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16.真の女好きにボーダーラインはない

16.真の女好きにボーダーラインはない



ぐんぐん上昇していく室内温度にいい加減うんざりしたころ、授業が終わった。

しっとり汗ばんだ肌に、制服のワイシャツが張り付いて気色悪い。

こんなんじゃ授業に身が入るわけないっつーの。

じいちゃんが老人会の集まりで貰ってきた鳴沢様うちわを、ばったばったと扇いだ。


「うあー、暑いー」

「森先生、早く来ないかなあ。遅いねえ」


掃除も終わり、残すは森じいのHRのみ。

なのだが、森じいが来ない。

1組なぞ既に帰り始めておるではないか。


きゃいきゃいと楽しそうに帰宅している1組の生徒をぐぬぬ、と眺める。

10分かそこらの差かもしれないけど、羨ましい。

と、紙パックのアイスティーをちゅるる、と飲んだ琴音が、そういえばと声を上げた。


「そういえばミャオちゃん。放課後、大澤くんとどこか行くの?」

「んあ?」

「ほら、今朝約束してたでしょ?」

「ああ。いや、ちょっとね」


へへ、と笑うと、琴音がぷうと頬を膨らませた。


「ミャオちゃんがあたしから離れてくー。親睦旅行の朝から何かかわっちゃったみたいで、琴音さみしーい」

「い、いやそんなつもりはないよ?」

「じゃあ、なあに? 教えてよう、ミャオちゃん」


ちろりと横目であたしを見る琴音。


琴音には結局タイムスリップのことは言えていない。

いや、一度は言おうとしたのだけど、『タイムスリップしたんだ、あたし』と告白した時点で、


『ありえないしー。あたしがそういう話嫌いだってこと、ミャオちゃん知ってるよねえ?』


と不快感を露にされ、あっさりと切り捨られたのだ。


なので、イノリとどうしてこんな関係になったのか、とか上手く説明できていない。


琴音の中では、幼い頃にあたしに出会ったイノリがあたしに恋をし、その想いを今まで抱えてきた。そして高校で運命の再会を果たした、とかそういう感じのストーリーが出来ているらしいのだが。

まあ、それはあながち間違っていないし、どちらかといえば微妙に真実に被っているので、それを否定してないのだけど。


「ええと、あの、あれなんだ。両親から9年前の話の新エピソード的なものを聞いたので、それを教えたくってさ」


考えつつもたもた答えたあたしを、琴音は別の意味にとったらしい。

むふ、と妙な笑みを浮かべた。


「そっかぁ。そういうことかあ。うんうん、二人の大事な思い出だもんね。秘密にしたいところだよね」

「は!? い、いやそんなんじゃないし!」

「照れなくていいってばぁ。大切な思い出ほど、しまっておきたいよね。ごめんね、変なこと訊いちゃった」


ぬう。何か勘違いしとる。

しかしここで否定しても、まともな説明はできん。

言葉を返せずに、琴音の手から紙パックを奪い取り、じゅるると飲んだ。


「ぬあ。温いな」

「今日は暑いからねえ」


さっき買ったやつなんだけどなー。。

もう温くなってしまっている。

でも、文句は言えない。夏は水分補給が大事だしね。

と、琴音があたしの顔をじいっと見ているのに気が付いた。


「なに。今更まじまじと見るもんでもないぞ。いい加減見飽きてるだろ」

「やっぱり大澤くんと付き合うの?」

「は?」

「今はさ、ミャオちゃんは急展開に心がついていかないって言ってるし、傍で見ているあたしもそうだろうなって思うのね。でも、心が落ち着いたらやっぱり大澤くんと付き合うのかなあって」

「え、あ、は」


急に何を言い出すのだ、この子は。


「ミャオちゃんの運命の相手って感じだもん、大澤くんって。

9年前の出会いと想いをずうっと抱えてて、しかも高校で劇的な再会だよ?

小さな恋の物語だよ! ドラマだったら絶対くっつく設定だよ!」

「い、いや、イノリと運命とかそんなことないって!」

「そんなことあるってばあ!」


いやいや。これドラマじゃねえのよ、琴音さん。

ドラマっていうのは見目の良い美男美女が主人公、ってのが古来からの決まりごとだろうよ。

光源氏だって相手が不細工だったら話が進まねえだろ。

美人とイロイロやるから華があって面白いんだよ。

あ、でも末摘花って一応ヒロインの一人なんだっけ。

醜いけど性格美人、とかそんな感じだったような。

幼女に熟女に人妻に義母にとまあ、本当に範囲広いよな、あの人。


真の女好きにボーダーラインはないのかね。


って、そんなことはどうでもいいんだ。

とにかくこれは現実の話だしー。

そうそうドラマのようにはいかないわけだよ。


半ば独り言のようにぶつぶつ呟きながら、紙パックを再び手にした。

じゅるる、と音を立てて飲むあたしを見て、琴音が納得できない、というようにため息をついた。


「もお。ミャオちゃんてば、どうして分かってくれないかなあ」

「分かってくれないままで、いいけどなあ。運命だなんてそんなこと言ったらオレは当て馬になっちゃうじゃないか、琴ちゃん」


突然頭から降ってきた声に、ぶ、と常温になったレモンティーを噴いた。


「ほ、穂積……」

「穂積くん……、聞いてたの?」

「うん。聞いてた」


驚くあたしたちに、悪びれずにっこりと答える穂積。


「好きな女の子のこと、色々知っていたいからさー。情報収集も大事でしょ」


堂々と何を言ってんだ。

つーか、穂積さんって爽やかな外見に反してちょっと黒くないか?

薄々思っていたんだけどさ。


「でさ。美弥緒、やっぱり前に大澤に会ってたんだ? この間までは『知らない』って言ってたのに、どうして分かったの?」

「え? あー、ええと、両親に聞いて、まあ」

「じゃあ、最近の大澤の態度があからさまになってきたのも、その辺りの話からなの?」

「ええーと、そ、そんな感じ、かな」

「急に『大澤』から『祈』なんて呼び方に変わったのも、おなじ理由かな?」

「ひ!? あ、ああうん。まあそんな感じです、はい」


気付いてたの!? つーか、色々突っ込まないでよ!

内心慌てながらも頷いた。


「ふうん、そっか……」


穂積が呟くのとほぼ同時に、森じいがようやく姿を見せた。


「すまんすまん! 電話が長引いてなー。よーし、座れー。ちゃっちゃと終わらせるぞー」


おっさんのくせに長電話してんじゃねえよ! とどこからか突っ込みが入ったが、まるっと同意。

遅すぎなんだよ! 結局うちのクラスが一番遅いし!


「じゃあね、二人とも」

「え? ああ、じゃあね、穂積」


あ、穂積の質問攻めが終わったのは幸いだったかも。

森じいGJ!

って、そもそも森じいが遅いからこんな時間が発生したんだった。

やっぱ森じいが悪いんじゃん!


ぶうぶうと文句を言う生徒に辟易したのか、森じいは連絡事項もそこそこにHRを終えた。


「じゃあ、また明日ね。ミャオちゃん」

「あ、うん。じゃーね」


ようやく帰れるー、とざわざわし始めた教室内。

部活があるという琴音を見送っていたら、森じいのしゃがれ声が響いた。


「大澤ー。高原先生が職員室に来いって言ってたぞ。オマエ、なんか頼まれてたんだろ」


森じいの視線の先にいたイノリがげんなりした表情を浮かべた。


「資料整理、だ。掃除のときに捕まったんだった……」

「早く行けよー。高原先生のクラスはもうとっくにHR終わってるぞー」

「遅くなったのは森じいのせいだろ!」

「はは、そりゃそうだ」


がははと笑う森じいにしかめ面を向けてから、イノリがあたしに視線を向けた。

申し訳なさそうに小さく頭を下げるので、口パクで『手伝おうか?』と言った。

が、首を横に振られた。


「いい。悪いけど、少し待っててくれ」


それはいいけど、と頷いた。

自慢じゃないが、予定なんて何にもないしね☆


森じいと共に教室を出て行くイノリを見送った。



あっという間に教室内にはあたし一人きりになってしまった。

静まり返った教室に、じゅわじゅわという蝉の声が一際大きく響く。


イノリが行ってしまってから既に30分が経過していた。

むう。今日は待たされる一日なのか。

こうしているのも退屈だし、イノリについて行って手伝えばよかったなー。


教室の隅に放られていたジャ●プを読んで時間を潰そうとしたものの、普段読まないから内容が全然分からず。

仕方がないのでギャグマンガだけ拾い読みして、元に戻した。

いまいち笑えなかったのは、あたしが成長したってことかなー。

ジャ●プの卒業は大人の階段を一つ登った証拠、なんてなー。


つーか。


「のどかわいた……」


常温のレモンティーじゃ、乾きは潤わなかった。

こんなときはそう、冷たい緑茶しかない。

きゅうううう、と一気飲みしたい。


「……買いに行くか」


カバン置いてるし、万が一イノリが戻ってきても分かるよな。

財布を握り締めて、教室を後にした。


人気の無くなった廊下をほてほてと歩く。

あ。遠くからブラスバンド部の演奏が聞こえるー。琴音はサックスのはずなんだけど、どの音がサックス? 聞き分けできなくてごめん、琴音。

でも上手いよなー、うちのブラバン。

ふんふん、と鼻歌で参加しつつ、歩く。


「好き、です」


んあ?

今何か聞こえた?


足を止めて、きょろきょろと辺りを見渡す。


「好き、なんだ。大澤くんのこと……」


一階に向かう階段の踊り場に、女の子とイノリがいた。


う。

え。

あ。

こ、これは、告白ってやつ……?


思わず、壁際に隠れた。

な、なんかとんでもないところに来てしまった。


「入学してからずっと好きだったんだ。だから、その、ちゃんと気持ち、伝えたくて……」


泣き出しそうなくらいに震えている女の子の声。

ええと、確かあの子は隣のクラスの子だった、よね。

体育の合同授業の時に顔をみた覚えがある。

と、低く、突き放すような声がした。


「悪い。俺、好きなやついる」

「……猫娘、だよね?」

「ねこむす……?」

「猫娘。茅ヶ崎さんのことだよ。それは、噂で聞いたから知ってる。

でも、自分の気持ちを大澤くんに知ってもらいたくて……」


はあ、と女の子が大きく息をついたのが聞こえて、その重たさに我に返った。


なにしてんだ、あたし。

こういうの、よくないだろ。

立ち聞きなんて、まじで趣味悪すぎる。

気付かれないように、そっと離れなくては。

ゆっくりと足を踏み出しかけたところで、再びかぼそい声がした。


「あの、ね。猫……茅ヶ崎さんのことは、本当なの? 本気なの?」


思わず足が止まる。

いかんってば、美弥緒。

どうしてあんたはそんなに下世話な人間なんだ。

穂積のこと責められないじゃん。

せめて耳塞げって。


「本気だけど?」


耳元に手をあてる暇もなく、即答。躊躇いも何もない、きっぱりした答え。

どくんと心臓が鳴った。


「本気で想ってる」

「え……ホントに言ってる、の? だってあんなに地味な」

「地味って、何? アンタの地味って何?」


驚いたような女の子の声の後、イノリが冷ややかに続けた。


「俺にとってはあいつはすげえ綺麗だけど」

「な……っ!」


な……。

息を呑んだ。

何を言って……。


「もぉー、忘れ物するなんてまじサイテー! せめて学校出る前に気付けよー」

「ごめんって。すぐ取ってくるからさー」

「お腹すいたのにー! 昼ごはん奢ってよね」


と、一階の方から、ぎゃいぎゃいと騒ぐ声が聞こえた。

階段を上ってくる気配もする。


やばい! このままじゃここにいることが二人にばれてしまうかも!

弾かれるように、その場から駆け出した。


「――はっ、はぁ……っ!」


全力でダッシュして、教室に戻ってきた。

戸を閉め、そのまま床にへたりと座り込む。


あそこにいたこと、バレなかった、よね……?

額に滲んだ汗を拭って、大きく息を吐いた。


耳に、さっきのイノリの言葉が残っている。


『本気で想ってる』

『あいつはすげえ綺麗だけど』


どうして、イノリはあたしにそんな言葉を使うんだろう。

自分に、そんな言葉を向けられるほどの何かがあるなんて、思えないのに。

なのに、どうしてそんな言葉。


「……痛って、ぇ」


ああ、まただ。

心臓が痛い。


ちりちりと焦げていく感覚。

最近、たまにこうなる。


なんだ、これ。不整脈?

馴れない痛みの扱いに困る。


「うー……」


ガラリ。

ぎゅむ。


「……っいってぇぇぇ!?」

「あ。悪い、ミャオ」


背中の戸が急に開いた音がしたかと思えば、肩甲骨辺りを踏まれた。

踏みつけやがったのは、イノリだ。


「なにすんだよ! 痛えし!」

「いや、そんなとこに座りこんでるほうも悪いだろ。何してたんだよ」


不思議そうに首を傾げられた。

どうやらさっきあたしが立ち聞きしていたことは、気付かれていないらしい。


「え、えーと。床が冷たいなー、ってまあそんな感じだよ」

「冷たいか? 窓際のほうが風が入って涼しいんじゃねえの」

「いいんだよ、ここで! ほら、日差しは肌に悪いしな!」

「ふうん。とにかく立てよ」


ほら、と差し出された手を掴んで立ち上がる。


「待たせて悪かった」

「べ、別にいいよ。暇だし、あたし」


ちらりとイノリの様子を窺う。

特に変わった様子はない。


さっきの子、結構かわいい子なのに。

そんな子から想いを寄せられて、動揺とかしないのだろうか。


もしかして、告白慣れ、とかそういうやつ?

だったら、すげえ。

あたしはあんなの、一生慣れそうにない。


つーか、あんな断り方して……。


『綺麗だけど』


あたしなんかよりよっぽど綺麗なイノリの顔を見ていると急に言葉が甦ってきて、再び顔が赤くなってしまった。


「ミャオ? どうかした?」

「な、なんでもないっす!」


イノリに怪しまれないように首をぶんぶん振った。

消えろ! あんな台詞!


「で、俺に何か用事だったんじゃないのか?」


へ? と一瞬考えて、用件を思い出す。

ああ、そうだ。すっかり頭から抜け落ちてしまってた。


「いや、まあ大したことでもないんだけどさー」


ちょっと待ってよ、とポケットからケータイを取り出した。


「見せたいものがあったんだ。でも琴音とかにはちょっと見せられないな、と思ってさ」

「なに?」

「えーと、どこだっけ。あ、あった。ほら」


目当てのものを探し出し、イノリの目先に突き出した。


「こんなの撮ったの、覚えてたか?」

「う、わ……」


見せたのは、腕ひしぎ十字固めをかけられて悶絶する三津をバックに撮った写真。

タイムスリップしていたときに、三津のアパートで撮ったものだ。

にっこり笑った柚葉さんに、あたし。そして、ぎこちなく笑っている小さなイノリが収まっている。


「すげえ! こんなのいつ撮ったっけ!? 覚えてねえ!」

「すげえだろ!? あたしもさ、ついこの間これを撮ったこと思い出してさー。ちょっと嬉しかったんだよねー」


昨日、柚葉さんにもこれを見せたのだが、すごく喜んでくれた。

なので、イノリも懐かしんでくれるかなー、と思ったのだ。


「うわー、三津さんすげえ若くね!? 柚葉さんも! つーか俺ちっせぇ!」

「今は黒髪だもんなー、三津。つーか、イノリはちっさくってかわいいよなー」


あたしの手からケータイを奪い取って、楽しそうに画面を見つめるイノリ。

画面の隅に写るアパートの室内も、懐かしさを感じるようだ。

おお、こんなに喜んでくれるのなら見せてよかった。


「なあなあ、これさ、俺のケータイにも転送してくれ」

「いーよー。昨日さ、柚葉さんにもあげたんだ、これ」

「あ、柚葉さんのところ行ったのか? 俺も誘ってくれたらいいのに」

「ぬわ? あ、いやそれはほら、柚葉さんとガールズトークをだな、するからその、ダメだ」


半分はオマエの相談みたいなもんだったし。誘えるわけがねえ。

慌てて言うと、イノリが噴きだした。


「ぷ。ミャオがガールズトークって、なんか変」

「おい、あたしの性別は女だぞ」

「それはそうだけど、内容はどうせ時代劇の話とかなんだろ」

「む」


確かにそれもしたけど。

と、ぐるるるるるる! と景気よくあたしのお腹が鳴った。


「あ。おなかすいたなー」

「おい。女を強調するのなら少しは恥ずかしがったりしたほうがいいんじゃねえの」

「え。だってこれは仕方ないだろ。ほら、とっくに12時過ぎてるんだし」


ほれ、と壁掛け時計を指差すと、見上げたイノリが


「じゃあ、飯食いにでも行くか。俺が待たせたし、奢る」


と言った。


「奢られるほどのことじゃないからいいよ。うーん、でもどうしようかな。財布の中身がなー」


こないだ本や服を買いすぎたからお金がないんだよなー。

うーん、やっぱバイトでもしなくちゃダメかなー。


「気にしなくてもいいぞ。俺、三津さんの店のタダ券持ってるから」

「ぬ!? 三津の!?」

「ちょうど二人分ある」


どうする? とイノリが訊いた。


三津の店と言えば、いつだったかランチのパスタが絶品だとテレビで紹介されてた!


確か海老のトマトクリーム!

ぷりんぷりんの海老がたっぷりの!


行くしか。もう行くしかないだろう。


「行く! 海老食べたいです! じゃあすぐ行こうぜ」


ひゃっほい、とカバンを掴んだあたしを、イノリが苦笑しながら見ていた。



★本日のランチメニュー★


夏野菜と雑穀米のリゾット

採れたてフルーツトマトのカプレーゼ

シェフ自慢の特製スープ

とろとろプリンのキャラメルソースかけバニラアイス添え

エスプレッソ


ぷりぷり海老、とっくの昔に終わってた……。


「ちょっと悲しい……、でも米おいしい……」


たくさんの観葉植物と、大きな天窓のお陰で明るい店の片隅。

イノリと向かい合うように座ったあたしは、小さくぼやきながらスプーンを口に運んだ。


海老、食べたかったなー。

けど、米好きとしてはリゾットもたまらんとです。

とろとろのご飯ってどうしてこんなにも美味しいんだろう。

つーか、雑穀米、いい。うちのご飯もこれにしたらいいのに。


「ここに、海老のクリームパスタってあんじゃん。ランチじゃなくてこれ頼んだらよかったんじゃね?」


ほれ、とイノリがメニューを差し出した。それをちらりと見る。


「そっちのはトマトじゃなくてホワイトソースだもん。それにリゾット好きだし、ランチ限定のデザートも食べたかったし、こっちのがいい。

だってさー、プリンとアイス、両方食べれるなんて嬉しいよなー」


「ふうん。じゃあ俺のもやる」

「は? イノリが食べればいいじゃん」

「甘いものはあんまり食わない」

「は!? あんなに美味しいっつってチョコ食べてたじゃん!」

「ガキの頃の話だろ。今はほとんど食わねえよ」

「ぬ、ぬわ」


口の周りにチョコつけて、『これおいしい!』なんつってたイノリがそんなこと言うなんて!


「あ、あんたおっきくなったねえ。いつの間にかいっちょまえになって、まあ」

「おい、近所のオバサンみてえなこと言ってんぞ」


ぶ、とイノリが噴き出した。


「だ、だってさー、こないだはチョコでもアイスでもがつがつ食べてたじゃん」

「そりゃ、あのときはまだ小さかったしな。つーかミャオ、こないだじゃなくて9年前だ」

「9年前なのかもしれないけど、あたしにはこないだなんだもんよ」

「あー、そっか。ミャオにはそうなんだよな」


ああ、とイノリは頷いた。


「それ、今でも不思議なんだよなー」


ふむ、と腕を組む。


「疑ってるわけじゃないんだぞ? ミャオの態度見てたらマジな話だってのは分かるんだ。けどさー、こう、納得いかねーっつーかさ。どうやってタイムスリップしたのか、わかんねーの?」

「全くわかんない。どうやったらできるのか、なんて教えてもらいたいくらいだよ」

「ふうん。まあ、そりゃそうだよな。タイムスリップの方法なんて分かったら大発見だもんなー」

「世紀の大発見からそのまま大金持ちルートに突入できるんだけどね。でも分かんないんだ、これが」


ぷすりとトマトにフォークを刺し、口を大きく開けて食べた。

うへへ、チーズと絡んでおいしいー。


「最初はさ、タイムスリップしたことに意味があったのかもしれない、なんて考えたりもしたんだ。でも9年前のあの時、コレだ! ということをしてないんだよねー、あたし。一体あの2日間は何だったんだろー」

「ん? 意味付けするんなら、俺を助けてくれたってだけで充分じゃん。俺からしたらすげえでっかいことだぞ」


さらりと言われた言葉にトマトを噴きだしかける。


「だからー。助けるってほどのことしてないっつったろ、あたし」

「したっつったろ、俺」


ふ、と笑って、イノリが腕を伸ばした。

近づいてきた指先が、唇の横に触れた。


「んな!?」

「チーズ、ついてた」


きゅ、と拭うように指腹が動き、離れた。

指先についたモッツァレラチーズの欠片を、イノリはぺろりと舐めた。


「ん、んあ、あああ!?」

「なに? あ、これ旨いな」


何事もなかったかのように自分の皿を引き寄せて、食べ始める。

瞬間的に真っ赤になったあたしを見て、自分のしたことに気付けよ!

セクハラなんだよ! オマエの行動は!


いや、やっぱ見んな、気付くな。


「あのときのことを話すのってこれで2回目だな」

「ん? んあ?」


急に何だ。話題変えるの早いんだよ。


「親睦旅行以来だろ。まともにミャオと話すの」

「え、あー。……そういや、そうだな」


ふむ、と頷いた。

イノリは最近穂積と喧嘩ばかりしてるから、まともに話してなかったんだよな。

周囲の目もあるから、二人で話す時間もとれなかったし。


「田中が邪魔なんだよな」


イノリも同じようなことを考えたらしい。顔を歪めてふん、と鼻で笑った。


「あー、と、そうだ。イノリは穂積と小学校の頃から同じクラスなんだって? せっかくの縁なんだし、仲良くしろよ」

「なんで。俺あいつに興味ねーもん。つーか、訊こうと思ってたんだけどさ、なんで田中のこと名前で呼んでんの?」

「へ? ああ、名前で呼んでくれって言われたから。断る理由もなかったし」

「ふうん」


む、としたように眉間にシワを刻み、イノリはトマトを口に放った。

そっぽを向いたまま咀嚼する。


「ホヅミ、ねー。仲良さそうだよなあ、なんか。それに、美弥緒だなんて名前で呼ばせてさー」

「何、不機嫌になってんだよ。つーか、名前を呼ぶくらいはいいだろ。ほら、向こうはもうミャオって呼んでないわけだし」

「……ハイハイ、ソウデスネー」


あー、失敗した。

穂積の名前が出た時点で話を変えておけばよかったか。


でも、名前の呼び方なんていちいち気にするほどのことじゃないだろ。

変なところで子どもらしさが抜けてないんだよな、こいつは。


イノリはそっぽを向いたまま、もしゃもしゃとトマトを食べている。

うーむ、どうしたもんかな、これは。


「みーちゃーん、いらっしゃーい」


と、人影が差したかと思えば、それはコックコート姿の三津だった。


「あれ、三津! 仕事中なのにいいの!?」

「少し手が空いたから平気! みーちゃんさー、昨日美花ちゃんにお祝いくれたんだってな。サンキュな」

「あ、いえいえ。大したものじゃないんで」


美花ちゃんに、レースふりふりのベビードレスをプレゼントしたのだった。

小さな服を選ぶのは楽しかったです!


「柚葉がかわいいっつって喜んでたよ。で、これはオレからのサービスでっす」


コトンと置かれた二つのお皿には、ふるふると揺れる透明なゼリーが乗っていた。

中には真っ赤な何かが入っていて、青々したミントの葉とのコントラストが目に鮮やかで綺麗。


「夏限定の、フルーツトマトのゼリーだよ」

「うわあ、この赤いのってトマトなんだ!? すごい、美味しそう」

「美味しそうじゃなくて、美味しいのだよ、みーちゃん。で、二人ともデートですか? ぬふふ、ぐえっ」


やらしい笑みを浮かべる三津の腹に、軽く拳を入れておいた。


「学校帰りにごはん食べに来ただけデス」

「そ、そうすか。でも、ほら、その、なんか仲良さそうな感じだったからさ」


なあ? と同意を求める三津に、イノリは表情をぱっと明るくした。


「そう? そうかな、三津さん」

「おう。仲よさげで中々雰囲気よかったぞー、祈」


三津がぐりぐりと頭を撫でるのを、大人しく受け入れるイノリ。

あー、こういうところは小さい頃のまんまなんだなー。

少し嬉しそうにしているイノリの顔に、6歳の名残を感じる。


つーか、イノリの機嫌が良くなったな。

三津、いいタイミングで来てくれたかも。

仲むつまじい二人の様子を眺めながら、早速トマトゼリーを口に運んだ。

野菜だと思うと少し躊躇うが、見た目はすごく美味しそうなのだ。

うああ、どんな味なんだろ、気になる。


…………おお、甘酸っぱくて美味しい。トマトの風味がして、でも野菜っていうよりこの甘さは果物だ! まさにフルーツなトマト!

三津(が作ったのかどうか知らんが)、ほんとにすげえ。


「そういや、ライバルがいるんだってな、祈」

「げふ……ぉっ!?」


ゼリーがつるんと気管に入り込んだ。

反射的にげっほげっほとむせ返る。

急に何を言い出すのだ、こやつは。


「みーちゃんって面白いもんなー。そこに気付く奴がいても不思議じゃねえよ。まあ、すげえ目ざとい奴だろうけどな。そうだろ?」

「あー、はい……まあ」


イノリの顔に、一気に陰りが差した。

これじゃあさっきの話に逆戻りじゃねーか、三津!


つーか、柚葉さん。やっぱりこいつにも話しちゃったんですね……。

いや、絶対話すだろうなとは思ってたんだ。

夫婦だしね。


それに、『妖怪と呼ばれてる』、という話をしてからの柚葉さんの食いつきっぷりったらなかったもんね。

生後間もない美花ちゃんを抱えて、クリ高に突撃してきかねない勢いだったし(穂積の顔が見たかったらしい)。

黙って自分の中に収めておけるはず、ないよね。


「まあ、でもあれだよな。そいつにはさ、みーちゃんとの運命的なものは一切ないんだから、気にすることじゃねーよなー」

「え?」


イノリが驚いたように目を見開いた。


「祈のほうが断然特別なんだぜ? 見えない力で繋がってるっつーの? オマエとみーちゃんの関係はさ、簡単に間に入れないくらいすげえんだよ」

「トクベツ、っすか」

「おう。あんな奇跡みたいなことがあったんだぞ、特別に決まってんじゃねーか。だいたいな、傍で見てたオレが言うんだから、間違いねえよ。柚葉もそう言ってたぞ」

「そう、すか……」


ばんばんと背中を叩きながら自信満々に言う三津の言葉に、イノリの表情が次第に明るくなっていく。


「どんな奴か顔を見てみたいけど、絶対オマエのがいい男だぜ!」


こいつ、一体何しに出てきたんだろう。

イノリを喜ばせるため? 意味不明。

トマトゼリーを食べるのも忘れて、三津を呆然と見つめた。


「チーフ! そろそろ……」


店の奥から、遠慮がちな声がした。

今にもあたしたちのテーブルに座り込んでしまいそうな三津に痺れを切らしたのだろう。

見渡せば、店内はピークを過ぎたとは言えどたくさんの客の姿。

遊んでる暇ないでしょ、三津チーフ。

いや、ゼリーは嬉しかったけども。


「おう、今行く! じゃあ、ゆっくりな!」


と、去ろうとした三津が、慌てて戻ってきた。


「どうしたのさ、三津」

「いや、あの写真さー、サンキュな。すげえ懐かしかった」

「ああ、あれ」

「柚葉さ、アレを待ちうけにしてんだぜ。ちなみにオレの待ちうけは、美花ちゃんなんだけどなー」


にひひ、と笑って、三津は小走りで厨房に戻って行った。

その背中を見送っていたイノリがあたしに視線を向けた。


「写真ってあれだろ? さっきもらったやつ」

「そうそう、それ。あの写真は三津やイノリとしか共有できないし、見せられないもんな」


言うと、イノリは首を傾げた。


「柘植には、見せてないのか?」

「琴音? 見せてないけど」


琴音の中でうまく話ができていることだし、もうそれで突き通したほうがいい。


「タイムスリップのことも言ってないんだ。それなのにそんな写真見せたら混乱させるだけだよ」


ひょいと肩を竦めて言うと、イノリは何故か少し身を乗り出してきた。


「言ってない? なんで」

「なんでと言われても……、まあ、簡単に人に言う話でもないし、なー」


琴音が嫌う話題だし、場合によっては精神鑑定を勧められるかもしれないような内容だもんな。

いくら長く付き合った友達と言えど正気を疑われるかも、っていうか。


あれ、あたしって一度こいつに精神鑑定を勧めたんだったっけ。

初対面のときだよな、確か。忘れてるといいなー、あれ。

知らなかったとは言え酷いこと言ったよな、とちょっと反省。


「あの時間が特別……だからか?」


申し訳なさを感じていると、イノリがぽそりと呟いた。

おおっといかん、聞き逃していた。


「へ? なに、なんだって?」

「だからさ、ミャオも特別って、大事って思ってるからか、って」

「は」

「そう思ってくれてんなら、けっこう嬉しいんだけど、俺」


えーと、どういう意味だ?

重要な部分でも聞き逃してたのか?


大事って何がだ、と聞き返そうとイノリを見てみれば、眉間に軽くシワを刻んだ真剣そうな顔つきで真っ直ぐに見つめ返され。

その時何故だか急に、琴音の言葉を思い出した。


『二人の大事な思い出だもんね。秘密にしたい……』


大事……。秘密……。

ああ、そうか。そういうことか!

なるほどねと、納得しかけて、次にその意味を把握して、顔が爆発した。気がした。

子どもが単純に、素直に『あれは秘密だぜ!』っていうような意味合いじゃない。

それはこのあたしでも分かる。


イノリはあの二日間を、すごくすごく大切に思ってくれているのだ。

本当に特別な、大事な時間で、秘密にしていたいのだ。

そして今、あたしもそういう風に感じていると思い、喜んでいる。


「そういうことでいいんだよな、ミャオ?」

「あ、あうあう」

「ありがとな」


あ、うまく言葉が出ねえ。

つーか、素直にそういうこと言うなよ。

でもって、真っ直ぐにこっちを見るなよ。

そういう純粋な瞳で見据えられると、困るだろ。


「ミャオ?」


ひどく優しい声音で名前を呼ばれた。

あたしの答えを期待している表情に、胸がちくりと痛んだ。


「……い、いや、あれなんだ。琴音には話そうとしたんだ、ホントは」


口にすると、罪悪感が襲ってきた。

あの二日間へのイノリの思いを、改めて知った気がした。


「でも、琴音はそういう科学で説明できないような話は毛嫌いするタイプでさ。

『タイムスリップした』って言ったら『ありえない』ってあっさり切り捨てられた。

信じてくれなかったんだよ。だから話そうにも話せなかっただけ、だったりするんだ」

「そりゃ、このまま内緒にしとこうかなとか思わなかったわけじゃないんだ。あの二日間はあたしにとってもすごく貴重な、大事な時間だし。話すのがもったいない、みたいなセコいことも考えたりもした。

でも言おうとしたし、琴音がそれを信じてくれる性格だったら色々話してしまったと思う。だからその、なんか、ごめん」


もぐもぐと話しているうちに悪いことをしてしまったという思いが次第に強くなり、最後には深く頭を下げていた。

不快、にさせてしまっただろうか。

未遂だとは言え、自分が大切だと思っていることを、他の人に話されたら嫌だよな、やっぱり。


絶対にイノリは不機嫌な顔をしているだろうと思うと、しばらく顔を上げられなかった。

がしかし、ずっとこうしているわけにもいかない。

長々と頭を下げていたあたしだったが、おずおずと顔をあげてみた。

とそこには体を折ってくっくっと笑っているイノリがいた。


「あ、あれ? イノリ、どうした?」

「いや……なんでもない」


そう言う割には笑いが全然引かないんですけど。

なに、何か変なこと言った?


「なんだよー。これでも真面目に話したんだぞ、あたし」

「や、分かってるって。だから嬉しかった」

「は?」

「話すのがもったいない、ってそれだけで充分だ、俺は」


笑いすぎたのか、目尻に滲んだ涙を拭って言う顔は、すごく楽しそうだった。

その無邪気な笑顔に、何故だか胸がまたちくんと痛む。

あれ、なんでだ。

今痛む意味が分からん。


「そういう気持ちがミャオにあったってだけでいい。謝ることは何もない」

「あ、あー、うん」


あれ、顔までも少し熱い気がする。

風邪の引き始めか、これ。

そういえば心臓の痛いのが、動悸に変わってきたような気もする。


「そういや柚葉さん、あの待ち受けにしてるって言ってたな」

「え、あ、うん」

「俺もそうしようかな」


ケータイを取出し、かちかちと操作するイノリ。

楽しそうな様子に、何故か心臓の動悸が連携している気がして顔を逸らした。

うー、なんだこれ。


「ほら、どうだ?」

「へ? あ、なかなかいいな。あたしもしようかな」


自分のケータイの待ち受けもあの写真に変えてみた。

かわいいイノリ(小)の笑顔がこちらに向けられている。

うむ、なかなかよいわ。


「貴重な小イノリの写真だもんなー。ぬふふ」

「貴重なのはそこじゃないだろ」

「いや、貴重だろ。ほら、こんなにかわいいんだぞ」

「俺はこの状態で笑ってる柚葉さんがすげえと思うんだけどな」

「あー、そこな。すごいよな、あの技のキレといい」

「今も夫婦喧嘩のときにはやってるらしいぞ」

「まじかー。見たいな」


イノリとケータイを向かい合わせていて、は! と気付く。

……なんかお揃いって感じじゃね? これ。


「い! いやいやいやいや柚葉さんもそうしてるんだし!?」

「な、なんだ急に」


ぎゃ! と声をあげたあたしに、イノリが驚いたように身を引いた。


「あ、いやなんでもナイデス」

「そ、そうか?」


な、なに変に意識してんだ。

深い意味はないだろ、うん。


慌ててケータイをしまいながら、動揺がバレないようにへらへらと笑ってみせる。

あれだ、あれ。話題の転換をしよう!

この話はもうお終い!


店内を眺めるフリをしながら、頭をフル回転させる。

話題、話題……。


は!

そうだ、確認することがあったじゃないか!

ずっと気になってたあれ!


いやでも、こういうデリケートな話題に触れていいのか?

でもなー、一応関わったことだし、知りたいよなあ。うーむ。


「ミャオ? どうした?」

「あ、いやその、さー。父ちゃんたちとの関係はどうなのかなー、とか思って」


躊躇いながらも訊いてしまった。

加賀父と仲が良さげなのは確認した。

しかし大澤父とはどんな感じなのか、聞いてなかったのだ。


大澤父は優しそうで、少し不器用な様子が見て取れた。

ゆっくりとでもイノリと仲を深めたのではないかと思ってはいるんだけど。

でも万が一ということもあるだろうし。

おずおずとイノリの様子を窺った。


「あー、まあ普通だな。どっちとも」


あっさりと答えてくれた、が。


「普通ってなに」

「普通だよ。普通のオヤコ関係」


普通ってものすごく曖昧じゃん。

個人の感覚に左右されるじゃん。


「具体的にはどうなんだよ。一緒に買い物行くとか、映画見に行くとかしてんの?」

「しねーよ。親にべったり、なんて年じゃねーだろ」

「あたしはじーちゃんとも買い物行くよ?」

「そりゃよかったな」

「もう! これでも心配してるんだからはっきり言えよ。仲がいいの?」


ふ、と笑うイノリにフォークを突きつけた。

むう、と睨むと、イノリは再び小さく笑った。

そして言葉を選ぶように、ゆっくりと言った。


「仲がいいかと訊かれたら、いいと思う。あの人たちのいいところとか、わかってるつもりだし、尊敬もしてる。

なにより、俺のこと考えてああいう選択をしたんだ、って納得してる」

「そ、そっかぁ」


ほっとする。

それなら本当によかった。


父親たちの想いがきちんと伝わってて、イノリはそれをきちんと口にできてる。


「よかったなー、イノリ」


思わず、うへへへ、なんて笑ってしまった。


「そういうことが聞きたかったんだ、あたしは。じゃあ、あの時大澤の家に行ってよかったってことだよね?」

「……ふ、む。そうだな。よかったと思う」


イノリの答えに、そっかそっかと頷く。


「あたしもさ、答えが聞けてよかった。ほら、あの時は何が正しいのか分かんないって言っただろ?」

「そうだったな。答えが分かったら教えるって言ったな、俺」

「そうそう」


森の中での会話を思い出していた。

あの時は、大人になったら分かるよ、なんて言ったけど、9年後でもう分かってるなんてすごいよ、イノリ。

やっぱりあの父親たちの子どもなんだな。


嬉しくてぱくぱくとゼリーを食べた。


「やー、よかった」

「心配、してたのか?」

「そりゃするだろ」


言うと、イノリは自分の分のゼリーのお皿を寄越した。


「これ食え」

「え。いいの?」

「なんならデザートも食え」

「? あ、ありがとう」


どうしてだかイノリはとろとろプリンまでくれて、あたしは二人分のデザートを胃袋の収めた。どう考えても明日からダイエットです。ありがとうございました。



「――ふい、疲れたー……」


帰るなり、ベッドに倒れこむようにして身を投げ出した。

あれから、イノリと買い物に行くハメになってしまった。

三津たちに美花ちゃん出産のお祝いを贈りたいというイノリに付き合ったのだ、が。

ベビー用品や服を買いに行っただけのことなのに、イノリと一緒だと妙に疲れたのはなぜだ。

この間一人で行ったときは楽しすぎて疲れなんか感じなかったのに。

買い物して疲れるなんてこと、めったにないのに。


いや、理由はなんとなく分かってるんだ。

気恥ずかしさ、のようなものを常に感じていたからだ。

小さな小さな服を二人で並んで眺め、選ぶという行為がこそばゆくてならなかった。

美花ちゃんの為に買いに行ったのであって、そこには何ら後ろめたいことはないのに、そわそわしてしまった。


しかも、その帰り。

車道側を歩いていたら、イノリに歩道側に押しやられてしまった。

『もう俺のほうがデカいから』などと偉そうに言うイノリは、あたしに反論する隙も与えらてくれず。

この茅ヶ崎美弥緒、とうとうイノリに屈してしまった。

紳士イノリに女扱いされてしまったのだ。


結果、ベビー用品専門店のかわいい紙袋を手にしたイノリと並んで、しかも歩道側を歩かされるという何だか背筋のぞわぞわする、叫びながらどっかに駆け出したい時間を過ごしてしまったのだ。


「あー……、なんだ、もう」


ごろりと転がって、枕に顔を埋める。

どうしてイノリに対して動揺してしまったのだ。

買い物行っただけ、それだけなんだぞ。


いや、イノリが悪いんだ、うん。

イノリのせいだ、きっと。

変なこと言うし、変なことするし、変なとこ喜ぶし。

あと、視線が優しいし、声も優しいし、ていうか色々紳士で優しいし。


三津の言葉じゃないけど、『特別』感がすんごく伝わってくるというか。

いや、特別も何も、あたしなんかに『好き』だとか言うし。

『本気で想ってる』なんて平然と言っちゃうし……。


…………。


「……って!! 乙女みたいな思考してんじゃねーぞ! あたし!」


はっと我に返り、思わずぎゃぁぁぁぁぁ!! と叫んで転がった。

なんだ今のは! オマエは少女マンガの主人公か! ヒロインか!

恥ずかしさで気が遠くなりそう! 

うあー、自分の脳内にこんな恋愛回路があるなんて!


「って!!?? 恋愛じゃねえだろ! 経験不足からの回路不具合だっつの! んぎゃ!?」


転がりすぎたらしい。勢いづいたままベッドから転がり落ちた。

無防備だったせいかフローリングの床におでこをしたたかにぶつけ、別の意味で叫びながら悶絶した。

間抜けすぎ、あたし!

痛い痛いと転がっていると、階下からじいちゃんの声。


「ネコー。暴れてないで、こぶ茶でも飲まんかー? すあま、あるぞ、すあまー!」


こぶ茶……。

すあま……。


ああ、やっぱりあたしの日常ってこっちだよな。うん。

やっぱヒロイン無理だわ。


「ネコの好きなあんこ入りのやつだぞー。勿論こしあんだぞー。食わんか、すあまー」

「…………」

「葛きりもあるぞー? 黒蜜黄粉だぞー?」

「……たーべーるぅー」


おでこをさすりながら言うと、「じゃあ支度しとくからのー」とご機嫌な声がした。


こういうときはのんびりお茶するほうがいいかもしんない。

どうも心の調子が思わしくないし、一旦リセットすることが大切だよな、うん。

まあ、こぶ茶にすあまって何だかちょっと悲しい気もするけど、両方好きだし、いいや。

黒蜜黄粉がたっぷりの葛きりも大好きだし。


って! ダイエットどうすんだ!

……明日から始めます。


「じーちゃーん! 先週の鳴沢様見るからそれも用意してぇぇー!」


叫ぶように言うと、「もうしとるわい」と返ってきた。

じいちゃん、いつも仕事が早くて素敵です!

とにかく着替えるか、と気持ちを切り替えるように勢いよく立ち上がった。



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