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14.悪食にも程がある

14.悪食にも程がある



「美弥緒、洗いものを片付けるの早いね」

「そう? でもこれってなーんにもなんないらしいよ」

「はは。オレはそんなことないと思うけど。皿洗いだって、料理に欠かせない作業だしね」

「おお、フォローありがと」


現在、夕食の支度中。

そう、生徒たちの手で夕食を全て賄うという、例のアレだ。


野菜を切ったり、味付けしたり、なんて高等技術は持ち合わせていないので、あたしはひたすらに人間食器洗い機としての役割を果たしていた。

調理に関しては、これしか能がないしね!


しかし、驚いた。

穂積も、なんとイノリも、さっさかと野菜を下ごしらえしてしまったのだ。

その手つきたるや鮮やかなもので、ああ、日常的に料理をしているのだな、と理解するには充分なものだった。

えー、すげえ。なに、この2人。


台所は女の職場、という信念を持っている我が家の男性陣は、包丁なんて握ったこともないのに。

じいちゃんなんか、インスタントラーメンも作れないのにー。

孝三にしても、作れるのは目玉焼きだけだしな。

って、同じレベルのあたしが言うのもなんだが。


しかし、それは大層時代遅れな考えであるらしい。


玉ねぎを見事なみじん切りにしてしまった穂積を熱心に誉めていたら、たまたま近くにいた竹内先生(2組担任で、家庭科教師)にそれを聞かれており。


『今では男も料理ができて当たり前の時代だって言葉、あなたも聞いたことがあるでしょう? よおく、それを反芻してみなさい。男も。「も!」よ? 女は当然、できることが前提の言葉なのね。感激してないで、あなたもこれくらいできなくちゃダメなんだからね。皿洗いだけじゃ、なーんにもなんないのよ』


などと小言をくらってしまった。

うーむ、家庭科の調理実習で、えらく分厚いジャガイモの皮を作成してしまったあたしを、竹内先生は忘れていないらしい。

勿体無い精神のもとに、きちんと美味しく頂いたので問題ないと思ったんだけどな。

油で焼けば大概は美味しくなるもんだ。うん。


しかし、あたしもそろそろ幸子に料理の一つでも教えてもらったほうがいいのかなー。

琴音たちのようなオサレな名前のものは無理だが、とりあえず味噌汁くらいは、うん。

あ、あと、カレーだな、カレー。

小学校のキャンプも、中学校の校外実習も、全て皿洗いに没頭してきたあたしは、カレーすら作れないのだ、イエイ☆

って、全然自慢になんないけどー。


「そういえば、足、平気? 座ってたら?」


調理器具も一通り洗い終えたころ、穂積が手近にあった椅子を押しやってくれた。


「神がかり的なテーピングのお陰で平気。でも、ありがとう」


無理はするな、とお医者さんに念押しされているのだ。

安静にしないと、治りが悪いですよー、と。

これ以上悪くしたくないし、有難く座っておこうっと。


「痛むのか?」


よいしょ、と腰を下ろすと、新たな声がかかり。

見れば意外に近くにいたイノリが眉根を寄せていた。


「今は平気だけど、無理はよくないかなって思って」

「そうか」


ふ、と近寄ってきたかと思えば、あたしの足元で膝をつく。

なにをする。と言う間もなく、足首に触れた。


「腫れ、少しは引いたみたいだな、よかった」

「え? あー、うん。いやええと、別に確認しなくても、さあ」


そっと触れる手が優しい。

のだが、だからって触んなや。穂積の顔が固まってんぞ。


「大澤って、そんなことするんだ……」

「あ? なにが」

「いや、その……いいや、何でもない」


言い躊躇って、結局口を閉じた穂積。多分言葉が見つからなかったのだろう。

しかしあたしの足首をそっと撫でているイノリを唖然とした様子で見ている。


つーか、マジで足離せって。

心配してくれるのはそりゃ有難いが、でも止めろって。

人目をひくとまた問題になるから。鬼のような責めを受けるから。

思わず周囲を見渡す。幸いにも、こちらに視線を寄越している者はいない。


へい、と足を振ってイノリの手を解いた。

目で『触んな』と告げると、不服そうに立ち上がった。


うーむ、子どものときの名残なんだろうか? 安易に触れてくるのは。

口数は少なくなったみたいだけど。


「大澤くーん、配膳の準備手伝ってくれるーぅ?」


のんびりとした琴音の声がかかった。


「ああ」


短く答えて、イノリはついとあたしを見下ろした。


「なに?」

「あとで話がしたい」


おい、今言うなよ。

穂積の顔に、興味の色がありありと浮かんだだろうが。


「自由時間、空けてくれないか」


夕食後は入浴となっている。それから就寝時間の22時までは、自由時間なのだ。

とは言っても、レクレーション室で映画上映、外のグラウンドで花火(後に校長主催のフォークダンスに移行予定)、講堂での卓球大会など、自由参加のイベントがある。

もちろん参加せずともよいので、あたしは部屋で鳴沢様を視聴するつもりだった。

電波も入ってるし、視聴に何ら問題はないのは確認済みなのだ。


が、ここはイノリとの話が最優先事項であろう。

イノリも、あたしの急変ぶりに驚いていることだろうし。


「わかった、いいよー。お風呂のあとロビーにいるから、声かけて」

「ん」


頷いて、イノリは琴音の元へ行った。


「驚いたなー。オレが間近で見てるのに、直球で誘うんだもんな」


後姿を眺めていた穂積が、ほう、とため息をついた。


「今朝のことといい、2人に何かあったの?」

「へ? いや、別に、ない、けど」


つい歯切れが悪くなってしまう。

タイムスリップしました、なんてそうそう言えないしな。


「ふう、ん」


ひょいと穂積があたしの顔を覗きこんだ。


「何かあったって顔、してるんだけどなあ。昨日の君から考えたら、大澤に大人しくおぶわれるなんて、ありえないよ」


くすり、と笑われて、カンがいいなあと思う

確かに『前日』までのあたしだったら、いくら足を怪我していても大澤に体を預けるなんて真似しなかっただろう。


「ええと、あの、遅刻しそうだったし、急いでたから、さあ。すんごく痛かったし」

「ふうん?」


信じてないなあ、こりゃ。

仕方ない、あとでイノリと適当な話を考えておくか。

今はとりあえず話を逸らしておこう。


「美弥緒ってさあ、彼氏はいないよね?」

「は?」


意外にも、穂積のほうから話題を変えてくれた。

よかった、という気持ちも付けて、深く頷いてみせた。


「いないよ、もちろん」

「そっか。じゃあさ、好きな奴はいる?」

「好きなやつ?」


ぱっと思いついたのは、鳴沢様(三代目フェイスで再生)。

いや、違う違う。鳴沢様とは永遠に添い遂げられないことくらい、承知してるのだ。


じゃあ、えーと、金吾様?

って加賀父かいっ!

いや、そっちのがリアルだけど、でもある意味リアルじゃねえ。

あの人を恋愛対象にするなんて、罰があたる。絶対。


「……いないな」

「ふふ。ずいぶん考え込んでだけど?」

「ああ、それは劇中人物しか思いつかなかったからさー」

「は?」

「名奉行鳴沢右衛門之介。知ってる? 渋いんだよー」


すんげえ好きなんだよね、と付け加えると、きょとんとした穂積だったが、くすくすと笑い出した。


「じゃあ、周囲にはこれといっていない、ということでいいの?」


周囲、ねえ。

そもそも親しい男の人なんていないしな。


と、イノリの顔が思い浮かんだ。

あれも親しいって言えるのか?

結構仲を深める経験だったと思うんだけどな。

いやでも、あれは幼いイノリと過ごしたんだし、それからは9年の空白があるんだもんなあ。

つーか、あいつはあたしをどう思ってんだろ。

もしかしたら、本当に妖怪の類だと思っているかもしんない。

普通に考えたら、9年前と全く同じ容姿の人間って怖いもんな。


ふ、と見れば悠美と一緒に何か作業している背中があった。

うーむ。これから説明するつもりでいるが、果たして受け入れてくれるだろうか。


「美弥緒?」

「へ? ああ、ごめん。周囲にもいないかな」

「ふう、ん」


考え込むように顎に手をあてた穂積だったが、ふっとあたしに視線を寄越した。

その眼差しに、さっきまでの穏やかな笑みが霧散していることに気付く。


「なに? 穂積」

「じゃあさ、オレなんてどうかな?」

「は?」

「好きになってみない? オレのこと」


いつもより低い声音は、彼が真剣だということだろうか。

いやでも待て。

なんつった、今。


「え、えーと、どういうことかな?」

「オレのこと、好きになってみない? って言ったんだよ。欲しくなったんだ、美弥緒の気持ちが」


穂積を好きになる?

あたしの気持ちが欲しい?

冗談?

いやでも目の前の穂積にはからかいめいた空気はない。

どうやら本気で言ってるらしいと感じ取ったあたしだが、だからといってハイそうですかと納得はできない。


「な、なんで?」


訊くと、至極当たり前といった感じで


「誰かの気持ちを欲しいと願うきっかけなんて、突然訪れるものなんだよ」


と言われた。


いやいやいや、全然わかんねえ。

突然すぎだろ。


「え、えーと。前に言ってたアレ? 色んな味が知りたい的な?

でもあたしなんて、悪食にも程があると思うけどなー、あはは」


こういう事態には全然慣れていないので、どうしていいのか分からない。

とりあえず笑ってごまかしてみた。


「確かに、美弥緒みたいなタイプは今まで付き合ったことがなかったかな」


うん、と穂積が頷いた。


「だから気になったのかもしれない、それは否定しないよ」

「えーと、結局物珍しいってことだよね? でもあたしって別段面白い女じゃないよ」

「そういうことを口にすること自体、面白いと思うけどな」


ようやくくすりと笑ってみせて、しかし顔を引き締めて穂積は言った。


「でも、物珍しさだけでこういうこと言ってるんじゃないよ。美弥緒にすごく惹かれたんだ」

「な、なんで? どうして?」


疑問符ばかりが口をつく。

穂積がそんなことを言いだした理由が分からない。


「なんで、って。好きになるのに理由っている?」

「全く理由がない、なんてこともないよね?」


穂積とクラスメイトになって早3ヶ月。今更一目ぼれなんてこともないだろう。

何かしらのきっかけがあってもよさそうなものだ。

そう言うと穂積は困ったように頬を掻いた。


「結構突っ込んで訊くんだね。そういうの、確認しないとダメ?」

「ダメってことはないけど、でも気になるでしょ」

「冷静だね、美弥緒は」

「冷静なんかじゃないよ。頭ん中じゃのたうち回ってるよ」

「ぷ。変な言い方だね。でも、そうは見えないな」


と、穂積はあたしに顔を近づけた。

くん、と寄った綺麗な顔に思わずのけぞる。

うわ、目の中にあたしがいる。吐息が顔にかかる!


「な、なに?」


顔、近すぎだろ。こんなのって馴れないんだから、緊張しちゃうから止めてよ。

おどおどと訊くと、じい、とあたしの顔を見ていた穂積が眉根をきゅっと寄せた。

不愉快そうに唇を尖らせる。


「うーん、やっぱりこれじゃダメか」

「な、なにが?」

「いや。別に」


ふい、と離れて、穂積は唇に笑みを浮かべた。


「理由は、言わないでおくよ」

「へ?」

「まだヒミツにしとく。でも、しっかり頭に刻んでおいて。オレは美弥緒の気持ちが欲しいんだってこと」

「は、はひ?」

「じゃあ、オレも手伝ってくるかな」


唖然としたあたしを置いて、穂積は去って行った。


な、なんだったんだ、今の。

さっきまでの穂積との会話を反芻する。

何度繰り返してみても、意図が掴めない。

なんで急にあんなこと言うわけ?

先日まで、全然そんなそぶりがなかったのに。


神楽と談笑しながら鍋の中身をよそう姿を追う。

ふと視線が合うと、にっこりと笑みを返された。

それに曖昧に笑い返していると、その前にすいと人が立ち、見ればおたまを手にしたイノリで。

あたしと穂積を見比べてあからさまに顔をしかめた。

へらりと笑ってみればぷいと逸らされ、しかし再びこちらを見たかと思えば眉間にシワを刻む。


おいおいおい、お前まで一体何なんだ。

二人から視線を逸らすように、背中を向けた。

シンクに寄りかかり、ため息を一つつく。


うーむ、よく分からん。

穂積の真意も、イノリの心境も。

どうしてこんなに一気に状況が変わったんだ。


この間まで比較的平和な高校生活を送ってきたはずなのに、男の子のことで頭を悩ます日が来るとは、人生って本当に不思議。


だいたい、穂積があたしって、なんの冗談だ。

もっとかわいくて女の子らしい、ハイスペックな女子がいっぱいいるだろうに、何故にあたし?

穂積なら選びたい放題でしょ。

さっきの話じゃないけど、たまには毛色の違ったものを、みたいな感じなのかな。

いやでも、そういう軽い様子は受けなかったんだよなー。


「うーむ……」

「ミャオちゃーん! ご飯できたよー!」


ぼんやりしてる間に、食事の支度ができたらしい。

琴音の声に我に返った。


「あ、うん。すぐ行くー」


そうだ。後で琴音に相談してみよう。

タイムスリップのことは、言っても信じてもらえないだろうな。

琴音ってSFやファンタジーの類が苦手だし、科学で証明できないものは頭から否定する性質だからね。


とりあえず穂積のことを聞いてもらおう。

うん、琴音ならきっと的確なアドバイスをくれるだろう。


となれば、早く食事を終えて琴音と話さなくては。

立ち上がり、片足を心持ち庇うようにしながら歩き出した。


途端、イノリと穂積がばたばたとやってきてあたしの腕を掴んだ。


「な、なに?」

「ん? 歩くのが辛いかなって思って。オレの腕につかまって?」

「無理しないほうがいい。ここ掴んでろ」


両脇を抱えられるように二人に挟まれた。

ちょ。なんだこれ。


「あ、あの、自力で歩けますけど」

「いいからいいから」

「……田中、邪魔。向こう行け」

「君こそね」


有無を言わさず連行される。

なんなんだよ、おまえら。

二人を見上げるが、穂積は笑みを返すだけで、イノリなぞは何故か睨んできやがった。


離せよ。目立ちたくないんだよ、あたしは!

そっと辺りを見渡せば、そこかしこにギラついた視線を感じる。


「怪我、誰でもいいから代わって……」


小さなあたしの呟きは、両脇にいる二人にも聞こえなかったようだ。



地下から汲み上げられているという温泉は、都合のいいことに『打ち身』に効くらしかった。ほほう、じっくり浸かってやろうじゃないか、と思ったのに、残念。テーピングでガッチガチの足には川上先生の手でラップが巻きつけられてしまった。

足を包むビニール袋まで渡されて、お湯に浸けるなと言われた。

ビニール越しに、効くかな。無理だよな。


「……ええ!? 本当にぃっ?」


あたしは今、賑やかしい大浴場の隅っこにいる。

隣には、頭にシャンプーの泡を残したままの琴音。

大きな声をあげたのもまた、琴音だ。


「本当なの、ミャオちゃん!」

「うーん。軽い冗談、とかではないみたい。結構真面目な顔だったし」


シャワーヘッドを頭に向けてあげながらもぐもぐと言うあたしの手を、琴音はがっしと掴んだ。

その目は異様にキラキラしていた。


「穂積くんって、見る目あるよ!」

「はぁ?」

「ミャオちゃんに目をつけるって、なかなかの才能だよ! うわー、ドキドキしてきたあ!」

「なに言ってんのさ。ほら、頭出して」


珍しく興奮した様子の琴音の頭に、えい、とお湯を濯ぐ。


「あぶぶ……。ホントだよ? ミャオちゃんの良さに気付いたなんて、穂積くんのこと見直したなあ、あたし」

「良さ、ねえ? 至って普通だけどね」

「ちょっとおじいちゃんくさい趣味があったり、言葉遣いが乱暴だったり、家庭的じゃなかったりするけど、あたしはミャオちゃんのことすごく魅力的な女の子だと思うもん」

「あれ? 何気に悪口言われてね?」

「そんなことないよ! 誉めてるんだよ!」


ぷう、と頬を膨らませる琴音に苦笑した。


「って、そんな方向に話したいんじゃなくてさー。おかしいと思わない? って言いたかったんだってば、あたしは。急にあんなこと言い出すなんて、理由があるはずでしょ?」

「ん? 理由、かあ。むー。確かにそう、かなあ……」


コンディショナーを髪に馴染ませながら独りごちる。

むう、と唇を突き出すのは、考え事をするときの琴音の癖だ。


「昨日まではミャオちゃんのことを意識してる様子、なかった気がするもんねえ」

「だよね!? あたしもそう思ったんだ!」

「うー……ん。あ。もしかして?」


はっとして、あたしに顔を向ける。


「なに? 思い当たることある?」

「もしかしたら、大澤くんじゃないかなあ?」

「は?」


どうしてここにイノリが関係あるんだ?

首を傾げたあたしに、琴音は何度も頷いてみせた。


「うん、そうかもしんない。もし理由があるんだとしたら、大澤くんが関係してるような気がする。

ほら、昨日の話だと、穂積くんって大澤くんを気にしてたみたいじゃない?

その大澤くんがさ、今朝ミャオちゃんをおんぶして登校してきたことに、何か思うことがあったんじゃないかなあ」

「はあ、おんぶぅ? それだけで?」

「それだけ、なんてことないよお! ミャオちゃんは別行動だったから知らないだろうけど、あの後もみんな大澤くんの話題ばっかりだったんだよ?

ミャオちゃんと大澤くんが付き合ってるんじゃないかってあたしに確認しに来た子も、何人もいたんだよー」

「はあ!? イノ……大澤とは何もないし!」


『何か』はあったが、付き合うとかそんな方向性のことではないのだ。

驚いたあたしに、琴音は頷いた。


「うんうん、そうだよねえ。でも、大澤くんが女の子をおんぶするなんて信じらんないって、すごい騒ぎでね? ミャオちゃんのこと好きだからあんなことしたんだって人と、優しいっていうそれだけだって人と、口論状態だったんだ。まあ、あんなにモテてるのに女の子に見向きもしなかった人のしたことだから、当たり前の騒ぎかもしれないねえ。

あたしもアレを見たときはすんごくびっくりしたよ? 特に、ミャオちゃんが大人しく背中に乗ってたことに、だけどー」


にやりと笑って見せる琴音。

うう、やっぱりソコをついてきますか……。


「ええ、と。いや、もう足が痛くて痛くて仕方なくてですね、はい」


ビニールに包まれた足を大げさに擦ってみせる。

穂積にも指摘されたけど、やっぱりあたしが大人しく背負われることって、おかしかったみたいだ。

まあ、あんだけ毛嫌いしてたわけだしなあ……。

しかし困ったなあ。

琴音にはイノリとのこと、どう説明したらいいんだろう。

上手い理由が思いつかん。

とりあえずへらりへらりと笑ってみせたあたしに、琴音はふうん? と意味ありげな視線を寄越した。


「まあ、その辺りはまたゆっくり聞くことにするけどー。ミャオちゃんが話してくれるの、待つしね? あ、頭流してくれるかなあ?」

「あ、ハイ!」


しゃわしゃわとお湯をかける。

長い髪を手際よく洗いながら、それでね、と琴音が言った。


「それでね、これは仮定の話なんだけどー、穂積くんも大澤くんがミャオちゃんのこと好きなんだと思ったんじゃないかな。

で、常々コンプレックスを抱いていた穂積くんは、大澤くんからミャオちゃんを奪っちゃおう、みたいなことを考えた、とか」

「は?」

「穂積くんの話からすると、大澤くんには負けっぱなしだったとか言ってたし、そういうこと考えてもおかしくないかなー、と思うんだよねえ。

あ、シャワーもういいよ。ありがとお」

「あ、うん……」


話の内容を脳内で咀嚼しているあたしを放っておいて、琴音は濡れた髪をタオルで拭いた。ヘアクリップで器用にアップにする。


「まあ、ふっと思いついた仮説だから、全然違うかもしんないんだけど。

それに、あたしとしてはただ単にミャオちゃんが好きになったんだ、って信じたいもん。ごめんね、告白に裏があるかも、みたいな言い方して……って! ひゃ、何!?」


困ったように眉を下げる琴音の肩をがっしと掴んだ。


「それだ! すごいなあ、琴音! きっとそれだよ!」

「ええ? 何?」


まるっと納得した。

そうか、そういうことかー。


そういや、穂積ってイノリを意識してた、みたいなこと言ってたっけ。

そっかそっか。今朝の一件でイノリがあたしのことを好きだとかそういう勘違いをして、それでああいうこと言ったわけか。


「やー、そうかー。別にあいつとはそんな関係じゃないのにな? あはは」

「へ? ミャオちゃん、怒らないの?」


すっきりして大きな声で笑うあたしに、琴音が不思議そうに言った。


「へ? 何で怒るのさ?」

「だって、男の意地みたいなもので告白された、なんて嫌でしょ?」

「別に? むしろ分かりやすくていいと思うけど。好きだとか言われるより納得できる」

「もお、ミャオちゃんてば……」


呆れた、と琴音は肩を竦めた。


だって本当のことだしな。

いや、ダシにされるというのは嫌だけどさ。

でもそれって穂積の見当違いなわけだし、だいたいあたしは穂積の言ったことを最初から鵜呑みにして信じてたってわけでもないし。


「とにかく、穂積に勘違いだよって教えてやろ。早く分かったほうがいいだろ」

「ちょっと! それはダメだよ!」


好意で言ったつもりだったのに、ぶんぶんと首を振って否定された。


「なんで?」

「だって、穂積くんの気持ちが本当だったら傷つけちゃうよ!」

「ええー。それはないって」

「わかんないじゃん、そんなの! 本気で告白したかもしれないのに、裏があるんでしょ?なんて言われたら悲しいよお!」


琴音がいつになく強い口調で言う。


「穂積くんが大澤くんへの対抗意識でそういう発言をしたっていうことが確定するまでは、絶対に言っちゃダメだよ? 分かった?」


確定するまで、も何もそれ以外に理由はないだろうに。

琴音ってば本気で穂積の言ったことを信じてるんだろうか。


「んー……まあ、了解しました」


反論は許さない、といった様子の琴音に大人しく従っておこうと、しぶしぶ頷いた。


「よろしい。で、穂積くんの気持ちがちゃんと分かったときはまた相談してね?」

「うん、そうする。あ、そうだ」


こくんと頷いて、これから約束があったことを思い出した。


「自由時間さあ、ちょっと用事があるんだ。待たせたら悪いから、早めにお風呂上がるわ」


琴音のお陰で穂積の問題は解決したも同然。

次はイノリの問題だよなー。

うーん、何から話そう。

よいしょ、と立ち上がったあたしを見上げて、琴音がぷ、と噴きだした。


「どうせ鳴沢様でしょお? こんなとこに来ても観るの?」

「んー、いや、大澤と約束してるんだ」


何気なく言ったのだが、マズかったようだ。


「はあぁぁぁあっ!?」


琴音の絶叫が浴場内に響いた。

視線が一気に琴音に集まったが、周囲にはお構いなしにあたしの腕を掴んだ。


「な、なに? びっくりすんじゃん」

「びっくりしたのはこっちだよお! 一体2人に何があったのおっ?」


え。

しまった。言うべきじゃなかったのか。


「べ、べつに? つーか、さっきはあたしが話すまで待つって言ってなかった?」

「だってだって、そんな急展開は想像してなかったもん! お風呂上りに待ち合わせする仲って何よう! 一晩の間に2人に何が起きたのお!?」

「ちょ! 誤解を招くような言い方すんな!」


慌てて琴音の口を塞ぐ。

きょろきょろと辺りを見渡すが、誰も琴音の台詞までは聞いてはいなかったようだ。

訝しそうに見ていた人たちも、興味を失ったように視線をそらしていった。

よし、大丈夫だ。

不満そうにあたしを見つめる琴音から、手を離した。


「視線集めるから、もうでかい声だすなよ?」

「んー、分かったけどお、じゃあ、何があったのよう」

「えーと、だな。そう、そうだ、親に訊いたらさ、子どもの頃に大澤に会ったかもしんないって分かったんだ。で、今朝助けてもらったときにその話を大澤にしたわけ。そしたら詳しく話せないかってことになったんだ。その約束がさ、自由時間ってわけですよ」

「え、そうなの?」


とっさに口をついてでた話は、案外信じてもらえたらしい。

琴音は大きな瞳をますます大きくして驚いていた。


「そうなのだよ。覚えてなかったんだけどさ、K駅に行ったことがあったらしいんだ。はは、意外だよね」

「ってことは、大澤くんは本当にミャオちゃんのことを知ってたってこと? ミャオちゃんが忘れてただけかもしれないの?」

「ああ、うん。まあ、そんな感じ」


イノリは本当にあたしを知ってたわけだしな。

嘘じゃないよな、うん。

へへ、と笑ったあたしに対し、琴音はめっと目に力を入れた。


「笑い事じゃないよお。じゃあ、ミャオちゃんが全面的に悪いんじゃん」

「う、まあ……」


あんなに大澤くんのこと睨んじゃってたのにい、と非難めいた口調で言われて、もごもごと口ごもる。


「だからさ、その、詫びもしないといけないかなーとか、ね。思う次第なんです」

「そうだねえ。それは、ごめんなさいって言うべきだよ」

「ハイ……、じゃあその、行ってこようと思います」

「はい! 行ってらっしゃいっ」


ぶんぶんと手を振る琴音に見送られて、大浴場を後にした。



加賀父がくれたのは、シンプルな黒のTシャツだった。

サイズもぴったりだし、なかなかあたし好み。

これは一生大事にすることにしよう、と心に決めつつ、ロビーの脇にあるベンチに座っていた。


花火目的の生徒達が何人も目の前を通り過ぎていくのを見送る。

ふむ、カップル率高えな。

入学してまだ3ヶ月だっていうのに、みんな素早いなー。


「花火、したいの?」

「んあ?」


声がした方を見ると、穂積が立っていた。


「あれ、穂積。どうかしたの?」

「風呂上がりに通りかかったんだけど、美弥緒が一人きりだったから、つい声かけちゃったんだ。大澤、まだ来ないの?」

「うん。まあ、時間を決めてなかったしね。あたしが早く来すぎたみたい」

「そっか。大澤が来るまでここにいてもいいかな?」


隣のスペースを指差されて、頷く。

まあ、断る理由もないし、イノリが来るまでならいいよな。


「いい、けど。でも、予定ないの? 花火とか」

「予定はないよ。だいたい、男だけで花火やっても楽しくないしね」

「穂積なら、一緒にやろうって言う女の子くらいいるだろ」

「あはは。さっき告白した女の子にそんなこと言われるとはね」


爽やかに笑って、あたしの反応を窺うように視線を寄越した。


「美弥緒が一緒に行ってくれるなら、喜んで行くんだけど?」


整った顔に浮かぶ、警戒心を抱かせない柔らかい笑み。

普段と少し艶の違う、甘やかな声音。

うーむ、優秀なハンターですね、穂積さん。

こういうことに抵抗力の低いあたしには、刺激が些か強いようです。

心臓が一瞬跳ね上がりました。


がしかし、だ。


さっきの琴音との会話を思い出せば、こんなのへっちゃらなのだ。

これは本心からの言葉ではないのだ。裏があってのことなのだ!

惑わされるな、美弥緒!


「えーと、知っての通り、先約がありましてですね」

「そうなんだよね。残念」


ひょいと肩を竦めて見せてから、ふいにあたしの髪に触れた。

くるりと指に髪を絡める。


「へ? ほ、穂積さん……?」

「髪、ちゃんと乾かさなかったんだね。まだ濡れてる」


うおおおおぉぉい! それは反則だって!

そういう直接攻撃はダメだって!

さすがに動揺するって!


「あああ、あの、適当にブローしただけなんで、その」

「せっかくの綺麗な髪なのに、ダメだよ。でもこの無防備さは好きかも」

「い、いや無防備っつーか、無頓着なだけでして、その」


ちょ。なんだこれ。

どんだけ経験積んでんだ、この人。甘い言葉をてらいもなく口にしやがる。

ああ! もう言いたい。

穂積の勘違いで、別に大澤とは変な関係じゃないんだって、言いたい!

こんなの耐えらんねーし!

でも言ったら琴音に責められるし。


はわはわとうろたえていると、目の前にすう、と人影が差した。


「なにやってんの、アンタら」


天の助け!

と仰ぎ見れば残念、外れだったかもしれない。

不機嫌そうに目を細めたイノリだった。


「美弥緒が一人でいたから、ちょっと話をしていただけだよ」

「話、ねえ?」


イノリの視線は、あたしの髪を巻きつけたままの穂積の指先に注がれている。

それに気付いた穂積が、くん、と軽く髪を引いた。

ちょ。何してんのあんた。


「美弥緒がさ、暖かいとはいえ髪を濡らしたままなんだ。きちんと乾かさないとって話してたんだよ」

「ふうん。で、いつまで触ってんの?」

「え? ああ、そうだね」


するりと髪を流してから、穂積は立ち上がった。


「さて、と。先約の邪魔をするわけにはいかないから、オレは行こうかな」


むす、としたイノリに背をむけて、あたしににこりと笑ってみせる。


「じゃね。あ、もし早く話が終わるようなら、教えてくれる? 一緒に花火やろうよ」

「え。ああ、と」

「終わんねーよ。早く行け」


イノリがあたしの声を遮る。


「はいはい、じゃあ」

「あれ? 珍しい取り合わせなのね」


初めて聞く、かわいらしい声がした。


「ん? ああ、葵ちゃん。お風呂上り?」


穂積がイノリの後ろに声をかけた。

その視線の先を見れば、かわいらしい女の子が立っていた。


「うん。温泉って、いいよね。気持ちよくてずっと入ってたんだぁ」


うひゃ、こんな子がいたなんて、チェックが甘かった。

さらっさらの栗色の髪に縁取られた顔は、ニキビ一つない綺麗な白い肌。

二重の瞳はくりくりと大きく、長い睫毛が瞬きするたびに揺れている。

湯上りのせいか上気した頬はほんのりとピンク色。

ぽってりした唇も艶やかで、にっこりと弧を描いている。


なかなかの美少女。かわええー。


「それで、みんなここで何してるの? 祈くんと、ええと?」


穂積に向けられていた視線が、くり、とあたしに向けられた。

動きに合わせて髪がさらりと揺れる。

おお、しっかり髪を乾燥させておる。

天使の輪もあるし、きちんと手入れしてるんだろうなあ。

うーむ、これは見習うべきだろうな、あたし。


「あ、えーと。茅ヶ崎美弥緒、3組です」


多少刺激を受けつつ、自己紹介。

美少女はにこりと笑ってよろしくね、と言った。


「美弥緒ちゃんって呼んでいいかな? 私は5組の大西葵おおにし・あおいって言います。葵って呼んでね」

「好きに呼んで構わないよ。じゃああたしも、葵ちゃんって呼ばせてもらうね」

「うん、ありがとう。美弥緒ちゃん」


ちょこんと首を傾げて笑う顔が、なかなかに魅力的だ。

いやー、美少女の笑顔って、いいよね、何か。

キラキラしてるもんね。ラメでも飛ばしてんじゃないかってくらいにさ。

と、葵ちゃんがあれ、と呟いた。


「もしかして、今朝祈くんにおんぶされてた人かな?」

「うあ。あ、はいそうです」


やっぱり他のクラスの人も見てたのか。

もう何度も後悔したのだが、またも後悔の念が押し寄せてくる。

本当に考えなしだったよな、あたし。


「足、怪我してたんでしょ? もう平気なの?」

「あれから病院に連れて行ってもらったし、今はテーピングでがっちり固定してもらったんで、もう大丈夫」


ベンチに座ったまま処置した足をぷらぷら振ってみせると、形のいい眉をきゅっと寄せて、


「うわあ、痛そう。よかったね、祈くんがいて」


と優しく言われた。


「あ、うん、ほんとに、ね。助かりました」


でもお陰で毒針のような視線に晒されちゃったんです、と心の中で付け足した。


「ふふ、でも驚いちゃったな。まさか祈くんが女の子をおんぶするなんて、って。穂積くんもそう思ったでしょ?」

「ああ、確かに。今まで女の子に優しくする大澤なんて見たことなかったもんな。でも残念なんだよね。オレが見つけてたらさ、お姫様抱っこくらいしたのに、って」

「で、女子から良く思われたいんでしょ? 穂積くんったらあざといんだからー」

「あざといなんて言い方は悲しいなあ。ただ女の子にモテたいだけだよ」

「うわあ、正直なんだから。でも、素直でよろしい」


葵ちゃんは穂積と親しげに話している。

仲がいいんだなあ、となんとなしにそれを見ていると、


「あ。あのね、私、穂積くんたちと同中なの。しかもずっと一緒のクラスだったんだ」


と葵ちゃんが説明してくれた。


「へえ、そうなんだ。いいなあ、穂積。こんなかわいい子とずっと同じクラスだったんだ」

「あはは、美弥緒、男みたいなこと言ってるな」

「ええ、ありがとお。女の子にそんなこと言われたの初めてだけど、嬉しいなあ」


和気藹々と話していると、ふと殺気めいたものを感じた。

おおおおう、やべえ。またもや忘れかけていた。


「わ、悪い。ちょっと忘れてた」

「ふうん……」


いつ離れたのか、近くの壁にもたれるようにしてこちらを見ていたイノリにおずおずと謝ると、冷ややかな声が返ってきた。

見下ろすような瞳が怖い。

うう、怒ってる。

今日、何度この顔見たっけ。


「で、もういいのか。自己紹介的なものは」

「あ、ハイ。充分です、すみません」

「ん? 祈くんと美弥緒ちゃん、どうかしたの?」


事情を知らない葵ちゃんが首を傾げる。


「ちょっとこいつと話があるんだ。もういいなら、連れてくぞ」

「え?」


葵ちゃんの眉間に微かにシワが寄った。


「はなし?」

「そう。ほら、行くぞ。手を出せ、ミャオ」


言うなり、イノリはあたしの手を取った。

ひょいと引き上げられるようにして立ち上がる。


「え、ええと、どこ行くのさ?」

「とりあえず、どっか」

「どっかってそんな」


しかし穂積たちに聞かせられる話でもないしな。

とりあえずついて行くしかないか。


「じゃ、じゃあ悪いけど行くね」

「ん。じゃあね、美弥緒」

「ば、ばいばい……」


笑みを消した穂積と、不思議そうな様子の葵ちゃんに見送られるようにしてその場を離れた。


「……あ、あのさ。一人で歩ける、んだけど」

「んあ? ああ」


イノリに手を引かれたまま、外に出た。

グラウンドに行く気なんだろうか。


まあそれはいいのだけど、手を繋いだ状態というのは非常によくない。

既に数人に見られてしまった。

今朝の二の舞は困るし、誤解されそうなことはしないほうがいいだろう。

つーか、何でこいつはそういうところに無頓着なんだろう。


暗いから気をつけろよ、と言いながら手を離してくれたイノリに非難の視線を送ってみたのだが、気付いてもらえなかった。


鈍いのか? こいつ。

まあいいや。


「あのさ、どこ行くの?」

「グラウンドの方行ってみるか。端にいりゃ、目立たないだろ」

「ああ、なるほどね。じゃあ行くか」


別に花火をしなくてもいいわけだしな。


既に花火で盛り上がっているグラウンドへ行き、離れたところにあった垣根の陰に並んで座った。

体育座りをし、遠くできゃいきゃいと遊んでいる様を眺める。

火のついた手持ち花火をぶんぶんと振り回している奴がいるようだ。

光の輪がぐるぐる回っているのが見えた。


「あはは、振り回す奴って絶対いるよな。ってあたしもなんだけどさ」

「ああ、いるいる。で、叱られるんだよな」

「そうそう。よくじいちゃんに怒られるんだよなー」

「……で?」

「は?」

「は? じゃなくて。話、するんだっただろ」

「あ! ああ、うん、そうだね」


横を見れば、見上げる位置にイノリの顔があった。

外灯の灯りに照らされた顔は真剣で、幼かったときの名残があった。


信じてくれる、よなあ。

これはイノリだもん、信じてくれるはずだよな。

でも、嘘だろ、なんて切り捨てられたら悲しいなー。

って、いやいや、大丈夫だよな。


よし、と心の中で区切りを付けてから、話し始めた。


「えーと、さ。あたしさ、今朝、車に轢かれそうになったでしょ?」

「ああ」

「実は、あの瞬間にさ、9年前の2003年7月10日にタイムスリップしたんだ」

「は……」


あたしの告白に、イノリは静かに目を見開いた。

それから何度も瞬きを繰り返して、


「本気で言ってる、のか?」


と訊いた。


「本気で言ってる。だから、信じて欲しい。車に轢かれる! と思って咄嗟に目を閉じたんだけど、ぶつかってきたのは6歳のあんただった。

確か、『ごめんなさい、おねーさん』って言われた。その後、K駅に行って、保安員のカバみたいなおっさんに捕まったあたしを、あんたが助けてくれたよね」

「…………」

「話をしてたら、それが6歳の大澤だって分かった。そこで初めて、どうしてあんたが15歳のあたしを知っているのかも、理解できたんだ。ああ、こうしてあたしとあんたは出会ってたのかって。で、前にさ、黙って帰ったとか、織部のじいさんが、とかいう話をしてくれただろ?

それを思い出して、じゃあこの子といれば元の時代に帰れるかもしれないって考えて、それで一緒にいたわけ」


それから三津たちに出会ったこと、比奈子に見つかりそうになったこと、一緒にドライブしたことを話した。


「で、節ばあちゃんに訊いて、織部のじいさんの家に向かったよね。途中で蛍を見たっけ。そういや迷子になったのも、あそこの木の陰から奥に入って行ったんだろ? その足跡に気付いてさ、それで見つけられたんだよ」


それまで呆然としたように話を聞いていたイノリだったが、搾り出すように呟いた。


「そこまではっきり知ってるってことは、ホント、なんだな……」

「うん。あたしにとっては前日の話なんだけど、9年前のあの日、イノリと森の中をうろついてたのは、間違いなくあたしなんだ」


ふい、とイノリが顔を逸らした。

全身でため息をつく。

束の間の沈黙の後、


「どうしてみんな、俺にそれを黙ってたんだ?」


と悔しそうに言った。


「ああ、それは多分、柚葉さん説があったから」

「柚葉さん説?」

「恋人が死ぬ未来を変えようとして、逆に自分が死んじゃった人の話。あんたが事情を知ってしまったら、あたしが無事に帰れる未来がなくなってしまう可能性があったかもしれないってこと」

「そういうこと……」

「だから、みんな話さなかったんだよ。ていうか、話せなかったんだ。

あたしも、あの時のイノリには本当のことを話せなかったし」

「こっちにはどうやって帰って来たんだ?」

「加賀父に相談したら、日付と場所、イノリに関係してるんじゃないかって言われたんだ。

12日の7時45分前後に、イノリと一緒にあのバス停にいれば、きっと帰れるはずだって。

森で迷子になった時さ、みんなすんごく急いでたの、覚えてないかな?」

「ああ、覚えてる」

「あの時、その時間にぎりぎり間に合うかどうか、ってところだったんだ。

あたしなんかは正直諦めてたんだけどさー。でも加賀父のお陰で時間前につくことができた。それからタイムスリップしたときとおんなじようにバス停にいたら、帰ってこれた、と。

それからは知っての通りだよ。瞬きしたら、今度はあんたが『危ない!』ってあたしを押して、あたしは『痛いな』なんて怒鳴ったろ」

「……そう、だったのか」


これでだいたいの説明ができたかな。

ふ、と息を吐いて、隣を見上げた。


厳しい顔つきのイノリは、遠くを見ながら考え込んでいた。


簡単に受け入れられる話じゃないよな。

あたしだって、自分が体験してなかったら信じられないだろうしなあ。


イノリの中で整理がつくまで、黙ってるとしよう。

膝を抱えなおして、グラウンドの真ん中で瞬く花火を見つめた。

風に乗ってきたのか、独特の火薬臭が鼻を擽る。

ああ、これって夏の匂いだなあ。


「今朝、俺がミャオを押しやったあの時がこっちに戻ってきた瞬間、なんだよな?」

「へ? ああうん、そう」


頷くと、イノリは独りごとのように呟いた。


「だからあそこにオヤジや三津さんがいたのか」

「あー。三津たちにはタイムスリップした時間のこととか詳しく話してたから。だから、ちゃんと帰ってこられたかどうか、確認に来てくれたんだと思う」

「そっか」


それから、またもや沈黙。

受け入れがたい話だろうし、整理するのも時間がかかるんだろう。

もう少し黙っておくとするか、と夜空を仰いだ。


うわ、星が綺麗だなー。

森の中で見上げたあの空と同じだー。

やっぱこういう自然が多いところって星が綺麗に見えるなー。


と、視線を感じて横をみれば、イノリがあたしを見下ろしていた。


「なに?」

「その足さ」

「うん?」

「もしかして、俺を見つけたあのときのやつ?」

「ぬわ」


うえ。気付いたのか、それ。

できれば忘れていて欲しかったのに。

かっこ悪いじゃん。『とう』なんて言って飛び降りたのにさあ。

口ごもっていると、イノリは被せて訊いてきた。


「そうなんだよな? あの時のミャオは足挫いてたもんな。今朝、オヤジも三津さんも怪我のこと知ってる感じだったし、そういうことだよな?」


忘れろっつーの。

9年前の話を穿り返すなっつーの。

って、今までその話がメインだったんだけどさー。

でもそこはもういいんだって。


「ミャオ? どうなんだ?」

「……まあ、そんな感じかも、ね」


しぶしぶ認めた。


「かっこつけて飛び降りたらさー、ちょっと足捻ったんだよ。体がなまってたみたいでさ。あれくらい平気だと思ったんだけどなー」

「……そのあと俺を背負って歩いただろ。あれで悪化したんじゃないのか」

「へ? い、いやそれくらいは問題ないって。つーか、あの時のイノリって軽かったし」

「だからって負担にならねー、なんてことはないだろ。足、すげえ腫れてたじゃねーか」

「う、まあそれは確かにそうかもしんないけども……」


そういえばこいつ、川上先生に診てもらってるときに近くにいたんだっけ。

アレを見てたのか、やっぱり。


「でもまあ今はもう平気だし。そんなに痛まないし。だから、かっこ悪いとか今更笑うのはナシね」


あー、恥ずかしい。

だっせー、なんて思われてないだろうか。


「かっこわりぃ」


視線を泳がせていたあたしに、イノリはぼそりと言った。


「んな!? 言われなくても分かってるってば! 傷口をえぐるようなこと言うなよ!」

「いや、そうじゃなくて。かっこ悪いっつーのは、俺」

「あ?」


見返すと、逆に視線を逸らされた。

そっぽを向かれたまま早口で言われた。


「あの時の俺ってさ、わざと隠れたくせに迷子になって、挙句に女を怪我させてんだぞ。すげえかっこわりいだろ。

しかも怪我してる奴に自分背負わせてさ、悪化させてるなんて、最悪。最低」

「なんだ、そんなこと。あの時のイノリは子どもだったんだし、仕方ないんじゃね? それに、あたしもあんたに怪我がバレないようにしてたしさ」


子どもの頃のことを悔やんでも仕方ない話だろ。

思わず噴きだすと、イノリが顔をしかめた。


「ガキの頃の話だとしても、仕方なくはねーよ。今のオマエのその怪我は、俺のせいなんだぞ」

「イノリのせいなんかじゃないよ。単にあたしの不注意」

「いや、俺のせいだ。あの時のこと、今もはっきり覚えてる。オマエを怪我させたこと、怪我してることに気付かなかったこと、すげえ悔しくて、情けなかった」


イノリが余りにも強く言うので、思わず口を噤んだ。

罪悪感でも覚えてるんだろうか。

イノリにしてみれば9年も前の、しかも子どもの頃のことなのになー。

気にしなくってもいいだろうに。


いやでも、イノリ(小)は結構な紳士だったもんな。

あたしのことをきちんと女の子扱いしてくれてたし。

それがそのまま成長したのだとしたら、気にしてしまうのかもしれんなー。


だとしたら、真っ直ぐに育ったんだなー、こいつ。

うんうん。あの2人の父親が育てておいて、曲がるわけないよなー。

いやー、よかったよかった。


それに、なんだか嬉しいなあ。

イノリ(小)の名残があるって、やっぱ嬉しい。


「あ、そうだ。ほら、今朝おんぶしてくれたじゃん? それで貸し借りゼロってことでいいんじゃない? 昨日……じゃないや、9年前にさ、そんな話したよね?」


そうだそうだ。

あたしが困ったときに助けてくれればいいよ、とかそういう会話したはず。

しかし、イノリは首を横に振った。


「それはしたけど、それでも貸し借りゼロにはなんねーよ?」

「え?」

「借りは2回あっただろ」


え。そうだっけ?

うー……ん? 

あ、いや、そう言われれば2回って数字がひっかかるな。

うーん、あ。2回分ね。とかそういう話、したした。

うあ、よく覚えてるなー、こいつ。

6歳児ってこんなに記憶力がいいものなのか?


「言われてみたら確かに2回だっけ。じゃあさ、それはまたおいおい返してくれたらいいよ。つーか、明日あたしの荷物を持つ、とかそういうのでチャラでいいんじゃん?」


律儀ねー、と感心しながら言うと、イノリは再び首を横に振った。


「それでもチャラにはなんねー」

「えー。なんで?」

「利子」

「は?」


りし? 

首を傾げたあたしに、それも覚えてねーのかよ、とイノリはため息をついた。


「オヤジの車の中でさ、悪徳商人だからすんげえ利子つけるぞ、って言っただろ。で、俺はそれでいいって答えた。覚えてないのかよ」

「は…………、ああ! うん、そんな会話したな。うあー、よく覚えてんな! ちょっと胸が熱くなるわ」


9年も前の、ドタバタしながらの約束を覚えてるって、すごくね?

あたしなんか前日の話のはずなのに、すっかり頭から抜け落ちてたっつーのに。


「あれはさー、あんたが余りにもしょぼんとしてたから、そう言っただけだよ。利子もらおうなんてセコいこと、本気で考えてないって。安心しなよ」


あはは、と笑い飛ばしたのだが、イノリはまたもや首を振った。


「9年分の利子、つけていい。つーか、つけろ」

「は?」

「悪徳商人レベルでも、極悪代官レベルでもいい。トイチの高利貸し並みにつけろ」

「い、意味わかんないんすけど」


『借り』に利子をたくさんつけろって、何だそれ。

債務者はあたしではなく、あんただぞ?


「2回とは言っても、9年分の利子をトイチでつけたら天文学的な数字になるって知ってる? あたしに一生捧げるくらいの覚悟が必要になるぞ? あはは」


馬鹿だなー、と笑ってみたのだが、イノリはこくんと頷いた。


「知ってる上で、言ったんだけど」

「あはは、は?」


知ってて、何故。

なになに? 律儀が突き抜けてんの? それともこういうネタが流行ってんの?


「い、いややっぱ意味わかんない。つーかそういう冗談? にうまく返せないんだけど、あたし」

「入学式の日さ」

「は?」


にゅうがくしき?

どうして唐突に話を変えるかな。


「教室でミャオに会っただろ?」

「え? ああ、うん」

「すげえ驚いた。つーか、少しビビった」


だろうね。

9年前に会った女が、全く同じ姿でいたんだもんね。

今は、その気持ちが理解できますとも。

化け猫扱いされたのも、仕方ないと思えるくらいにはね。


「でもさ、その後はすげえ嬉しかった」

「嬉しかった?」

「ああ。本当に俺がでかくなるのを待っててくれたんだ、ってさ。約束してくれたの、覚えてるか? 俺が大きくなるのを、このまま待ってるから、ってやつ」

「あ、ああ……」


言った。

イノリ(小)の熱意にほだされて、言いました。

こいつ、そんなことまで覚えてたのか……。


「ミャオがどんな生き物でも、どんな事情があってもいい。約束通り、記憶の中の姿そのままで俺の前に現れてくれたんだって、嬉しかった。

でもまあ、それからは訳わかんねーって感じだったけど。ミャオは俺を知らないって言うし、睨んでくるし。そういやあの視線、すげえ凹んだ。殺す! って感じだったもんな」

「う……、すみません……」

「いや、本当に知らなかったんだから、いいけど。でもアレはもう二度といらない」

「う……ハイ」


あー、殺視線なんて出すんじゃなかった。

後悔ばかりだ。

あ! これが人を呪わば穴二つってやつ?

いやちょっと違うか?


身を小さくして謝ったあたしの頭に、ぽすんと手の平がのった。


「な、なに?」

「俺、9年間ミャオのこと忘れたことなかった。ミャオよりでかくなったら会えるって馬鹿みてーに信じてた。またミャオに会えてよかった」

「う、うん。そっか、はは」


曖昧に笑って、俯いた。

な、なんだこれ。

どうしてこいつがあたしの頭撫でてんの?

撫でるのはあたしからのはずでしょ、ってこんなにでかい男を撫でるのか?

なんで一気にあたしを追い抜いてんだ、イノリ。

じゃなくて!

なんだこのふんいき!


むずがゆい! なんだかすごくむずがゆい!


頭を撫でる手が、ふ、と止まった。お、ようやく手を離してくれるのかな、とちらりとイノリに顔を向けると、ばちりと視線が合った。色の変わった眼差しに気付く。


「イノリ、どうかし……」

「ずっとミャオが好きだった。6歳のガキだった頃から、今でも、想いは変わってない。だから、もう俺の前から消えて欲しくない。利子でもなんでも、ミャオとの繋がりができるのなら、それでいい。

俺を一生縛るくらいの利子、つけろよ」


時が、いや、心臓が一瞬止まった気がした。

熱を帯びた視線。

怒ったような口調で紡がれた言葉が、リフレインする。


『好き』って、嘘? 冗談?

でも、そんなからかいめいた様子は微塵もなくて。

むしろ、本心かもと思えるくらい、真摯だった。

え? でも、そんなはずないよね。まさか、だよね?


「ほ、本気で言ってたりしない、よね? す、好きとか、そういう、やつ」

「本気でミャオが好きだ」


動揺してどもりながら訊くと、簡潔な答えが返ってきた。


「嘘とか冗談じゃないから、疑ったりすんな。あと、9年間ずっと気持ちは変わらなかったから、勘違いというセンもない。余計な混じり気なしに、好きだ」

「あ、う」


思いついた可能性も、あっさり潰された。


「え、えーと、な、なんで? そんなに長く想われるような理由がないっていうか、思いつかないんだけど。9年前っていうけど、たいしたことした覚えもないし……」


最早なんと返せばいいのか分からない。思いついたまま、もたもたと訊いた。

こんな展開は予想してなかった。

イノリに嫌われたくないなー、とか、気味悪がられたくないなー、とかそういう程度のことばかり考えていた。

逆に、9年前のことはいい思い出だよ、なんて言ってくれるとすごく嬉しいな、とか。

なのに、好きとかそういう予想を遥かに上回ることを言われるとは。


いや、イノリ(小)に好かれてるのは分かってた。

懐かれたことはすごく嬉しかったし。

しかし、それが恋愛感情だと思うはずもなく。


つーか、どんだけマセてんだよ! イノリ(小)!

6歳ですでに一人前の男気取りか、この。

それに、9年間全く会わなかったのにずっと想い続けるって、なに?

そんなことあんの?

いや、それがすげえ魅力的な女だったら、あるのかもしんない。

だけど、あたしだよ?

口の悪いだけの、このあたしだよ?


その上、本当に何にもしてないしね。

三津のほうがよっぽど役に立ったことだろう。


しかし、イノリは当たり前のような口ぶりで言った。


「ミャオと過ごした数日の間で、こいつじゃないと嫌だって思った。で、今までミャオ以外でそんなこと思うような女に会わなかった。ということで、好きだ」

「い、いや、だから! こいつじゃないと嫌、とか思わせるようなすげえことしてないじゃん、あたしは!」


あたしが一体何したんだっつーの。

2日くらい一緒に行動しただけじゃないか。


つーか、平然と何言ってんだ、こいつ。

照れとは恥じらいとかないのか、このやろう。

こっちは恥ずかしさで死にそうだってのに。


「俺にとっては、すげえことしてくれたけどな、ミャオは」

「は?」

「ずっと一緒にいてくれて、その間ずっと守ってくれただろ」


守って? はて、そんなかっこいいことしたっけ?

かっこ悪いことはしたけど。


「一緒にはいたけど、守るとかそんな大層な真似した覚えは全くないが」


そう言うと、イノリはふはっと噴きだした。

愉快そうに肩を揺らして笑い出す。

頭に触れた手も、笑い声に合わせて揺れた。

む。変なこと言ってないだろ、と言口にしかけたのだが、まともにイノリの笑顔を見てしまい、口を閉じた。


こいつの笑顔って、初めて見た。


いつもはむすうと唇を曲げてたり、眉間を寄せたりとしかめっ面ばかりだったから、笑った顔なんて見ることがなかった。


ああ、こうして見ると、6歳の頃とおんなじだ。

綺麗な笑顔だ。


思わず見入ってしまっていた。


「そういうところ、やっぱりミャオだな。俺さ、あんたのそういうところが好きなんだ」

「な」


いかん。油断していた。

笑いを含んだ声で言われて我に返った。


「そ、そういうこと言うの、もう止めてくれない? 免疫ないんだから、あたし」


今更見栄を張っても仕方ない。

馴れてないのだ、こういうことには。

赤面しているのを自覚しつつ、少しつっかえながら告げた。


「ふうん、そっか」


ふ、と笑いを収めて、イノリは考えるように顔を逸らした。


「あの時、男はいないって言ってたもんな。そっか、あれは現在のことってことでいいのか」

「な、なに?」

「別に」


イノリはまだ何か考えているようだった。

この隙に少しでも気持ちを落ち着けておこう、とあたしはこっそりと深呼吸した。

やべえ、心臓がそろそろ限界かも。

つーか、何なんだ、この状況。

タイムスリップ云々の話をするだけのはずだったのに、どうして好きだのなんだのということを言われているのだ。


だいたい、どうして9年間好きだった、なんて言うわけ?

こんなに綺麗な顔してるのに、モテ人生歩んできただろうに、どうしてあたしなんかに好きを連呼する。

今からでもいいから、『嘘でしたー、あははー☆』とか言ってくれないかな。

信じられなさすぎて、頭がどうにかなってしまいそうだ。


「ミャオ」

「っ!? は、はいぃ?」


やべ、声が裏返った。

びくりとなりながら、イノリを見上げる。


「な、なんだ?」

「…………、こっち」


いきなりぐいと腕を掴まれて、気付いたときにはイノリの胸元に顔が押し付けられていた。

苦しいくらいに抱きしめられる。


ぎにゃー!?

なななななななななななんで!?

どういう流れでこんな状態に突入するの!?


「ちょ、ちょっ!? イノリ!?」

「……もう、消えないよな?」

「は!? は!?」

「もういなくなったりしないよな? 俺のこと知らないなんて言わないよな!?」

「あ、あの、離してっ」


ばたばたともがくのだが、抱きとめている腕は一向に緩んでくれない。


「いなくならないよな? 知らないなんて二度と言わないよな!?」


返事をするまでは離す気はないらしい。

このままじゃ心臓発作で死ぬ、あたし。


「い、いなくならない! 知らないなんて言わないから!」


だから離してえ!

もう許してえ!


「それが聞きたかった」


必死になってほぼ叫ぶように言うと、ようやく腕が緩んだ。

しかしそれはほんの少し力を抜いた程度で、あたしの頬は相変わらずイノリの胸元にあった。


「ちょ、離れてってば!」


聞きたいことが聞けたっていうんなら、もういいよね!?

ぐいぐいと押すのだが、離れてくれない。

つーか、こんなに力込めてやってんのに、何でびくともしないの?

え、男ってこんなに力あんの?


「……嫌。離したくない」

「なんだよそれ! つーか摺り寄ってくんな!」


頭にすり、と頬を寄せてくる感覚があった。


「ミャオの匂いがする。つーかミャオ、膝に乗れ。そっちのがいい」

「馬鹿か!! 乗るわけねーだろ! 離せっつってんだ!」


ぎゃいぎゃいと暴れるあたしにお構いなしに、イノリは頭に顔を寄せ、すりすりしている。


「嫌。やっとホントのミャオに会えたのに、離れる意味がわかんねーし」

「意味わかんねーのはオマエだっつの!」


まるで大型犬がもっふもっふと懐いてくるかのようだ。

って、犬だったらいいけど、イノリだしな! しかもでかい方ときた。


6歳のイノリならこっちだってよしよしと撫でてやるよ! と文句の合間に言うと、


「ああ、撫でるのはいらない。ガキのときも、俺がミャオをこうしたかったんだ」


と、大型犬がのたまった。


「はぁ!? どんだけマセてんだよ! 末恐ろしいな!」

「そうか? ああ、やっぱまだ遠い。もっとこっち来て」


縛っていた腕が離れ、背中と膝裏にすいとイノリの手が触れた。

と思った次の瞬間、ひょいと抱え上げられた。


「ぎゃ!?」


ふわりと浮いた体は、イノリの膝上に着地した。

ぐんと顔が近づいて、あたしを乗せた男は満足そうに笑った。


「うん、とりあえずはこれでいい」

「な、な……」


何してくれとんじゃ、この馬鹿!

離れんかい、ワレ!

等々と言いたいのだが、驚きの余り口はパクパクと動くだけで、声がでない。


つーか今、あたしってイノリの膝の上ってところにいるわけ?

抱っこ、みたいな?


ナイナイナイナイ。

ムリムリムリムリ。

もうついていけない。


「あ、あ、あう」

「どうした?」


覗きこんでくる顔が、酷く近い。

体が浮いているような、馴れない感覚。

つーか今、超密着している。


「……も、もー無理っ、限界っ!!!!」


たまらず叫んでしまい、半ば転げ落ちるようにして離れた。

あー、逃げた。と残念そうに呟いたイノリを睨みつける。


「あ、あのなあ! 免疫も耐性もないんだがら、す・ん・な!」

「だって、やっと会えたのに? 俺の9年間も考慮しろ」

「オマエの事情は知らん! と、とにかく話は一通り済んだから、もうあたしは行く!」


顔というか、全身が熱い。

血液が沸騰してしまうんじゃないかと思う。


イノリに言われたことも、されたことも、受け入れられるレベルを優に超えた。一時撤退。あたしには状況整理の時間が必要だ。


「ちょっと待て」

「無理! もう無理! これ以上されたらショック死するから、あたし!」


うあああ、と叫んで、ダッシュで逃げた。

つもりだったが、足に激痛が走った。


うぐう、痛い。怪我してたんだった、あたし。

神テーピングも、全力疾走までは許してくれないようだ。

あうう、とその場に蹲った自分が、情けない。


「ほら、来い」


涙目で足首をさすさすと撫でていると、イノリの声。

顔を上げたら背中がこちらに向けられていた。


ああ、逃げられなかった。

あたしってホントにかっこ悪い。


「急に走るから、痛んだんだろ? ほら、乗っかれ」

「い、いらない」

「いらない、ってなんだよ。ほら、背中乗れ」

「いいって」

「心配しなくても、もうミャオが困るようなことしないから。今日は、とりあえず話は終わり、な?」

「当たり前だ! じゃなくて、そんなことしたらまた視線集めることになるじゃん!」

「またそんなこと……」


はあ、と呆れたようにため息をつかれた。


「そんなこと、とか言うな。今朝の騒ぎ、もう忘れた?」

「周りなんて気にするほうがおかしい」


ああ、もう会話になんねえ、こいつ。


しかし、今朝のように背負われるわけにはいかない。

頑なに嫌だと繰り返すと、ようやく諦めてくれたらしい。


「じゃあ、ここに掴まって歩け」


腕をぽんぽんと叩いて示した。


「でも……」

「他の奴等に見られそうな位置まで来たら、離せばいいだろ」


不本意そうにため息まじりに言われたが、あたしは悪くない。

しかし、そういうことならまあ、よしとしてもいい。

差し出された手を渋々取って、立ち上がらせてもらった。


導かれるままに、イノリの腕に掴まる。


「あんまり無理すんな。治りが悪かったら、大変だからな」

「うん、分かった……。って! あんたがあんなことするから無理せざるをえなかったんだよ!」


素直に頷きかけて損した!

何偉そうに言ってんだ、こいつ。


あ。あと、これだけは言っておかねば。


「あ、あのさ。さっきみたいなこと、もう二度とすんなよ? 次は殴るからな」

「殴られても平気。でもまあ、今日はもうしないから」


今日は、って何だ。

しかしこいつと議論しても労力の無駄な気がする。不毛、ってやつだ。

開きかけた口を噤み、文句の代わりにため息を吐くと、イノリが小さく笑った。


「なんだよ。あたしが動揺してるの見て、馬鹿にしてんの?」

「いや? あんまりかわいいから、笑えた」

「はあ!? やっぱ馬鹿にしてんじゃんっ」

「してないって。ミャオがさ、俺に対して赤くなったりどもったりするのがすげえかわいいんだ」

「な……っ」


何を言ってのけてんだ。

ここは赤くなったら負けだ。そう思うのに、血液は勝手に沸騰する。

熱をもった頬を自覚してしまい、そのせいでますます熱は高まるという悪循環。

結果、真っ赤に染まってしまった。慌てて顔を背ける。

が。


「ほら、な。かわいい」


ちくしょう、気付かれた!

熱い熱いとは思っていたが、暗がりでわかるくらい赤いのか、あたし。

口惜しさに唇を噛んだ。


「からかうなってば。困るんだよ!」

「困れよ。そんな顔もみたいし」

「ぅー……っ」


ダメだ。完全に押されてる。

イノリ(小)も積極的だったが、(大)はあたしなんかじゃ手がつけられん程になってる。

誰だ、こいつをこんな風に育成した奴。


って、あの父親たちか。

恨むぞ、まじで。


「ミャオ」

「なんだよ!?」

「これからまた、よろしく」

「んあ? あ、ああ。よろしく」


イノリがぺこんと頭を下げたので、つられたように頭を下げた。



***第一部、完


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