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5.舎弟として志願する所存であります

5.舎弟として志願する所存であります


「風間さんの息子さんなら、早く言ってくれたらよかったのにい」


古いながらもエアコンが心地よく効いた部屋。

年季の入った古いこたつテーブルにジュースの缶を二本置いて、おねいさん、いや柚葉さんはうふふ、と笑った。


「ごめんなさいねえ、アタシったら勘違いしちゃって。美弥緒ちゃん、だっけ? 失礼なこと言って、ホントごめんね」

「いえいえ」

「謝るのはオレにだろ。この早とちり乳牛女」


変な体勢で腰に湿布を貼っていた半裸のままの男の人、三津さんがむすう、とした声で言った。

その頭にがっこーん、と木のお盆が投げつけられる。


「それはテメエが浮気ばっかしてるからだろうが、粗●●(自主規制)野郎!」

「いってえ! 馬鹿、オマエ子どもの前で汚え言葉使うなっ」


さて。

ようやく落ち着いた(?)ので、この状況を説明することにしよう。


まず目の前にいる二人から。

スウェットパンツに上半身裸、チャラめの金髪男が三津聖みつ・ひじりさん。

赤ランジェリーから黒のキャミワンピに着替えた巨乳おねいさんを、葛西柚葉かさい・ゆずはさんという。


二人は恋人同士であるらしく、柚葉さんはあたしのことを三津さんの浮気相手だと勘違いしたようだ。

それで痴話喧嘩(柚葉さんの一方的な暴力だったといえなくもないが)に発展し、三津さんの腰が重大ダメージを受けた、と。


そして、その三津さんであるが、どうしてイノリが知っていたのかというと、加賀父が立ち上げたという劇団に所属しているのだそうだ。


はい、新情報! 加賀父は俳優さんだったようです。

なんとー! もしかしてもしかしてイケメンさんなんじゃないの、これー。

きゃー、わくわくが止まらないー。

個人的にも会いたさ急上昇。


ってまあ、あたしの勝手な期待はさておき本題へ。


腰の痛みに凹んでいる三津さんの話を聞くと、加賀父は劇団を信頼できる人に任せ、田舎に帰ってしまったのだそうだ。

しかも、三津さんはその田舎がどこなのか知らないとのこと。


振り出し。話は振り出しに戻ったんですよ。

あー、ドア開ける寸前までは、いけてたのになー。


で、どうして三津さんがここにいるのか、と言うと。

加賀父は帰郷の際、三津さんたち劇団員に、この部屋を開放していったのだそうだ。

向こう一年分の家賃を支払っているので、芸向上のために使ってくれると嬉しい、と。

その素晴らしい好意を有難く頂戴したのが、三津さん。

家賃を支払えず、行き先に困っていた三津さんは、この部屋に転がり込んだのだった。


「いや、オレがこの部屋の管理を引き受けただけなんだって。

劇団の奴等もここを溜まり場にしてるからさー、やっぱ管理人は必要っしょ。現に今日もこれから何人か集まって飲む……じゃない、ミーティングするんだよ」


慌てて言うが、見渡せば三津さんの荷物ばかりのようだし、彼女まで連れ込んでいるというのだから、説得力が全く無い。

完全に自分の部屋にしてるじゃないっすか。

だいたい、管理人だというのなら、流し台くらい綺麗に保っておけ。


「ねえ、あんたの仲間で風間さんの実家の場所知ってる人いないの? 神部さんとか」

「知らねーと思うけどな。ケー番も変えてるみたいだ、って神部さんが言ってたし」


柚葉さんは劇団員ではないらしい。

あのでかおっぱいは舞台上で映えるだろうに……って実際はどうなのかは分からんが。


それと、風間さんというのは加賀父の芸名だそうだ。

風間一心かざま・いっしんだって。

ぎゃー、かっこいい名前ー。つーか絶対かっこいいって。

オラわくわくしてくっぞ。


「あ、でも比奈子ひなこだったらわかるかもなー」

「ああ、風間さんにべったりだった子か。あの子なら知ってるかもね。白馬の王子様を待ちそうなタイプなのに、風間さんなんだよね」


ほうほう、一心さまは王子さまタイプではないってことね。

いいねいいねー。

ワイルド系、いやいやここはダンディ系?

実はあたしは王子系は好みじゃないのだ。


じゃなくて。


「比奈子さんっていう人に訊けば、何かわかるかもしれないんですか?」

「確かかどうかはわかんねーけど、もしかしたらな。つーかさ、祈。オマエなんで風間さん探してるの? ちゃんと家の人に断ってきてんの?」

「ええと、う、うん……」

「本当かよ。逃げ出してきたんじゃねーの?」

「なになに、どーいうこと? 意味わかんないんですけどー」


祈と三津さんの間に気まずい空気が流れる。

それに割り込むようにして、柚葉さんが訊いた。


「風間さんの奥さんは知ってたよな? サヤカさん」

「もちろん知ってるよ。公演のときに何回も会ったことあるもん。かわいい人だったよねー。好きだったなー、アタシ」


柚葉さんが思い出したように言って、祈にぺこんと頭を下げた。

寂しそうに笑みを浮かべる。


「病気だったんだよね。アタシ、入院したのも知らなかったから、お見舞いに行けなかったんだ。しかも仕事が抜けられなくてお葬式にも出られなかった。それをすごく申し訳なく思ってたの。ごめんね」

「ううん、いいよ、そんな」


そうか。やっぱり病気だったのか。

カバから助けてくれたときの涙を思うと、胸がキリリと痛んだ。


「でさー、こいつはさ、サヤカさんの連れ子なんだよ。風間さんと血の繋がりが一切ねーの。で、風間さんはサヤカさんが亡くなったあとに、実の父親ってのに祈を渡したんだってさ。

やっぱ血が繋がってる奴が育てないとだよなー。そうだろ、祈?」


最後の言葉を向けられたイノリが小さく頷いた。そのまま顔をあげずに俯いている。


おい、三津(敬称不必要と判断)。

馬鹿か、オマエ。

こんな小さな子どもの傷をえぐるような言い方すんな。

そのヒヨコの産毛みたいな毛、毟るぞ、コラ。


見たところ、三津は20代半ばと見た。

充分オトナの対応をとれる年齢だろう。

これじゃあ小学生のほうがよっぽどマシな対応するだろうよ。


比奈子さんとやらの連絡先を聞いてから、文句の一つでも言ってやるか、と心に決めていると、

すんごい勢いで、柚葉さんが三津の喉仏めがけてラリアットを入れた。

ごっすうううう、と三津が派手にすっ飛ぶ。


「アンタ、ほんっとうに馬鹿だね! 頭ン中にゴミでも詰まってんじゃないの!?

言い方考えなさいよ!」

「く……っ、ぅ! ちょ……ゆず」

「アンタのその考えなしなとこキライなの! 他人の気持ち考えたことないでしょ。祈くんに誠意をこめて謝罪しな!」


言って、転がった三津に蹴りを一発。

ねねねねね姐さん!


素晴らしいです。迷いなき制裁に、感服いたしました。

不肖、茅ヶ崎美弥緒。姐さんの舎弟として志願する所存であります!


しかし、男のセレクトは如何なものかとも思います。

姐さんならもっといい男が寄ってくるよ、絶対。

というわけで、姐さんに首根っこを押さえつけられ、半強制的に頭を下げさせられた三津に冷ややかな眼差しを送ってやった。

アンタは捨てられないように人生修行しやがれ。


「比奈子ちゃんに連絡してやんなよ。知ってるかもしれないんでしょ?」

「あ、ハイ」


正座した三津がケータイを取り出す。

コール音がこちらにまで響いてきたが、相手は出なかった。


「出ねえな。あいつ、必要なとき以外電話に出ねえんだよなー」

「それはアンタが不必要なときにもかけるからでしょ。まさかその子にもちょっかいかけたんじゃ……」

「ないない。比奈子にはオレの対女体センサーが反応したことがない。たたねーもん」

「子どもに汚い言葉使うなっつーたのはアンタでしょうが、この馬鹿!」


うーん、悔しいが、この二人の会話は結構好きかもしれない。

三津の馬鹿さ具合も、こちらに害がなければ笑ってみていられるし。


「あ、今日の飲み会に確か比奈子も来るぞ! その時訊いたらいいんじゃん?」


名案! と顔を輝かせた三津に、柚葉さんの顔が引きつった。


「は? あんた今日は男だけの集まりだから帰れってアタシに言わなかったっけ?」

「は!! え、えーと、比奈子はオレ判定で女じゃないってことで、OK?」

「じゃあ判定落ちしたのはあと何人いるのかしら……?」

「え!? えー、と。2人? あは?」

「死ね」


ごっすごっすと蹴りを入れる柚葉さんの勇姿を眺める。

うーん、いい蹴りだ。

見惚れていると、ことんと右腕に重みを感じた。


ん? と確認すれば、イノリがあたしに体を預けてすうすうと寝息を立てていた。


「あ。イノリってば寝てる」

「**市から歩いて来たんだっけ? こんなに小さいんだもん。疲れて当たり前だよねー」


三津からイノリに視線をやった柚葉さんが小さな声で言った。


「かわいい寝顔だあ。ここ、三津の使ってる布団しかないんだけど、いいかなあ?」

「借りていいんですか? じゃあ、お願いします」

「そっちの襖の向こうに、もう一部屋あるんだ。そっちに寝かせよう」


イノリの体を預かっているせいで身動きのとれないあたしに代わり、柚葉さんが隣の和室に布団を整えてくれた。

一応予備くらいはあるのよ、とシーツまで取り替えてくれたことに感謝。


「いいわよ、こっちに寝かせても」

「ありがとうございます。よいしょ、と」


6歳児って結構重たいなー。

うんしょ、とイノリを抱えて、隣室に敷かれた布団に寝かせた。

すっかり熟睡しているらしく、起きる気配がないことにくすりと笑った。


朝から、ええとかれこれ何時間だっけ。

日差しもきつかったのに、頑張ったもんね。

ここに父ちゃんはいなかったけど、足取りがわかるといいね。

あたし、最後まで付き合うからもう少し頑張ろうね。


「美弥緒ちゃん、コーヒーでもいれるから、こっちにおいで」

「あ、はい」


柚葉さんに呼ばれて、そっと部屋を出た。音をたてないように襖を閉める。


「あと1・2時間もしたら劇団の連中が来るからさ、待ってたらいいよ」

「すみません。あ、手伝います」


キッチンでお湯を沸かしながら、片付けを始めた柚葉さんの元に行った。

缶の中身を洗い、見つけた大きなビニール袋に放っていく。

てきぱきと食器を洗っていく柚葉さんに、ありがとね、と言われて、いえいえと首を振った。


「すんませんねー。ごくろーさまでーす」


窓際でぼんやりタバコを吸っていた三津が、心にもないお礼を口にする。

こいつのコーヒーは超薄くいれてやる。


片付けをざっと終えて、お盆にコーヒーを3人分のせてテーブルに戻った。

もちろん一番薄い、色がかろうじてついているだけのコーヒーを三津の前に置く(不味いだなんだと騒いでいたが、柚葉さん共々聞こえないフリをしてやった)。


ふう、と一息ついたところで、三津があたしの顔を覗きこんだ。


「ねえ、みーちゃん」

「美弥緒です。なんでしょうか?」

「あ、冷たい言い方すんなよー。みーちゃんはさ、祈の何なの?」

「……え?」

「だからー。あんな子どもをわざわざ連れてくるって、面倒じゃん? どんな関係なのさ」


やっぱそこ突いちゃいますか。

だよねー。

さて、何というべきだろうか。

暇な女子高生でーす、が無難だろうか。いや無難なのか?


「別にいいじゃん、聞かなくっても。この子は善意で祈くんを連れてきた、それで充分じゃん。悪意があるわけじゃないんだし」

「ええー。気になるもん、オレ」


柚葉さん、本当に好きな性格だなあ。

さっぱりした気風のよさ、すごくいいです。


「悪意のあるなしも大事だろーけどさあ。みーちゃんのしてることって、下手したら誘拐扱いなんだぜ?

年端もいかない子を連れまわしてるんだぞ。実の親だって、捜してるだろうしさー」

「まあ、それは確かに、ねー。あ、思い出した」


マグカップに口をつけていた柚葉さんが、おもむろに立ち上がった。

玄関まで行って、小さな紙切れを持って戻ってくる。


「そういえば、昼頃に男の人が一人来たんだった」

「え、オレ知らないけど」

「アンタはいびきかいて寝てたじゃん。アタシはドア叩く音で起きたんだけどね。で、男の子がここに来るかもしれないから、その時は連絡くれって言って、コレ置いてったんだー。きっと祈くんのことだよね」


ほら、と柚葉さんに紙切れを渡された。

それは名刺で、『大澤玲士』と名前が書いてあった。


「あ。これ、イノリの実の父親の苗字です」

「ほらな。やっぱ探してるんだよ」

「寝ぼけてたからよく覚えてないんだけど、必死そうな感じだったかも」


アパートまで来たら加賀父に会えて終わり、と単純に考えてた部分があった。

半日くらいだろうし、いいよね、という気持ちがあった。


でも、結果は加賀父の行き先すら分かっていないままなのだ。

捜索にはもっと時間がかかってしまうだろう。

その間、大澤父はイノリを探し続けるわけで、不安な時間を過ごすことになってしまう。

こうしてここまで探しにきたことを考えれば、絶対今もどこかを探しているのだ。


義父を求めて探すイノリの行動を良しと思ったが、あたしは考えが足りない馬鹿だ。

三津と同類だ。

感動してしまったイノリの行動の陰に、不安を抱えて奔走する人間がいるかもしれないということを深く考えなかったんだ。


「オレにも見せてー。あ、すげえ、カタガキが弁護士だってー」


あたしの手から名刺をとった三津が口笛を吹いた。


「弁護士って儲かりそーだよな。話聞くだけでいちまんえーん、とかさ」

「こら、下品なこと言わない」


ぱかん、と三津の頭を柚葉さんがはたく。


「しかし、弁護士かー。何だかやっかいな職業ねー」

「です、ね」

「このままじゃみーちゃんは誘拐犯確定かー」

「アンタは黙ってろ。美弥緒ちゃん、ここに連絡する? きちんと話せば、祈くんを風間さんに会わせてくれるかもしれないよ」

「…………」


柚葉さんの言葉に、賛同する気持ちと、否定する気持ちが交錯する。

何とも言えずに俯いた。


実の親に連絡をするのは、当たり前だ。

幼い子どもの行方が分からないのだ、不安にさせたままでいいはずがない。


でも。

これは馬鹿なあたしのわがままなんだけど。

ここまで頑張ってきたイノリを、父親経由ではなく、自分の足で加賀父に会わせてやりたい、とも思う。


イノリは大人の事情に振り回されただけだ。

父親だけが話をまとめて、それをイノリに押し付けたんだ。

イノリだって、自分の意思を押し通してもいいんじゃないの、なんて、第三者の勝手な言い分だろうか。


「みーちゃん、未成年だよな。高校生?」


いきなりの三津の問いに、頷いて答えた。

どういう意味で訊いたんだろう、と見れば、三津は真剣な眼差しをあたしに向けていた。


「あの、三津さん?」

「もうすぐ暗くなる。女子高生と小学一年の坊主がさ、これからどうすんの? 泊まるとことか、あんの? つーか、金持ってるの? 風間さんの居場所が分かんなかったらどうすんの?」

「ちょ、ヒジリ! アンタ言い方を」

「柚葉、黙ってろ。みーちゃんさ、祈をここまで連れて来たからには事情通なのかと思ったけど、どうも違うよね? 風間さんについて無知だったもんな。サヤカさんの名前すら、初耳っぽかったし。祈と知り合ったのって、最近だろ。オレのカンだと、今日。違う?」


思わず、三津を凝視してしまっていた。

どうして分かるの? あたしは一切自分のことを話していないし、イノリとの出会いも話さなかったのに。


「どう? みーちゃん?」


さっきまでのぐうたらした男の雰囲気じゃない。

真っ直ぐにあたしを見る三津の目は、僅かな嘘も見逃してくれそうになかった。

姐さん……、貴女の男を見る目はやっぱすごいのかもしんないっす。


「……はい、そうです。今朝、イノリと会いました」

「え、ほんとに?」


うなだれたあたしの頭に、柚葉さんの驚いた声が振ってきた。


「アタシてっきり、祈くんの知り合いなんだとばかり思ってた。仲よさそうだったし。え、じゃあ美弥緒ちゃん、よく知らないのに祈くんに付き合ってたわけ?」

「事情は、イノリから聞いたので、少しは知ってます。でも父親の仕事とか、細かいところまでは」

「面倒見がいいわー。普通、ここまで付き合えないでしょ。警察に連れてっておしまいにするよ、きっと」

「それは」


それは、あたしの事情もあったので、と言いかけて口を噤む。

その事情を突っ込まれて訊かれたら、返答できない。


しかしそれを三津は見逃してなかったようだ。


「みーちゃんさ、家出? 行くアテもないし、ってとこ?」

「え!? 美弥緒ちゃん、家出っ子なの!?」


三津、カンよすぎ。

家出ではないけど、それが妥当な線だと思う。というか、行くアテがないのは当たりだし。


「ヒジリの言ってること、本当なの? 悩み事とかあるのなら、アタシが聞くよ。これでも結構波乱万丈な人生歩んできたつもりだから、言って?」


柚葉さんがあたしの肩にそっと手を置く。


「せっかく出会ったんだもん。これも何かのエンだしさー。それに、人を救うも世を救うも、全ては相互いに思う心なり、なんだよ」

「あ。鳴沢様……?」


柚葉さんが今すらすらと口にしたのは、鳴沢様名言ランキングベスト3に入っている(あたしの中で)お言葉だ。

それをなんで柚葉さんが?

は、としたあたしに、柚葉さんの瞳がきらりと光った。


「もしかして美弥緒ちゃん、鳴沢護衛隊?」


あああああああああ、それは鳴沢ファンの愛称ではないか!

『も』、『も』ってことはもしかして!!!


「柚葉さんも護衛隊なんですか!?」

「きゃー! やだ、ホントにぃ!?」


気付けば柚葉さんと手を取り合ってはしゃいでしまっていた。


「惣右介死すの回、最高だと思わない!? アタシあれ何回観ても泣いちゃうの!」

「あたしもです! その一つ前の回で、惣右介がすごく活躍するじゃないですか。お煉を助けに行くところ。

いつもあそこから見るんですけど、もう画面が涙で滲んで見えないんです!」

「わーかーるーっ! でさでさ、ラストでお煉が惣右介の愛用のタバコ入れを見つけるじゃない?」

「お煉はそれからずっとタバコ入れを手放さないんですよね。確か財布にしてたような」

「そうそう。そーなのよお。あんなに勝気なのに、健気ってところが愛おしいのよねー。やだ、美弥緒ちゃんって結構筋金入りねー?」

「すんまっせーん、話戻してくれませんかー」


気分が盛り上がっているところに、無粋な三津の声。


「なによ、ヒジリ。あたし身近に護衛隊いなかったからすっごく嬉しいんだから!」

「あ、あたしはじいちゃんが護衛隊です! でも他にいなくって」

「オマエらの時代劇談義は後にしてくれ。オレのほうが今は大事な話だろ」


三津はあたしに再び真面目な視線を向けた。


「で、家出なわけ? 悩みがあるってんなら、気があうようだし柚葉に相談すればいい。柚葉は結構頼れるから、安心しろよ」

「え、えと……」


どうしよう。

ちらりと柚葉さんを見た。

大丈夫よ、というようににこりと笑ってくれた。

三津に視線を戻せば、


「オレでも構わないけど。男関係の悩みだっつーんなら、柚葉より的確な答えだせるかもしんないし。つーか、そっち方面は得意ー」


表情をへにゃ、と崩して笑った。


……うん、この人たちを信じてみよう。

本当のことを話してみよう、そう思った。


加賀父の行き先が分からない以上、あたしはどうにもできない。

三津の言う通り、宿もないし、お金もない。

このままでは、すぐにでもあたしとイノリの捜索の旅は積んでしまうだろう。


それに、元の時代に戻れる手がかりもまだ何も見つかっていない。

あたし一人で考えるよりも、柚葉さんたちに相談したほうが、いい案がでるかもしれない。


というか、あたし一人じゃどうにもならない気がする。

それに、なんと言うか、本音はやっぱり少し不安なのだ。

ここにきて、大人の2人に出会ったことで、安心してしまったのだろうか。

護衛隊の柚葉さんなら、観察力のある三津なら、どうにかしてくれるかもしんない、とかちょっぴり期待してしまう。


「あの、冗談とか、オフザケとかで言うわけじゃないんで、最後まであたしの話を聞いてくれますか……?」


姿勢を正して言うと、二人は同じように背筋を伸ばした。


「いいよ」

「おう。どんな話でも、来いや」


どん、と胸を叩いた三津が、げっほげっほと咽る。

うーん、大人、なんだよね?

せっかくの安心を不安に変えないでもらいたい。

しかし、この人たちを信じて頼ってみよう。


よし、とこぶしを両膝にこつんとぶつけて、告白した。


「実はあたし、9年後の未来から来たんです」


きょとん、とした二人。

予想外の言葉だったに違いない。


しかし、ここは信じてもらわないと困る。


「今朝、あたしは高校の親睦旅行に行く予定で、K駅に向かって歩いていたんです。その途中で、クラスメイトの大澤祈に会って、話の途中で大澤から離れたあたしは、不注意で車に轢かれそうになって」

「ちょい待ち。大澤祈、って、隣の部屋で寝てるあいつのこと?」

「はい。あたしと同じ、高校1年生の大澤祈です。で、車に轢かれそうになって、思わず目を閉じたんですけど、次に目を開けたら、そこには小学生のイノリがいたんです」

「みーちゃん、まじで言ってる?」

「めちゃくちゃマジです。信じてください」


それから、信じてもらおうと必死に説明した。

大澤が9年前にあたしと出会ったといい、その場所がK駅だったこと。

大澤は小学生ではないあたしを知っていたようで、今日の服装を見て酷く驚いていたこと。


今までの大澤との会話も思い出せるだけ話し、それらのことから、タイムスリップしたあたしはイノリと行動を共にすれば元の時代に戻れるんじゃないかと判断したことまで、

できるだけ順序良く話した。


「というわけなんです。あの、信じてもらえないでしょうか?」


すっかり温くなったコーヒーを一口飲んで、目の前の二人を窺った。

頭がおかしい子だと思われたらどうしよう。


「……えー、と。未来から来たって証拠みたいなもの、ある?」


三津が頭をぼりぼり掻きながら言った。

証拠……。

一瞬考えて、すぐさまメッセンジャーバッグを引き寄せた。

生徒手帳とケータイを取り出して、二人の前に置く。


「えーと、これは生徒手帳だよね?」


三津が生徒手帳を手に取った。


「あたしの生徒手帳で、ちゃんと証明写真も貼ってます! 一番最初のページに発行期日が書かれてて、2012年になってます。校長印も捺印されてる本物です」


失礼して、とページを捲る三津。

柚葉さんがその手元を覗き込んだ。


「……うわ。マジだ。年度が違う」

「ひゃー……」

「偽造、なんて簡単には無理だよなー。すげー」


生徒手帳を柚葉さんに渡して、三津はケータイを手にした。


「で、こっちはなに?」

「ケータイです」

「え。見たことない型だ。つーか、どうやって使うの、これ」

「ケータイなの? にしては画面しかないねー」


スマートフォンってここ数年で流通したんだよね。

この時にはまだなかったはず、と思ったんだ。


「画面に直接タップして使うんです。こっちにきたときから圏外になってて、通話は無理なんですけど。でも音楽を聴くこととかはできます」


三津さんの手から取って、パソコンから落としておいた曲を流してみせた。


「うっわ、マジ? ケータイすんげー進化すんじゃん」

「いいなー。アタシもこれ欲しー。便利そうだし」


貸して、と三津さんに言われ、手渡す。

おもちゃで遊ぶように仲良くいじりだす2人に、おずおずと訊いた。


「あの、信じてもらえましたでしょうか?」


2人が顔を見合わせた。

一拍置いて、同時にこくんと頷く。


「信じる」

「信じるしかないし!」


あたしの顔を見て、笑顔で言ってくれた。


「あ、ありがとうございますっ!」


ほっとして、つい目尻に涙が滲んでしまう。

無意識に気を張ってたんだろう。

肩の力がふっと抜けた気がした。



「――えーと、これ誰だっけ? 高校のときの授業で見た覚えがあるんだけどなー」

「え、どれ? あー、オレも落書きした覚えあんぞ。多分あれだ、日本史」

「日本人なのは見て分かるしね。これ誰? 美弥緒ちゃん」

「樋口一葉です。女流作家の」

「じゃあ現国? まさかの古文? えー、樋口一葉って覚えてなーい」


今、二人はあたしの持っていた新紙幣を眺めている。

いつ変わったんだろうなあ、デザイン。


「あ、話が逸れちゃったね。ええと、祈くんにタイムスリップのことは内緒にしてるんだ、って話をしてたんだっけ?」


はい、これ、と五千円札を差し出す柚葉さんから受けとりながら、頷いた。


「内緒というか、最初は不安がらせるだけかと思って言わなかったんです。

でも、高校生の大澤はあたしがタイムスリップしたなんてこと全然知らない様子だったから、言わないままの方がいいのかな、と」

「それは、アタシもそう思う。映画とかだと、未来から来た人間はむやみに過去をいじったらよくない、とかいうしね。

何の映画だったか忘れちゃったんだけどさー、恋人を亡くした主人公がね、過去に戻って恋人を助けようとすんのよ。

で、上手いこと恋人を助けるんだけど、今度は自分が死んじゃうわけ。

過去を書き換えたら、今度は自分の死が待ってた、ってことねー」

「柚葉さん、それ、怖いです……」


今それ笑えないんですけどー。

思わず自分を抱きしめる。

イノリには絶っ対に言わないでおこう。


「あはは、きっと今の話は極端な例だってば。

で、タイムスリップの事実を知らない高校生の祈くんは、誰だかが美弥緒ちゃんに会いたがってるって言ったんでしょ?

それが誰なのか分かればいいのにねー」」

「すっかり忘れちゃってるんですよねー」

「うーん、誰だろうね、ヒジリ? ヒジリ?」


三津は窓際でタバコをふかしながら、遠い目をしていた。


「9年後……、オレ、31歳か。どんな男になってんのかなー。役者で成功してるのかなー。みーちゃん、三津聖という名前に聞き覚えない?」

「ないです。といってもあたし、流行とかにちょっと疎いんですけどね」

「それでも人気のある俳優なんかは知ってるだろ? あー、オレ、9年後なにしてんのかなー……」


あのー、三津さん?

未来の自分に思いを馳せる前に、一緒に考えてもらえると嬉しいんですけどもー。

さっきのあの鋭い眼差しは見間違いだったんだろうか。うーん。


「とりあえずはアタシに捨てられてんじゃないの?」

「は!? マジ? オレの未来サイアクじゃん!」


柚葉さんの言葉にようやく我に返った様子。


「サイアクかどうかは置いておいて。美弥緒ちゃんのこと、考えてやんなって。あと、祈くんのこともさー」

「はあ……。とりあえずそうすっか」


ため息を一つついて、三津はケータイを取り出した。

どこかにかけているのか、小さくコール音が聞こえた。

次いで、男の人らしき低い声。


「あ、もしもし、ヒジリくんでっす。あのさー、オマエ風間さんの連絡先知らない? うん、そうそう。電話番号でもいーんだけどー。

え? 比奈子? あいつ電話出てくんねーもん。えー、やっぱオレ嫌われてんのー? ああ、そう? 悪いね、うん」


ぱくん、と二つ折りのケータイを折って、あたしを見た。


「風間さんを探そう。あの人ならどうにかできるかも」

「え? あたしが、帰れるってこと?」

「少なくともオレと柚葉に頼るよりはいいと思う。変なモンがしょっちゅう見えてた人だから、そんなオカルトちっくな話、得意なんだ」


変なモン。

幽霊とか、そういうことでしょうか。つーか、あたし幽霊? オカルト扱いしないでよ。


「祈も会いたがってんだし、ちょうどいい。あ、でも、風間さんが遠いところに住んでるんだったら、祈だけ先に実の父親のとこに返すからな。

思いのほか近いんだったら連れて行ってやる。弁護士父との交渉は風間さんに任せりゃいいだろ。

いや、でもみーちゃんのこと考えたら、連れて行ったほうが無難かな。祈とみーちゃんを引き離したらヤバいような気がする」

「美弥緒ちゃんと祈くんを離すと、なんでヤバいの?」

「みーちゃんの話だと、こっちに来る寸前まで祈といたんだろ? で、こっちに来てもすぐに祈に出会った。引き合ってるってことだから、下手に離すのはよくないだろ」

「はー、なるほど」

「ってことで風間さんの居場所を確認後、二人を連れて移動だな。まずは居場所探しなんだけど、それは今劇団の奴に問い合わせてるから」


てきぱきと決める三津に少し感激。

やっぱりあたしよりも大人なんだ、この人。


多少尊敬の意味を込めて三津を見つめると、軽快な音楽が鳴り始めた。


「あ、オレのケータイだ。あいつ、わかったのかな。もしもしー、ヒジリですけどー」


電話の相手に期待する。

しかし、聞こえてきたのは女性の声のようだった。


「あれ、比奈子か。うん、ああ、尾木に訊いたのオレだけど。まあいいや、あのさー、風間さんの居場所とか知ってる? 

何で、って別に理由は言わなくてもよくない?

はあ? だからさ、なんでいちいち理由がいるのってこっちが訊いてるわけ。

オマエ風間さんの何? 粘着ストーカーか、おい」


電話口の相手の声がキンキンと高くなっていくのが分かる。

三津の眉間にもシワが刻まれだした。


「はあ? 何言ってんの、オマエ。ワタアメの雲が浮いてるようなメルヘンの国に帰れ、んでもって戻ってくんな。ばーか」


え、口論開始?


「あーあ。喧嘩しちゃダメじゃんねえ。比奈子って子ね、風間さんのすんごいファンで、自分だけのものって思ってるフシがあったのよ。元々人見知りを治したくて入団したらしいんだけど、その時風間さんが優しくしたらしくって、それがきっかけっぽい。多分だけど、初恋ってやつなんじゃないかな。いやそれにしても、ヒジリ嫌われてるみたいねー。結構結構」


様子を見ていた柚葉さんが愉快そうにくすくす笑った。


「いや、だから、オマエ何なの? 後輩のくせに指図すんなって。マジムカつく女だな」

『言えないことでもあるんですか!? 一心さんにまた迷惑かけるんでしょっ』


おお、ここまではっきりと声が聞こえた。若そうな声だけど、いくつくらいの人だろう。


「迷惑じゃねーし! つーか、オマエにかけてるわけじゃないからいいだろーが」

『はっ。アンタなんかにぜったい教えない』

「アンタぁ!? てめーふざけんなよ。女でも容赦しねーぞ、練習のとき素足でダッシュさせるからな!」

「素足でダッシュって、稽古のときは確か全員そうだったはずだけどねー。三津、馬鹿だねー」


あはは、と柚葉さんが大きな声で笑う。

その声に三津が反応して顔をしかめたとき、


『ヒモ野郎は異界に飛ばされて熊に殺されろ!』


と捨て台詞を残して通話は切れた。


「はあ!? あいつマジでムカつく!」


ケータイを床に叩きつける三津を、柚葉さんが辛そうに見つめた。


「アンタ、後輩にヒモ認定受けてんだ……。うわ。アタシが凹むわー」

「もういい、劇団の奴等はまだいるからな。一人くらい知ってるかもしんねーしな」


ぶりぶりと怒った三津は、それから何人かの人に連絡をとったが、

全員から『比奈子に訊け』と言われ。

話はそこで止まってしまった。


「アンタさ、比奈子ちゃんに頭下げて教えてもらいなよ」

「嫌だ。あの女、いつか泣かせてやる。鬼の稽古を待ってやがれ」


ぎりぎりと唇を噛み締める三津を見て、柚葉さんがため息をつく。


「アンタのプライドなんて、今の問題からしてみればちっぽけでしょーに」

「問題も大切だけど、オレのプライドも大切なの! あ、そうだ、柚葉。

こういうときに男を慰めて、いい気分にさせて仕事に向かわせるのもいい女の条件らしいって聞いたぞ」

「は? アンタ、都合のいい誉め言葉で持ち上げて欲しいわけ? そしたらプライド投げ打って頭下げるんだ?」

「な!? え、そういう意味なのっ? うわ、男って馬鹿じゃん」

「アンタがな」


二人の掛け合いを眺めていたら、カタンと音を立てて隣室への襖があいた。

おずおずとイノリが顔を覗かせる。


「ごめんなさい……、ぼく、寝てたみたい」

「おはよー、じゃないか。もう暗くなりかけてるもんね」


窓に目をやれば、空は濃い紫色に変わり始めていた。


「あ。アンタ、そろそろミーティングという名の飲み会じゃないの? どうなってんの?」

「比奈子とあんなことになったからなー。話は流れた」

「どういうこと? 比奈子ちゃんがメインで動いてたの?」

「比奈子の友達を紹介……じゃねえや、ええと、比奈子の友達が劇団について知りたいっつーから、うーんと、説明? えへ?」


三津は嘘をつくのが非常に下手なのらしい。

みえみえの嘘は、横で聞いていたあたしにも充分看破できた。


「ふうん? 結局は、合コン、ってことね?」

「いや!!! そんな大層なモンじゃなく! 親睦会?」

「へええええええ? 言葉を知らないようだから教えてあげるけど、見ず知らずの女の子と親睦を深めようとする会を、『合コン』って呼ぶらしいわよ? 一般的には」

「へええええええ? 知らなかったー。オレって単なる博愛主義者だからー、って、んがぁっ!」


逃げようと腰を浮かせた三津よりも、柚葉さんのこぶしの方が早かった。

こめかみにガッコンと、全力で振りかぶったゲンコツが入った。


「女好きもいい加減にしやがれ。7回死ね」

「か、回数増えましたね……」


がくり、と床に倒れこむ三津。


「ミャオ? ええと、止めなくていいの?」


二人のやりとりをびっくり顔で眺めていたイノリが、三津が倒れたことでおろおろし始めた。


「ああ、いいのいいの。三津が悪いんだから。イノリはこっちに座ってたらいいよ」

「う、うん」

「イノリ、疲れはとれた?」

「うん。ごめんね? ミャオも疲れてるでしょ?」

「あたしは平気だよ。大丈夫」

「本当? ぼくだけ寝てごめんね」

「いいって。あ、そこんとこヨダレのあとがある」

「え、ほんと? ここ?」

「こっち。ほら、ふいたげるからこっち顔向けなー」

「いいよ、自分でできるもん」

「いいから、ほら」

「もー。はずかしいんだってば」


ほのぼのと会話していると、蛙がふみつぶされたような声が邪魔をする。

見れば三津が柚葉さんに腕ひしぎ十字固めをかけられていた。


おおおお、すげい。

リアルでかけてんの、初めて見た。

手馴れた感じがしますけど、姐さん。


「柚葉さん、あの、写メっていいっすか?」

「いーわよー。あ、ヒジリの顔、アップでお願いね」

「了解」

「た、助けて、くださ……い……」


三津の苦悶の顔を背に、少し怯えたイノリと一緒に写真を撮った。

技を緩めることなく、共に笑顔で写った柚葉さんには、感服するばかりだ。



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