6.成仏とかさせられるのでわ
6.成仏とかさせられるのでわ
柚葉さんから開放された三津は、床に転がってしくしくと泣きまねを続けていた。
「ちょっと、ほんのちょっとの出来心なのに、あんまりだ……っ」
「出来心で何回浮気すんのよ、アンタ。頭でわかんないから、体で理解させるしかないアタシの苦悩も分かれっつーの」
「うう……」
「柚葉さんみたいな素敵な彼女がいるのに、なんで浮気する気になるんですか? こんな人とはもう一生縁がないと思いますよ」
「やだ、嬉しー。美弥緒ちゃんったらそんなー」
「いやいや、本当にそう思いますもん。三津にはもったいないくらいだし」
「えー、やっぱりそう思うー?」
「みーちゃん、冷たい……。いつの間にか呼び捨てだし……」
背中を向けたまま、しつこく泣きまねをしている三津。
その様子を黙って見ていたイノリが口を開いた。
「三津さん、柚葉お姉ちゃんのこと好きじゃないの?」
「ううう……へ?」
虚を突かれたのか、三津が間の抜けた声をだした。
「柚葉お姉ちゃんのこと、好きなんじゃないの?」
心底不思議だ、というような真っ直ぐな質問に、三津は体を起こした。
イノリに向けた顔は少し動揺している。
「え、えーとだな、祈。いや、柚葉はええと、その」
「好きだからいっしょにいるんじゃないの?」
子どもの質問というのは、すげい。
三津と柚葉さんの間に微妙な空気を作り出してしまった。
「ええと、大人になるとそういうのは簡単にな」
「父さんは母さんにちゃんと言ってたよ? それに、ウソついて他の女の人と遊んだりなんてしなかったもん。なのになんで三津さんはそんなことするの?」
「ウソ、いやウソじゃなくてだな、ええと、なんつーんだ、こういうの。
親睦、は難しいか、うーん」
「お姉ちゃんのこと、きらいなの?」
おお、核心をついた。すっかり観客になってしまったあたしは、息を飲んで三津の顔を見た。こういう話題が好きな生き物ですみません。
「いや、嫌いとかそんなことは、ない」
「じゃあ好きなの?」
「どうなのー? ヒジリ?」
くすりと柚葉さんが笑う。
「な! 柚葉オマエ便乗すんなよな」
「だってちゃんと聞いたことないし? この機会に確認しとこうかなー、って」
「え!? 言ったことないんですか? 三津、それはないわー」
「ちゃんと口で言うことが大切なんだぞ、って父さん言ってたよー」
3人で三津を取り囲むようにして迫った。
顔を赤らめてあたしたちを見回していた三津は、数分でネをあげた。
「好きです! いつも変な真似してごめんなさい!」
絶叫に近い告白に、拍手がおきた。
「いやー、案外弱いですねー、三津ってば」
「そうなのよー。押しに弱いっていうの? 誘われたら断れない性格だしねー」
「うう、なんだこれ。何のバツゲームだよ……」
あれから座布団を頭に被り、うつぶせで凹んでいる三津。
その背中を、イノリがそっと撫でた。
「三津さん、はずかしかったの? でも、こういうのって照れたらダメなんだって父さん言ってたよー」
「……オマエもな、あと7・8年したら今のオレの気持ちが分かるようになるさ」
「ええー、なんでえ? なんで今のぼくじゃわかんないの?」
「自分のことを『ぼく』って呼んでるガキにゃわかんねーんだよ」
三津の投げやりな言葉にイノリがむ、とした顔つきになる。
子ども扱いされると怒るんだよなー、この子。
「ぼくって言うのの、なにが悪いのさ。変なの」
「それが、悪いんだなー。あと、下着がブリーフなのも、コドモの証拠なんだぜ?」
「ええ、なんでえ!? クラスのみんなもおんなじパンツ履いてるよ?」
どうやら、イノリの反応が面白かったらしい。
座布団の陰から顔をだした三津の顔は、黒い笑みを浮かべていた。
「バッカだねー、祈。そりゃオマエのクラスの男たちがコドモなんだよ。ウルト●マンのブリーフなんつったら、もうサイアク。オムツ履いてんのと一緒だかんな」
「……仮面ライダーは?」
「ぶふっ。同じだっつーの。母ちゃんのおっぱい飲んでますつってるようなもんだな。男はな、トランクス。ないしはボクサーパンツって決まってんだよ。風間さん、父ちゃんはどうだった? オマエと一緒だったか? 違うだろ」
「ちがう、けど。だってそれは大人のだって、母さんが」
イノリの口調がしどろもどろになる。
三津の子供じみた言葉いじりにショックを受けているのが明らかだ。
間に入るべきだろうか。
でもイノリの戸惑う様子がかわいいので、もう少し見たいような。
おどおどし始めた顔を見ていると、三津がふふん、といじめっ子のような笑いを見せた。
「大人の、って母ちゃん言ったんだろ。ってことは、オマエのパンツはコドモ用ってことだなあ? な、オマエはコドモですーってパンツで語ってるようなモンなんだよ」
「パンツでわかるの? おかしいよ! そんなの」
「おかしくねーよ? 女の子にさ、『ヤダ、イノリくんったら赤ちゃんパンツよー、ウフフー』なんて笑われてーの?」
「そんな……笑われちゃうの?」
「多分なー? でもまあ、オマエはコドモだし、仕方ねーよ。笑われて男は成長すんだぜ?」
これはもう完全な八つ当たりである。
イノリをいじることで、ストレス発散している。
そろそろ止めるべきだな、と。
「三……」
「じゃあ、どうしたらいいの? 父さんみたいな大人になるにはさ」
「おいおい、そこはオレみたいな、っつーとこだろうが」
「三津さんは、ちょっと……いいや」
なんだ、自力で反論できてるな。
ぐむむ、と悪人よろしく唇を噛んだ三津を、柚葉さんと指を指して笑った。
「なんだよ。オレだってすげえかっこいい大人だぞ?」
「父さんのほうがかっこいいもん」
「確かに、風間さんのほうがかっこいいわ。三津なんかと大違い」
「柚葉! オマエはオレを誉めとけ」
「……よし、これから、おれって言う」
「は?」
イノリの大きな呟きに、3人で問い返した。
視線を集めたイノリは、宣言するように言った。
「だから、これから『おれ』って言う。『ぼく』はやめる」
「お? ああ、そう」
「パンツはすぐに変えられないけど、それは変えられるから」
うん、と自分に確認するように頷いたイノリ。
「これからは、おれって言うんだ。大人になるんだ。ミャオ、おれ、これで大人になれるかなあ?」
「な、なれるさー。すんげえかっこいい大人の男になるんじゃないかな?」
あたしの言葉に、イノリは嬉しそうに笑った。
「やだ、かわいい……」
柚葉さんがぽろりとこぼした言葉に、深く同意した。
かわいいでしょ、この子!
もうもうもう、たまんねえんですよ。
しかもなに、これ。
『ぼく』から『おれ』への背伸びの瞬間って!
たまんねーし、もう!
「かわいくないよ! 柚葉お姉ちゃん。ぼ……おれ、男だぞ!」
ぷう、と頬を膨らませての抗議。
ぼくと言い間違えかけての訂正に、思わず柚葉さんと悶え転がってしまったのは、言うまでもない。
ぎゃあぎゃあと二人で転がっていると、、トントン、とドアをノックする音がした。
玄関のドアらしい。
「誰だろ。はーい」
確実にわざとだろう、三津を思いっきり踏みつけて、柚葉さんは玄関へ向かった。
「どちらさまですかー?」
「こんにちわぁ。比奈子ですぅ」
間延びした女の子の声がした。
「へ? 比奈子、ちゃん?」
「はーい。そうですう。あのう、こちらに祈くん、いるんじゃないかと思ってきましたぁ」
「へ?」
何故分かったんだろう?
イノリと顔を見合わせた。
「おい」
酷く低い声がして、それは三津が発したものだった。
「なんですか?」
すく、と立ち上がり、顎で隣室を指す。
「向こうの部屋に、いやその奥の押入れに隠れてろ。奥だぞ、絶対出てくんな。柚葉、オレが出る」
「え? あ、あの」
「祈を連れて行かれたくないなら、そうしてろ」
よくわからないけど、三津の顔は真剣だし、イノリを連れていかれるというのはヤバい。
イノリの背中を押して急いで隣室へと入った。
押入れを開け、飛び込む。
ぱたん、と閉めたと同時に、ドアが開く音がした。
「こんにちわぁ。あ、三津さん、祈くんどこですかぁ?」
お。声がよく聞こえるー。
古いアパートだし、壁が薄いのかな。
「こっちにはもう来ないっつってなかったっけ? で、イノリって?」
ぶっきらぼうに答える三津。
どうやら比奈子さんって人には、イノリのことを黙っておくつもりのようだ。
変なのー。
加賀父のファンだっていうのなら、その子どものイノリのために協力してくれそうなもんなのにな。
「やだ、しらばっくれちゃって。一心さんの義理の息子の祈くんですよぅ。ここにいるんでしょ?」
あ。今『義理』ってとこを強調した。
なるほど、そういうことか。
祈をよく思ってないわけね。
「いないけど。つーかなんでここに風間さんの子どもがいるんだよ。わけわかんね」
「嘘はいいですってばあ。みんなに一心さんの居場所を訊いてまわってるのって、祈くんを連れてくためでしょ? 祈くんのお父さん、劇団にも来られたんですよ。いなくなったんだけど、一心さんを探してうろついてるんじゃないだろうかー、って。祈くんは劇団には来なかったから、あとはこの部屋しかないでしょお?
で、暇な三津さんは、やってきた祈くんを一心さんのところに連れて行ってやろう、と思った、と。どう、アタリじゃないですかあ?」
何だかねっとりした話し方をする人だな。
ついさっき電話口で喧嘩してたわりに、媚びたような色もあるし。
うーん、あんまり好きなタイプじゃないかも。
「意味分かんねーっつってんじゃん。風間さんにはオレが個人的に用があったの。で、その内容をいちいちオマエに言わなくちゃいけないわけ?」
「だーかーらー、嘘はいいんですってばぁ。わたし、大澤さんに連絡したんですよう。すぐ来るって言ってたから、早くしてくださーい」
暗い押入れの中で、イノリの手をぎゅ、と握った。
ヤバいヤバい。
大澤父、ここに来るわけ?
「ミャオ……やだ……」
イノリが小さく呟いた。
「だいじょぶ、だいじょぶだよ。三津たちがきっと助けてくれるから」
繋いだ手をぐいっと引いて、小さなイノリの肩を抱いた。
「大澤? ああ、昼間に来たって奴か。男の子を捜してる、っつてたんだっけ。だよな、柚葉?」
「うん。息子って言ってたけど……、もしかしてそれが風間さんの子どものこと? よく分かんなかったからすぐにお引取り願ったけど。
ねえ、比奈子ちゃん、どういうこと? 急に来て偉っそうに言われても、アタシにはさっぱりなんだけどー」
柚葉さん、名女優!
ウザそうな色がありありと声に滲んでますぜ。
って、半分以上は本当にウザいと思ってるんだろうけど。
「もう、二人してとぼけるんですかぁ? いい加減にしてください。
実の親から逃げ出した子どもを匿っても、いいことなんてないんですよ。
祈くーん? もうすぐお父さんが迎えにくるから、用意して出ておいでー?」
語りかけるような大きな声に、イノリが体を硬くした。
「今更一心さんのところに行っても、迷惑になるだけなんだよぉ?
一心さんにだって、新しい人生があるの。実の子でもないのに、お父さん役をしてくれるわけないでしょぉ? 君には君のお父さんがいるんだから、そのお父さんのところにいなさーい」
ムカつく。
この女、すんげえムカつく。
飛び出して行って、横っ面ひっぱたいてやりたい。
ファンだか何だか知らないが、人を傷つけることしかできないのなら、クチバシ突っ込むんじゃねえ。
「祈くーん? ワガママ言ってちゃダメで」
「ワガママ言ってんのはオマエだろうが、馬鹿女」
感情の読めない、三津の声がした。
「は? 馬鹿とか失礼だしい、三津さ」
「勝手に人の部屋に来て、玄関先で意味不明なことばっか言いやがって。風間さんの子どもがここにいなくてよかったな?
『あのお姉ちゃんはボクを傷つけることを楽しそうに言ってたよ』
って風間さんに言われなくて済んだからな」
「な、なんですか、それ!」
「オマエ、小さな子どもに嫉妬してどうすんの? 風間さんがあの子を大事にしてたのは、誰でも知ってる事実だろ。それに、あの人は自分を慕ってやってきた者を、特に、一度はお父さんと呼んでくれた子どもを迷惑だと思う人じゃない。比奈子、オマエ風間さんのドコ見てファンだなんてほざいてんだ?」
「な……」
比奈子が口ごもった。
何か言おうとして、でも言葉がでないようだ。
三津、アンタ、偉い!
押入れの中で、音をたてずに拍手を送った。
よくぞ言ってくれた。
比奈子への怒りが、三津のお陰で収縮してゆく。
しばしの沈黙のあと、三津が面倒くさそうなため息をついた。
「大澤さん、だっけ? その人にはしっかり謝っておけよな。嘘情報に惑わされてここまで来てんだろ? じゃあ、もう帰れ」
ガチャとドアを開ける音がした。
よかった。
どうにかこの場がしのげそうだ。
ほっと息をついた。
「う、うそ! ここにいるんでしょ!? 失礼しますっ」
「ちょ、待てよ、比奈子!」
「急に入ってこないでよっ」
え。
まじ、すか?
ヤバい。
押入れ開けられたらアウトじゃん!
どすどすという足音が近づいてくる。
どうしよう!
「ミャオ。こっち」
すい、とイノリが動いた。
「え? イノリ、どこ?」
「こっち。ここ!」
カタンと音がして、あたしが触れていたはずのイノリの体がなくなった。
見渡すが、まだ暗闇に慣れていないせいでどこに行ったのかわからない。
入る前に見た感じだと、広い空間ではないはずなのに。
あれれ? どこ?
戸惑っていると手を引かれて、さっきまで存在しなかったはずの空間に導かれた。
「な、ここ、どうなってんの」
「し。しずかにして」
あたしを奥へと押しやったイノリが、再び何かを動かす音がした。
「祈くーん? でてきなさーい?」
がら、と襖を開ける音がして、
「隠れるなんてよくないよお? お父さんに言いつけますよー」
間延びした声に、とすとすと歩く音。
ヤバい。もうそこまで来てる!
せめてイノリを隠そうとぎゅ、と抱きしめた。
「うーん、と。ここかな? 狭い部屋なんだから、すぐ分かるんだからねえ」
勢いよく、押入れの開く音。
差し込んでくるはずの光から庇おうと目を閉じた。
「あ、れ? いない……」
呆然としたような比奈子の声がした。
え? と閉じていた目をこわごわと開ける。
予想は外れ、あたしたちの前の襖は閉じたままだった。
どういうこと?
「やだ、なんで? ここに絶対いると思ったのに!」
比奈子の声がする。
あたしたちから少し離れたところで、だ。
「……祈、見つかりましたかね、不法侵入の比奈子サン?」
やはり少し離れたところから、三津の声がした。
「祈くん、どこに隠したんですか!?」
「隠してねーって。今オマエ自身が確認しただろ。何ならトイレのタンクの中まで確認すればー?」
「言われなくても探します! お風呂場も!」
「どーぞー?」
バシンと襖を叩きつける音がして、駆け出す足音。
あとに続くのんびりしたのは三津のものだろうか。
どうやら、比奈子の捜索の手から逃れられたようだ。
話し声が一際遠くなったのを確認してから、はあー、と全身でため息をついた。
「ね、どうなってるのさ、イノリ」
小声で訊く。
イノリも小さな声で、くすくすと笑った。
「ここ、お隣さんの部屋の押入れなんだ」
「は?」
「このアパート、古いでしょ? そのせいか、お隣の押入れとの仕切り板が緩んでてすぐに外せるんだあ。
母さんに怒られて、押入れに閉じ込められたときに見つけた、おれの秘密の通路」
「すげえ。イノリ、あんた優秀すぎっ」
ぎゅう、と抱きしめると、イノリはふふー、と自慢げに笑った。
耳を澄ませば、三津と柚葉さんが比奈子を追い出そうとしているところだった。
「納得した? したなら帰れ」
「祈くん、逃がしたんじゃないですか?」
「なんでそんなことしなくちゃいけないのよ。あなた、いい加減アタシたちに失礼じゃない?」
比奈子、食い下がってるな。
そんなに祈を加賀父に会わせたくないのか。
「じゃあどうして一心さんを探してるのか、教えてください」
「理由を言えば、オマエは風間さんの居場所を教えるのかよ」
「!? い、いいですよ? 本当に必要ならば!」
マジで?
イノリと身を乗り出した。
果たして、三津が不満げなため息をついた。
「実はオレ、風間さんに金借りたままなんだ。で、そのことがさっき柚葉にバレて、すぐに返せって怒られたんだよ」
「は? おかね、ですか?」
おかねですか?
予想外のことに、こちらもきょとんとしてしまう。
「おう。『ここも風間さんのお陰で住めてるのに、お金まで借りっぱなしなわけ? 直接会って土下座すべきだわ』なんつってうるせーんだ、こいつ。
なあ、柚葉?」
「そ、そうよ。だって非礼にも程があるでしょ? 訊けば結構な金額だし、返すのが筋だもん。比奈子ちゃんも、そう思わない?」
「大金なんですか!? それは……確かにわたしもそう思います。でも、一心さんは帰郷する前にお金のことは言わなかったんですか?」
「あの人が後輩から金取り立てるわけねーじゃん。なーんにも言われなくてすんだよ」
「は? 済んだ、じゃないでしょう? 三津さん、一心さんの好意に甘えすぎなんじゃないですかっ?」
「甘えてるよ? オレあの人好きだもん」
「だもん、じゃないでしょう? 信じらんないっ!」
おおおお、比奈子が食いついた。
三津、上手い! さすが劇団員、演技派!
「だから柚葉にも叱られたっつったろ。うるせーな。で、教えろよ。まあ、オマエが教えたくないなら別にいいんだけど。返さなくて済むしな」
「アンタ、そんな卑怯な真似アタシが許さないから」
「そうですよ! 一心さんに心より詫びてください!」
「比奈子に言われなくてもわかってんだよ。オレが返したほうがいいっていうなら早く教えろよな」
「K県の**にある柳音寺です!!」
比奈子はあっさりと答えた。
K県って隣の県じゃん。**なら行けない距離じゃない。
家族で日帰り旅行に行ったことあるし。
「りゅうおんじ? それ、地名?」
「違います。お寺です。一心さんは、お寺の住職の息子さんなんですよね」
自分だけが知ってる秘密なんだからね、そんな感じの自慢げな口ぶりだった。
確かに三津は知らなかったようだ。
「寺の息子ぉ? へー、じゃあ風間さんも坊主になんのかな。もしかして既にスキンヘッドだったりしてなー」
「一心さんのご実家の宗派は剃髪しなくてもいいんです! お父様も有髪だって聞きました!」
……ほほう?
下衆な目で見て申し訳ないが、袈裟姿の渋いオジサマというのは、何だか素敵じゃないですか?
気高いというか、何というか。高嶺の花? 違うか。
しかし、三津がオカルト系の話が得意だとか言っていたけど、お寺の息子さんならさもありなん、だな。
って、あたし、物の怪扱いされたらどうしよう。成仏とかさせられるのでわ。
「父さん、お坊さまってこと?」
イノリが不思議そうに訊いた。
そっかー。この子も詳しく知らないんだ。
「父ちゃんのほうはまだ分かんない、かな。でも、イノリのおじいちゃんはお坊さまだね」
「ふうん。おじいちゃんかあ。ぼく、会ったことないや」
加賀父はあまり実家に帰らなかったのかな?
「とにかく! 早く一心さんにお金を返してくださいね! 葛西さん、お願いしますね?」
「了解。ちゃんと返金させます」
「じゃ、じゃあ勘違いして急に来てすみませんでした!」
最後、とってつけたように言ってから、比奈子は帰って行った。
カンカンカン、と階段を降りる音がして。
しばらくしてから、襖が開く音がした。
「祈、みーちゃん? どこに隠れた?」
三津の声。
もう出て行っても安全なようだ。
「戻ろう、ミャオ」
目はすっかり暗闇に慣れていたので、イノリが仕切り板を器用に外すのがよく見えた。
カコカコ、とイノリが板を揺らすと、新しい空間が広がった。
その先に、驚いたような三津の顔。
「すげ。ここ外れるわけ? つーかこれ、防犯上ヤバくね?」
「お隣は佐々木のおじいちゃんだから安全だよ。すごく優しいし」
「そんな問題じゃねーような気がするけどな。まあいいや、無事逃げ切ったからな」
三津の手を借りて、押入れからでた。
三津の後ろにいた柚葉さんと目が合い、ふふ、と笑った。
「比奈子ちゃんがこっちの部屋に入ったときはすんごくヒヤヒヤしたわ。あの子、あんなに突っ走る性格だったなんて知らなかった」
「イノリが隣への抜け道知らなかったら、終わりでした」
イノリと並んで、畳にへたり込んだ。
「でもまあ、比奈子のお陰で風間さんの居場所が分かったことだし、よかったよな」
「ヒジリ、なかなかいい口実だったと思うわ。舞台に立つ人間って、言葉がすらすらと出てくるものなのねー。ちょっと尊敬しちゃうな」
柚葉さんの言葉に、うんうん、と同意した。
あの機転はすごい。
人前で演技するんだし、肝が据わってる、というやつだな、きっと。
あたしと柚葉さんの賞賛の眼差しに、三津がぐいと胸を逸らした。
「まーな。これでも主役級の役やってるんで。これくらいオレには簡単なもんですよ」
「ふふ、そうみたいね。でも、実際に借りてなんてないわよね?」
「っ!? …………ウ、ウン」
「借りてないわよ、ね?」
「カリテナイ、ヨ?」
借りてるのか。
三津は明らかに頬を引きつらせている。
あたしですら簡単に分かるんだ。柚葉さんにはもっとバレバレだろうに。
つーか、マジ話だったのか。
尊敬して損した。ちぇ。
「ねえ? ヒジリくん、ちょっとこっちいらっしゃい?」
「ボ、ボク、出かける準備、しない、と、ね?」
「そうね、でも、支度は話し合いのあとにしましょうね?」
じりじりと距離を測る二人。
「イノリ、こっちに来てな?」
「うん、始まっちゃいそうだもんね」
二人とはそんなに長くいないけど、この流れは充分理解できたね、イノリ。
すすす、と隅に二人で移動すると、乱闘開始。
柚葉さんの技のキレはすごいわ、ホント。
足がなんであんな高さまで上がるの。格闘技経験者?
三津の頭のてっぺんに、綺麗に踵落としが入った。
「ミャオ、どうして三津さんたちってけんかするの?」
「おおおお、姐さんかっこよすぎっ。え? ああ、あれさ、多分喧嘩じゃないよ」
「違うの? でもほら、今だって三津さん苦しそうだよ?」
「うーん、これはさ、あの二人のスキンシップみたいなもんなんだよ。仲がいいのを確認して、じゃれてるんだと思うよ」
「じゃれてる?」
「そうだよ。まあ、突き詰めたら三津が悪いんだけどさ。でも、仲が悪くてあんなことしてるんじゃないよ」
「ふうん。ねえ、ミャオには、あんな風にじゃれるような相手はいるの?」
「はあ? いないいない。暴れる相手もいなきゃ、単純にじゃれる相手もいない。残念ながら」
「ふう……、ん」
中々に面白い試合だったが、数分後、三津がダウンしたことで終了した。
柚葉さんの完全勝利でした。
「ATM行って、借りた金額下ろしてきな。で、風間さんに土下座だから、アンタ」
「うう……はい……」
ボロ雑巾のようになった三津。
あーあ、とその姿を見ていると、イノリが近寄った。
「三津さん」
「なんだ、祈。オレを笑いたいなら笑うがいいさ。上手い嘘の一つもつけない男なのさ」
「さっき、ありがとう」
「んあ?」
「あの人から、おれを庇ってくれて。三津さんが言ったこと、うれしかったよ」
ああ、三津が比奈子に言った言葉か。
比奈子の暴言を、三津はきっちり否定してくれたもんな。
こいつ、いい仕事もするのに、落差が激しいんだよな。
2人を見ていると、三津がぷい、と顔を逸らした。
「おう」
「三津さん? どうしたの?」
「なんでもねー」
「イノリー、三津、照れてるんだよ、それ」
「な!? こら、みーちゃん! せめてオレのことは三津おにーさんと呼びなさいっ」
「あ、もう無理っす」
「ええー、即拒否なんて酷くね?」
ぎゃいぎゃいと話していると、柚葉さんがパンパンと手を叩いた。
「さて! K県の柳音寺までドライブといきますか。コンビニ寄って、お菓子買って、夜のドライブだあ! 準備開始」
「はいっ!」
イノリが一際大きく返事をした。