界の中に宇宙人の足が見えると、美由紀は耳を塞いだ。
しかし数秒たっても痛みはなかった。
誰かが触った感触もなかった。
不思議に感じた美由紀は耳を塞ぐのを止め、前を向くとそこには宇宙人に似た白い毛むくじゃらの宇宙人が立っていた。
その宇宙人の前には黒い宇宙人が倒れている。
ふと後ろを向くと、後方の宇宙人も同じ状態になっていた。
呆気に取られてしまった美由紀は声も出なかった。
後ろ姿の白い宇宙人を見ながら、某然と見つめていた。
「今のうちに逃げろ」
男性の正しいネイチャーな日本語でその言葉を聞いてハッとなった美由紀は立ち上がり、その白い宇宙人と倒れた宇宙人を超えて再び森に向かって走り出した。
意味が分からなかった。
宇宙人同士の仲間割れか何かだろうか。
しかし、あれは完全に私を救ってくれていた。
それにあの白い宇宙人、先ほどの公園で助けてくれた者と雰囲気が似ていた。
同一人物だったのだろうか。
それはそれとして、今はそのことよりも逃げることが最善だった。
だがこれもまた不思議なことに、その後一度も宇宙人に見つかることもなく、無事に森に着くことが出来た。
少しずつ陽が落ちて行き、森に着いた頃には周りは夕焼け色に染まり始めていた。
しかし街は違う色に染められていた。
やはり宇宙人の目的は殺戮なのだろうか。
理不尽過ぎる。
美由紀はそんなことを思いながら森の奥へと入って行った。
初めて入る森ではないが、獣道となっているところをわざと歩いた。
やがて辺りは暗くなり始めた。
まだ暗闇とは言いがたいが、確実に闇が近づいていた。
これからどうしようか、美由紀は座って休みながら考えた。
ここで一夜を過ごしても明日になれば今日と同じような日が送られるだろうし、今晩襲われる可能性だってないとは言えない。
もうこの街はどうしようもないのか……
もしかしたら日本中に、いや世界中に宇宙人が確認されてい たら、もう地球は終わりになるだろう。
美由紀は夢のあった自分の未来が崩れているのを実感した。
喉が乾いた。
いつの間にか辺りは真っ暗になり、今頼れるのは持っていたスマホのライトのみ。
美由紀は水がないか、探した。
しかし見つける自信なんて微塵もなかった。
森の中に綺麗な水があるとは思えない。
ここは森であるだけで、山ではない。
水を見つけることさえも難しい。
美由紀はそれでも歩いて水を探した。
スマホのデジタル時計は夜の十一時を表示していた。
あれから探すも全く見つからない。
なんでも良いから喉に注ぎ込みたかった。
スマホの電源はまだ切れてしまう心配はなさそうだが、時期に切れてしまうのは目に見えている。
休み休み動かした足だったが、もう限界が近づいているようだ。
中学生の頃の部活練習よりキツイ。
……もう諦めよう。
美由紀は木の根に座り込み、改めて空を見上げた。
円盤は見かけず、代わりに珍しく星が輝いて見えた。
「明日は、何をすれば良いのかな……」
そう呟きながら、スマホの電源を付けた。
友達との連絡が簡単に出来るアプリで連絡をとろうとは何度もしようとしたが、送って返事がこなかった時のことを思うと辛かったのですることが出来なかった。
何もすることがない、誰も近くにいない、心の不安は全く取り除かれない。
精神的に危なくなってきた美由紀はなぜか眠くなってきてしまった。
危険なのは承知で目を閉じようとしていた。
中学生の頃はつらい部活から帰宅すればすぐに寝ていた。
家の温かいベッドが急に懐かしく感じられた。
それと同時に眠気がピークに達しようとしたその時だった。
横に差し伸べた手にペットボトルのような感触が伝わったのだ。
美由紀はハッとなり、それを鷲掴みし、スマホのライトで照ら した。
確かにそれはペットボトルだった。
中身にはペットボトル半分ほどの量の透明で綺麗そうな水が入っていた。
美由紀は無我夢中でキャップをひねり、中の水を飲んだ。
何十年ぶりに飲んだような気がするほど美味しいその水にすべての神経を使った。
のどが潤った後、中身がなくなったペットボトルをよそに、美由紀はすぐに眠りについた。
なぜそこにペットボトルがあり、綺麗な水が入っていたのか、その時は全く気にならなかった。
そこまで頭がついていっていなかったのだ。
そして、現在に至るのだ。