表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/22

3.西暦とか元号とか年賀状書く時しか意識していない

3.西暦とか元号とか年賀状書く時しか意識していない



「と、遠い……」


セレブ登校だぜ、と余裕をこいていたら。


『今日は早朝会議だから、時間がない。ここで降りろ』


と目的地から遠く離れたところで孝三の車から放り出された。

最悪なことに、天候はあいにくの雨。

というか、どしゃぶり。

傘を差していても、びしびしと容赦なく打ち付けてくる雨粒。

イベントはたいてい晴れてきた、自称晴れ女なのに、あたし。

こんなの初めて。

誰だ、雨雲呼んでる奴は。


ということで、あたしは今、人の姿の少ない駅前通りを、風に煽られる傘を差し、おまけに重たいバッグを抱えてよたよたと歩いているのだ。


バッグ、なんでこんなに重たいのさ……。

一泊二日、たいした荷物は入れていないつもりなのに、この重さはどうしたことか。

デキる女はこういうときの荷物はコンパクトだというが、その定理でいくとあたしはデキない女なのか。


いやいや、これはあたしが女の子であるがゆえの非力というやつなのよ、きっと。

コンパクトな荷物なんだけど、重たいのー。

だって女の子だもん。


「しかし孝三め……、かわいい娘と早朝会議、どっちが大事なんだっつの。あの薄毛、いつか毟ってやる」


ふう。駅まであとちょっとだ。

と、前方に大きな屋根のあるバス停を見つけ、足を速めた。

叩きつける雨粒も、ベンチまでは侵食していなかった。

それに感謝しつつ座り、ため息を一つついた。ちょっと休憩していこうっと。

ああ、疲れた。雨のせいか、心なしか体が冷えたような気がする。風邪ひいたらどうしよう。

ハンカチで服についた雫を拭い、空を見上げた。

この天気じゃ、日程表の予定が大幅に変更されちゃうなあ。

まずオリエンテーリングは無理じゃない?

傘差して散策なんて、全っ然楽しくないし。苦行でしかないよね。

室内だとすると、何やるんだろう?

かくれんぼ? フルーツバスケット? んなわけないか。


「おい」

「んあ?」


振り返ると、大きな傘を差した大澤が立っていた。

上下黒のジャージ姿。

肩には某有名スポーツブランドの大きなバッグ。


ほほう、イケメンさんという生き物は何でもかっこよく着こなせるもんですな。


「大澤か。なに?」

「オマエ、その服装」


ベンチにふんぞり返っていたあたしをまじまじと眺める。


「なに。変?」


変と言われるほど、奇抜な格好してないけどね。

ユニ●ロと某海外ブランドのコラボTシャツ。色はサーモンピンク。

下もユニ●ロのジーンズだい。


あ、あたしってここだけは自慢なんだけど、肌だけは綺麗なのだ。

色白だしね! 

だからサーモンピンクを着ても、肌はくすむことなく綺麗に見えるのだ、えへん。


「……いや、それ、オマエの服だよな?」

「おととい買ったばかりの、あたしのだよ」


じいちゃんに買ってもらいました。Tシャツは他にも2枚買ってくれたのだ。

ビバ、年金支給日。


「おととい……」


呟いた大澤は、ありえないものを見る目つきになっていて、ご飯粒でも盛大にくっつけてた? と不安になって思わず自分を見下ろした。

白の透かし文字で特徴的なロゴが入ってるだけで、別段変わったところはありませんけど。

あ、少し濡れてるか。でも、下着が透けるほどでもない。


「これがどうかした? 似合わないとかそういうことだったら、容赦なくぶっとばすけど」


Tシャツから大澤に顔を向けて、思い出す。

あ、そういやこいつ、昨日さんざんあたしを睨みつけてきやがったんだっけ。

疑惑を晴らす手伝いもしてくれなかったし。

女の子たちから痛いくらい疑いの眼差しを向けられて、大変だったんだからな。


「あのさー、この際はっきりさせておきたいんだけど」


今、ここにはあたしと大澤しかいない。

話をするにはうってつけなのかも。

3ヶ月に渡る問題を、今ここで解決してやろうじゃないか。


居住まいを正して、未だあたしの服装を凝視している大澤に言った。


「昨日、両親にも確認したんだけどね。9年前、あたしら家族はここには来たことないってさ。だから、大澤とあたしが出会ってる可能性、ゼロなわけ。

ってことは、大澤の知ってる子とあたしは、全くの別人なんだよね。

で、あたしも色々考えてみたわけ。

まず仮説1なんだけど、世の中には3人、自分と同じ顔の人がいるって言うじゃん?

それなんじゃないかな。

あたしって典型的な日本人顔だから、同じ顔してるっていう3人もきっと日本人だと思うのね。

その3人のうちの誰かが、大澤の探し人なんだよ。

次、仮説2ね。

9年あれば、女の子なんてすんごい成長遂げちゃうわけよ。

その時あたし似だったかもしれないその子も、今じゃあたしと似ても似つかぬ美少女に姿を変えてるかもしれないのね。

あ、残念ながらその逆もありなんとも思うけど、まあ、そこら辺は時間の責任だしね。

誰を責めることでもないよ。だって9年だからね。生まれたての赤ちゃんがランドセル背負えるようになるほどの期間だからさ。


まあ結局あたしの言いたいことはね、あたしはあんたとは無関係の人間ってこと。うん」


反応のない大澤に、ぺらぺらと話して聞かせる。

まあね、嘘みたいなありえない話してるよなー、って自覚は、自分でもありますよ。

でも、あたしが大澤の考えている人間じゃないのは確認済みなんだから、そういうことなんだと思うしかないよね。


「オマエ、その服さ」

「は?」


まだ服見てたの? ってか、気に入ったとか?

同じデザインはメンズにはなかったと思うけどなー。残念だけど。

大澤の体つきじゃあレディースサイズは絶対無理だろうし。

じゃなくて、今のあたしの説明、ちゃんと聞いてくれてました?


「大澤、ちゃんと聞いてく」

「同じだ。オレが知ってるミャオのものと」

「れてる? え、いや、何……何て?」

「一緒だ。その服装。俺の記憶と、一緒」

「え? だって9年前のことだよね? このTシャツ、今期の新作だよ?」

「でも、一緒だと思う。そのTシャツのロゴも、ベルトのバックルも、記憶にある」


少し、ぞくりとしてしまった。

ちょっと不思議な話とか、スピリチュアルな話とか、怖い話とか、すこぶる苦手なのだ。

大澤の知っている人が、9年前にあたしと同じ服装をしていた、なんてちょっと笑えない。

つーか、怖い。そういう話って、無理。


「あのさ、止めてくれない? あたし、そういうの苦手でさ」


声音が少し弱くなってしまったのは、否めない。

だってそっくりってあれでしょ。ドッペルゲンガ―とか言うやつ。

自分の見たら死んじゃうんだよね。某大国の暗殺された大統領もさ、死ぬ前日だかに自分のドッペルゲンガーを見たとかって話、小学校の時に本で読んだ記憶があるもん。


やだやだ、死にたくない。つーか第一に気持ち悪すぎる。


「…………一緒、なんだ」

「マジで止めてってば!」


怖さなどの負の感情が大きくなると、怒りに変換されるのらしい。

真面目に呟く大澤に、一層の恐怖を感じてしまったあたしは、逆ギレなるものを起こしてしまった。

だいたい、こっちは記憶にないのに相手は知っている風なのも、不愉快だったんだ。

たまたま、とか偶然、とか自分に言い聞かせてどうにかごまかしてきたというのに。

もうダメだ。我慢できない。


「知らないものは知らないって言ってるじゃん! 嫌がらせのつもり?

アンタは人に不快感与えて楽しいわけ? 最っ低だな!?」

「いや、俺は」

「もうあたしのこと見んな! 声かけんな! 次にあたしに関わったら容赦なく殴るから。覚悟しときな!」


さっさと駅に行こう。

こんな奴構ってらんない。

傘とバッグを掴み、バス停を後にした。


「待てよ。話聞けよ」

「アンタの話なんて聞かない。聞きたくない」


すたすた歩くあたしの後を、大澤が追いかけてくる。


「聞けって。ミャオ」

「はあ!? なんでアンタがその呼び方するわけ!?」


怒りが満ち満ちて、爆発した。

振り返りざまに、傘を思いっきり大澤に投げつけた。

つもりだったが、ふわりと浮いたそれはぼとんとあたしの足元に落ちた。ころころと頼りなく転がる。


ムカつく!

傘くらい言うこと聞け!


「ちゃんと話したほうがいい。だから」

「聞くことなんてない!」


傘を拾い上げて、車道の向こう側、反対側の歩道に渡ろうとした。

行き先を変えることはできないから、せめて距離を取ろう。


「絶対追いかけてくんな!」


吐き捨てるように言って、車道を渡ろうとした。



――道を渡るときは、車が向かってきていないかきちんと確認しましょう。

確認できたら、手を挙げて渡りましょう――



車道を渡るときは、左右確認をする。

幼稚園の恵美先生や、小学校の佐々木先生。両親やじいちゃんから幾度となく教わったことだったのに。

このときのあたしはそれをすっかり忘れてしまっていた。

ごめんなさい。

絶対に忘れちゃいけないことでした。


「――危ないっ!!」


という大澤の声と、つんざくような車のブレーキ音がして、は、とした。

傘の陰から、迫り来る車の姿を見た。

コマ送りでゆっくりあたし目掛けて突っ込んでくる鉄の猪。


あ。死ぬ。


咄嗟にそう感じた。

これ、死んじゃうや、あたし。


こんなとき、足って動かないんだ。

接着剤か何かでくっついたように、ぴくりとも動かない。

あたしの体ができた抵抗といえば、目をぎゅっと瞑ること、それだけで。


甲高いブレーキ音が近づいて、


ドン


と衝撃を受けたあたしは、意識を失った――――。



気がしたんだけど。

衝撃は少し体を傾げた程度だった。


「あ、ごめんなさい。おねーさん」

「…………は?」


かわいらしい声がして、堅く閉じた瞳をこわごわと開けた。


痛くない。

うん、やっぱ全然痛くない。

つーか、生きてる? 生きてるの、あたし?


「えええええええっ!?」


うそ。あんなスピードで突っ込んでこられたら、普通、さあ。

奇跡的に助かったとしても、怪我くらいはしてるでしょ。


しかし、見下ろした体に、異常はない。


「あれ? あれえ?」


体を見回す。やっぱり異常はない。普段通りだ。

あれ? 何で?


「おねーさん? あの、具合悪いんですか?」

「は?」


見れば、小学校低学年程度の男の子があたしを心配そうに見上げていた。

瞳の大きな、すごくかわいらしい男の子だ。

真っ白のTシャツと、デニムのハーフパンツからはみだしている細い手足があどけない。


「ええと、あれ? 君が助けてくれたの?」

「え? ぼくが、なんですか?」

「いや、あたしさ、車に轢かれかけてたっていうか、衝突寸前? だったでしょ」

「車って、ここ、歩道ですよ?」

「え?」


見渡せば、あたしが立っているそこは確かにレンガ敷きの歩道だった。

縁石を挟んだ向こう側で、車が走っている。


「あれえ?」


何で? 確かに車があたしに迫ってきていたのに。

もうちょっとで衝突するはずだったのに。


「おねーさん?」


自分の位置と車道を交互に見ていると、訝しげな男の子の声。

心配そうにあたしを見上げている。


「えー、と? で、きみはなに?」

「だから、ぼくがおねーさんにぶつかっちゃったんです。あの、すみませんでした」

「え、きみが?」


あの柔らかな衝撃は、車じゃなくってこの子がぶつかってきたものだったのか。

そうかそうか。車じゃなくってこの子かあ。

って、いつの間に車が子どもになったの?


「あの、どこか痛むんですか?」


わたわたしているあたしに、男の子が不安そうに眉根を寄せる。


「あ、ううん、全然痛くない。平気平気。ごめんね」


へらりと笑ってみせると、男の子はよかった、と胸を撫で下ろす仕草をした。


「よかったです。ぼくぼんやりしてたから、ごめんなさい」

「いいよ、そんなの。引き止めるようなことしてごめんね」

「いえ。それじゃあ」


ぺこんと頭を下げて去っていく少年に手を振りながら、さっきまで自分がいたはずの車道に視線をやる。

おっかしいなあ。

あそこにいて、車が迫ってきていたはずなんだけどなあ……。


「ん? あ、雨止んでる」


そういえば、土砂降りだったはずの雨が、すっかり止んでいる。

って、あれ? 地面、乾いてない?


「ええ? なんでえ?」


足元に転がったあたしのバッグは雫を残しているというのに、地面も街路樹も、濡れた形跡がない。

空は青々と晴れ渡っており、通り過ぎる車のウインドウにも、水滴一つついていない。

だけど、肩に手をやれば、しっとり湿っている。


「……つーか、大澤は?」


危ない! なんて叫んでいたくせに、いないんですけど。

瞬間移動? ないか。

あいつ、あたしが轢かれかけたというのに、無視して行ってしまったとか?


うわ、冷血な奴。絶対追いかけてくるな、とは言ったけど、そこは臨機応変。

大丈夫だったか、とか何とか声かけるのが日本男児の優しさではないだろうか。

ああやだやだ、最近の男って気が利かないのね。って、まともに知ってる男は孝三とじいちゃんくらいのもんですけどね。


いや、待てよ。

あたしにぶつかったのは車でなく子どもだしなー。

別にいいのか?


でも子どもじゃなく車が迫ってきた生々しい記憶があるわけで、ああ、頭混乱してきた。


「とにかく、駅に行こう、かな」


首を傾げる状況ではあるけれど、とにかく駅に行こう。

ケータイを見ると、8時まであと10分をきっていた。

もう時間がないし、もろもろのことは点呼後に考えることにしよう。

ありえないような気がするんだけど、盛大に寝ぼけていたのかもしれないしな、あたし。

とりあえず琴音に話してみようかな。

笑われるだけかもしんないけどさ。


しっとり濡れたバッグにめちゃくちゃ違和感を覚えつつ、駅へと向かった。

あ、そういや傘はどこに行ったんだろう。

振り返っても、乾いた道路のどこにも、あたしの傘はなかった。



「…………あっれえ?」


この言葉、さっきも口にした気がする。

しかし、もう一回。


「あっれえ?」


いつもと違う雰囲気なのは、何故なんだぜ?


駅の西口広場、集合場所であるはずのところで、あたしはひたすら「あれえ?」と呟いていた。

目の前の景色は、どうもあたしの普段利用していた駅前風景と異なる気がするのだ。

喩えるなら間違い探しのような、そんな感じ。

同じようでいて、どこかが決定的に違う。


駅舎、その脇にあるバス停も当たり前に存在しているし、そこには人がちゃんと往来している。客待ちのタクシーだって並んでる。


どこが違うんだっけ……。


つーか、学校関係者、誰も来てないし。

なんだよ、森じい、遅刻かよ。

しょっちゅう居眠りする上に遅刻って。

年寄りは早寝早起きが基本だろ。じいちゃんがそう言ってたし。


「あ! ロー●ンがヤマ●キになってるー」


たまに利用していたコンビニの店名が変わっていた。看板の色、赤になっちゃってるし。

いつの間に?

しかも、その隣は天然酵母が売りのパン屋さんのはずなのに、たこ焼き屋になってる!

あの店の明太チーズパン、大好きだったのにー。ショック!

この間買いに寄ったときには、閉店なんて話してなかったのに。


つーか、たこ焼き屋、新しく入った割に店が異様に古ぼけてるのはどうして?

そういうコンセプト? 温故知新的な。


「え、えーと。琴音に電話してみようかな」


琴音とあたしは電車通学じゃないから、駅前の情勢にさほど詳しくない。

あたし同様、琴音もこの変化に大いに驚くことであろう。

ポケットに入れていたケータイを取り出した。


「あれ、圏外? うそ」


いつもはばっちり電波が入るはずなのに、見慣れない圏外という文字がそこにあった。


「ええ、壊れたとか? まだ機種変したばっかりなのに?」


やだ、困る。旅行中、あわよくばこれで鳴沢様を視聴しようと企んでいたのに。

仕方ない。とりあえず鳴沢様については琴音か、悠美、神楽に頼んでみよう。


「頼む……にしても、誰も来ないのはなんで?」


ケータイの示す時間は、班長の集合時間を5分過ぎていた。

なのに、先生の姿すら見えない。


なんか、おかしい。

さっき一緒にいたはずの大澤も来てないし。

あたしを置いて行ったのだとしたら、とっくについてるはずだ。


「えーと……連絡つけないと、だよね」


辺りを見渡すと、コンビニ横に公衆電話が設置されていた。

あれも以前はなかったはず。

コンビニが変わったときに、一緒に設置されたんだろうか。


しかしケータイが使えない今は、有難い。

財布から小銭を取り出して、緑色の電話機に向かった。


どこにかけるべきか、と少し考えて、誰も来ていない異常性から学校にかけてみることにした。

もしかしたら、何か問題があって旅行が中止になったのかも。

あたしのケータイが不通状態だから、連絡がつかなかったんだな、きっと。


一体どうしたんだろー。

宿泊予定だった宿が急に泊まれなくなったとか、そんな感じ?

学校行事って融通が利かないから、不測の事態に適応できないのよねー、なんてね。


ケータイのメモリから学校の電話番号をだして、電話をかける。

数回のコール音がして、女性の声がした。


「あ、すみません。1-3の茅ヶ崎といいますが、親睦旅行の集合場所についたら、誰もいないんです。何か変更などあったんでしょうか?」

『親睦旅行、ですか? それだったら先週終わりましたよ』

「は?」


なんですと?


「え? あの、予定は今日でしたよね。昨日学校で最終確認しましたし、しおりにもそう書いてますけど」

『ええと、1-3でしたね? 担任の及川先生に代わりますから、お話してごらんなさい。なにか勘違いしているようだから』


戸惑った女性の声から、軽快なメロディに切り替わった。

おいかわ?

あたしの担任は森ですけど。熊みたいな。


頭が混乱する。

おかしい。なにか違う。


ぎゅ、と受話器を握りなおして、気づいた。

やけにぼろぼろだ、この電話。

設置されて間もないはずなのに、こんなに古びているもの?

ふ、と電話台に視線をやったら広告シールがべたべた貼られていて。

その中の一番上にあった新しそうな一枚に、

『有効期限:平成15年 7月まで』

と書かれていた。


へいせいじゅうごねん、って……?


『もしもし。及川ですが、ええと、ちがさきという生徒は我が校には』

「っ、すみません! 間違えました!」


森じいのしゃがれ声ではない、若々しい男性の声がして、思わず受話器を叩きつけるようにして通話を切った。


「どういう、こと?」


辺りを見渡す。

『ここ』は、どこ?

なにか違う。

と、さ迷わせていた視線が、一点で止まった。


駅の構内に設置された、大型ビジョン。

グレーのスーツを着たキャスターがニュースを読み上げていた。

その下の日付は、平成15年7月10日。


今、平成24年だよね……?

西暦だと、ええと、2012年。

西暦だの元号だの、年賀状書く時しか意識していない。

でも、間違えてない、よね。


何かの間違い? 季節外れのエイプリルフールとか。

みんなが来ないことも、森じいの代わりに知らない男の人が出たことも、みんな。

って、あたし一人を騙すのに、どんだけ手間ヒマ費やしてんのって話。

ありえないし。じゃあ今の状況は何だ。わかんねー。


「なんか、飲むか……」


こんな時は、一息つくに限る。

頭を一旦空っぽにすれば、考えもまとまって解決策がでるってもんだ。

って鳴沢様が言ってた。


ロー●ンから代わっていたヤマザ●に入り、お茶のペットボトルを取る。

レジに行き、財布から千円札を一枚差し出すと、それまで無愛想だったレジのお姉さんが首を傾げた。


「ええと、これ、なんだか紙幣が違います、けど……?」

「え?」


自分の手にある紙幣をまじまじと見る。

野口英世。間違いない。


「これ、千円札、ですよ?」

「千円札って、これですけど」


不思議そうに見せてくれた紙幣には、夏目漱石。

夏目漱石って、前の千円札でしょ。旧札ってやつで、今はこれじゃん?


……あれ。お札がリニューアルされたのって、いつだっけ。

もしかして、平成15年って、まだ紙幣が新しくなってない、とか?

お姉さんが訝しそうに眉に皺を刻む。


「あの。お客様?」

「ああああああ、あー。あー、間違い。間違えました、あたし。あははは」


財布の中から慌てて小銭を出す。100円玉が数個あったことにほっとしつつ、お姉さんに手渡した。


「これ、子供銀行のやつ。おもちゃなんですよー。もうやだ、あたしったら、うふふー」

「あ、あはは?」


大丈夫なのかしら、この子。とお姉さんの目が語っている。

変な子ですよね、あたし。

はい、分かります。


「あ! これ、これもください!」


レジ横にあったスポーツ新聞を一部取り、追加で小銭を渡す。

怪訝そうなお姉さんにへらへらと笑いかけてから、逃げるようにして店を出た。


集合場所であるはずの駅前広場に戻る。

もしかしたら誰かいるのかも、と淡い期待を抱いたが、あっけなく粉砕。

さっきと同様、見慣れた顔は一人としていない。


はあ、とため息をつきつつ、空いたベンチに腰掛けた。

ベンチは全然濡れた形跡はなく、なんだかなあ、と思う。


ともあれ、よく冷えたペットボトルのお茶を飲んで、再び息を吐く。

ああ、おいしい。緑茶って精神安定の効果あるよね、きっと。


ペットボトルを横に置き、一緒に買った新聞を広げる。

まず、日付確認。


平成15年7月10日(木)


……うん、ドッキリだとかいうなら、すんごく手が込んでるね。お金も随分かかってるよね。

どんな金持ちがこんな悪戯しかけるっていうわけ? あたしを見初めた大富豪か?


って、ないわー。ナイナイ。


これって、認めたくないんだけど、『時間移動』とか『タイムスリップ』とかいう類のものではないだろうか。

過去へひとっ跳び! みたいな。


SFってやつ?


あの、あたし、そっちのジャンルには疎いんですけど。

時空間やベクトルなんて話、理解できない頭なんですけど。

もちろんタイムマシンなんて作れませんし。

こんな状況に追い込まれても、上手く切り抜けられるような智恵を全く持ち合わせていないんです!


って、誰に訴えたらいいんだろう。

神様? あたしの家って仏教なんだけど、仏様? いや、お釈迦様?

つーか、神様がこんなことするはずないか。


「どうしたもんかな……」


9年前の芸能記事をぼんやり眺めながら、ぽつり。


こういう時、物語ならかっこいい青年とかが現れて、助けてくれるんだよね。

その人は実は天才的な頭脳を持つ博士とかで、すんごい性能のパソコンで時空の歪みを調べて元の世界に送り返す方法を探ってくれたりするんだよね。


で、方法が見つかった頃にはあたしと甘酸っぱい恋愛模様を描いてたりしてて、

元の世界に返すべきか、残すべきかで苦悩するわけ。

最終的には青年はあたしを送り返すことを決意して、時空の歪みを人工的に起こす機械を製作。帰りたくないと泣き咽ぶあたしを無理やり元の世界に戻すのよ。


そして9年後。戻ってきたことに絶望し、泣き暮らすあたしの前に一人の渋いおじ様が現れる。

それは愛しい青年博士の少し老いた姿。

こんな姿でも君を愛しいとおもう俺を受け入れてくれないか、とか言われて、あたしは彼に抱きつくの。

年なんて関係ないわ。あたしは貴方という人を愛しているのよ! ってさあ。


うわ、想像だけで泣けてきた。

いいな、この話。9年後の青年役は誰がいいかなー。渋いおじ様だし、難しい役どころだなー。


「……結構余裕だな、あたし」


青年のライバル的存在である、研究所の先輩のキャスティングまで考えたところで我に返った。

しかし、随分と妄想世界に浸っていたみたいなのだけど、青年博士が声をかけてくる気配はない。

いや、現実ってこんなもんだろうけどさ。

しかしタイムスリップなんて非日常が起こったんだから、そういう夢が叶ってもいいと思う。


いかん。

不毛な妄想から建設的なことへ頭を切り替えなくては。


ええと、平成15年、といえば9年前、か。

あたしは小学生、になるんだよね。1年生か。

あれ? 9年前って単語、どっかで聞いたことあるな。

どこだっけ。つい最近だったような気がするんだけど。


「えーと、えーと……、あ! 大澤!」


そうだ。大澤が言ってたんだ。

9年前のK駅って。

それって、今のこの場所じゃないの?

偶然なの?


「ねえ、きみ」


ぽん、と肩を叩かれて顔を上げると、そこにはカバのような大きな口をしたおっさんが立っていた。


「博士はこんなのじゃない」

「は?」


いかん。まだ余韻が残っていたのか。

しかし、愛すべき博士はこんな容姿ではない。

もっと繊細なお顔立ちであるべきなのだ。


「ねえ、きみ、高校生だよね?」

「は? はあ」


なんだ、このおっさん。

やけにニコニコと笑いかけてくるけど、何が目的?

もしかして、これが俗に言う『怪しい方向のスカウト』というやつ?

こんな地味なあたしにまで声をかけてくるとは、かの業界の闇は想像以上に深いのやもしれん。


ああ、鳴沢様のいらっしゃらないこの世界は、悪がはびこっておりまする!


じゃなくて。

いかんいかん、どうも頭がおかしい。

自分じゃ落ち着いていたつもりだけど、やはりこの状況には冷静ではいられないらしい。


「学校はどうしたのかな? この時間帯って、授業が始まるころだよね」

「え、学校、ですか?」

「見たところ大きな荷物抱えてるし、どうしたのかな? 悩み事があるのなら、聞くよ」


カバのおっさんの着ているスーツの右腕に、腕章が巻かれているのが見えた。


『安全パトロール・保安員』


これってもしかして、あたし、補導されかかってますか?

ヤバい。ヤバい。

ここで補導されたら、絶対ヤバい。


警察が家に問い合わせても、6歳のあたしがそこにいるわけだし、両親は「うちにそんな娘はいません」で終了。

高校だって、生徒手帳は一応持ってるけど、在籍中のわけないし。

生徒手帳を偽造したと思われかねない。


っていうか、ここにあたしの戸籍はないんだから、めっちゃ不審人物になっちゃうではないか。


いや待てよ。

このままだと警察機関に引き渡されるだろう。

そこであたしが9年後の世界から来たと言ったらどうなるだろう。

困ってるんで助けて下さい! みたいな感じで。

信用しない、よね。頭おかしい子だと思われるだけかな。


いや、もし仮に信じてもらえたとしたら?

そしたら大変なことになるのでわ。


だってさ、未来を知ってるわけですよ。

これって貴重なはずで、あたしの存在って国家機密レベルになるんじゃ。

たいした知識はないけど、9年間で起こった事件は少しは覚えてるし。

些細なことだとしても、確かな未来を知ってるのって、すごいことでしょ。


VIP扱いになるんだろうか。預言者様ー、とか。

いや、どちらかというと、人体実験的な目にあわされるかも。

未来から来た構造を知る、なんてことでさ。


マッドサイエンティストぽい怪しいおっさんに、頭に色んな機械つけられて電気流されてびびびびびびびびび、みたいな。

こっち、ありえる気がする。


嫌だ! そんなの人生終わりじゃん!


「あ、あの用事があって学校を休んでおりましてですね」

「用事? ご両親はそれを了承しているのかな? 向こうの交番を借りて少し話をしようか」


あああああ、カバってば疑いの眼差し向けたままだ!

万事休す! あたしの人生どうなるの!?


「おねーちゃん、ここにいたの? 探したよ、早く行かなくちゃ!」

「へ?」


急に子どもの声がして、くいくいと服を引かれた。

見ればさきほど会話した男の子がいて、頬をぷくりと膨らませていた。


「ぼくに切符買いに行かせておいて、何してるのさ。あれ、この人は誰?」

「え? ええと」


どういうこと?

言ってることが理解できずぽかんとしていると、男の子はカバに訝しげな視線を向けた。


「ぼくのおねーちゃんがどうかしたんですか?」

「きみたち、姉弟かあ。二人してどこに行くんだい?」


カバが膝を折り、男の子に視線を合わせて訊いた。

すると、男の子は表情をさっと曇らせて俯いた。


「……ぼくたちのお母さん、びょうきでずっと入院してるんです。今日、ぐあいが悪くなったからってびょういんの先生から電話があって、これからおねーちゃんといっしょに行くところなんです」

「なんと……そうだったのかい」

「早くお母さんのところに行かないといけないんです。お母さん、きっとぼくたちを待ってるから。ぼく、お母さんのそばにいて、お世話するんだ……」


じわりと溢れた涙が、男の子の頬を伝った。

ぐい、と手の甲で拭っても、涙はどんどん溢れてくる。


ん?

服が引かれている。


男の子の涙に驚いていたあたしだったが、よく見れば男の子は涙を拭いながらもあたしにしきりと目配せしている。

あ! 分かった!


「そうなんです……。だからこれから母の病院へ行くんですぅ」


さすがに涙は出なかったが、必死に声をか細くして言った。

急に泣き出した男の子にうろたえていたカバだったが、あたしが涙の滲んでいない瞳をごしごし拭ったところで、は、としたように息を飲んだ。


「そ、そうだったんだね。何も知らなかったから、ごめんね」


申し訳なさそうに頭を下げた。


「お母さんはきっときみたちの顔を見たら元気になるよ。さ、気をつけていきなさい」


助かった!

ほっとした気持ちを隠して、あたしは神妙に頷いた。


「ありがとう、ございますう」

「ありが、と……ぉ」

「お姉ちゃんとちゃんと手をつないで行くんだよ。迷わないようにね?」


貰い泣きしたカバが、そっと目尻を押さえて言った。


「はい。じゃあ、行こう?」

「うん、おねーちゃん」


カバに見送られて、男の子と手をつないでその場を去った。

あたしたちの姿が構内に消えるまで、カバは手を振っていた。


「……もういいよ。おねーさん」


振り返って手を振り返していた男の子が言った。


「ほんと?」


心臓がどきどきしていたあたしは、恐々と後ろを確認する。

柱や壁に阻まれて、カバのいる外の景色は見えなくなっていた。


「ふわあああー……、助かったあ」


緊張していた反動で、一気に力が抜ける。

へたり込んだあたしは、見上げる位置に変わった男の子の顔にぎこちなく笑いかけた。


「ありがと。すっごく助かった」

「困ってたみたいだったから。勝手におねーちゃんにして、ごめんなさい」


泣いた跡の残る、赤い目をした男の子はぺこんと頭を下げた。


「いいよ、助かったのはこっちだしさー」


よく気のつく子だなー。いい子だ、ほんと。


「お礼に何か買って……って、無理だった、そういや」


財布の中には、さっきのおつりの小銭が少し。

お札はあるけれど、旧札じゃないから使えないし。


は! つーか、これからどうしたらいいんだろう、あたし。

今日の宿もないし、食事代もない。

それにどうやったら元の時代に戻れるんだろう?


「あちゃー……。捕まったほうがよかったのかな。いや、人体実験は困るしなー」

「じんたいじっけん!? おねーさん、仮面ラ●ダーの仲間!?」


独り言は思いのほか大きかったらしく、男の子が素っ頓狂な声を上げた。


「あはは、いや、ライダーの仲間では……あれ?」


さすが男の子。発想がかわいいわー。

訂正をいれるついでに頭を撫でようとして、手が止まった。


男の子の顎の下に、ピンク色の傷跡があったのだ。

傷跡の新しさに差はあれど、その位置にそれを持った人を、あたしは知っている。

まさかね? でも。同じなんだ。


「ね、ねえ、きみ、名前なんて言うの?」

「祈。加賀 かが・いのりだよ」


イノリって、やっぱ大澤の名前じゃん!

あれ、でも加賀? 大澤じゃないの?


目の前の顔をまじまじを見つめた。

大きな瞳に、血色のいい頬。

ちょこんとした鼻は鼻筋が通っているし、唇も形がよい。

少し右の口角があがっているのが、大澤と同じだ。


ていうか、よくよく見れば全体的に似てるんですけど。

面影ばっちり。

大澤の隠し子だと言われても、十分説得力あるくらい。


「イ、イノリくんって言うんだ。そっかー」

「うん」


こくんと頷く様子はすごく素直。

子どもとは思えない機転をきかせて助けてくれたことといい、本当にいい子だ、この子。

大澤によく似ているけど、やっぱり別人?

あいつはこんなにいい子じゃないでしょう。


でも、9年前だと6歳なわけで、ちょうどこのくらいなんだよなー。

それにいくら大澤でも、子どものころは素直だったのかもしれないし。


とりあえず、念のため、確認してみましょう。


「イノリくんさー」

「なあに?」

「苗字、大澤じゃない、よね?」


意識して穏やかに訊いたもりだったが、イノリは顔色を変えた。


「な、なんでそんな事訊くの?」

「えと、いや、なんとなくというか、うん。違うならいいんだけどね」

「違う! ぼくそんな名前じゃないよ!」

「ああ、それならいいのいいの。あたしの勘違いだし」

「ぼく、その名前嫌いなんだから!」


……えーと。こういうの、なんて言うんだっけ。

語るに落ちる? ちょっと違う?


「その名前、すごく嫌いなんだ! ぼく、おおさわなんて名前に絶対なんないんだ!」

「ちょ、ちょっと落ち着こうよ。ね?」


急に声を荒げたイノリに、周囲の目が向けられる。

騒ぎが大きくなれば、カバがやって来るかもしれない。それは非常にヤバい。


「あ、あっち行って話そう。ね?」


視線を避けるようにして、構内の隅っこへイノリを連れて行った。

自動販売機の横に置かれたベンチ(あたしの記憶じゃぼろぼろだったのに、新品同然で、ちょっと感激した)に並んで座り。

バッグを漁って500円分のおやつを引っ張りだした。


むす、とした様子のイノリに、9年後で新発売のお菓子を差し出す。

とりあえず、お怒りを解いてもらおう。


「えーと、これおいしいよ。食べない?」

「……初めてみた、これ」

「ほらほら、食べてみな?」


あたしが今一番気に入っているチョコレート菓子なのだ。

これを美味しいと思わない子どもはいない! 多分。


「おいしい」


期待通り、イノリは顔をほころばせた。

よかった。そっと胸を撫で下ろす。


「ほらほら、もっとお食べー」


機嫌がよくなるように、どんどん勧める。

お菓子を半分ほど食べたころ、ようやく元の笑顔をみせてくれた。


「おねーさん、これどこで売ってるの? 好きな味だった、これ」

「へへん、ひみつー」


おどけて言うと、イノリはかわいらしく頬を膨らませた。


「大人なのにいじわるしちゃいけないんだよー」

「あたしはまだ子どもだもーん」

「じゃあおねーさんじゃないじゃん」

「そうだよー」


ふふん、と笑ってお菓子を勧める。

再び口をもぐもぐ動かしたイノリの横顔を見ながら、自分も一口ぱくりと食べる。

うへへ、やっぱりおいしい。


「ん? どうしたの?」


イノリがあたしを見上げていた。


「おねーさんじゃないならさあ、名前、なんていうの?」

「ああ、そっか。自己紹介してなかったよね。茅ヶ崎美弥緒だよ」

「ちがさき、みやおちゃん?」

「そう」


さっき買ったお茶をこくんと飲んで、いる? とイノリに訊く。

手渡すとイノリは細い喉をならして飲んだ。


「ぷは。ありがと。みやおちゃんってかわいい名前だね。ネコみたい」

「あはは、よく言われる。仲のいい友達はミャオって呼ぶんだよ。今はもう数人しか呼ばないけどさ」

「いいね、それ。ぼくもミャオちゃんって呼んでいい?」

「ミャオでいいよ」

「わかった。ぼくのこともイノリでいいからね。でさあ、何でミャオはぼくの本当の名前を知ってたの?」

「え」


本当の名前ってことは、この子は本当に、大澤(幼少時)ってこと?

マジ、すか?

あんた、本当に大澤なんだ?


「イノリ……、苗字が大澤なの?」

「でも今だけ! 今だけだよ。ぼく、父さんに会って、いっしょに暮らすんだ。あいつのとこになんか、帰らないんだ」

「えー、と。どういうこと、かな?」


必死に主張するイノリの、まとまりのない話の要点をまとめると、こうだ。


イノリの母が、2ヶ月前に亡くなった。

父と2人で暮らし始めたイノリの前に、一人の男が現れた。

この男は、イノリの本当の父親だと言ったらしい。


イノリ母、子連れ再婚した、ということだろうな。

で、死後に実父がイノリの前に現れた、と。


今までイノリが本当の父親だと思っていた人は、血の繋がった人と共にいるほうがイノリの為になるといい、

実の父親にイノリを預けていなくなってしまったのだそうだ。

その時に、イノリは苗字が変わったわけだね。


「ごめんね、さっき。嫌だったでしょ?」


話を聞き終えて、あたしは深く頭を下げた。

母の死についてイノリが語ったとき、話を聞くのがいたたまれなくなるくらい、悲しそうに顔を歪めた。

カバに対しての泣き方が上手いと思ったけど、違ったんだ。

あれは多分、本当にお母さんを思い出して泣いていたんだ。


「いいよ、あれはぼくが勝手にやったことなんだもん」


そう言いながらも、眉は八の字に下がっていた。

そうだよなあ。

6歳の子が大人を言いくるめられるような上手い言い訳なんて考えつくわけないんだ。


「ぼくもさ、一人でいたらあのおじさんに捕まるかもしれないと思ったんだ。だから、ミャオと一緒だったら助かるかもしれないって思って。

ごめんね、ミャオ」


申し訳なさに俯くと、イノリが慌てたように言った。


「捕まったら父さんを探しに行けなくなっちゃう。だからホントにミャオが気にしちゃダメだよ!」

「え? 父さんを探しに、って、イノリ、父親を探そうとしてるの?」

「うん。だってぼくはやっぱり今までずっと一緒だった父さんと一緒にいたいから」

「いたいから、って……」


まだ6歳だよね? 一人で探すっての?

思わず見渡すが、イノリに同行者がいないのは分かっている。

おいおい、冒険しすぎだろ、6歳児。


「う、うん。ミャオ、ダメだよってとめる?」


きまり悪そうに視線を逸らしたイノリが、声を小さくして訊いた。


「止める、ってそんな。えーと、ちょっと考えまとめさせてくれる?

イノリはこれ食べてな」


お菓子の箱を渡して、胸の前で腕を組む。

目を閉じて、一回ため息。


考えろ、美弥緒。

とりあえず情報整理からだ。


まず。

ここは平成15年7月10日。

あたしのいたのは、平成24年7月12日。

何故かタイムスリップした様子。


思い返せば、車に轢かれかけたあの時が時間の境目だったんじゃないだろうか。

降っていたはずの雨は止み。車道にいたはずが歩道にいた。

ぶつかってきたのは車でなくイノリだった。


うん、間違いなくあの瞬間だな。


次、現状。

お金はほとんど使えない、無一文状態。

知り合いももちろんいない、無国籍状態。

警察に捕まれば人生たぶん終了?

マッドサイエンティストを彼氏に、なんてぶっとんだ趣味はないしな。


横にいるのはこちら側で唯一の知り合い(と呼んでいいのか?)の加賀祈(6)。

どうやらあの大澤の幼少時。

あたしの危機を救ってくれた。


次。

イノリは母を失い、実父に引き取られた。

義父はイノリのことを思い、身を引いた(っぽい)。

イノリは実父より義父が好きで、いなくなった義父を探しに一人で出かけようとしていた。

そこであたしに会い、今に至る、と。


うん、ここまでは了解。

状況は理解した。


で、だ。

こっちに来る前に、大澤が「俺の知ってるミャオと同じ服」と言っていた。

あの時は漠然と恐怖を感じたんだけど、


そうか、そういうことだったのか!

タイムスリップしたあたしが、大澤(幼)に出会った、そういうことなのね。


大澤は、本当にあたしを知っていたんだ。

それも、高校生のあたしを。

おおおおおお、パズルのピースがぱきぱきと嵌まっていく。


高校生のあたしを知っていたから、大澤は入学式のときにあんなに驚いていたんだ。

あたしの名前を知っているから、ネコみたいって会話をしたから、『化け猫』だなんて言ったんだ。

自分の昔の記憶そのまんまの女が目の前に現れたら、うろたえて当然だよな。


でもあたしは大澤をもちろん知らないから、あいつは遠巻きにあたしを観察してた、というわけか。


うーわー、納得。そういうことね。

やだ、それならあいつに悪いことしたなあ。

さっきなんて感情まかせに文句いっちゃったし。


でもまあ、知らなかったんだから仕方ないか。


それで、今後だ、今後。

大澤の言動を必死に思い出す。

何か大事なこと言ってなかった?

元の世界に帰れるようなヒントとかさあ。

えーと、えーと。うーん……。


『――が会いたがってるぞ。オマエ帰ってから一度も連絡しないからさ』


そう! そうだ!

そんなこと言ってたよ、確か。

誰が会いたがってたのかまでは、ちょっと覚えてないけど。

帰ってから、ってのは、あたしが元の時代に戻ったことを言ってたんじゃないだろうか。

多分あたしは大澤(幼)と行動を共にして誰だかに会い、その後に元の時代に返ったのだ。

ううん、多分じゃない、きっとそうだ。そう信じるんだ。

こんな状況で希望を持たずしてどうする。


帰る糸口発見!


ということで、イノリと行動を共にするとして、だ。

どうするか、だよなあ。


気になることがある。

イノリは今の苗字が『大澤』で、義父の『加賀』に戻りたがってるんだよね。

で、加賀父を探してる。


しかし、あたしの知ってるのは、『大澤 祈』だ。

これからイノリと一緒に加賀父を探しても、結局イノリは義父ではなく実父と暮らすことになるってことだ。

イノリの今の行動は、全く報われないことになるんではないだろうか。


じゃあイノリを宥めて大澤の家に帰せばいいのかなー。

そこにあたしに会いたがっているという人物がいる、とか。

うん、未来の状況から察するに、その確率のほうが高い気がする。


でも。でも、だ。

くう、と下唇を強く噛んだ。


あたし、『母を訪ねて三千里』大好きなんです!!

ああいう人情派アニメ、すっごく好きなんです。

ちなみになんでこんな古いアニメを知っているかというと、幸子がDVDを持っているからです。

幸子は某食品会社名作劇場の熱烈ファンなのだ。


母(イノリの場合は義父だが)を探して奔走する少年って。

涙が勝手に溢れてくるじゃん。

ああ、ダメ。こんなのに弱いんだってば、あたし。


その上、この子のかわいらしさといったら、どうだい?

将来の姿が大澤(いや、あいつも綺麗だけど)だとしても、問題なし。

助けずしてどうするよ。人としてさ!


って、なんだかんだは置いておいて。

この少年の思いを、あたしの勝手な事情で踏みにじっちゃいけない気がする。

6歳児の覚悟でここにいるんだもんな。


「よし、イノリ!」

「な、なに」


急に声を上げたあたしに、お菓子を齧っていたイノリがびくりとした。


「家に帰れとかそういうのはぼく」

「あんたのお父さん、一緒に探しに行くよ」

「え?」

「あたしも一緒に行く。一人でも多いほうがマシでしょ?」


イノリを加賀父に会わせてから、大澤父に会えばいい。

この子の希望を叶えてからでもきっと遅くない。


イノリが大きな瞳を一層見開いた。


「いい、の?」

「うん。まあ、あたしがいたからって会えるかどうかわかんないけどさ」

「ううん、ありが、と……」


ぶんぶんと首を振ったかと思えば、ぼろぼろと涙が溢れた。

どどどどうして泣くのよ、と焦ったあたしに、イノリはお菓子の箱を放って抱きついてきた。


「ありがと、ミャオ。ぼく、ぼく本当は一人でこわかったんだ……っ」


腰に回された腕に、ぎゅうと力が篭る。

なんだ、震えてるじゃないか。

そっか。不安だったんだ、こいつ。

いや、そりゃそうか。当たり前だ。

あたしの子どものころを思い返しても、大人から離れて1人、なんて怖くて堪らなかったもんね。

迷子になったときの恐怖は、今でも覚えてるしな。


「えーと、ほら、泣かないでいいからさ」


自分の記憶は辿れても、子どもと触れ合ったことがないので、どうしていいか分からなくなる。

躊躇いながら、小刻みに揺れる頭をそっと撫でた。


「言っとくけど、あたし大人じゃないからね。あんたと一緒の子どもなんだからさ、過剰に期待しないでよ?」

「うん! うん!」

「あんたに迷惑かけるかもしんない。つーか、絶対かけるよ。何しろ無一文だしね」

「うん、うん!」


この子は、あたしが自分と似たように不安そうにしていたから、あたしを助けてくれたのかもしれない。

柔らかい髪を撫でながら思った。

同族を探してた、そんな感じだったんじゃないんだろうか。


大澤(幼)、かわいいじゃないか。

自分の中にあるとは思わなかった庇護欲が湧いてきそうじゃないか。


「ほら、これからの作戦会議するぞー。イノリ」

「う、うん」


弟がいたら、こんな感じ?

一人っ子だったから、すごく新鮮だ。


「ほら、泣きやみな。あたしにちゃんと父ちゃんについて説明しなさい」

「う、うん……っ」


ごしごしと目元を拭って、イノリが顔を上げた。


「ミャオ! よろしくおねがいしますっ」


あたしを信頼しきった笑顔をみて、おおおおう、責任重大じゃないか、とビビる。

ごめん、あんたが思ってるほど、あたしはすごくないの。

何しろ無戸籍無一文だからね。

親が見たら不審者認定確実だからさ。


でも、頑張って父ちゃんに会わせてやる。

その心意気でいます。

なのでそこらへんを重要視しておいてもらいたい。


てな訳で。


「えーと、とにかく、よろしく」


ぺこんと頭を下げた。


こうして、あたしの過去の旅が始まったのだった。

なんてナレーション入れてみました。てへ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ