【1】日常番外編.1
昨日、すっかり顔見知りになった病院の先生に、「夏休みをようやく満喫できるね」と言われた。そう、あたしの足はようやく回復したのだ。
ぶんぶん振っても、駆けまわっても、ソシアルダンスかましても、痛まない。
ああ、健康って、本当に素敵だ。
思わず老先生の手を取り、ありがとうございますと何度も頭を下げた。
これであたしの夏休みが始まります。本当にありがとうございます。
というのも、怪我してからというもの、通院以外に外出させてもらえなかったのだ。
外に行けば高確率で怪我を負って帰って来るもんだから、せめて治るまでは安静にしてろと家族(両親とじいちゃん)に叱られたのである。ただでさえ怪我続きであるのに、怪我に怪我の上塗りなんてことになったら大変だ、と。一理あるので、大人しく従ったあたしである。
まあ、お蔭でCSで放映されていた鳴沢さま(フルハイビジョン版)を堪能できましたけどね。若かりし頃の加賀父(金吾さま)も観られたし、満足。
でもでも、あたしだって若人なのだ。真夏をエンジョイしたいのだ。
納得した上でのこととはいえ、ストレスで爆発しそうな数日であった。
そして、輝かしき(真の)夏休み一日目!
なのだが、それが出校日って、どういうことー。
「うう。制服着ちゃってるよ、制服。めっちゃ学校だよ……」
あたしの大好きな、焼き鮭となめこの味噌汁、それにキュウリと茄子の漬物で彩られた朝の食卓であるが、心は晴れない。
ただただ、憂鬱な朝だ。
テレビでは楽しそうにオススメ観光地の特集なぞやっているというのに、登校準備をしている己が切ない。気を抜けば涙が出てきそうだ。
しかし、女子高校生の貴重な夏休みが一日削られたのだから、仕方のない事であろう。
だいたいなー、学校に行くの、嫌なんだよ。
問題ばかりの会いたくない人ばかりなんだもんよ。
ウキウキワクワクで登校できるわけ、ないんだよ。
あたしは、数日前に、あの大澤祈と付き合うことになった。
その経緯を思い出すともんどりうってしまうので、事実だけを簡単に述べさせて頂くが、まあそういうことになった。
あの時は、ああ幸せだなあ、だなんてほのぼのと思っていたわけだが、そこですべての問題が解決されたわけでは勿論なかった。
あたしはクラスで浮いた存在のままで、神楽たちにも嫌われたまま。どころか、イノリに接近するなと数名の女子様から言われているし、穂積にはどうしてだか口説かれている最中であるし、イノリにはイノリで葵ちゃんという超絶美少女が控えているし。
まあ、簡単にいうなれば、周囲の問題は何一つ解決されていないのだった。
あ。胃が痛い。
「ネコ、どうした? キュウリが不味かったか? 今年はどうも、小ぶりな物しか出来なくての」
「いや、キュウリは美味しい」
はふ、とため息をついたあたしに、キュウリの栽培担当のじいちゃんが申し訳なさそうに言った。
「そうか? じゃあ、浸かりが悪いんだな。幸子さんに言っておこうか」
「いや、キュウリは美味しいって」
あたしのため息は、これまでキュウリで左右されていたのだろうか。それはそれで悲しい。
「なら茄子……ん? こんな朝早くから、誰かの?」
じいちゃんの声を遮るように、玄関からチャイムが鳴った。
首を傾げたじいちゃんが立ち上がる。
茄子に箸をのばしかけていたあたしだったが、はっと気づいた。
これってもしかして、もしかして、
イノリでは!?
ありえる。
外出禁止令を誰よりも悔やんでいたのは、あたしではない。イノリだったのだ。
『ミャオに会いたい。会いたい。会いたくて仕方ねえ』
といった内容のメールを幾度となく送り付けてくるのは日課となり、それがいつしか深夜に窓の下に立っているというストーカー紛いの行い(慌てて外に出て、丁寧に叱責し、帰宅の途に就いて頂いたが)に昇華するという、有難いやら迷惑やらの熱烈ぶりだった。
イノリなら、朝のお迎えくらい、やる!
穂積が迎えに来た時のじいちゃんのハイテンションっぷりを思い出した。
あのあと、どれだけ面倒くさいことになったか……っ。
「はいはーい、っと。どちらさんですかーってな」
じいちゃんがのそのそと玄関に向かう。
その背中を、茄子を口に突っ込んでから追った。
あ、美味しい。ではなく。
「じ、じいひゃ……っ!」
「はいはーい」
無情にも、ドアが開く。
開け放たれた扉の向こうにいたのは、
「おはようございまあす。美弥緒ちゃんをお迎えにきましたぁ」
葵ちゃんだった。
「ふへ?」
「ほう? 可愛い娘さんじゃの。ネコのお友達かね?」
「はい! 仲良くさせて頂いてます!」
「それは、うれしいのぅ。よろしく、ネコの祖父です」
にこやかに挨拶を交わす二人。
あたしはそれを、あっけにとられて見つめていた。
え?
なんで葵ちゃんがここにいるの?
あたしの記憶が確かならば、彼女はあたしに宣戦布告的な捨て台詞を残して去って行ったはずで、あたしを家まで迎えに来るようなそんなフレンドリー的関係ではなかったはずなんだけど。
それがどうしてこんなににこやかにじいちゃんと話をしてるんだ?
「あ。美弥緒ちゃーん、おはよ。一緒に学校行こ?」
立ち尽くしていると、美少女がじいちゃん越しに笑いかけてきた。
ああ、可愛い笑顔っすねー。夏の日差しをうけて、ただただまぶしいっす。
「お、おはよ……葵ちゃん」
「おう、ネコ、行って来い! よかったのう、友達に迎えにまで来てもらってからに」
ご機嫌のじいちゃんに見送られ(追い出され)、家を後にした。
「気を付けて行くんじゃぞー」
「はーい! 行ってきまーす!」
念のため言っておくが、振り返りつつじいちゃんに手を振っているのはあたしではない。葵ちゃんである。
と、前方に視線を戻した葵ちゃんが空を仰いだ。
「毎日あっついよねー。美弥緒ちゃん、ちゃんと日焼け対策してる?」
「あ、いや日焼け止めスプレーするくらいかな」
「えー、それだけ? ダメよ。手抜きしたら、後からツケがまわってくるんだから」
「あー、そうかもねえ。て言うか、葵さん」
「なに?」
「何でこんなとこにいるの?」
訊けば、葵ちゃんが足を止めた。
あたしを見て、うふ、と小首を傾げる。
「何でって、わたしと美弥緒ちゃんはオトモダチだからよ?」
「え? えーと、いつから?」
「美弥緒ちゃんとオトモダチになるのには、了承がいるの?」
くりん、と大きな瞳が動く。
その表情は心底不思議そうで、混乱してくる。
だってそうだよね? あんたこないだ、どんな台詞吐いてったよ?
あれは白昼夢だったんすか?
「だってさ、葵ちゃん、覚えてなさいよっって言ったよね?」
「言ったよ? わたしのこと、忘れないでちゃんと覚えておいてねって」
「そんなニュアンスじゃなったように思うんですが?」
「美弥緒ちゃん、案外せせこましいのね」
ふう、と葵ちゃんが残念そうにため息をついた。
え? あたしの問題? あたしが悪いの?
ぽかんとしたあたしに、葵ちゃんが説明がましく言った。
「美弥緒ちゃんと一緒にいれば、祈くんの視界に入りやすいでしょう? そうすれば、覚えてもらいやすいでしょう? だから、とりあえず美弥緒ちゃんと仲良くすることにしたの。こう言えば、分かってもらえるかな」
「え? えーと?」
「だから! 祈くんと仲良くなるには、美弥緒ちゃんと仲良くなることが最短手段ってこと! だから、わたしたち、オトモダチになるの」
意 味 が 分 か り ま せ ん。
じゅわじゅわとアブラセミが鳴く道端で「えー」と唸ることしかできないでいる。
先日もこの子の勢いに呑まれてしまったが、今日も今日とてだ。
葵ちゃんは最早、あたしにとって異次元の存在であると言うほかない。どうしたら、そんな結論に至るのだろうか。理解できない。
あたしの意思とか、考慮してるのか? してないんだろうなあ。
あたしって、この子にとってどんな扱いなんだろうか。
「わたし、結構友達を大切にできるタイプだと自負してるのよ。よろしくね」
「え、えーと。あたしはその、簡単にはですね」
「できないっていうの? 仲良くしたいと言っている子を無碍にできるの? 本当にせせこましい子ね」
呆れられたらしい。葵ちゃんは眉尻を下げ、残念な子を見るような視線を寄越してきた。
あ、あれー? あたしが悪いんだっけ?
と、葵ちゃんがふ、と笑う。
「美弥緒ちゃんって今、女子の嫌われ者でしょ? 友達は一人でも多い方がいいでしょ?」
「うあー、直球ぅ」
「あ。それより、確認事項があったわ」
葵ちゃんの研ぎ澄まされた一閃に胸元を押さえたあたしだったが、葵ちゃんは気にもしない。どころか、前回にも見た冷ややかな表情に切り替わった。どこかスイッチでもあるんだろうか。瞬間芸の域ですよ、それ。
「祈くんと付き合うことになったわけ? 不本意際極まりないけどなったんでしょうね、どうせ」
「あ、う」
思わず知らず頬が赤くなる。堪らず俯けば、でかい舌打ちが聞こえた。美少女の発する音じゃない。
「何、口ごもっちゃってるわけ? あーはいはい、了解了解。それ以上何も言わなくっていいわ」
「え、えーと」
そっと見上げると、葵ちゃんはあたしをまじまじと見つめて、「ホント、ブスよね」と吐き捨てた。胸が痛い。
「綺麗には程遠いのよね。ああもう、どうしてこんなブスがいいのかしら。祈くんにどぎつい眼鏡でもプレゼントしたいくらいよ。それとも雷に打たれてもらったほうがいいのかも。祈くんの欠点は趣味が極悪ってところよね。そう思わない?」
「……えーと、葵ちゃん、その、イノリはあたしの」
「ああ、ノロケは結構! 見目の良い芸能人でさえそういうのはウザいのに、あんたみたいな女から聞かされたらストレス過多で死んじゃうから、わたし」
葵ちゃんの口撃に返す手がない。美弥緒のHPはあと僅かだ!
じゃなくて。
ここまで言っておいて、この子はどうやってあたしと友情を育もうと言うのだろうか。育む気は果たしてあるのだろうか。
立ち尽くすしかない、路傍の石像と化したあたしに、葵ちゃんが、ついと視線を寄越した。
「でもまあ、わたしの引き立て役には充分だし、性格くらいはいいんでしょうし、いいとするわ。仲良くしましょうね」
「は、あ」
「安心して。わたしって結構友情には篤いの」
「うそだ」
おっと。ぽろんと本心が。
しかし、友情に篤いらしい葵ちゃんはにっこり笑った。
「本当よ。とりあえず、わたし以外の人間が美弥緒ちゃんに危害を加えるのは許さないから」
やっぱ、意味分かんねえっす。
意思疎通できる可能性は僅かだとは思うが、それでも口を開こうとしたあたしを阻むように、いやさ、助けるように、爽やかな声がした。
「おはよう、美弥緒」
違った! 助けじゃなかった!
声の主は、穂積だった
「家まで迎えに行ったらもう出かけたっておじいさんが仰るものだから、走っちゃったよ。ははっ!」
夢の国の王様よりも爽やかに笑う穂積の笑顔が痛い。
うう、なんだこれ。葵ちゃんに穂積って、どんな組み合わせだよ。
「あら、穂積くん、おはよう」
「おはよ、葵ちゃん。なに? 美弥緒側から攻めてくパターンにしたの?」
「そうなの。美弥緒ちゃんの友達って、穴場でしょ。祈くんに接触しやすいし」
「良い読みだと思うね」
「祈くんにこれまで以上に近づけるし、イケると思うわ」
おいおいおいおい。
それって、本来あたしに聞かすべき内容じゃないと思うんですけど!?
「穂積くんもタラシの名に恥じないように頑張ってよね。こんな子一人、どうとでもしてくれないと困るのよ」
「そんな名は掲げてないんだけど、善処するよ。ね、美弥緒」
この二人、どんな育て方をされたのか。
美男美女は、一般庶民とは教育法が違うのだろうか。
価値観がね、大幅にずれてる気がしてならないんですけどね。
綺麗な笑みを二つ向けられて、乾いた笑みしか浮かべられないあたしであった。




