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私に触れる手

作者: 白熊猫犬

 そして彼は私の右の頬を優しく撫でてくれた。木漏れ日の中で私は幸福の意味を知り、つまりこの命の意味を知ったのだった。


 窓の外に見える公園、その緑に射し込む光を眺めながら、あれから、もう三十年以上経つのだなあ、と、洗濯物を畳みながら思い出していた。私と旦那の、初めてのデートの日から。

 私と旦那は、高校の時分に知り合って、恋仲になり、同じ大学に進学し、二人ともが就職を無事に終え、社会人になって三年目に結婚した。私は寿退社をして、勤め先だった会社だとか、大学まで進ませてくれた両親だとか、そういった人達に多少の迷惑をかけながら、だけれども概ね祝福を頂いて無事に専業主婦になった。

 旦那の稼ぎが良かったこと、両家ともがそれなりに裕福な家庭で、両方の親が色々と援助をしてくれたことが幸いして、私は時々パートに出るだけでやっていけた。私は掃除、洗濯、料理と、二人の子供の世話に専念できて、だから娘と息子の成長を一番近いところで見続けられた。私は色々と恵まれているのだと常に感じていた。

 娘は地元の短大に通った後、ある工場の事務員として働き、昨年嫁いでしまった。短大のときに入っていたサークルの繋がりで出会ったという相手は、清潔感と実直さに溢れた青年で、私は一目見たときからこの人なら大丈夫だと思えた。旦那は、結婚式のときにはわんわんと泣いたけれども、やはり娘の選んだ人を気に入っていたのだろう、真っ赤になった眼のまま、嬉しそうに微笑んでいた。娘とは、正月の三が日を過ぎた頃に顔を出してくれるか、連絡を取り合って休日に待ち合わせるかしないと会う機会もなくなったが、どうやら嫁ぎ先で姑にいびられるというようなこともなく、結婚相手と幸せにやっているようだった。もう数年もしたら私もお祖母ちゃんになるのか、と思うと、時の速さに驚く。

 息子の方は大学生になり、家を離れて下宿生活をしている。高校のときにアルバイトでお金を貯め、出来るだけ私達両親に負担をかけさせまいとする優しい男の子に育った。だけれど、私達はやっぱり子供の為にお金を使うのが嬉しくもあって、学費の支払いと、月に数万の振込をしている。息子は初めそれを嫌がったが、旦那と私が説得してようやく承諾を得た。なるべくアルバイトばかりにかまけないで、自分の学びたいこと、知りたいことを沢山見つけてほしいと思う。それから、早くいい人を見つけて、私達に紹介してほしいとも。息子はそういう色恋沙汰を恥ずかしがって昔から家族に隠しがちだったから、きっと恋人が出来てもすぐには教えてくれないだろう。昔はばればれだったけれど、今は離れて暮らしているのだし、そうとわかるのはもしかしたら、とてもうまくいって、結婚とかそういうところまで考えたときかもしれない。


 若い頃の私は、まるで自分が恋愛小説の登場人物のように思っていた。若い頃の旦那と、若い頃の私が演じる、ラブ・ストーリィだ。相手のことを考えて眠れなくなったり、瞼に相手の顔が浮かんできたり、すぐ隣にいるだけで胸の鼓動が速くなったり、何ともいじらしい青春だった。今となっては、少しの恥ずかしさを伴う、懐かしくて可笑しい思い出だ。今の私も、今の旦那も、恋愛小説には似合わない。

 旦那は、すっかりおじさんになってしまった。布団には抜け毛が落ちているし、おでこも随分と広がってしまった。お腹もぽっこりとしていて昔のように腹筋の割れた体ではない。老眼鏡が似合ってしまうし、加齢臭もする。私と、二人の子供の為に毎日あくせく働いてくれた旦那は、そうやって若さを失ってしまった。

 それは同時に私がすっかりおばさんになってしまったことを意味する。最近では腰痛に悩まされる時間が多くなって、白髪もちらほらと出始めた。顔の皺はもうどうやっても隠せないし、肌のたるみも相当だ。服は安ければどんなものでもいい、と思うほどに自分の服装に無頓着になった。鞄も、大きければ大きいほど良く、頑丈であればあるほど素晴らしい。デザインだとかは、判断材料から抜け落ちてしまった。旦那と、二人の子供の為に毎日家事をしてきた私も、若さを失ってしまった。

 それは、決して悲しいことでも、また惜しむものでもないことを、私は知っていたから、そして旦那もそうとわかっていたから、私達はお互いがすっかり老け込んでしまったことを冗談混じりに話したりして、けれど自虐の色身はなく、ただありのままを受け入れていた。こんな風に感じられるようになったのは、いつ頃からだろう。昔の、結婚する前の私は、もっと若さや外見の綺麗さや、そういう有限的なものを求めていたように思えるのだけれど。そしてそういうものを失って、減らして、手放していくことが怖いとすら思っていたのだけれど。私はいつからそれらを惜しまなくなったのだろう。子供が出来たときなのか、もっと他に切っ掛けがあったのか、それとも単純に、歳を重ねればそうなっていくものなのか、私自身のことなのに、漠然としていて、曖昧なのは、何故だろう。

 リビングに掃除機をかけながら、ふとそんなことを考えていると、夕方のよい時間帯になったので、私は簡単に化粧をしてスーパーマーケットに向かった。


 その日の夕飯の献立は、煮魚と、生ハムのサラダ、実家から送られてきた漬け物だった。汁物もあった方がいいかしら、と思ったけれど、もう大分暖かくなってきたので、やめておいた。

 食卓にある四つの椅子のうち、二つには誰も座っていない。そのことには、もう慣れてしまっていた。料理を二人分しか用意しないことにも。ほんのりと寂しいと思うことは、あるにはあったけれど、それはただ何もない空間が増えたことに対して感じられることで、娘も息子も、きっとどこか別のところでご飯を食べているのだと思うと、寂しさとかいうものとは全然違う感情に満たされるように感じられた。

 食事中、久しぶりに二人で出掛けようという話になった。明日は旦那も休みだから、一日使うことが出来る。動物園に行って童心に帰ろうか、ゴルフでもして日頃の運動不足を解消しようか、それとものんびりドライブでもして、何か美味しいものでも食べに行こうか。そういう具合に色々と話し合ったけれど、何となく、目的もなく散歩をしようということで決着した。歩き疲れたらバスや電車を利用して、気になった店があったら入ってみて、お腹が空いたらどこでもいい、適当なところでご飯を食べて、そうやって一日ゆっくりと過ごそう、そして二人で夕飯の買い物をしよう、となった。

 まるで、若い頃にしたデートみたい、と言うと、旦那は麦酒を飲みながら愉快そうに笑った。そう、まだあまり互いのことを知らないでいたあの時分、私達は一日中町を歩き回って、その間ずっと話をしていた。人のいない小路、雑踏の中、星のよく見える高台、夕日の溶けていく海沿い、私達はそんな中に紛れて、ずっと互いのことを話していた。もっとこの人を知りたいと思いながら、もっとこの人に知ってもらいたいと思いながら、ずっと、ずっと、話をしていた。それはもう色褪せてしまって、思い出という名前の、記憶の残骸になってしまったものだったけれど、そうやって余分なものが削れて、失われて、しかしながらだからこそ、美しいと思える。

 今、私はどれだけ旦那のことを知っているのだろう。旦那にどれだけ知っていてもらえているのだろう。当時の感情が一瞬だけ飛来して、けれどそれは本当に一瞬で、すぐに砕けたように消えてしまった。私はそのことを、つまりあの頃の感情が今の自分に全然馴染まなかったことを、少し不思議に思った。過去の私と、今の私で、どんな変化があったのだろう。どう変われば、こんな風に思ってしまえるのだろう。例えば、旦那とわかりあえているという自負がそうさせるのか。例えば、結婚や出産といった経験がそうさせるのか。私にはわからなかったけれど、明日のことを考えるだけで楽しくなった私は、そんな疑問をすぐに忘れてしまった。


 遅めに起きて、顔を洗い、服を着替えて、朝食を作る。旦那が起きる頃には、トーストと、スクランブルエッグ、ホットの珈琲がテーブルに並んでいた。二人でもぐもぐと食べながら、まずどこへ行こうか、と話した。昨日、洗濯物を畳みながら眺めた緑を思い出して、家の前にある公園に行きたいと言った。いつでも行ける、すぐ側の公園は、しかしあまりにも近いことと、わざわざ用事のない場所に行かなくなったこととがあって、もう随分ご無沙汰だった。娘や息子が幼い頃に連れていったきり、あの敷地に入ることはなかったように記憶している。旦那は、私の提案を快諾した。そうだな、たまには公園に行って、草木の匂いを嗅ぐのもいい、次の目的地は、その時に決めよう、と言ってくれた。

 朝食を終えると、旦那は髭を剃ってから着替えをして、その間に私は化粧をした。いつもより少しだけ丁寧にファンデーションを塗って、口紅も塗った。子供みたいにわくわくしている自分を自覚して、何だか鏡を見ながら笑ってしまった。老け込んでも、こんな自分が残っていたのだなと、恥ずかしく思えた。

 旦那と並んで、公園を歩く。お昼前だからか、人はまばらで、犬の散歩をする老人と、園児らしき子供を連れた親子と、ジョギングをする青年と、私達夫婦しかいなかった。公園はそれなりに広く、遊具やランニングコースもあって、もっと普段から来ていれば良かったなあと思った。たるんだ体も、こんな素敵なところを歩いていれば、もしかしたら多少はましだったかもしれないね、と言ったけれど、旦那は苦笑いをして、でも、案外続けるのは難しそうだ、今は素敵に思えても、毎日となるとそういうものはどんどん慣れてしまって、忘れてしまうだろうから、と答えた。そうかな、でもそうかもな、と思いながら、それでも時々はこうして旦那を連れ出そうと考えていた。お互い若くないのだし、健康というものをもっと考えなければいけないのだ。そして恐らく、散歩というのはなかなかに健康的なのだ。

 私達はベンチに座って、しばらくぼうっとしていた。芝生が光に照らされてその美しさを存分に発揮していた。ベンチのすぐ後ろにある大きな木が影を作り、葉の間から漏れ落ちた光が私達に柔らかく降り注いだ。

 それはまるで完成されたように、そこにあった。光と色と風と空気と、全部が完成されていて、私と旦那を包んでいた。何故だかそう思えて、私は不意に泣きそうになっていた。

 ねえ、と旦那に話し掛ける。ああ、記憶が思い出となって、私を突き動かす。ねえ、私のこと、愛してくれますか。そうだ、まだずっと若くて、ずっと沢山の可能性があって、ずっと不安定だったあの頃も、こんなことを聞いたのだ。二人が恋人になったあの日に、私は彼にそうやって求めたのだ。知りたい、知ってほしい、という感情のその向こうにある、愛したい、愛してほしいという想いを、口にした、あの日と同じ、私。

 私の方を向いて、とても幸福そうな笑顔で、私に言った。



「愛しているよ、永遠に」



 そして彼は私の右の頬を優しく撫でてくれた。木漏れ日の中で私は幸福の意味を知り、つまりこの命の意味を知ったのだった。もう一度、あの時と同じように。

 そうだ、あの時もこうして、私は彼に触れられて、私は無限の幸福に包まれたのだった。それは私にとって、宇宙や命や運命と同等の価値を持ったものだった。私は彼と愛し合うために存在して、その愛は彼が私の頬を撫でたその瞬間に伝わったのだった。私は彼に触れられるために生まれた。彼に触れられた私は、私の生まれる前、世界の誕生から、この世界が終わるその後もずっと、愛されているのだ。私はそれを、彼に初めて愛していると言われたとき、彼の手が私に触れたときに、知ったのだ。

 けれど、素晴らしいもの、美しいものは、近いほどに、長いほどに、慣れてしまって、忘れてしまう、彼がさっき言ったように。愚かな私は、永遠の愛と幸福を、すっかり忘れてしまっていた。こうして今、彼に触れられるまで。

 恵まれていると思えたのも、娘や息子が親元を離れたとき寂しさに潰されなかったのも、若さを失うことを恐れなくなったのも、知りたいだとか知ってほしいだとかいう感情が必要なくなったのも、全部彼のくれた愛のおかげだったのに、私はそれに慣れて、その存在を忘れていたのだ。

 今度はしっかり覚えて、忘れないでおこう。彼の手が与えてくれた、素晴らしくて美しいものを。


 さて、これからどうしようか、と旦那が言った。旦那はベンチから立ち上がり、わずかに白髪のある、顔の皺の深い、たるんだ肌の私を見下ろしていた。少し頭の禿げて、老眼鏡をかけて、ちょっとだけ太った旦那を見上げた私は、きっと穏やかに笑っていただろう。

 貴方とならどこへでも、愛しの旦那様。

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