13.世界ってのは可能性が満ち溢れている
13.世界ってのは可能性が満ち溢れている
「危ない!」
は?
急にタックルをかけられて、あたしは雨で濡れた道路にスライディングした。
無防備だったせいもあり、ごろんごろんと転がる。
「いってえぇぇぇぇぇっ! 誰だコラ!?」
「大丈夫か!?」
どうにか態勢を整えて、ぶつかってきたモノに盛大に文句を言おうとした。
のだが、フリーズしてしまった。
あたしに被さるようにしたモノは、大きなイノリだった。
「怪我してないか? 考えなしに道路渡ったらダメだろーが!」
「あれ? イ、ノリ……」
「なんだよ! って、は? オマエ今俺の名前……」
あ、いや、違う。
イノリじゃなくてこれ、大澤だ。そう、大澤。
え? 大澤がいるってことは、ここは9年後ってこと?
ってことは、もしかしてあたし……
「帰ってきたぁぁぁぁぁぁぁ!?」
大澤を押しやり、あたふたとバッグからケータイを取出し、確認。
おおおおおおおお、電波が!
電波が立っておる!
驚いた様子の大澤に視線をやり、最優先すべき確認事項である日付を訊いた。
「おい、今日の日付は!?」
「は? ええと、7月12日」
「西暦から言え!」
「2012年、だけど」
2012年!
はい、確定! 戻ってきたんだ、2012年に!
やった! 帰ってこれたんだ!
ばっ、と目の前の大澤を見る。
少し訝しげに眉間にシワを寄せていた顔には、イノリの面影がはっきりとあった。
いや、面影って、あって当たり前なんだよな。
だってこいつ、イノリなんだもん。
大澤の顔を見て、唐突に、理解した。
何故かすっきりと、イノリと大澤の間にイコールが入った。
そうだ。こいつは、あたしに意味不明なことばかり言って、勝手に不機嫌になってた大澤ではない。
あたしが数日を共にした、あのイノリなのだ。
どうして、こんなに急に、納得がいったのだか分からない。
でも、そうなのだ。
全身の感覚が、こいつはイノリだと教えるのだ。
「ち、茅ヶ崎? なんだ、急に?」
「いらん、そんな呼び方。ミャオでいい。そう呼んでいいって、約束したもんな」
言うと、イノリの目が大きく見開かれた。
「は? え、だってオマエ知らないって、あんなに……」
「今は知ってる。だから、いいんだよ」
うろたえて、視線がさまよってる。
ああ、そんな表情になると、やっぱりイノリなんだなー、と再認識する。
「えーと、あー……。ソレで呼んでいい、のか?」
「おう。呼べ」
に、と笑ってみせると、躊躇うように唇を濡らし、
「……ミャオ?」
と、低い声で呼んだ。
「うあ。低っ。何だよそれ、あのかわいらしい声じゃねえし」
「な!? 今更だろ!」
とは言え、芯はイノリの声だった。
9年の成長を遂げた、イノリの声だ。
「おい、イノリ」
「あ? なんだよ」
「お帰りミャオ、って言ってみろ」
「はぁ?」
意味分かんねえ、と洩らして、頭をがりがりと掻く。
「言ってみてってば」
「あー、もう。……お帰り、ミャオ?」
低いけど、確かなイノリの声。
ああ、あたし、本当に。
「帰ってきたんだぁぁぁっ!」
「ちょ! おい、なんだよ急に!」
思わず、抱きついていた。
「やった! やったー! 無事帰ってきました! イヤッフー!」
「い、意味分かんねーし! なんだよ、おい」
「帰還しましたー。イエーア!」
「なんだよそのテンション、ついていけねーだろ!」
もがもがと暴れるイノリの首にしがみつき、ぎゃーぎゃーと喜んでいると、
「待ってたぜー、みーちゃん」
背中に声がかかった。
この声は……!
「三津ぅ!?」
「よ、9年ぶりだな! この日を待ってたんだぜー」
振り返れば、傘を差した、黒髪の三津が立っていた。
すっかり落ち着いた雰囲気で、生意気にもヒゲなんぞ生やしている。
ぱっと見には、少し渋みのある大人、といった感じだ。
「やだ! 三津がおっさんになってる! マジ!?」
「ちょ、みーちゃん酷い! 久しぶりの再会で、それかよ!」
へにゃ、と情けない顔つきになる三津は、やっぱり三津だった。
「だってあたしにとっては数時間ぶりの再会だし! あははははは、フケてる、あははは!」
「ウケすぎ! かっこよくなったって評判なのに、オレ!」
「どこでだよ!」
「矮小地域でだよ!」
爆笑したあたしに傘を差しかけてくれながら、ため息をつく。
「ほれ、とにかく立てよ。濡れてっぞ」
「あ、うん。って、痛い……ぃ」
「へ? あー、そっかそっか。怪我してたんだったよなー、ほれ、つかまれ」
「ありがと」
三津に支えられて、よいしょと立ち上がった。バス停のベンチに座らせてもらう。
「お、雨止んだなー。よしよし」
「柚葉さんは?」
まだ雨雲の残る空を見上げながら傘を仕舞う三津に、わくわくしながら訊いた。
三津がいるのなら、柚葉さんだってきっと来てくれてるはず。
しかし三津は顔をしかめて、でっかいため息をついた。
「あー、オレさあ、あのあと振られたんだよ……」
「うそ!? ああでもやっぱりね!」
「やっぱりってなんだよ! つーか別れてねーよ!」
「嘘かよ! え、じゃあどこにいるの?」
きょろきょろと見渡しても、柚葉さんは現れない。
来てないのかなあ、としょんぼりして三津を見れば、にやにや笑っている。
「なに、その変な顔」
「こら! 変な顔とか言わない! 柚葉は今、入院中なんだよ」
「え!? どうしたの!?」
病気!? と顔色を変えるあたしの前に、三津はケータイを突きつけた。
あ、あたしと同じ機種だー。って、これがなに?
「オレの子どもー」
「は? はああああああああああああ!!」
画面の中で、生まれたて、といった様子の赤ちゃんを抱いた柚葉さんが笑っていた。
「昨日の夜生まれたんだー。女の子でぇ、名前は美花ちゃんでっす。てな訳で、柚葉は来れなかった。すごく来たがってたんだけどな」
でれでれとした三津からケータイを奪い取って、写真を見る。
それは間違いなく柚葉さんで、赤ちゃんはなんとなく三津に似ていた。
「柚葉さんと結婚、したの……?」
「うん」
「柚葉さん、三津なんかと結婚したのぉ……?」
「おい! 引っかかる言い方すんな!」
「お、お、おめでとぉぉぉ」
「おおっ? あ、ありがとなー。何だよ、そんな感動すんなよなー」
「感動するさー。おめでとぉぉぉ、三津でも人の親になれるんだねー……」
「それって何気にシツレイじゃね?」
しかし9年って歳月はすげえ。
赤ちゃんが生まれてるよー。
あたしにとっては数時間前に別れた人が、父親と母親になっちゃってるよ。
感激して、三津と何回も「おめでとう」「ありがとう」の応酬を繰り返していると、
「そろそろ説明してくんねーかな?」
と不機嫌な声がした。
はて、と見れば、そこには仏頂面のイノリが立っていた。
「あ!」
「忘れてた」
いかん! 三津の登場ですっかり忘れてしまっていた。
つい三津と顔を見合わせてしまう。
「今の状況を、分かるように説明してくれねえ?」
えーと、あれから加賀父はイノリになんて言ったんだ?
うまく言っておくって、どんな感じ?
つか、どうしたらいいんだ。
もうこっちに戻ってきたことだし、本当のこと話していいんだっけ?
しかし、タイムスリップしてました☆ なんて言って、信じてもらえるのか?
いや、事実だし、信じてもらうしかないわけだけども。
「オマエさぁ、どうして三津さんと親しいわけ? 柚葉さんも知ってるようだけど?」
「え、ええと……」
「前に俺が織部のじいさんの名前をだしたときは、知らないって言ったよな? 三津さんや柚葉さんを知ってて、織部のじいさんは知らないって?」
立て続けの質問の声が酷く低音。
うわー……。すんげえ怒ってる。
だよなー。今までのあたしの行動からしてみれば、三津とキャッキャ話してるこの事態は、ナイよな。
うん、怒って当然でしょうね。
「あの時のことは祈には内緒だったもんなー、はは」
しかし、相変わらずこの男は考えなしに話すようだ。
三津があっけらかんと笑い飛ばし、その言葉にイノリの眉間のシワがますます深くなった。
「内緒……? 三津さんさあ、ミャオのことはもう忘れろって言って、話題にもあげようとしなかったよな? それが何で急に現れて、親しげに会話して笑っちゃってんだよ?」
おお、冷気を感じる。
怖!
ホントにこれがあのかわいらしいイノリなわけ?
少し怯んだあたしに対し、9年後の三津はやっぱり大人だった。
「仕方ないんだって。そうしなきゃ、オマエは二度とオマエの『ミャオ』に会えなかったかもしれないんだからさ。ずっと会いたかったんだろ?」
「意味わかんない言い方でごまかしてねえ? 三津さんの言ってること、わかんねー」
「それはこれから、みーちゃんに訊いてみな? きっと驚くような話をしてくれるからさ」
「は? 今でも充分驚いてるんですけど」
思えば、今までイノリの視線は全て殺光線で撃退してきたからな、あたし。
知らんもんは知らんと突っぱねてきたもんな。
なのに急にこんな風に態度を変えたらムカつくよなあ。
「なあ、もしかしてオヤジたちもグル? 加賀の方が、最近怪しかったんだけど」
「っ!?」
……あのかわいかったイノリが加賀父をオヤジ呼ばわり、だと……?
ちょっと、止めてよー。かわいく『父さん』って言ってよー。
「へえ、一心さん、祈に何て言ってたんだ?」
「もうすぐだとか、ようやくとか、そんな感じのこと言ってた。
あと、親睦旅行について、色々うるさかったかな。早く家を出るように、とか」
ふうん、親子仲が悪いわけじゃないみたいだ。
よかった。ぎこちなくなってたりはしてないみたい。
思いあってる親子なんだから、仲良しでいてもらいたいもんね。
「うわ、オレたちにはみーちゃん関連の話は禁止してたくせに、ひでえ。
つーか、あの人もここに来てんじゃねーの?」
「はあ? なんで加賀のオヤジが来るんだよ……って!?」
きょろきょろする三津に倣ってイノリが視線を遠くへやり、唖然とした表情を浮かべた。
何だ? と、視線を追うまでもなく、気付いた。
さっきまで聞いてたはずの爆音。
もしかして、と見ればやはり黒く平べったい車がこちらへ向かってきていた。
「な!? オヤジ!?」
「あ! トマトパスタ!」
声を上げたあたしに、イノリが不審な顔を向ける。
「オヤジの車、知ってんだ?」
「へ? え、ええと、乗った、からかな?」
かわいくないのを承知で、てへ? と首を傾げてみた。
「へえ。色々ご存知なんデスネ」
はい、思いっきり舌打ちされました。
つか、イノリが舌打ち!?
イノリがそんな真似するなんて!
軽くショックを受ける。
「おお、無事帰って来てる! よかったー。なんだ、三津もやっぱり来たのか」
バス停に横付けしたトマトパスタの窓から、加賀父が顔を出した。
「当たり前っすよ。この日が来るの、結構楽しみだったんす」
「俺も。ここ数日、楽しみで仕方なくてさー」
はは、と軽やかに笑うお姿にときめく。
ぎゃー! 渋みが増してる!
かっこよすぎ! 渋すぎ! 大人の魅力垂れ流し!
むしろ9年前のお姿より好みです!
「う、うあ、9年って、9年ってすげえ」
「ん、何が? しかし本当に9年前のままだねー、美弥緒ちゃん。分かってたことだけど、驚くなー」
ドアを開け、降りてくる加賀父。
瞬間、袈裟姿を期待してしまったのだが、残念。
シャツにジーンズという至極普通な服装だった。
まあね、トマトパスタに乗ってるお坊様ってシュールすぎだし、本気で願ってたわけじゃないしね。いいんだ、うん。
でも、かっこいいー。素敵ー。
たまんなーい。
「ああ。あの日、見送ったときのままだ。ぞくぞくしちゃうな」
「え、ええと! あの。さっきはばたばたしてお礼ができず仕舞いで。色々ありがとうございました!」
す、と目の前に立たれて、緊張してしまう。
最敬礼の角度でお辞儀をした。
うう、目を合わせられん……。
加賀父だとはわかってるものの、大層な素敵大人におなりなのだ(いや、9年前も素敵大人でしたけども!)。
向こうは成長しているというのに、あたしだけ置いてけぼりにされてしまったようで、少し気恥ずかしい。
俯いてもじもじしていると、加賀父がぽん、と頭を撫でた。
「『さっき』、か。君にはそうなんだよね、いや、不思議だよなー。
そんなのいいんだよ。こうしてまた会えただけで、嬉しいよ」
ひょいと顔を覗かれる。
ぎゃー。至近距離!
「そ、そう言ってくれるとあたしも嬉しいです! あ! 三津も、あの時はさんきゅ」
「ちょ! みーちゃん! 一心さんに比べてオレの扱い軽くね?」
「そんなことないデス。あの、柚葉さんにはきっちり礼に行くので、あとで連絡先教えくださいね。美花ちゃんにも会いたいし」
「うう、何だか酷い、みーちゃん……」
「ねえ、マジでいい加減にしてくんねえ?」
荒げた声に見てみると、凍てつく波動でも出しそうな雰囲気のイノリがいた。
「オヤジ、なんでわざわざここまで出て来てんの? で、なんで普通に会話してんの? いつまで俺を無視して進めるつもり?」
怒ってます。
言葉の端々から、感情が噴出してます。
しかし加賀父はそれを、あっけらかんと笑って流した。
「お、すまんすまん。父さんさー、とりあえずこれを美弥緒ちゃんに渡そうと思って来たんだ。準備に時間がかかって、彼女の到着時刻に少し遅れてしまったけどな。てなわけで、はいこれ」
加賀父に包みを渡された。何ぞ、これ。
「俺の手作り弁当ー。君のは祈と食っちゃっただろ。これから旅行に行くのに、ご飯がないと困るだろうと思ってさー。あと、俺の好みで悪いけど着替えのTシャツも」
……あ。そうだった!
これから親睦旅行があるんだった!
「旅行、行くの? 確かみーちゃんってほとんど寝てないはずだよね。休んじゃえば?」
「無理! あたし班長だし、サボれないっす」
「真面目だなー。偉い偉い。それならオレも弁当作ってやればよかったな」
三津がぽんぽんと頭を撫でる。
「三津のご飯、美味しかったもんね。また作ってくれると嬉しいなあ。……って、これ加賀父の手作りですかっ!?」
聞き流した言葉の重要性に、遅ればせながら気付いた。
加賀父の手作りなんて、もったいなくて食べられない!
でも確かに、あたしのお弁当は既に無いんだった。
と、とりあえず記念に写メ撮っておこう。
それに、Tシャツも正直ありがたいー。
結構薄汚れてるんだよね、今着てるやつ。
森を徘徊し、雨に濡れた上、さっきは濡れたアスファルトの上でスライディングしちゃったしね。着替えたかったんだよね。
「何から何まですみません」
「いいんだよ、俺がしたかったんだし。何より、君に会いたかっただけだしね」
「ひゃ!」
にっこりと殺人的なセリフを吐かないでー。
そのフェロモン、余裕で死ねますんで、あたし。
「俺、弁当なんて食ってねえよ?」
祈が不服そうに言った。
加賀父がぶう、と膨れた顔に肩を竦める。
「それは、これから美弥緒ちゃんに直接聞くといい。祈がずっと知りたがっていた、あの時の真相が分かるよ」
そうか、やっぱりもう話していいのか。
しかし、どこから話したらいいものか。
イノリは酷く怒ってるし。
うーん、順序立てて話すほうがいいのかなー。
「なんだよ、それ」
「聞けば分かるよ。美弥緒ちゃん、とりあえず、再会の時間はまた今度にしようか。
集合時間、あるんだろう?」
「集合時間? ……だあああああぁああぁぁぁぁああ!?」
今何時だ!?
「現在、8時18分でっす」
腕時計に目を落とした三津がのほほんと言った。
完全に班長の集合時間過ぎてる……。
つーか、一般生徒の集合時間にも、危うい。
「イノリ! あたしたち遅刻するぞ!」
「んあ? 別に少しくらい平気だろ」
「平気じゃねえ! あたし、班長だし!」
つーか、9年の間ですっかりかわいらしさ失ってんな!
真っ青になったあたしに、加賀父がトマトパスタのドアを開けた。
「送りましょうか、シンデレラ?」
「それって時間になったらみずぼらしくなるんじゃないっすか!?
いや、この際そんなの関係ないや。お願いします! イノリ、乗れ!」
「は?」
「あ、これみーちゃんの傘だろ? そっちに転がってた、はい。で、手、貸しな」
「ありがと、三津! 柚葉さんによろしくって言っておいてね!?」
三津の手を借りて、どうにかトマトパスタに乗車。
さっきと同じく(9年前になるのだけど)スピードを上げる加賀父に、再び全ての希望を託した。
雨上がりの駅前広場には、今回はたくさんの学校関係者がいた。
あたしたち同様、遅刻寸前の生徒が荷物を持って走っている姿もちらほらとある。
「ついたよー」
「ありがとうございます!」
「行ってらっしゃーい」
「ほら、行くぞ、イノリ」
広場横の道路に横付けした車から、イノリを押し出してから、自分も降りた。
「じゃあ、帰ったらまた! って、痛え……っ!」
考えなしに、車から降りてしまった。
足首に激痛が走って、ついうずくまってしまう。
うっかりしてた、挫いてたんだった。
湿布は貼ったけど、すぐに痛みが引くわけじゃないもんなー。
「あ、そうか。祈、美弥緒ちゃん、足挫いてるんだ」
「は?」
車内から、加賀父が思い出したように言った。
「なんでオヤジがこいつの怪我のことなんか知ってんの」
「何ででも、知ってるの。結構腫れてたはずだから、ちゃんと面倒みてやれよ」
「え!? あ、いや別に平気ですから」
まあ、ゆっくり歩けば問題ないだろ。
挫いたあともイノリをおぶって歩けてたんだし、どうにかなるよね。
あとで保健係からテーピングもらって固定しとこうっと。
えーと、うちの班の保健係って誰だっけなー。琴音だっけ?
「ん? なんだ、おい」
よいしょ、と立ち上がろうとしたら、目の前に背中が現れた。
あたしの旅行バッグが腕にかけられている。
「乗れ」
背中を向けたイノリがぶっきらぼうに言った。
「は?」
「乗れって」
は?
おぶされってこと?
あたしが、イノリに?
「無理」
「はあ? 無理ってなんだよ、おい」
「だってイノリにおんぶされるなんて無理だし! あたしはおんぶするほうだし!」
「馬鹿か! 怪我人はオマエだろうが。歩けねーんだったら素直におぶされよ!」
ついさっきまでおんぶしてた子に逆におぶわれるなんて、なんだかすごく恥ずかしいじゃないか。
「あたし歩けるから平気だし。ほーらね? っていってぇぇぇ!」
「痛えんだろ? 大人しく乗れ」
立ち上がりかけて、再びダウン。
むう、痛い。けど、おんぶされたくない。
「む、無理ー。それはなんだか受け入れられない」
「はあ? いいから乗れ!」
「やだ! 無理!」
口論状態になっていると、いつの間に車から降りたのか、加賀父が隣りにすい、と屈んだ。
耳元でそっと囁かれる。
「美弥緒ちゃん、俺が集合場所まで運ぼうか? お姫様だっこで」
「んなっ!?」
「それとも……このまま病院に行こっか? 診察室まで抱いていきますけど?」
そそそそそそそんなの、死んでも無理!
ていうか、死ぬから無理!
ぶんぶんと首をもぐ勢いで横に振る。
「じゃあ、大人しく祈の背中に乗りなさい。それから、後できちんと手当てを受けないとダメだよ。君は女の子なんだから、体を大切にしなさい」
「う……」
この人には敵わない。
恥ずかしさで赤面しながらも、こくんと頷いた。
「おねがい、します」
「早くしろ」
「クリスチーネ豪陀高校! 生徒は集合! 班長は点呼開始!」
言ったものの、ちょっと躊躇っていると拡声器で先生の声が響いた。
時間になってしまったらしい。
「間に合わねーぞ」
「うあ、お、お願いします!」
これ以上はごねていられない!
イノリの背中に乗った。
予想外に大きく、広い背中。
ええ、イノリってこんなに大きくなったの!?
って、大澤は最初から大きかったけどっ。
でもイノリだし。
いやでもイノリはちっちゃくって、こんなじゃなくって。
ああ、なんだか思考回路がショートしそうだ。
あたしの動揺にはお構いなしに、イノリはひょいと立ち上がった。
バッグまで持っているというのに、よろける様子もない。
うあ、こんなに力強くなっちゃったの?
あたしを背負ってるのに、平気なの!?
「じゃあ行ってくる」
「ああ。彼女をよろしくね、祈?」
「なんでオヤジが言うんだよ。じゃあな」
あっさりと会話をすませ、すたすたと歩き出すイノリ。
「気をつけてね、美弥緒ちゃん」
「は、はぁい……」
勝手に赤面してしまう顔を背中で隠して、加賀父の言葉に返事だけ返した。
「班長は点呼後、委員長に報告! 委員長は担任へ!」
拡声器の声が次第に大きくなる。
は!
あたしの班、誰が点呼とってるんだ!?
穂積? いや、琴音?
「は、早く行かなきゃ、イノリ」
「大丈夫だろ、多分田中か柘植辺りがうまくやってるだろ」
焦るあたしにお構いなしに、のんびり歩くイノリ。
そうかもしれないけど、迷惑になるじゃん!
急げよ! と頭の一つでも叩いてやりたいが、背負われているという負い目がある手前、できるはずもなく。
どうにも居心地のよくない場所で、うぬぬぬ、と唸った。
……ん?
何だか周囲が騒がしい。
まあ、こういうイベントでの集合時間っていうのは総じて騒がしいものだけど、何というかそれとは空気が違う気がする。
あっけらかんとした、休み時間のような気楽な騒がしさではなく、かといって非日常ゆえの躁状態という感じでもなく。
興奮気味というか、騒然というか。
はて?
もしかしてあたし、またタイムスリップしてしまった、なんてことはないだろうな?
そんなことになってたらショック通り越して、泣きそうなんですけど!
か、確認しなくちゃ。
恥ずかしさで俯いていた顔をこわごわ上げた。
……見慣れたいつもの駅前広場、だよね?
コンビニはロー●ンだし、天然酵母のパン屋さんもある。
うん、間違いない。
なにより周囲には見覚えのある顔もあるし、ほら、あそこにはクラスメイトたちの驚いた顔が………。
はて? 驚いた顔?
よくよく見れば、みんなこちらを指差して、驚愕している様子。
神楽があからさまにこちらを見て叫んでいたのが見えた。
「なんか、うるせえ……」
イノリが小さく呟いた。
「ほんと。なんでだろ……うね……って! うあああああ!」
こんな衆人環視の中、何をぼんやりしてんだ、あたし!
みんなのどよめきも、驚愕の顔も、神楽の叫びも、
全部全部、あたしがイノリにおんぶされてるからじゃないのか!?
遅れてきた挙句、イノリに背負われて登場すりゃ、そりゃ目立ちまくりだろうが!
「急に叫ぶなよ、なんだよ」
「お、お、お、下ろして! すんげえ目立ってるから!」
「痛いくせに何言ってんだよ。無理すんな」
「足も痛いけど視線もめちゃくちゃ痛いんだって! わかれよ!」
「わかんねえよ。人を気にしてどうすんだよ」
「これだけ見られてたら普通するだろ!」
「俺はしねえよ! つーか動くな!」
暴れるあたしにお構いなしに、じろじろと不躾な視線を寄越す生徒達の中を突っ切っていくイノリ。
うあー、恥ずかしさで死ねる。
もうきっと死ぬ。
つーか何でこいつこんなに平然としてんの?
こんなに視線集めて平気なわけ?
「美弥緒!? どうしたの!?」
イノリの背中に顔面を押し付けて、現実をシャットアウトしたつもりだったが、残念、聴覚は遮れていなかった。
大きくなっていくばかりのざわめきの中で、一際大きな声で呼ばれた。
「美弥緒ってば! どうかしたの?」
穂積だ!
認識すると同時に、ぽんと背中に手の平の感触があった。
おずおずと顔を上げたら、そこにはびっくり顔の穂積がいた。
「…………っ。ええと、あー、来ないから心配してたんだけど……どうしたの? どうして大澤に背負われてるの?」
信じられない、といった様子で問われた。
「ああ、うう、その、何といいますか」
うひー。言い訳が思いつかない!
すっかり混乱してしまっていて、口からは意味のない言葉ばかりが出てくる。
しかも、穂積の後ろに何人もの女の子がいて、彼女たちの視線が毒針のようにキッツイのも、動揺に拍車をかけた。
目が合えば、あたしがイノリにぶつけたそれ以上の気迫で睨まれる。
ちちちちちち、違うんです!
なんかその、変な勘違いしないでください!
つい、数日前のクラスの女の子たちの怒号を思い出してしまい、震える。
アレより酷い事態になってしまうかもしんない。
あの視線のギラつきは、ハンパじゃねーもん。
うあー、怖いよー。
「こいつが足挫いて動けないっつーから、拾ってきたんだよ」
怯えていると、イノリが大きな声で言った。
す、救いの手? 救いの手ですか?
「え? 美弥緒、足怪我してるの?」
穂積の視線が、あたしの足元に向けられた。
「バス停のとこでうずくまってたから、連れてきてやったんだよ。ウチの班の保健係って誰? いや、保険医でもいいから、誰か診てやって」
う、うまい!
イノリの説明は、あたしの心に光明を差した。
これなら違和感のない話だよね!
「ミャオちゃん!」
人ごみを掻き分けるようにして、救急箱を手にした琴音が現れた。
おおおおおお、すんごく久しぶりに会った気がする!
ああ、ほっとするー。琴音ー。
「保健係、あたしなの! 大澤くん、ミャオちゃん降ろして」
近くにあったベンチに移動し、そこに降ろしてもらった。
「うわあ、すんごく腫れてるよ。これは歩けないよねえ」
あたしの足首を確認した琴音が、自分の怪我のように顔を歪めた。
「うわ、本当だ。オレ、保健の先生呼んでくる。琴ちゃんだけじゃ手当ては難しいだろ」
「ありがと、穂積くん」
足を覗き込んだ穂積が、同行の保険医を呼びに走って行った。
「ミャオちゃん、この湿布はどうしたの?」
「え? ああ、たまたま持ち合わせがあったんで、貼ったんだ」
「ふうん、用意がいいねえ」
感心した琴音に、まあね、と曖昧に笑っておく。
と、すぐに保健の川上先生を連れて穂積が戻ってきた。
恰幅のいい、にこやかなおばちゃんの川上先生は、どっこいしょ、と座ってあたしの足を確認した。
「あらら、ずいぶん腫れてるね。どうやったらこんなことになったの?」
2mほどの高さから飛び降りました。
不覚にも、着地を失敗したんです。
……なんて言えるはずがねえ。
さっきのイノリの説明に合わせた。
「ここに来る途中に盛大にこけてしまって……。そしたら足を捻ったみたいで」
「よっぽど派手に転んだんだねー。で?」
「歩けなくてどうしようかと思ってたら、イノ……大澤が通りかかって、それでここまで連れてきてくれたんです」
この説明は、周囲で聞き耳を立てているその他大勢にも聞いてもらえるように大きな声で言った。
単純なことなんですよー。
あたしは怪我人、イノリは心優しき通行人、それだけなんですよー。
「そりゃよかったねえ。えーと、大澤ってアンタだよね? 女の子をきちんと助けるなんて、偉い偉い。かっこいーねえ」
「別に……、無視してくわけにもいかないだろ」
手放しに誉めた川上先生に、ぷいと顔を背けたイノリが面倒くさそうに言う。
「痛がってたし、仕方なかったんだよ」
まだ機嫌が悪いらしい。
口調がいつにも増してぞんざいだった。
むう、そんなに怒ってるなら、おんぶしてくれなくてもよかったのに。
いや、怒らせたのはあたしだけどさー。
しかしその態度が、殺気立っていた女の子たちの心を静めたらしい。
「大澤くんって、優しいんだあ」
「アタシも足挫いたらおんぶしてくれるかなー」
「そうかもー。それならちょっとくらい怪我しても構わないんだけどなー」
「ちょっとぉ、ワザとそんなことやんないでよ!?」
独り言やひそひそ話にしては大きな声が、そこかしこから聞こえた。
ど、どうやら危険は回避できた……か?
「ちぇ、大澤はいつもかっこいいとこ持ってくんだよな。
オレも怪我した女の子を拾うチャンスがあったら、お姫様抱っこくらいするんだけどなー」
穂積が冗談めかして言うと、数人の女の子がくすくすと笑った。
雰囲気がぐっと柔らかくなったのが分かる。
よし、いける。どうにか助かった……。
川上先生に処置を受けつつ、こっそりとため息をついた。
「おい、ここの騒ぎはなんだー? 集合後、すぐに移動って言っただろうがー!」
のっそりと森じいが現れた。
集まっている生徒たちを、しっしっ、払うように追い立てる。
「ほれほれ、班ごとに移動! 班長しっかりしろー!
あれ、どうした? 茅ヶ崎」
「来る途中で捻挫したそうなんです。内出血もあるし、手当てをしないと」
内出血? と川上先生の手元を見れば、湿布を剥がした足首の一部が醜く変色していた。
おおお、人ならざる色味なんですけど!
えー、こんなに酷かったの?
自分で湿布貼ったときは暗くてよく見えなかったからなー。
つーか、やっぱりじいちゃんの稽古を止めたのがいけなかったかな。
あれくらいの高さで怪我するなんて、情けない。
「おお、酷いなー。大丈夫なのか、茅ヶ崎」
「そこそこ平気、ですけど、けっこう嫌な見た目ですね……」
視覚というのはすごいもので、どす黒い内出血痕を見た瞬間、足首の痛みが酷くなってきた気がした。
「整形外科に一度見せたほうがいいかもしれないわね……。森先生は電車ではなく、車で行かれるんでしたね? 彼女を病院へ連れて行ってもらえません?」
「校長を乗せていくことになってますよ。仕方ない。茅ヶ崎、宿泊施設までおれと校長とドライブするかー」
んあ!? ちょっとそれって何の罰ゲーム!?
あたしはこれから琴音にたっくさん積もった話をしなくちゃいけなくて!
イノリにも説明しなくちゃいけなくて!
オヤジたちとドライブしてる暇なんてこれっぽっちもないんですけどー。
「あ、あたし平気です! これくらいの怪我、なんてことないし!」
稽古中は怪我なんて日常茶飯事だったし!
だいたいこんな怪我、たるんでる証拠だし!
しかし川上先生は、ダメ! とふっくらした頬をますます膨らませた。
「念のために受診しといたほうがいいわよ。そのほうが安心だし」
嫌だってば! なんで森じいと校長と行動を共にせにゃならんのだ。
「よっしゃ、行くか。おい、お前たちは早く構内へ移動しろ。茅ヶ崎のことは心配しなくていいから」
気付けば、周囲にはあたしの所属する3B班のメンバーしかいなかった。
「ミャオちゃーん……」
琴音が憐憫の眼差しであたしを見つめる。
助けて、琴音ー!
「とりあえず田中が班長代理をやっとけ。行くか、茅ヶ崎。よいしょ、と」
「ぎゃ!」
森じいは米俵でも運ぶがごとく、あたしを肩に担いだ。
おい! 完全に荷物扱いじゃねーか!
いやでも抱っこやおんぶというのも勘弁してもらいたい。
じゃなく! 罰ゲームはいやぁ!
「こ、琴音……、たすけ……」
「遅れたら大変だよ! 行こう、穂積。ほら、みんなも!」
悠美が仕切るように大きな声を上げた。
「大澤くんも、大変だったね? 猫娘には先生がついてるんだし、もう安心だよね。じゃあ行こっか。ほらほら!」
神楽が後押しするかのように声をかけ、傍にいた琴音の背中を押す。
その様子を見ていた穂積がため息を一つついた。
「そうだな、オレたちが遅れたらみんなの迷惑になるし、行こう。じゃあ、美弥緒、あとでね?」
「ミャ、ミャオちゃん! 後でねぇー」
「こ、琴音ぇ……!」
無情にも、みんな慌しく行ってしまった。
ああ、罰ゲーム決定なのね……。
担がれたまま、脱力した。
ああ、森じいの真紅のジャージが目に痛い。
じじいなんだし、もう少し落ち着いた色を身につけろよ、このやろう。
「茅ヶ崎の荷物は……と。お、これか。じゃあ、川上先生、他の先生方にも茅ヶ崎のことを伝えておいてください」
「はいはい。さ、アタシたちも行きましょ、大澤くん」
川上先生が声をかけた。
ん? 大澤?
真っ赤なジャージの背中から、ちらりと顔を上げると、大澤はまだ残っていた。
視線が合うと、
「大丈夫か?」
とぼそりと訊いた。
しかしすぐに、つんと顔を背ける。
もしかして、心配してくれてる?
唇を曲げた横顔は変わらず不機嫌そうで、でも、あたしが返事をせずにいると、窺うようにちらりと視線を寄越した。
目が合うと、小さく舌打ちされたが、思わずくすりと笑った。
「……大丈夫じゃなかったら、一緒に罰ゲーム受けてくれんの?」
「は?」
「校長アンド森じいとわくわくドライブ」
「こら、茅ヶ崎! なにが罰ゲームだ!」
ぺしんと尻を叩かれた。
「ちょ! 森じいそれセクハラだし!」
「安心しろ。旅のしおりで叩いた!」
意味わかんねえ。しおりだったら叩いていい、なんてわけねえだろ。
「ほら、行きましょ、大澤くん」
ぐいぐいと川上先生が大澤の腕を引いた。
「行け行け。心配せんでも病院に連れてくだけだし、後で合流するんだから。じゃあな」
のっしのしと森じいが歩き始めた。
ああ、あたしって今、猟師に仕留められた野うさぎみたい。
いや、野うさぎって言いすぎ? 野たぬき?
でもそんな感じなんだろうなあ。
歩みに合わせて揺れながら、大澤を見た。
川上先生に急かされながらも歩く大澤と目が合ったので、ひらひらと手を振った。
――――疲れた。
宿泊施設の、3組女子に割り当てられた部屋には、あたし一人きりだった。
だだっ広い畳敷きの部屋には、みんなの荷物と、積み重なった布団しかない。
布団の山から一組ひっぱりだして、ごろんと寝転ぶ。
木目の天井を眺めながら、全身でため息をついた。
あれから森じいに整形外科に連行され、足首にがっちりとテーピングを巻かれた。
プロの仕事というのはさすがで、体重を思いっきりかけない限りは、痛まなくなった。
鎮痛剤や炎症止めも処方してもらったし、あとは時間が解決してくれることだろう。
うん、ヨカッタネ!
しかしその後の、オヤジたちとの密室移動が、辛かった。
今年クリ高(クリスチーネ豪陀高校の略称)に移動してきたという信楽校長(57)は、生徒といち早く親しくなりたいという元熱血教師だそうで、
ハンドルを握る森じい相手に、理想の教育論を延々とぶちかました。それは次第に熱を帯びてきて、前任校での思い出話(卒業生から、己の胸像をプレゼントされたのだそうだ)辺りでとうとう号泣。教師たる喜びとやらで男泣きに泣いて、車内の雰囲気を凍結させたのだった。
自分の父親よりも年上のおっさんの涙なんざ、見たくねえ。
しかも、あたしのことなんて放っておいてくれたらいいのに、『校内行事に参加する意義。そして怪我をおしてまでも参加する君のひたむきさ』についても語り始め、しかもそれに相槌を求め、うたた寝の一つもさせてくれなかった。
一晩中森を彷徨っていた疲れに加え、処方された薬の副作用もあってふらふらだったのにも拘らず、校長の熱弁は止むことを知らず。
ようやく彼も落ち着いたかな? という辺りで目的地に到着した。
着いたときには、生徒達は既に近隣にある森林ハイキングコースへとオリエンテーリングに出かけており(朝は雨が激しく降っていたというのにこちらは雲ひとつない快晴で、問題なく野外での予定を消化できるのだそうだ)、
留守居役の先生が一人残っているのみだった。
張り切り屋さんの校長はすぐに生徒達の集団を追うと言い出し、うそー、これからまた移動かよ、とげんなり。
だいたい森林ハイキングなんざ、昨晩濃いやつを経験したばっかりなんだ。
もう満腹状態、消化不良起こしそうなんですけどー、と嘆いていたら、天の助け、いや森じいの助けが入った。
足の悪いあたしにまでそれをさせるのは酷だろう。
部屋に行って休んでいてよし、と言ってくれたのだ。
うう、森じいって要所要所は役立つんだよなあ。
ありがたやありがたや。
あたしと同じく精神が疲労している様子だったが、上司である校長に大人しくついて行った森じいの背中を思い出し、両手を合わせて拝んでおいた。
もうそろそろ、合流しているころだろうか。
校長のあの様子だと、さぞや張り切っていることだろう。
振り回されているだろう森じいのことを思うと、少し可哀相に思うのだけど、まあ、あたしが気に病んでも仕方ないことだ。
とりあえず、森じいの好意を有難く頂戴して寝るか!
と目をぎゅ、と閉じたところで、きゅるるるる、と盛大にお腹が鳴った。
「……おなかすいた」
そういや、お昼ご飯食べてなかったんだ。
校長ってば休憩入れずに演説するんだもんなあ。
お弁当開くタイミングがなかったんだ。
しかも食事といえば柚葉さんのおにぎりを1個食べただけだったし。
お腹すいて当たり前か。
てか、お弁当は加賀父手作りなんだっけ。
食べずしてどうする!
もそもそと起き上がって、バッグの中から加賀父のくれた包みをとりだした。
ふむ。愛妻弁当を食べる夫の気持ちって、こんな感じなのかしら。
って、加賀父はあたしの奥さんなんかじゃないんだけどー、うははー。
うふ、うふふー、と傍から見ればさぞかし怪しいだろう笑みを浮かべ、手毬模様の布を解く。
中には大きめのお弁当箱。ずっしりと重たいそれの中身を想像するだけでにやけてくる。
これを加賀父があたしの為に……。ああ、恐れ多くも勿体無い。
美味しく完食させて頂きます!
「ようし、開けちゃうぞ、えい!
…………うわあ、ダイナミックぅ……」
かぱ、とフタを取るとそこには真っ黒の塊。
いや、海苔をこってこてに巻いたでっかいおにぎりがででんと鎮座していた。
これ、イノリ(小)の顔くらいでかいんじゃないの……?
持ち上げてみると、やっぱりでかい。
つーかでかすぎ。こんなでっかいおにぎり、初めて見た。
「……ぶっ」
呆然と眺めていたのだが、ぷつんと何かが切れたように笑いの波が襲ってきた。
息ができないほどの大爆笑。
「な、なんでこんなにでかいおにぎ……っ、あはは! 腹いてえ!」
一体どんな顔してこんなでかいおにぎり握ったんだ、あの人。
つーか、弁当箱にみっちりと詰まったのがおにぎり1つって、何それ。
おにぎりの消えた弁当箱は今やご飯粒1つ残っていない空っぽで、それを見ただけで笑えてしまう。
予想外。完全に予想外だよ。
やっぱすごいよあの人。
笑いすぎて、口からヒイヒイと変な声しか出なくなったころ、ようやく波がひいた。
しかしおにぎりと弁当箱を見比べたら、波が再びじわりと寄せてくる。
「と、とにかく食べよう」
弁当箱を視界の外に押しやって、おにぎりに噛み付いた。
罰ゲームドライブ中に買ったペットボトルのお茶も取出し、このでかいおにぎりを飲み込んでいく。
海苔の内側はご飯がぎゅうっと握られていて、食べ進めると何種類入れたんだ、というくらいの具が登場した。
梅・おかか・こんぶ・高菜・焼きたらこ・ツナマヨ。
えー、入れすぎなんですけどー。いや、美味しいからいいんだけどさあ。
くすくす笑いながら食べる。
もぐもぐと口を動かしながら考える。
しかし、現実って言うのは、時として色んなことが一気に押し寄せてくるのだなあ。
まるでこのおにぎりみたいに。
この時代では、あたしは前日まで大澤はただの大澤だと思っていたし、大澤の家庭なんて興味もなかった。
朝起きて、K駅に行って、ごく普通に校内行事に参加するのだと、漠然と思っていた。
なのに、そうはならなかった。
瞬き一つする間に時代を遡り、いくつもの出会いや問題に出会い、たくさんの経験をし、最後には山で遭難しかかるということまでやってのけた。
トマトパスタ(あれ? 正式名称何だっけ)にだって乗ったし、再び瞬きすれば元の時代に帰ってこれた。
そしたら数時間前に別れた人が大人になってて、しかも父親になってた。
……うん、短い間に色々ありすぎだよなー。
結果、今や大澤はただの(意味不明な)クラスメイトではなくなって、『イノリ』という特別な少年の成長後だと知ってしまった。
あまつさえ、あたしは今その大澤の父親が作ったおにぎりを食べている。
参加してるはずの校内行事だって一人別行動状態で、こんなところでのんびりおにぎり齧ってるのだ。
ホント、不思議だよなあ。
日常って、あたしが思っていたよりも簡単に変化してしまうんだ。
唐突に、そして否応なく。
これってあたし的には衝撃の事実、だ。
別段憂いてたわけじゃないけど、人生って微妙に違う毎日の繰り返しだと思い込んでいたし、変化なんてものは目に見えないくらいゆっくりなものだと認識していたのだ。
それが、どうよ、これ。
今回の一件で、人生観が大いに変わった気がするよ。
熱血校長の弁ではないが、世界ってのは可能性が満ち溢れてると言ってもいいかもしんないね。
って、少し熱くなっちゃった、てへ。
しかしなあ。
どうしてあんな風に時を越えたのかが分かんないんだよな。
瞬き一つで、しかもイノリが近くにいるときに時間移動、ってそれどんな条件だよ。
だいたい、物語や映画なんかでは、そうなるためののっぴきならない理由があったりするもんなんだよね。
んでもって、主人公なんかが世界を救うような偉業をなしとげて元の世界に帰っていく、みたいな。
しかしあたしは9年前の世界で、大したことをしていない。
イノリの父ちゃん捜索の旅に同行し、迷子になったイノリを助けて捻挫して、挙句に一緒に迷子になっただけ、だ。
人生経験という点で言えば、あたしは随分なことをさせてもらったように思うけど。
あんなの、めったにできる経験じゃないしね。
それに、振り返れば楽しかったなーと思えることばかりで、良かったー、ラッキーと言えるくらいだ。
でも、楽しかった、人生観変わった、それだけでいいのかな?
何か意味があるんじゃないか、と思うのは考えすぎ?
「うーむ」
首を傾げた。
意味、意味ねえー……。
無事に帰れたということは、その『意味』を果たしたということになるのだろうか。
映画やアニメなんかを引き合いにだせば、そうだよね。
しかし、あたしは特に何もしていないし、何かしたというなら、それを教えてもらいたい。
特に重要なことってなんだろ。
イノリを加賀父の元に連れて行ったってこと、とか?
でも、あの父親たちなら、あたしが介入しなくてもいずれ問題は解決できていたと思うんだよなあ。
つーか、介入、というほどのこともしてないしな。
……むー。
つーか、自分が何かしらの意味を持っている、なんていうのは単に驕った考えなんじゃないかって気もしてきた。
自分の可能性を過信するなんて、それって何の中二病だよ、って感じだし。
「……つーか、でかすぎっ!」
一向におにぎりが減らない。
残すところ、あと3分の1。しかしその3分の1が減らない。
なんと! ここにきて鶏そぼろが出てきた、だと……っ!?
すげえ、これで何種類目だ。まだ何か新種が埋もれてんのか!?
色々考えていたはずだったのだが、おにぎりの存在に思考を中断した。
満腹中枢は充分に刺激されまくりで、正直お腹が破裂しそうだったのだが、加賀父の手作りを残すなんて選択肢は、ない。
バラエティに富んだ巨大おにぎり、勝ってみせるぜ。
頭を空にして、おにぎりを体内に取り込むことにのみ集中するのだ、美弥緒!
さて。あたしという人間は、記憶力がちょっと足らない。
覚えておかなきゃいけないことでも、新しいことが追加されるとところてん式に排出されてしまうということが、多々ある。
なので、今回もその例にもれず、巨大おにぎりを征服(完食)後は、達成感ばかりを覚え、その末に布団でぐうぐう寝てしまっていた。
しかも、オリエンテーリングから戻ってきた琴音に起こされるまで、意識がもどることはなかった。
あ、間抜けだという自覚は、大いにあります。




