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7.頑固オヤジの店的な裏路地にひっそりあるラーメン店

7.頑固オヤジの店的な裏路地にひっそりあるラーメン店


車内は異様な熱気が満ちていた。

その空気の発生源は、他でもないこのあたしである。


あれから、三津の愛車という超がつくくらいのぼろぼろの軽ワゴン車に乗り、アパートを後にした。

それからコンビニに寄り、三津の財布からジュースとお菓子を大量に買ってもらった。

三津は半分、いや殆ど泣いていたが、柚葉さんの一言で黙って財布を開いていた。


すまない、三津。

無一文なのは、本当に申し訳ない。心からお詫びしよう。

全力でカゴにお菓子を投入したことに後悔はないけれど。


で、車内でのんびり小旅行ムードを楽しんでいたのであったが、

あたしは衝撃の事実を柚葉さんから聞いてしまったのだ。


あああああ、なんということだ。

このタイムスリップに意味があるのだというのなら、間違いなくこれではないだろうか。

いや、これしか考えられない。


なんと、なんと。


「加賀父って、本当に『や組の金吾きんご』だったんですか!?」

「そうなのよう! あの金吾様なのようっ!」


なんと、加賀父は、鳴沢様のドラマにご出演遊ばされていたのである。

しかも、逸話揃いと名高い三代目シリーズの中でも珠玉の、『江戸炎上計画は嵐と共に・前後編』に登場した、や組の金吾役で、だ。


こここここここここれは、金吾さまに会うための道行きだったのですね!?

やだどうしよう、どうしてこんなTシャツ姿で会わなくちゃいけないの!

どうせなら、ばあちゃんが娘時代に着ていたという着物を着ていたかった。

髪も結ってさあ、軽く化粧とかしちゃってさあ。


あああああああああああ、悔ーやーまーれーるー!


金吾様は、あたしの初めての浮気相手である。

もちろん、本命は鳴沢様なのだが、月代さかやきのまぶしい金吾様の若々しい魅力といったら、もう!

鳴沢様とは違うタイプで、なかなかに魅力的なのだ。


破天荒で男らしく、男性的魅力に溢れた金吾様に、あたしの恋心は揺れに揺れた。

鳴沢様にときめき、金吾様にきゅうううん、と胸を痛める。

ああ、これが恋に翻弄される女心なのですね、とまあそんな感じだ。


そんな素敵な金吾様は、ラストは恋した武家の姫と江戸を出て行ってしまうのだが、姫と寄り添い去ってゆく姿に、あたしはただただ、テレビの前で泣いた。泣き崩れた。

彼の登場話は2話だったので、浮気から失恋までを、二週間で経験したことになるのだ。

って、幼稚園児のころの話なんですけどね、へへ。


でも、金吾様への憧れがなくなったわけではない。今でも大好きなお方。

そのお方に会えるなんて、どうしたらいいのー。


ああ、今なら比奈子の執着ぶりも理解できる。

金吾様に優しくされたら、どハマりしますよ、そりゃ。

あたしだけのものよ! ってなっちゃうかもね、うん。


「父さん、そんなにすごいの?」


ぎゃー、だの、ひゃわわわわ、だの叫んでいるあたしに、イノリが嬉しそうに訊いた。


「当たり前じゃん! イノリ、みんなに自慢していいんだよ? 父ちゃん、ううん、金吾様は本当に素敵でかっこいいんだから!」


あんな人がお傍にいるだなんて、それはもう自慢するしかないだろう。

あたしだったら、でかい名札を作って毎日首からぶらさげていたところだ。


「そうよー。あんな人、そうそう出会えないのよ。それが父親だなんて、自慢していいのよ」


護衛隊の柚葉さんも力強く頷くと、イノリはへにゃりと笑った。


「そっかあ。おれ、父さんの仕事ってよくわかんなかったんだ。ちょんまげつけてるやつも、おもしろくなかったし」


なんてことだ。日本人の心だよ、時代劇は。

それを体現する父親をおもしろくないとは、子どもとはいえ残念至極。


「まあでも、イノリもいつかわかるようになるさ。あ、でも、加賀父って金吾役以外、見かけなかったような気がするんですけど」


訊いたのは、柚葉さんにだ。

あたしは時代劇はほとんどチェックしているのだが、加賀父を他の作品で見た覚えはないのだ。

まあ、それ以外のオサレドラマだったらわかんないんだけど。


金吾様をあそこまで素晴らしく演じた加賀父である。

時代劇製作側からオファーがきても、おかしくないのではないだろうか。


「風間さんは裏方のほうが好きみたいだったぜ。元々は監督になりたかったらしい。金吾役も、現場の勉強になるからってテレビ局の知り合いから言われて出たって話だしな」


絶賛安全運転中の三津が答えてくれた。


「あー、なるほど。でももったいないなー」


背も高かったし、お顔立ちも素敵だったし、いい俳優さんになれたんじゃなかろうか。まあ、俳優よりも興味があるものがあるというのなら、仕方ないことではあるが。


「あー、ヤダ。コレおいしーい」

「どれですか? ああ、それでしょー」


柚葉さんが食べているのは、9年後の新商品だ。

イノリにもあげた、あたしお気に入りのやつ。

今日はけっこう暑かったが、さほど溶けてなかった。

よかった、溶かしてしまったら味が格段に落ちちゃうもんね!


ちなみにあたしは、9年後には販売中止になっている幻の(この時代では普通に売られているのだが)チョコレートをもしゃもしゃ食べている。


おいしい! やっぱこれおいしいよ!

このままが一番おいしかったのに、リニューアルしたら個性のない、無難な味に変わってしまい、挙句人気が落ちて販売中止。

ああ、時代の介入を厭わなくていいのなら、企業本社に乗り込み、チョコ担当に悪改変の成れの果てを語って聞かせてやりたいくらいだ。


「柚葉お姉ちゃんの食べてるお菓子、さっきのコンビニにもなかったね。ミャオ、どこで買ったの?」

「え? ああ、まあ、秘密?」


へへ、と笑うとイノリはぷうと頬を膨らませた。


「教えてくれてもいいのにー」

「いつか、ね」


9年後には食べられるよ、きっと。

なんて言えるはずもなく、曖昧に答える。


「ねえ、祈くんって美弥緒ちゃんのこと、今なんて呼んだ?」


助手席にいる柚葉さんが振り返って訊いた。

そうそう、重要なことがもう一つ。

姐さんは現在お顔に化粧を施しておられるのだが、それがまたすんげえ綺麗なのだ。

姐さん曰く、化粧映えする顔なのだそうだ。


すっぴんでも愛嬌のあるかわいいお顔立ちだったのだが、ちょちょいとメイクするだけで、あらまあちょっと近寄れない雰囲気の美人さまじゃありませんか。

美しいもの好きとしては、たまりません! 興奮する!


訊けば、姐さんのお仕事は美容師。

メイクの勉強などもしており、結婚式場で花嫁さんをトータルセットすることも多々あるのだとか。


いいのか、式場。


こんなべっぴん巨乳おねいさんが来たら、浮気する新郎が出てくるぞ。

つーか、するだろ。

あたしだったら是非お願いしたいところだ。いや、そっちのケはないんだけどね。

でもそれくらい魅力的なのだ。


そんな姐さんがどうして三津なんかを、と思わなくもない。

というかはっきりとそう思うんだが、ちょこちょこといい男なのかもしれないという場面もあるにはあるので、黙っておこう。


チョコを飲み込んだイノリが質問に答えた。


「ミャオ、って呼んだよ?」

「あたしの名前、ネコの鳴き声みたいでしょ? だから友達はミャオって呼ぶんです」

「あ、かわいいー。いいね、それ」

「みーちゃんよりかわいいな。オレもミャオって呼んでいいー?」

「だめ!」


ビシリと答えたのは、あたしではない。

口の端にチョコをつけたイノリだった。


「だめ! ミャオって呼ぶの、だめ!」

「な、なんで?」


急に怒ったイノリに驚く。どこが逆鱗に触れたの?


「ミャオって呼ぶの、おれだけだもん」

「は?」

「おれ以外、呼んだらだめ」


うーん、なんのこっちゃ。

意味不明なわがまま言う子じゃないけどなあ。

首を傾げたあたしに、柚葉さんがくすくすと笑った。


「そっかあ。祈くんって美弥緒ちゃんのこと、好きなんだ?」

「へ? 柚葉さん、それどういう意味ですか?」


つーか、こんな会話、どっかでしなかったっけ?

はて、これってデジャヴ?


「好きだよ! だから呼んじゃだめ!」

「お? おお?」


こんな言葉はデジャヴしねえや。

隣にちょこんと座る、大きな声を出したイノリを見た。


なんだ? この子に懐かれすぎたのか、あたし。

いや、こんなかわいい子になら大歓迎だけどもさ。

好意を示されたお礼に、と頭でも撫でようとしたら、振り払われた。


「子どもじゃないぞ! とにかく、おれ以外はだめなの!」

「おお、おお?」


久しぶりに会った孫の成長ぶりについていけないおじいちゃんのように、口をぱかんと開けて頷くだけのあたし。

いつ成長したんだい?

わしゃついていけんがな。


「分かった? 呼ばせたらだめなんだよ?」

「お、おお。おお。あ、でも友達はもう呼んでるから、変えられないよ?」


言うとイノリはじっとあたしを見上げてきた。


「ともだち……。それって、女の子?」

「勿論。女の子だよ」


頷くと、急に成長しやがったらしい男の子は考えるようにこぶしを顎にあて。仕方ない、というようにため息を一つついてみせた。


「じゃあ、女の子ならよしにしてあげる。でも、男の子は絶対にだめ。いい?」

「あ、ハイ」


こくんと素直に頷いた。

つーか、これってあれだろ? あれだよな。

独占欲的な、そんな感じだよな。うん、間違いねえ。

となれば、だ。


……こんな小さなかわいい男の子に独占欲見せられて、

萌 え な い わ け が な い。


なになに、そんなにあたしに懐いてくれたわけ?

やーだー、もうかーわーいーいー!!!


力任せに抱きしめて、柔らかい髪の毛モッフモッフしてぐりぐりしてぇ!

小さいけどれっきとしたした男の心に傷をつけそうで、できないけど。

ああ、もどかしい。


あまりにキュンキュンしすぎて潤んだ瞳で前を見れば、柚葉さんがこぶしをひたすら膝に打ち込んでいるところだった。

多分、あたしと同じ理由で衝動を抑えられないのだろう。

気持ち、充分わかります。


「な、なに? とりあえずオレは呼んだらだめってこと?」


状況を把握していない三津が訊くので頷いた。


「だめですね。みーちゃん呼びは許可しますんで、そっちでお願いします」

「そうね、ヒジリはだめ。ううん、アタシもみーちゃんにするわ」

「あ、お願いします。イノリ、これからは『ミャオ』呼びしていいのは、イノリと前からの友達だけにするね」

「ホント!? うんっ!」


ぱあ、と顔を輝かせたイノリ。

もうたまらずにぎゅうう、と抱きしめた。


かわいすぎるー。

胸がキュンキュンしすぎて破裂するー。


「苦しいよー、ミャオ」

「もー少しだけー」


ばたばたと暴れる小さな体を抱きしめる。


「離してよー」

「ふふー、暴れても無駄さー。……ん?」


ふと思い出した。

さっきのデジャヴ。あれ、昨日の話じゃん。

穂積との会話がまざまざと甦る。


そうだ、穂積があたしのことをミャオ呼びしたことに対して、大澤が怒ったんだ。『オマエは呼ぶな』なんつってて、あの時は意味分かんね、とか思ったんだけど。

あいつ、あたしが今のこの約束を破った、って怒ったのか。


なるほどなるほど。了解。

でもなー、今のこのかわいいイノリの独占欲なら萌えもするが、大澤だしな。

つーか、独占欲なのか?

イノリのは多分懐きすぎたゆえのものだろうが、大澤は一体?


……わからん。


9年後に久しぶりに会った(はずの)あたしに対して、独占欲なんて湧くはずないしな。

生真面目な性格で、約束を反故されたことに対して怒ったのだろうか。

うーん、でもあいつ、生真面目なのか? 

結構授業サボってたし、寝てたし、制服着崩してたし。遅刻・早退してたし。


「ミャオー、苦しいってばー」

「んあ? ああ、ごめんごめん」


すっかり考えこんでしまっていた。

腕を解いてやると、不機嫌そうなイノリの顔。


「おれ、子どもじゃないぞ。こんなことするなよな」

「はは、了解。ごめんね?」

「もう」


無意識なのだろうか、ぷうと頬を膨らませる。


うーむ。このかわいいイノリが大澤、なんだよな。

まだ、いまいち繋がらないんだけどさ。

顔立ちに面影があるし、状況証拠からして本人なのはわかってるんだけど、感情がついていかないというか。

でも大澤、なんだよなあ。


と、イノリが小首を傾げた。


「ミャオ? おれの顔ばっかり見てどうしたの?」

「ん? ううん、なんでもない」


へへ、と笑ってごまかして、ハンカチを渡した。


「もう子どもじゃないんなら、自分で拭きな? 口元、汚れてる」

「あ、うん」


ごしごしと拭う姿を見つめた。

イノリが大澤だということは、イノリは今日のこのときを9年後も覚えててくれるんだなあ。怒るくらい、約束を大事にしてくれるんだなあ。


「ありがとね、イノリ」

「え? ハンカチ借りたのはおれだよ?」

「それは、そうだけど。でもありがとね」


きょとんとしたイノリが、よくわかんないけど、と言って笑った。

つい、と車窓を見れば、すっかり暗くなった町並みに重なって、自分の顔が写っていた。


「そろそろK県に入るぞー」


三津の声に、3人で返事を返した。



「――――だぁっ! 疲れたぁ!」

「お疲れ様です!」


コンビニの駐車場で大きく伸びをする三津に頭を下げた。


K県に入ってから、1時間ほど走った。

目指す柳音寺までは後1・2時間はかかるだろう、と地図とにらめっこしていた柚葉さんが教えてくれた。


「お寺の名前を電話帳で調べたんだけどー、それの住所からするとね、多分この辺り。けっこう田舎よ」

「まだ先はなげーなー。あー腰いてえ」

「電話、しなくていいですかね? 遅くなりそうですし」


ケータイの時計を見れば、もうすぐ21時。

2時間かかるようであれば、連絡したほうがいいよね。


「それがさー、さっきのトイレ休憩の時にかけてみたの。そしたら留守を任されてるって言うおばあさんが出て、風間さんはちょっとでかけています、って。でも耳が遠いらしくってさー、まったく話が噛み合わなくて困ったわ」

「そうですか……。でもいるんですよね? 少し出かけてるってことは、帰ってくるんですよね?」


訊くと、そうでしょうね、と柚葉さんが言った。

よかった。今度は絶対にいるんだ。

この先に、イノリの待ってる人がいる。


「ミャオー? おれトイレ行ってくる」

「あ、オレも行く! 祈、一緒に行こうぜ」

「うん」


仲良くコンビニに歩いていく二人の背中を見送る。


「なんだか兄弟みたいねー」

「仲よさそうですよね」


三津の腕にぶら下がって笑い声をあげた、無邪気な顔が店内の明かりに照らされた。


「加賀父は、なんであんなにかわいい子を、置いて帰っちゃったんでしょうか」

「そうね」

「イノリ、かわいそうです」

「そうね……」


血の繋がった父親のほうがいいから、と言ったらしいけど、それって重要なのかな。

イノリにとって誰が必要なのか、それが大切なんじゃないの?


「でも、アタシは、ちょっと風間さんの気持ちわかる」

「え?」


あたしより幾分背の高い柚葉さんを見上げた。

柚葉さんは2人がいる明るい店内に視線をやりながら、話してくれた。


「風間さんたちの劇団ってね、小さいの。ヒジリも言ってたけど、ホントに貧乏劇団。公演だって小さなトコで細々やって、知り合いをかき集めて採算とってる。だからみんな何かしらの副業……ううん、本業の傍らで演劇やってるって感じ。

ヒジリだって、ああ見えてフレンチレストランのコックよ?」

「え、うそ」


三津が?

どちらかというと、頑固オヤジの店的な裏路地にひっそりあるラーメン店でギョーザ焼いてそうなのに?

なのに繊細なフレンチですと!?

ぽかんとしたあたしを見て、柚葉さんが愉快そうに笑った。


「ふふ、意外でしょ? 美味しいのよ、けっこう。ああ見えて、ケーキ焼くのも得意だし」

「はあああああああぁぁぁ!?」


三津にケーキ? 三津がケーキ?

合わねえ。

ケーキつか、柿ピーとかサキイカとかの方がお似合いだろ。

愕然としたのが露わになっていたらしく、柚葉さんはお腹を抱えて笑い続ける。


「信じらんないでしょ? でもこれがホントなのよねー。今度作ってもらったらいいよ。感激するよー? て、ヒジリのことはいいのよ、別に。でね、劇団って、お金ないの。風間さんだって、きっと裕福じゃなかったはずよ」

「あ」


それはあたしも、何となくそうだろうなと思っていた。

家族で住んでいたというあのアパートは、年季の入った古いものだった。

隣室への仕切り板が取れるようなところだ、家賃は高くないだろう。


「そんな時に、サヤカさんが病気になった。サヤカさんも働いていたはずなんだけど、仕事を辞めて入院したのよね。ということは収入が減って、逆に出費が増えたわけ。金銭面で苦労したことくらい、想像つかない?」


ふわ、と夏の夜の匂いがした。

少し温くて、でも肌に心地いい風が運んでくる匂い。

穏やかなそれはどうしてだか胸がきゅうと痛くなった。


駐車場の縁石に腰を下ろした柚葉さんは、ディ●ールのポーチからタバコを取り出して火をつけた。闇の中にふうー、と紫煙を溶かし込んでゆく。


「祈くんの本当のお父さん、弁護士だったよね。弁護士って言ったら、貧乏劇団よりもよほどお金を持ってる。お金だけが全てじゃないけど、お金がないとできないことは多いよ。特に、祈くんのこれからを思えば、お金は絶対に必要だもんね」


柚葉さんの言いたいことは、理解できた。

塾に行くにしても、ましてや私立校に行くにしても、お金がかかる。

子どもをきちんと育てるには、お金はなくてはならないものだ。


実父のほうが金銭面で豊かだから、加賀父はイノリを置いて行ったのか。

確かに弁護士父であれば、イノリがどんな道を望んでも手助けができるんだろう。


それでもあたしの気持ちとしては、「お金より大事なモンがあるでしょ!」というのがでかいのだけれど、でも、柚葉さんの言うことも充分納得できた。


イノリをかわいく、大切に思えば思うほど、幸せを願うだろう。

その幸せのためには、それは確実に必要なものの1つだ。


柚葉さんから、夜空に視線を移した。

きらきらと星が瞬いていている。

明日もきっと太陽がギラギラした、暑いくらいのお天気なんだろう。


なのに、どうしてだか、雨の中に佇む大澤の顔が思い出された。


「……だから、イノリは9年後に大澤姓だったんでしょうか」

「そういう理由も、あったんじゃないかな?」


はあ、と柚葉さんがため息をこぼした。


「でも、やっぱりさ、ハッピーエンドって祈くんと風間さんが共に暮らすことなんじゃないかって思っちゃうわよねえ。これってきっと、観客のわがままなのよね。エンディングの先にも、その人たちの歩むべき人生があるんだもんね」

「そうなんですよね……」


同じようにため息をつくと、イノリが店から走って出てきた。

膨らんだコンビニの袋をぶんぶん振り回している。


「ミャオー! 三津さんがアイス買ってくれたよー」

「マジ? チョコモナカある? チョコモナカ!」

「え? えーと、ない」

「ないい!?」


アイスといえばチョコモナカだろ。

モナカがさっくさくのやつ。さっくさくのやつ。


「オレがキライなんだもーん。歯にくっつくからイヤ」


後ろから付いてきている三津がぶんぶんと首を横に振った。


「歯ってそれは食べ方の問題じゃないの!? え、じゃあ何のアイスがあるの?」

「ホーム●ンバーオンリー!!」

「はあ!? 孝三かよ!」

「コウゾウって誰だよ」

「あたしの父親だよ!」


孝三にアイスを頼んだら、何故か毎回ホームラ●バーなのだ。

欲しているアイスの商品名からパッケージの風体までを事細かに説明しても、買ってくるのは必ずホー●ランバーなのだ。結果、選択肢はバニラとチョコしかないのだ。どれだけイチゴ味を欲していたとしても。

あ、ちなみにあたしはチョコ派だ。バニラよりも断然チョコ。


孝三はさておいても、ホームラン●ーに罪は微塵もない。

冷凍庫で永遠に凍るよりもあたしに食べられたほうが幸せに決まっている。

孝三にお決まりの文句をひとしきり言った後、いつも美味しく頂いております。


てなわけで。


「あたしチョコがいい」

「食うのかよ!」


むきい、と猿のごとく叫んだ三津の袋から、見慣れたパッケージの棒アイスを取り出す。

うーん、この安心感は、いいよね。


「イノリはどっちー?」

「おれバニラ―ー」

「アタシはチョコよ、絶対」

「あの、オレに選択肢はないんすか」

「あ、三津サンにはとっておきのバニラがありますよ」

「余りモンじゃねーか!」


他に車のない駐車場で、4人でアイスを齧る。


「硬い」

「だな。歯、折れそう」

「イノリは平気?」

「らいひょふー」


がしがしとアイスを齧っていると、くすくすとイノリが笑いだした。


「どした? イノリ」

「なんだか、楽しい」

「は?」

「楽しい、今。だってこんなところでアイス食べてるんだよ?」


ふむ。

確かに、こんな経験したことないわ。


「そーねー。お菓子食べて、アイス食べて。楽しいかも」

「確かにな。それにさ、ガキのころってこういうイレギュラーなイベントはすげえわくわくしたよな」

「三津は今もじゃないんですか?」

「うわ。みーちゃんキツいわー。とか言って、みーちゃんも楽しいんでしょー?」

「へへ、まあ、少し」

「みーちゃんもガキだもんなー」

「若いだけです」

「言うねえ」


と、いち早く食べ終わったイノリが立ち上がった。


「よし、行こう!」

「早っ」

「だって父さんが寝ちゃってたら困るもん」


子どもって、切り替えも早いなー。

夏の夜のエンジョイタイムから、父親の就寝時刻へどう繋がるんだか。


「はひはひ。ひきまひょーか(はいはい。行きましょうか)」


残りのアイスを一口に食べた三津が立ち上がった。


「ほはほは、ふはひほほひふよー(ほらほら2人とも行くよー)」


追い立てるようにあたしと柚葉さんに言った。聞き取れなかったけど。



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